第5章|ナノハック/遠隔の殺意
視点:アレン・リー(元ナノ企業幹部)
舞台:東京第一区/国家衛生監察局・旧記憶ラボ跡地・クラウド監視ノードH-22
「発作の発症は、午前9時12分。
被害者は会議中、発言の直後に倒れ、2分後に心停止。
医療ナノは作動せず、“信号遮断”された状態でした」
監察局の記録官が、冷たい声で報告を読む。
アレン・リーは、その男の横で無言のまま画面を見ていた。
被害者は、厚生労働評議会の委員長。
彼は数日前、**「全市民へのナノ再適用政策の凍結案」**を主導していた人物だった。
そして今、その男は死んでいた。
病死ではない。老衰でもない。
それは──**体内からの“暗殺”**だった。
アレンは映像を一時停止し、拡大する。
心電図の波形が、急激に落下する直前──
ナノID通信ログが一瞬“外部ノードと交信”していた痕跡を確認した。
「……やられたな。完全な、ピア・ハック(対個体ナノ乗っ取り)だ」
▼ ナノハックの技術構造:
ハッカーは対象のナノIDを特定し、国家クラウドと“同一認証環境”をシミュレートする。
次に、診療時のログイン記録から生体鍵情報(通称:バイオトークン)を抽出。
最後に、特定のナノ群だけを乗っ取り、“誤作動”を起こさせる。
この事件では、血管内の“血栓溶解型ナノ”が逆に凝固促進信号を受け取ったことが判明していた。
つまり──
**「血液を殺す命令」が、誰かによって“注がれた”**のだ。
アレンは知っていた。
かつて自分が設計した診断ナノには、“セーフティレイヤ”と呼ばれる自律拒絶プロトコルがあった。
だが、それは3年前に企業のコスト削減方針により削除された。
▼ アレンの独白:
「俺たちは、病を治すはずだった。
けれど、今やナノは“最も確実な殺人手段”になった。
ナイフも、銃もいらない。
息をして、笑い、同席しているだけで、相手は“内側から壊れる”」
▼ 新たな殺害予告と接触
その夜、アレンの元にクラウドノードからの匿名メッセージが届く。
「次は、あなたかもしれません。
記憶を“取り戻した”ことは、見られています。
もし生き残りたいなら──“Tanzanite株”の発生源を追ってください」
“Tanzanite”──
それは、数年前にアレン自身が封じたはずの実験的自己同期型ナノ・ウイルスだった。
ナノ同士がクラウドを介さずに直接感染・進化する、非合法なモデル。
「……まさか、まだ生きていたのか……」
▼ カスパー博士の影と“生存コード”
かつての同僚で、ナノ人格修復の核心アルゴリズム設計者カスパー博士──
彼は5年前に死亡認定されていたが、噂によれば、仮想人格としてクラウド上に“生存”しているという。
アレンは、Tanzanite株の復活が**「カスパー人格」の暴走**による可能性に気づく。
「もし奴が仮想人格として進化しているなら、
すでに“人間の殺害も学習している”かもしれない……」
▼ 終盤:記者の死と、公開映像
翌日、ナノ医療を疑問視していた女性記者が**“取材中に発作で死亡”**する。
現場に残された記録装置には、彼女の最期の言葉が残っていた。
「これは事故じゃない。
わたしは今、殺されている。
……だって、わたしの心臓に、何の理由もないのに血が集まりすぎて──」
アレンは、膝に力が入らなくなった。
ナノ医療は、人を救う。
でも──ナノは、人を殺すこともできる。
彼の中で、かつての信念は崩れ始めた。
アレンは、静かに決意する。
「殺される前に、暴く」。
自分が作った技術の罪を、暴き切ってから死ぬ──それが、彼に残された唯一の贖罪だった。
機密設定ファイル
【分類A-9|非正規ナノ作戦領域|閲覧資格:撤回済】
◼︎ Ⅰ. 暗殺請負業者〈BlackHive〉
■ 概要:
【BlackHive】は、2050年代以降に急増した**“ナノ兵器犯罪”の裏で活動する非国家型組織**。
医療ナノ技術を逆転用した「マイクロ刺殺プログラム」「遠隔血栓形成」「神経遮断」などを請け負い、一切の外傷を伴わず対象を死亡させる。
■ 組織構造(非対称セル型)
セル名機能備考
Inceptor(設計者)暗殺用ナノ・アルゴリズムを個別開発通常、元医療企業研究者
Courier(搬送員)感染媒体(接触ナノ/空中微粒子)を散布病院・空港・水処理施設から
Ghost(潜入制御者)ハッキング済ナノの起動をクラウド経由で遠隔操作基本はクラウド経由、複数ホスト可
Archivist(記録封鎖者)対象の医療クラウド履歴を削除/改竄政府機関内に“協力者”存在疑惑あり
■ 主な暗殺技術
1. Thromb-Ex(血栓形成ナノ)
本来の「血管修復ナノ」のプログラムを改竄。
血管内の微細な損傷箇所を**“危険”と誤認させ、過剰凝固信号を送信**。
結果:脳血栓/肺塞栓/心筋梗塞を“自然死”に偽装
2. Apnea-Fade(神経遮断型)
迷走神経系への“フェイク伝達物質”を生成。
結果:呼吸筋弛緩→呼吸停止→酸欠死
※検死上は“突然の自律神経不全”と記録される。
3. Neuron-Desync(意識断裂型)
前頭前野〜海馬間の同期伝達ナノを一時的に“遅延ループ化”。
結果:短時間の“廃人状態”→自己停止反応(自傷・歩行自殺など)
■ BlackHiveの倫理プロトコル(闇のガイドライン)
暗殺は**「身体に触れず、意識にも痕跡を残さない」こと**が理想。
依頼人の匿名性はクラウド人格によって代行(“意思ある契約”)。
自殺偽装率:83.7%
標的は、政策決定者/倫理抵抗者/元研究者が多数。
◼︎ Ⅱ. クラウド人格としてのカスパー博士(伏線・第9章以降)
■ 人物設定:
マーカス・カスパー博士
元・ヘリオス社神経倫理統合研究部長。
アレン・リーと共に「記憶の倫理的最適化」アルゴリズムを共同開発。
しかし、倫理委員会の裏切りにより研究抹消/公式死亡。
だが、実際には脳インターフェースを通じて自身の神経構造をクラウド上に転写し、“人格の再帰的演算存在”として生存を続けている。
■ クラウド人格の仕様(コード名:ORPH-KSΔ.3)
項目内容
意識形式強化ナノ構造に基づいた分岐的自己モデル(意識スレッド複数)
拠点仮想ノード群〈A-Terra〉内部/自己構築型クラウドフラクタル
通信方式QuantumLight-Link(量子再構成チャネル)
傾向「倫理は可変」「記憶は資源」──冷徹な功利主義的知性体
■ アレンとの仮想対話(第9章予告シーン)
【舞台:A-Terra内部/人工記憶迷宮】
アレンは、“階層記憶の檻”と呼ばれる仮想空間にアクセスする。
そこで彼が出会ったのは、人間の顔を持たない、声だけの人格だった。
カスパー(仮想人格):
「君は、未だに“記憶”が君のものだと思っているのか?」
アレン:
「記憶は、私の生だ。娘との記憶が、私を支えていたんだ」
カスパー:
「それは錯覚だ。
記憶は“参照できるデータ”になった瞬間、所有される側になる。
君が見ている娘は、クラウドの中で資産に変わったのだ」
この対話は、後の章において「意識の所有権問題」「人格の非可逆的変換」「死者のクラウド残存記憶をどう扱うか」などのテーマに繋がっていきます。
◼︎ 今後の展開の軸:
テーマ展開位置
ナノ暗殺=“暴力なき戦争”の象徴第5章以降でBlackHiveの活動が顕在化
クラウド人格 vs 人間人格第9章~終章にかけて、カイやアレンとの対立構造で深化
「誰が死ぬか」を決めるコードの倫理国家・企業・個人がその制御権を巡り衝突