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校正者のざれごとシリーズ

校正者のざれごと――私が本を読まないもうひとつの理由

作者: 小山らいか

 私は、フリーランスの校正者をしている。

「校正者のざれごと」という文章のなかで、校正者は本好きが多いが、私は本を読まない、それは毎日活字を目で追い続けているからだと書いた。もちろんそれは事実で、こんなに毎日たくさん読んでいたらさすがにプライベートでは読まないよな、という感じである。

 でも、私が本を読まなくなった理由はもうひとつある。

 以前、村上春樹さんの小説のなかで、「彼女は地味な校正者」というフレーズを読んだことがある。どの小説だったかは記憶にないが、学生時代にそれを読んだ私は、「校正者って地味なんだな」とすんなり納得した。当時はまさか自分が校正者になるなんて思ってもみなかった。いま実際に自分でやってみて、本当に校正というのは地味な作業だと思う。素読みで間違いを探す以外に、非常に細かい調べ物や、本の終わりにある索引のチェックなど(索引については、よろしければ「校正者、キレる」をご覧ください)。ちなみに、同じ本のなかの別のページを参照してほしいときに「〇〇ページをご覧ください」などと書いてあるが、これは「飛ばしノンブル」という。ページ番号のことを「ノンブル」というのだが、そのページへ飛んで見てほしいということだ。出版社によっては「ページリンク」などということもある。まだノンブルが確定していないゲラ(校正紙)の場合は、「ページリンクのチェック不要」などと校正者向けに書いてある。

 そして、ここまで書いてから私は一度席を立った。本棚へ行き、村上春樹さんの文庫本を奥のほうから引っ張り出す。そこにあったのは『1973年のピンボール』と『羊をめぐる冒険(下)』だ。学生時代に買ったもので、どちらも古く、ひどく変色している。

 ぼんやりとした曖昧な記憶で、先ほどの「彼女は地味な校正者」のフレーズがこの2冊になかったかページをぱらぱらとめくってみた。そして、ふとあることに気づいた。

 それは、「 」(かぎかっこ)のなかの句点(。)のこと。

 小学校で原稿用紙の使い方を学ぶとき、「 」の終わりの句点(。)と終わりのカギ(」)は同じマスに入れる、と習ったと思う。「 」のなかの文の最後には句点があるのが前提だ。だが、一般書では「 」のなかの最後の句点は書かないことが多い。いま一般書で見かけたら、たいてい「トル」と指示を入れる(校正のさい、このような指示はカタカナで入れることになっている。「トル」「ツメル」など)。

『羊をめぐる冒険(下)』のほうは句点のない書き方だった。ところが、『1973年のピンボール』には、ほぼすべて「 」のなかの文の最後に句点がある。どうしてだろう。どちらも講談社文庫なのに。奥付を見ると、出版年も近い。これって、著者の意向なのかしら。どうにも気になって仕方がない。

 そう、私が本を読まなくなったもうひとつの理由はこれなのだ。このような本の体裁が気になってしまうこと。もちろん、出版されている書籍には校正の目が入っているので誤字脱字を見つけることはほとんどない。だが、漢字のトジヒラキやルビ(ふりがな)のつけ方、数字の書き方など、ちょっとしたことが気になってしまう。そのせいで、内容に集中できなくなってしまうのだ。

 たとえば数字の書き方。縦組みの本なら漢数字が多いが、その場合でも「二十五年」と書く場合と「二五年」と書く場合がある。「二十五」と書く場合の「十」はトンボという。トンボのありなしはその書籍によって変わるが、西暦やパーセントなどはトンボは使わないというルールがある。縦組みで算用数字を使う場合は、一ケタなら全角、二ケタは半角にする。すべて算用数字にするのか、言葉によっては漢数字も併用して使うのか。概数の場合はどうするか。算用数字を使っている書籍でも、「十数年」などの場合は「10数年」とはせず、漢数字を使うことが多い。

 ルビのつけ方。その位置によって肩ツキ、中ツキがある。そして、モノルビとグループルビ。モノルビというのは対字ルビともいい、それぞれの漢字にそれぞれルビがつく。「高田」の場合、たかという具合だ。グループルビの場合は二つの漢字に対し均等にルビがつく。つまり高田たかだとなる。

 書いていて嫌になってきた。こんな細かいことをいちいち気に留めながら読んでいたら、内容を楽しめるはずもない。これは校正者あるあるというより、私が変わっているのかもしれない。俳優さんだって映画や演劇を観るし、ミュージシャンだって他の人の作った音楽を聞く。技術的なことを気にして楽しめないなんてことはないんじゃないだろうか。

 気を取り直して、今回は私のおすすめの本を紹介して終わりたいと思う。ふだん本を読まない私の、お気に入りの一冊。

 それは、倉阪鬼一郎さんの『活字狂騒曲』。彼の校正者時代のことを書いた本だ。

 この本では校正のことを、「文字やレイアウトの間違いをチェックする辛気臭い仕事」といい、まわりの職種がオペレーターやエディターなどのカタカナになっても校正者が漢字のままなのは、校正者は何もクリエイトしないからだという。実際の仕事でのエピソードでは、「クアララルンプール」という誤字を見つけて「ラ」に「トルツメ」と書いたところ、「クアラトルツメルンプール」になって返ってきて絶句した、など。久しぶりに本棚から出してきて数ページ読んだだけで涙が出るほど笑えた。皆さんもよかったら、ぜひ。 


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― 新着の感想 ―
「クアラトルツメルンプール」でお腹が痛くなるほど笑いました。めちゃめちゃ興味あるんですけど……もう本置く場所が……( ノД`)シクシク… 本を楽しめないというのは、職業柄というよりも性格なんですかね?…
 なろうの文章はロクでもないものが多いので、引っかかりを感じながら読むことが多い。  またネットニュースにも酷い文章が結構散見される。  そういう意味で、筆者に同意すること多々あります。
村上春樹の「。」問題。 あくまで想像ですが…おそらく『1973年のピンボール』を書いていた頃の、新人の村上春樹にはまだ編集と校正が付いていなかった、または、付く前に書いた作品だからではないかと。 ハル…
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