6.鎧の奥の、優しい旋律
あっという間だった。
フォードレイン大公家の騎士たちは、信じられないほどの勢いで敵国セイレートの兵を制圧していった。
まるで、赤い嵐が吹き荒れるかのように。
炎が駆け抜け、氷が舞い、雷がうねる。
圧倒的な魔力と戦術で、敵軍は為す術もなく地に伏していく。
その最中――。
エリーナヴィアスは、馬を走らせて国境最前線へと向かっていた。
「アース!」
呼びかけると、すぐに応じる声が返ってきた。
「はい!」
馬を降りたエリーナヴィアスの前に、アースが駆け寄る。
茶髪に茶色の瞳、真面目そうな顔立ち。
眼鏡を押し上げる仕草が、いかにも理知的だった。
彼の前で、エリーナヴィアスは軽やかに馬から飛び降りる。
ブーツが土を蹴る音とともに、赤い髪がふわりと舞った。
「じゃあ、お願いするわ。とびっきり硬いのを」
ウィンクするように笑うと、アースは真面目な顔で頷いた。
「了解致しました」
アースは正面を向き、静かに構える。
エリーナヴィアスはその背に右手をそっとあてた。
掌から、じわりと魔力が流れ込んでいく。
同時に声を上げる。
「全軍、引きなさい!」
制圧していた兵たちが、一斉に後方へと退き始める。
誰一人、戸惑わない。
彼女の指示は絶対だった。
国境のラインに沿って、アースが魔法を展開する。
割れていた壁。
崩れかけた境界線。
そこに、アースが新たな石の壁を築き上げていく。
ごうん、ごうん、と重厚な音を立てながら、
高く、頑丈な障壁が次々に立ち上がる。
まるで、帝国そのものを護るかのような、堅牢な砦。
エリーナヴィアスはさらに叫んだ。
「ディルバ! 来て!」
「はい!」
駆け寄ってきたのは、紺色の髪、紺色の瞳の少年。
ローブをまとい、片手には分厚い魔導書を抱えている。
彼――ディルバに向かって、エリーナヴィアスは声をかけた。
「結界を壁にお願いしたいの。……いける?」
「はい!」
ディルバは本を開き、ページをぱらぱらとめくった。
エリーナヴィアスは、今度は左手をディルバの背にそっとあてた。
背中越しに、再び魔力を送り込む。
体の奥がじわじわと熱を帯び、消耗が激しくなっていくのがわかる。
それでも、彼女は顔に出さなかった。
ディルバは静かに詠唱を開始し、
新たに築かれた壁全体に、広範囲の結界魔法を張っていく。
煌めく光が、壁を一面に覆った。
これで、簡単には破られない。
(……ぐっ、流石に辛いわね)
額に汗が滲む。
魔力の消費が激しすぎる。
全身の力が、少しずつ抜けていく。
「……終わりました!」
ディルバが振り向き、誇らしげに叫んだ。
「そ……良かっ……」
エリーナヴィアスは笑顔を浮かべようとしたが、
体がふらりと傾いだ。
その瞬間――。
がし、と力強い腕が彼女の身体を支えた。
「……っ」
驚いて顔を上げると、そこにいたのはリックウェンだった。
重たく冷たい甲冑ごしに伝わる、確かな温もり。
黒い瞳が、真剣な光を宿して、彼女を見下ろしていた。
真剣で、強くて――けれど、どこか優しい光を宿して。
思わず、口をついて出た。
「ありが……とう」
驚き混じりに、かすれた声だった。
だが、リックウェンは答えなかった。
無言のまま、ぐいとエリーナヴィアスを抱き上げた。
「えっ!? ちょ、ちょっと!?」
戸惑いと驚きで、思わず声が裏返る。
しかし彼は気にする様子もなく、
すたすたと自分の馬の方へと歩いていった。
そして、躊躇いもなく彼女を馬に乗せる。
「えっ……えええっ!?」
困惑するエリーナヴィアスをよそに、
リックウェンはその馬の後ろにひらりと飛び乗った。
重たい甲冑の音。
そして、すぐ後ろに感じる、無骨な存在感。
背中に触れそうな距離に、彼の体温を感じる。
(な、なにこの状況!?)
混乱する頭を抱えそうになったそのとき、
リックウェンが低い声で、静かに口を開いた。
「リックウェン・クローディアスです。この度のご支援、心より感謝します」
礼儀正しく、きちんとした口調だった。
この無骨な戦士が、きちんとした挨拶をしてくることに、思わず息を呑む。
「い、いえ……」
エリーナヴィアスも慌てて背筋を伸ばし、言葉を返す。
「エリーナヴィアス・フォードレインです。こちらこそ、お力になれて光栄です」
形式的な言葉を交わした後、二人の間に、ふわりと静寂が落ちた。
そして――。
馬がゆっくりと歩き出す。
パカ、パカ、と蹄の音が、乾いた地面に響く。
揺れる馬上で、エリーナヴィアスはぎこちなく姿勢を保ちながら、内心で叫んでいた。
(……何この状況!?)
顔も身体も、どこかぎこちない。
気まずい沈黙に、どうしたらいいかわからず、落ち着かない気持ちになる。
――そのとき。
ふと、耳に入ってきた。
リックウェンが、低く、鼻歌のようなものを口ずさみ始めたのだ。
「…………」
(……え!?)
エリーナヴィアスは驚いて、思わず後ろを振り返りそうになる。
けれど、振り向く勇気が出ない。
ただ、静かに、その歌声を聴いた。
低く、あたたかく、
どこか懐かしさを感じる、不思議な旋律。
風に乗って耳元を撫でるその声は、
ひどく心地よくて。
なぜだろう。
さっきまで、限界まで消耗していたはずの体が、
じんわりと楽になっていくのを感じた。
(……心地いい)
目を閉じれば、そのまま眠ってしまいそうなほど、優しい歌声だった。




