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歌わぬ辺境伯と契約花嫁 ~君に捧げる、世界で一番優しい歌~  作者: 無月公主


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35.気になる背中

晩餐の席――


 長いテーブルの両端に私とリックが座っている。重厚な天井灯の下、静かに並べられた料理だけが場を彩っていた。


「本来なら、クローディアス領の重役や臣下たちが列席する予定だったのですが……」

 給仕のひとりがそう囁いて、すぐに去っていく。


 聞けば、彼らは私たちの結婚式にはきちんと参列してくれていたのだという。

 けれど、披露宴の終盤で“セイレートからの襲撃”の報せが届き、急ぎ帰還することになったのは私とリック、そして彼の側近たちだけだった。

 重役たちは今もなお帝都に残っているらしく、追って戻る予定だそうだ。


 ――がらんとした空間に、ふたりきり。


 私はフォークを持った手を一度止め、向かいの彼を見やる。


「なんだか……悪いことをした気分ね。こんなに席が空いているなんて」


 リックはワイングラスを軽く傾け、深紅の液体を口に含むと、あっさりと肩をすくめた。


「そうか? 俺はむしろ、こっちの方がいい。どうせ、あいつらは俺に興味なんてないさ」


 その無頓着さに、思わず私の眉がぴくりと動く。


「……って、敵が多すぎない? 」


 言葉にしてみて、ようやく自分でも気づく。

 ――そう。嫁いでからやっとわかった。

 彼にはあまりにも、敵が多すぎる。


「そうだな」


 リックの声は静かだったが、その響きの奥に、幾多の戦場をくぐり抜けてきた者だけが持つ、冷たい鋼のような重みがあった。


「だが……君のためにも、少しずつ味方にしていこうと思ってる」


 ナイフとフォークの手が止まる。


「……できるの?」


 自然と問い返すと、彼は少し目を細め、グラスを揺らしながら微笑んだ。


「ああ。今なら、できる気がする」


「それって……どういう意味?」


 問いかける私の視線を、彼は正面から受け止め――

 それから、ほんのいたずらっぽい笑みを浮かべて、肩をすくめる。


「……まだ秘密だ」


 その返しに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


「……そ、そう」


 私はそっとグラスを置き、息を整える。

 (……契約通り。詮索しすぎるのはよくない)


 食事のあと、湯浴みを済ませた私は、ふわりと柔らかいナイトローブに着替え、執事の案内に従って廊下を歩いていた。

 夜の廊下はしんと静まり返っていて、足音だけが心持ち大きく響く。

 温かい光を灯す燭台が等間隔に並び、空間に柔らかく揺れる影を落としていた。


 やがて執事は立ち止まり、私のほうに体を向ける。


「奥様。夜間から昼間にかけて……最上階への立ち入りは、くれぐれもお控えくださいませ」


 突然の忠告に、私は思わず立ち止まり、少しだけ身を乗り出した。


「え……? どうして?」


 返ってきたのは、一瞬の躊躇と、わずかに強張った表情。


「それは……旦那様が……いえ、失礼いたしました。こちらが本日よりお使いいただく寝室でございます。どうぞ、ごゆっくり」


 深く一礼し、執事はそれ以上何も語らぬまま、すっと踵を返して歩き去っていく。


 静寂が戻る中、私は寝室の扉の前に立ち尽くした。


(……ちょっと、何それ。すっごく気になるんだけど!)



◇ ◆  ◇ ◆ ◇


 ゆっくりと扉を押し開けた、その瞬間。


 「――うわっ!」


 目の前の広い胸板にぶつかり、私は思わず一歩よろけた。

 逞しい筋肉が容赦なく額にぶつかってきたその感触は、まるで岩のように硬い。


「お、おそろしく硬いわね……何でこんなところに立ってるのよ」


 鼻を押さえながら見上げれば、リックが困ったように笑いながら、そっと私の肩を抱きしめてきた。


「ヴィア……」


 胸元に顔を寄せ、くすぐったいほど近い距離で頬をすり寄せてくる。


(こ、これは……!)


 私は一瞬にして、内心の作戦会議に突入する。


(そうよ、寝ている間に背中を見てやれば良いんだわ! 背中には神の加護が刻まれているはず……! ここまでずっと濁されたら、気になって仕方ないもの!!)


(それに、別にやましいわけじゃないし……背中がちょっと見えるだけなら、大丈夫よね!? 初夜を望んだのは彼の方なんだから……)


 覚悟を決めるように、私は彼の腕をゆっくりと回し、抱き返す。


「……待たせて、ごめんなさい」


 そう口にした途端、リックの腕がぐっと力を込めた。


「ようやく捕まえた」


 囁くように言うと、彼は私の体をすくい上げるようにお姫様抱っこで持ち上げ、そのままベッドへと向かった。


 柔らかな寝台に身を下ろされた瞬間――リックは私の上に体を預けるように覆いかぶさり、優しく額を寄せてきた。


「君と違って、俺は……経験が浅いから、お手柔らかに頼むよ」


 その言葉に、私は思わず眉を跳ね上げた。


「……は?」


 顔を引きつらせながら、思いきり青筋を立てて言い返す。


「いちいちそういう嫌味を挟まないと気が済まないの!? 今の私は“未経験”なんですけど!!」


 声を上ずらせて怒る私に、リックは少し戸惑ったように視線を逸らし、かすかに唇を引き結ぶ。


「……すまない。妬いてるんだ」


 その一言に、息が詰まった。


(な、なによ……)


(それを言われると、これ以上怒りにくいじゃない……!)


 胸が妙に熱くなるのを感じながら、私はそっと視線を逸らす。


(……いや、私は背中を見るためにここにいるのよ。あくまで情報収集、そう、情報収集なの……我慢よ、私!!)


 必死に自分に言い聞かせながらも、胸の奥で鳴る鼓動は、まるで答えを知っているかのように高鳴り続けていた。

 私はそっと唇を噛み、ほんのわずかにリックの体に手を伸ばす。


 触れた指先から、熱が伝わってくる…。


 やがて、優しいキスが額に、頬に、そして唇に落ち――

 言葉よりも確かな想いが、肌越しに流れ込んでくる。


 どこかで、背中を見るはずだったのに。

 いつの間にかそんな目的も、遠く霞んでいた。


 ……そうして、

 エリーナヴィアス史上、最大の情熱的な初夜が――

 静かに、けれど確かに、幕を上げたのだった。


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