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歌わぬ辺境伯と契約花嫁 ~君に捧げる、世界で一番優しい歌~  作者: 無月公主


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32.嫁入り道中、血の洗礼

 森の中――木々の向こうで、何かが崩れ落ちるような音と、短く切れた悲鳴が響いた。


(……リックが動いてるわね)


 あの剣捌きとボウガン。

 たとえ夜でも、彼が敵を逃がすはずがない。


 私は視線を天井へと上げ、問いかける。


「サリーはいる?」


「はい、こちらに」


 応える声とともに、黒髪の少女がひらりと馬車の屋根から舞い降りた。

 その動きに無駄はなく、地面に足をつけたときにすら音がしない。


 軍服の袖を整えながら、すっと一礼するその姿には、どこか厳かな気配があった。


「敵の数は?」


「現在、確認できる敵は20名です。うち13名は、すでに死亡」


 報告するサリーの瞳は、まるで宝石のように淡く光っていた。


 真理の女神――

 あらゆる虚構を見抜く神に愛された彼女の眼は、

 敵の数だけでなく、動き、潜伏場所、そして隠された魔術の構造すらをも視認している。


(でも……)


 私は、少しだけ彼女の顔をのぞき込んだ。


(この視界拡張は、私の“増強”によって半径10キロ以上にも及ぶ。

 その情報量を一度に処理するのは、精神的な負荷が大きすぎる)


 見えてしまうのだ――地形、気流、熱反応、仕掛けられた罠の細部まで。


「ありがとう、少し休んで」


「いえ、問題ありません。敵の動きは……あと2分ほどで、包囲に入ります」


 サリーの声は、いつもと変わらぬ冷静さだった。

 けれど、その眉間にはうっすらと疲労の影が浮かんでいた。


(優秀だけど……やっぱりどこかで、ちゃんとした治癒師を雇っておくべきだったかしら)


 私は少し息を整えると、喉元にそっと手をあてた。

 魔力を集中させ、声帯に増幅の魔法――エコーを重ねる。


 空気が震える。


「リック! 残り7人よ!」


 林の奥へと向けて発したその声は、風に乗って、まっすぐに届いていくはずだった。


 すると――


「了解した!!」


 即座に、しかもはっきりと、返事が返ってきた。


 その声は、距離にして数百メートルは離れているはずの位置から……

 にもかかわらず、まるで真横で囁かれたように、耳に響いた。


(……え?)


(私、今、魔法で声を“飛ばした”のよ?

 彼の声は、何の増幅も通さずに、どうして私にここまで明瞭に届くの?)


 まるで――彼の声だけが、他の音と違うルートを辿って響いてきたかのような。


 寒くもないのに、ぞわりと鳥肌が立った。


 夜風が木々を撫でる音が、妙に遠く感じる。

 代わりに、胸の内に残るのは、たった一つの声――


(……リック…あなたほんとに…規格外だわ。)



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



夜が深まり、森は静けさを取り戻しつつあった。


 リックウェンを先頭にした一行は、戦場跡を慎重に確認し、

 倒れた敵たちの遺体に一体ずつ布をかけていく。


 それは、戦場という現実を突きつける光景であると同時に、

 死者に対する最低限の礼節だった。


(……それでも、十九人)


 私は目を伏せ、喉奥で静かに息を飲む。

 鼻をかすめるのは、土と血のにおい――それでも、目の前の布がすべてを覆ってくれていた。


 そして、ただ一人。


 捕らえられた男が、木の幹に縛られていた。

 まだ若い顔立ち。けれど、その表情は引きつり、汗が額を伝っていた。


 リックウェンはゆっくりと、その男の前へと歩み寄る。

 片膝をつき、視線の高さを合わせるようにして問いかける。


「話がしたい」


 その声は、いつもより少し低く、柔らかだった。


 だが――その直後、彼は静かに鼻歌を口ずさみはじめる。


 口元からこぼれるのは、いつか聞いた旋律。

 その音は空気に溶け、静かに、しかし確かに囚人の耳へと届いていく。


 男の瞳が、一瞬だけ揺れた。


「……っ、な……なんだ……これ……」


 音に包まれながら、彼の肩がじわじわと沈んでいく。

 強張っていた表情が緩み、瞳の焦点がぼやけはじめる。


「怖くない。何も奪わない。ただ……君の言葉を聞きたいだけだ」


 リックウェンは、まるで夢をささやくような声で、そう言った。


 男は、しばらく口を開けたまま沈黙していたが――やがて、ぽつりと口を開いた。


「……雇われただけなんだ。……俺たちは……セイレートの名を騙って……」


 息を詰める。


「……ギデモンズ……ギデモンズ侯爵に……雇われたんだ」


 言い切ると、男の顔からすうっと力が抜け、項垂れた。


(ギデモンズ侯爵……!)


 その名を聞いた瞬間、背中に冷たいものが走る。


(………あの男のことだから、結婚を妨害しようとでもしたのかしら。それとも、リックウェンが私を置いていくと思って、連れ去ろうと?)


 思わず唇を噛みしめる。

 回帰前の過去――いくつもの人生で関わったことのある“あの男”の名が、

 こんなかたちでまた目の前に現れるなんて。


 リックウェンは、最後の鼻歌を静かに終えると、

 ゆっくりと立ち上がった。


 魔法の余韻が空気から薄れていくなか、

 木に縛られていた男は、まるで力尽きた人形のように

 首を垂れて気を失っていた。


「……終わった」


 低く絞るような声に、私もそっと息をつく。


 けれど――次に飛んできた彼の言葉には、油断していた。


「またしても、君の“元旦那”なようだな」


「ちょ、ちょっと! その言い方やめてよっ」


 反射的に声が上ずった。

 顔がカッと熱くなり、思わず睨み返すと、

 リックウェンは肩を揺らして小さく笑った。


「ははっ。そうだな。……この世界では、俺の“妻”だからな」


「~~っ! 全くもう……!」


(真顔でそういうこと言うの、ずるいのよ……!)


 心拍数が跳ね上がるのを抑えるように、

 私はわざと視線を外した。


 けれど、そんな空気もすぐに切り替わる。


「それより、どうする? 遺体の処理も含めて、早く判断しないと」


 冷静を装って問いかける。


 すると、リックは視線を布をかけた遺体たちへと移し、すぐに答えた。


「全員、そのまま――ギデモンズ侯爵家に送りつけるさ」


 その声に、一瞬だけ空気がひんやりと変わった気がした。


 私は、目を瞬かせたまま、彼の横顔をじっと見つめる。


 彼の表情に冗談はなかった。

 ただ、戦地の将としての冷静さと、静かな怒りの色だけが、そこにあった。


「……………そう」


 私は、小さく頷いた。


(……彼らしいわね)

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