27.不器用な愛に、初めて気づいた日
リックウェンを見送ったあと、私は足早にリビングルームへ戻った。
扉を開けると、そこには、朝食を終えて寛いでいる両親の姿があった。
私は勢いよく詰め寄る。
「お母様、お父様……! 一体、屋敷を買われたって、どういうことですか?」
感情が高ぶって、思わず語気が強くなる。
母は優雅に紅茶を口に運びながら、少し驚いたように目を丸くし――
すぐに、にこやかに微笑んだ。
「何をそんなに怒っているの? だって、もう結婚も決まっているのだし。
良いじゃない」
父も腕を組みながら、得意げに続けた。
「式場もな。帝都の大聖堂を予約しておいたぞ!」
「また勝手にっ!!」
思わず声を上げる。
「お父様もお母様も……ずっと放任主義だったじゃない!」
そう、ずっと私は一人で決めて、一人で立ってきた。
それなのに、どうして今さら――
両親は、顔を見合わせた。
しばしの沈黙のあと、父が静かに口を開く。
「リック君に、少し言われたんだ。
私たちはどうやら……仕事にかまけて、お前とちゃんと向き合うことを怠っていたようだとな」
その言葉に、私はハッとした。
隣で、母がそっと目を伏せる。
「それに……フォードレイン家の娘は、いつだって――」
母の声は、どこか震えていた。
「……え? 何?」
私が問いかけると、父が小さくため息をつき、続けた。
「……話しておくか。
フォードレイン家に生まれた娘はな……昔から、悲惨な末路を辿ることが多かったのだ」
「……え?」
私は耳を疑った。
母が、ぎゅっと手の甲を握りながら、静かに言葉を重ねる。
「そうなの。
だからね……私たちも、エリヴィには、少し……距離を置いてしまっていたのかもしれないわ」
母は、苦しそうに微笑んだ。
「……愛しすぎて、外の世界が辛くならないようにって、思ったの。
きっと……間違ってたけれど」
私は何も言えなかった。
父も、硬い表情で続ける。
「あぁ……だが、リック君に少し言われてな、考えなおしたんだ」
どこか恥ずかしそうに、頭をかく。
「古い掟で、結婚後は一切援助できないが――
結婚前なら、いくらでもお前のためにしてやれる」
目を細め、私にまっすぐ視線を向ける。
「……あと半年間しか一緒に過ごせないが。
これまでの分、少し甘やかしても……いいか?」
父のその不器用な言葉に、胸の奥がじわりと温かくなる。
母も、優しく微笑みながら続けた。
「リック君はね、決してフォードレイン大公家に頼らないと、誓ってくれたのよ。
だから――せめて、会って話を聞くくらいはしてあげてほしいって、お願いされたの」
リックウェンの、あの穏やかな声が頭をよぎった。
(……また、私に言わないで、そんなこと……)
胸が少しだけ、痛んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
部屋に戻り、私はドアの内側に背を預けたまま、しばらく動けなかった。
――両親の話が、頭の中を何度も反芻される。
昔から、私はずっと「見放されている」と思っていた。
距離を置かれ、興味を持たれず、ただ政略の駒として育てられてきたと――
けれど。
(……リックの言う通り、私は……どうやら、愛されていたようだ)
ただ、不器用で、古い家の“掟”がそれを隠してしまっていただけで。
ベッドの端に腰を下ろす。
手を膝の上で組み、指先がわずかに震えていた。
(……どうして)
(どうして、五度も人生を繰り返して、今さらなんて)
喉の奥が、きゅっと締めつけられるような痛みに包まれる。
(こんなの……嘘でも……リックウェンを信じるしかないじゃない)
でも、私は知っている。
“信じた人間に裏切られたときの痛み”が、どれほど深くて、長く尾を引くか。
(……油断はダメよ)
(今度こそ、生きなきゃ。生き延びなきゃ。でも……感謝は、した方が……)
(どうしたら、私はこの先、生き延びられるの?)
(ただ……生きたいだけなのに)
その時――
コン、コン。
控えめなノック音が扉の向こうから響いた。
「……どうぞ」
声をかけると、扉が開き、そこにはサリーが立っていた。
真っ直ぐな視線で、整った制服姿のまま、彼女は一礼する。
「お嬢様。こちらの書類に、サインいただけますでしょうか」
手には一枚の羊皮紙と、銀縁のペン。
私は少し首をかしげながら受け取った。
「え? どれ……って、これ……」
目を通した瞬間、言葉が止まった。
「――従属契約じゃない」
顔を上げると、サリーはまっすぐに頷いた。
「はい。私は完全に、お嬢様の“手足”となって仕えたいのです。
どうか……許可いただけないでしょうか」
その言葉に、私は一瞬、戸惑った。
やはり、ルダの件が、どうしても脳裏をかすめる。
けれど……目の前のサリーの表情には、虚飾も恐れもなかった。
むしろ――あまりにも純粋すぎて、怖いくらいだった。
「……いいわ」
私はゆっくりと頷いた。
「でも、私の“意思”で、いつでも破棄できるようにする。いいわね?」
サリーは微笑み、小さく膝を折るようにして頭を下げる。
「はい。構いません」
私はペンを取りながら、ふと視線を上げる。
「……サリー。でも、本当に良いの? 私とあなたは、最近出会ったばかりよ」
その言葉に、サリーはふっと優しく目を細めた。
「はい。ですが――だからこそ、確かな繋がりを持ってお仕えしたいのです」
真っ直ぐな声で、続ける。
「お嬢様が……どこか、深い不安を抱えているのがわかるから。
それを少しでも軽くするために、私はここにいます」
胸の奥に、小さな灯がともるような感覚がした。
誰かが、私の不安に気づいて――
“傍にいたい”と思ってくれること。
それが、どれほど心を救うものか。
私は知っていた。




