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歌わぬ辺境伯と契約花嫁 ~君に捧げる、世界で一番優しい歌~  作者: 無月公主


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23.元旦那達のオンパレードに救いの手を

 ダンスを終えた私の前に、次なる影が立ちはだかった。


 ――モールスト伯爵。


 深い藍色の軍服に身を包んだ彼は、口元に冷ややかな笑みを浮かべ、

 貴族としての礼を欠かさぬまま、私に手を差し出してくる。


(……どうしてこうも、回帰前の“元旦那”たちにばかり申し込まれるのよ)


 思わず頭痛がした。

 いや、比喩でなく、本当にこめかみがズキッと痛む。


 回帰前の記憶――

 モールストとの“あの結婚生活”を思い出しただけで、胃の奥が重くなる。


 それでも、拒否すれば不自然に映る。

 王宮では、そんな些細な態度が噂の種になる。


 私は無言で手を取り、仕方なくダンスを受けた。


 足を踏み出し、手を伸ばし、表情を作る。

 体はなんとか動いてくれるけれど、心はもう限界に近かった。


 音楽が止まり、礼を交わして離れたその瞬間――


(だ、だめ……! 三曲連続は……しんどいわ……!!)


 ふらつきそうになる足を必死に踏みとどめながら、

 私はすがるような思いで会場の端を目指す。


(早く……壁の華になりたい……違う、リックのところへ……!)


 だが、その道を――

 今度は、鋭く遮るような足音が塞いだ。


 顔を上げると、そこにいたのは――


 アイズレギオン。


(……っ)


 息が、止まった。


 ヒュッと、喉の奥から空気が抜ける音だけが響く。


(なんで……なんで、あんたまで……!?)


 背筋に、冷たい汗が一気に噴き出した。


 回帰してきた人生の中でも――

 アイズレギオンとの記憶は、群を抜いて最悪だった。


 彼の“狂気”に心を壊され、身体を縛られ、

 何度も何度も、息が詰まるような日々を過ごした。


 その恐怖が、今、この距離で、皮膚に刺さってくる。


 彼が何かを言おうと、手を伸ばしかけた――その瞬間。


 「――おっと、そこまでだ」


 柔らかく、けれど鋼のように静かな声が、割って入った。


 横から伸びてきた白い手が、私とアイズレギオンの間にそっと差し出される。


 リックウェンだった。


 どこから現れたのかもわからないほど静かに、

 彼はぴたりと私の隣に立ち、微笑を浮かべたまま、しかし一歩も引かない。


「当人は少々お疲れのようなので。

 本日はこれ以上のご指名はお控えいただきたい」


 その声音はまるで、サロンで紅茶を勧めるかのように優雅で、

 けれどその奥に秘められた威圧は、誰の耳にも届く確かさだった。


 アイズレギオンが一歩、無言で退いた。


 私はその場で立っているのがやっとで、

 リックの横顔を見上げた。


 ふと視線が合うと――


「少し……休みに行こうか?」


 小さく、誰にも聞こえない声で、

 彼は私にだけそう言った。


 その言葉が、すとんと胸の奥に落ちる。


 私は、何も言えなかった。

 ただ、彼の差し出された手を取って、歩き出した。



◇ ◆ ◇ ◆  ◇



 テラスの扉を抜けると、夜の空気がふわりと肌を撫でた。


 王宮の華やかな光から少しだけ離れたこの場所は、

 遠くの音楽だけがかすかに聞こえる、静かな世界だった。


 冷え込みはじめた夜風の中、私が小さく肩をすくめたそのとき。


 ふわり、と。


 リックウェンが、自分の外套を私の肩にそっとかけてくれた。


 大きめのそれは、まだ彼の体温が残っていて、思わず身を包み込むようにして両手で前を押さえた。


「……助かったわ」


 小さくつぶやくと、リックは私の隣で壁に寄りかかるように立ったまま、視線を夜の庭へと向けていた。


「センドリード公爵子息と……何かあったのか?」


 ふいにそう問いかけられて、私は息を呑みかけた。


(あったわ。大ありよ)


(あいつのマザコンっぷりときたら、婚約中に母親同伴で夜会に現れたり、

 私の意見よりも“ママのご意見”を優先してきたり……)


 思い出すだけで胃が痛くなる。


 でも、そんな過去を今ここでぶちまけるわけにもいかない。


 私は目を伏せ、言葉を選んで答えた。


「……何もないわ。ただ、少し苦手なだけ」


 リックは、それ以上は何も聞かず、ただ短く返した。


「そうか」


 それだけの会話。

 でも、その“追及しない優しさ”が、今はありがたかった。


 ふと、私は聞いてみた。


「リックは……誰かと踊ったの?」


 あの会場で、彼が一人になる瞬間はなかった。

 きっと誘いは多かったはずだ。


 けれど彼は、あっさりと答えた。


「まさか。全部断った」


 私は、思わず振り返って彼を見た。


「……え??」


 素っ頓狂な声が出たのが、自分でもわかった。


 目を見開いてリックウェンを見つめてしまう。


(な、なんか……今のって、私が浮気してるみたいじゃない)


(でも仕方ないわよね。王族に貴族、いろんな人が誘ってくるんだから……)


(……それにしても、どうして全部断ったのかしら)


 胸の奥がざわざわする。


 すると、リックはそっけなく言った。


「……戦争しかしてこなかったからな。

 ダンスは……あまり好きじゃないんだ」


 淡々とした口調だった。

 でも、その言葉が、なぜか私の胸にすっと落ちてくる。


(……好きじゃないのに、踊ったの?)


(私のために……頑張って……?)


 ほんの一瞬、胸がふわりと浮いたような気がした。


 けれどすぐに、私は自分をたしなめる。


(……だめ。誤解しちゃだめよ)


(戦争を停戦させたんだから……婚約者として、ダンスくらい当然よ)


 だから、私は冷静な顔でただ一言だけ返した。


「……そう」


 それでも――


(……いや、でも、離婚はしないって言ったのよね)


(だったら……少しくらい好きになっても……)


 浮かびかけた想いを、すぐに押し込める。


(……だめだめ。好きになって、何度自分を破滅に追い込んだか)


(一定の距離を保ってるべきなのよ。冷静に。私はもう、大人なんだから)


 そう言い聞かせていると――


 隣から、小さな鼻歌が聞こえてきた。


 リックウェンが、また例の不思議なメロディを口ずさんでいる。


 低く、優しく、風に溶け込むような声。


 その音が耳に届いた瞬間、体の緊張がゆっくりとほどけていった。


(あ……不思議と……体の疲れがとれるのよね。彼の歌)


 どこか、魔法のような……そんな癒し。


 私はその声を聴きながら、ふと問いかけた。


「ねぇ……それって癖なの?」


 するとリックは、唐突に私の頬へ手を伸ばした。


「え……?」


 手のひらが、そっと私の頬に添えられる。

 そして――親指が、私の唇を、そっとなぞった。


「………………っ!!?」


(ちょっ!? ちょっ、ちょっと!?)


(なにこれ!? キス!? いや、全然こないけど!? でも距離! 近っ!!)


 顔が一瞬で熱くなって、呼吸が上手くできない。

 リックは鼻歌を続けたまま、わずかに目を細めて、微笑んだ。


「……冷えるな。戻るか」


「え……えぇ……」


 声が裏返りそうになるのをなんとかごまかして頷いたけれど、頭はもう真っ白だった。


(口紅……とれてないかしら……)


 内心パニックになりながらそっと指先で唇を確かめようとした、そのとき――


 リックが、指先についたものを見て、何気なく自分の唇にそっと触れた。


(――!!)


 見れば、私の紅が、彼の唇にうっすらと移っている。


 まるで――キスの後みたいに。


(ぎょっ!!!)


 私は思わず仰け反りそうになった。


 そのまま何食わぬ顔で会場へ戻っていこうとするリックの後ろ姿を、

 私はぎこちなく引きつった笑顔で追いかけるしかなかった。

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