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歌わぬ辺境伯と契約花嫁 ~君に捧げる、世界で一番優しい歌~  作者: 無月公主


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22.鼻歌だけで、心が踊る

 私たちは、音楽のリズムに合わせて、舞踏の中心へと進み出た。


 その瞬間、リックウェンがふいに身を寄せ、耳元で低く囁いた。


「……すまないが、ダンス中に声をかけないでくれ」


「……は?」


 私は思わず素っ頓狂な声を上げた。


(なにそれ、今言う!?)


 思わずリックウェンを睨みかけそうになったが、

 彼はあくまで涼しい顔で、私の手を取った。


 仕方なく、軽く息を整えながらダンスの始まりの合図に合わせる。


 ――と、思ったら。


 リックウェンが、すぐに、微かに鼻歌を歌い始めた。


(……え?)


 驚きつつ耳を澄ますと、それは本当に小さな、小さな声。

 きっと私の耳にしか届かない、かすかな旋律だった。


 不思議なことに――


 合わせたこともないのに、私の体は自然と動き出していた。


 リックウェンのリードに違和感なく、すっと身を委ね、

 ステップもターンも、まるで何年も一緒に踊り続けてきたかのように、息ぴったりだった。


(な、なにこれ……)


 まるで、体が勝手に動くみたい。

 意識するより先に、リックウェンの動きが肌で感じ取れる。


 それに――


(この鼻歌……)


 ただのリズム取りなんかじゃない。

 旋律が、耳から心に直接流れ込んでくるような、そんな心地よさだった。


 小さくて、きっと周囲には聞こえない。

 でも、私にははっきりと届いていた。


 まるで世界に、私とリックウェンしか存在しないみたいに。


 ふたりで描く優雅なダンスの流れに、

 周囲の大人たちも次第にざわめきを止めていった。


 あちこちから、驚きと称賛が入り混じった視線が注がれる。


「……あのリックウェン様が……?」


「なんという完成された動き……あの年齢で、ここまで……」


 誰もが、目を奪われていた。


 さらに――


 会場の片隅では、色とりどりのドレスに身を包んだ貴族令嬢たちが、

 リックウェンを見つめて、ひそひそと囁きあっていた。


「……すごく、整った顔立ち……」


「しかも、あんなに優雅に踊れるなんて……」


「まだ“婚約”でしょ? 正式な結婚じゃないなら……チャンスはあるかも……!」


 嫉妬、欲望、期待――

 そんな思惑が、きらびやかな笑顔の裏でうごめき始めていた。


 でも、私は。


 リックウェンの指先から伝わる確かなリズムと、

 私の耳にだけ届く、あたたかな鼻歌を頼りに――


 私は、ただ静かに彼とのダンスを続けていた。


 音楽が最後の旋律を奏で終え、私たちが動きを止めたその瞬間――


 なぜか、会場のあちこちから拍手が沸き起こった。


 パチ、パチ――と、最初はまばらだった音が、

 やがて大きな波のようになって、私たちを包み込む。


(……え?)


 一歩下がって礼を交わしながらも、私は内心、完全に面食らっていた。


(な、何よこれ……)


 信じられない光景だった。


(こんな……人生、一度だって経験したことがないわよ……。どうなってるの……?)


 頭が少しぼんやりするほどの、拍手と視線。


 舞踏会の中心に立つ自分が、まるで誰か別の存在のようだった。


 けれど――

 その余韻に浸る間もなく、さらなる視線が近づいてくる。


 金色の髪に、氷を思わせるような澄んだ碧い瞳。

 整った顔立ちはまさに肖像画から抜け出したようで、

 その存在感だけで場の空気を変えてしまう。


 ――グヴレシナス帝国第一皇子、クレイシス・グヴレシナス。


 王族の誰もが憧れる“完璧”を具現化したような男。


 彼が、私の前へと進み出ると、場の空気が一気に張り詰めた。


「エリーナヴィアス嬢、次は私と――踊っていただけますか?」


 差し出された手。

 その所作は優雅で隙がなく、断る理由も、言葉も、なかった。


 でも――


(……っ)


 私は、ほんのわずかに肩を震わせていた。


 回帰前の、最初の人生。

 この人に与えられた“あの時間”の記憶が、体の奥からよみがえる。


 爪の跡。

 冷たい言葉。

 心を踏みつけられるような毎日。


 心臓が強く脈を打ち、視界がぼやけそうになる。


 ――それでも。


(王族に……失礼があってはいけない)


 私は浅く息を吐き、感情を抑えこむようにして、その手を取った。


 そう、これは“儀礼”だから。


 そして、音楽が再び鳴りはじめ、クレイシスとのダンスが始まる。


 彼は、踊りながらごく自然な顔で、しかし皮肉をにじませて言った。


「寂しいな……僕があれほど何度もお誘いしたというのに。

 よりによって、“あれ”を連れてくるだなんて……」


 優しい笑顔のまま、声だけが冷たく、刺さる。


(……“あれ”?)


 言われた言葉の意味が、じわじわと胸に広がっていく。


(……リックのことを、“あれ”と)


 クレイシスの皮肉めいた言葉が耳に残る。


 けれど、私は表情を崩さなかった。


 ――ここは王宮。

 言葉ひとつ、視線ひとつで立場が揺らぐ、危うい舞台の上。


 たとえ心が冷えても、足先まで優雅に動かし続けなければならない。


 ワルツの流れに合わせて、スカートの裾がふわりと広がる。


 それに合わせて、私は微笑すら浮かべながら、貴族令嬢としての礼儀を選んで返した。


「……申し訳ありません。リックウェン・クローディアス辺境伯は――私の、正式な婚約者ですもの」


 あくまで丁寧に。

 優雅に、そしてしっかりと。


 その言葉に、クレイシスは目を伏せたかと思えば、

 少しだけ哀しげな表情を浮かべて、寂しげな声で囁いた。


「妬けるな……僕だって、ずっと君のことを好きだったんだよ?

 今だって、愛しているのに……酷いな……」


 囁く声は甘く、演技がかった優しさすら帯びている。

 けれど、私は――


(……この人が、“愛してくれた”ことなんて、あったかしら?)


 自然と、視線が冷めたものになっていた。


 思い出すのは、回帰前の人生での記憶。


 愛などという言葉には到底結びつかない、

 支配、侮蔑、そして――痛み。


 そんな過去があったからこそ、今の“優しさ”がなおさら空々しく響く。


 それでも、私は黙って踊り続けた。


 右手と左手は形式どおり、

 距離も完璧で、誰が見ても「理想的な一対の舞踏」だった。


 けれど、私の中には、何のときめきもなかった。


 楽団が最後のフレーズへと移り、

 会場全体がそれに合わせて空気を落ち着かせる。


 クレイシスが軽く私の手を引き、ターンで締めくくる。

 そして最後に、お互い一礼。


 ――舞曲は、終わった。


 拍手は、先ほどのように起こらなかった。

 けれど、それでよかった。


(……心の奥まで凍るようなダンスなんて、称賛されなくて当然よ)


 私は無言のまま、彼の手からそっと離れた。



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