21.ナイト・オブ・ノーブルス、開幕
そうして――
なんだかんだと事件が続き、気づけば、ついにこの日がやってきてしまった。
《ナイト・オブ・ノーブルス》
そう――私の、正式なデビュタント当日。
(……どうしよう)
馬車の中、レースのカーテン越しに差し込む朝の光をぼんやりと見つめながら、私は深く息を吐いた。
(毒の件もあって、リックとは……全然顔を合わせてないのよね。
ダンスも一度も合わせられなかったし……いや、私がなんとかすれば大丈夫……のはず)
不安を振り払うように、スカートの裾を整える。
赤と黒を基調にした重厚なドレスは、金糸の刺繍が緻密に縫い込まれており、
まさに“フォードレインの娘”にふさわしい威厳と気品を帯びていた。
(……でも、リックって……ダンス、踊れるの?)
新たな不安がむくりと顔を出す。
彼が踊っているところなんて、見たことがない。
無表情で斬り結ぶ姿しか思い浮かばない。……いや、それはそれでかっこいいけれども。
そんなことを考えているうちに、馬車が王城前に到着した。
扉が開き、降りようと身を乗り出したそのとき――
「ヴィア。」
見上げた先に、彼はいた。
リックウェン。
既に到着していたらしく、私の馬車を迎えるように立っていた彼は――
……まさかの、ぴったりお揃いだった。
私のドレスと同じ、深紅と黒を基調に、金の刺繍が優美に施された礼装。
普段は無骨な雰囲気すら漂わせる彼が、今は完璧な貴族の立ち居振る舞いをしている。
(……うわ)
思わず見惚れてしまった。
(顔立ちが整ってるのはわかってたけど……衣装を着ると……また一段と)
まるで、舞踏劇から抜け出してきたような錯覚すら覚える。
背筋が伸び、眉目は端整、指先まで凛としたその姿に、周囲の貴族たちも思わず視線を奪われているのがわかった。
リックウェンは無言で私に手を差し伸べる。
その手をとると、まるで約束されていた動きのように、彼は私を馬車から優雅にエスコートしてくれた。
歩きながら、ふいに彼がぼそりと呟いた。
「……俺のような“神に愛されない男”と並ぶことを、気にする者もいるだろう」
その声は静かだったが、確かにどこか自己嘲の色を帯びていた。
この華やかな場所にそぐわない自分――
そう思っているのだろうか。
でも私は、迷わず答えた。
「構わないわ。私は……気にならないもの」
ほんの少し、彼の手を握る力を強めてみせた。
その瞬間、リックウェンは驚いたように目を瞬かせた。
そして、ほんの一拍置いて――
口元を、わずかに、でも確かに緩めた。
それは、彼にしてはめずらしい、やわらかな微笑みだった。
(……ほ、ほんとに顔は良いんだから…。)
そう思ったのも束の間。
すぐに、会場の大扉が開かれた。
金の細工が施された重厚な扉が、ゆっくりと両開きになっていく。
中からは、きらびやかな光と、貴族たちのざわめきが漏れてくる。
「フォードレイン大公家ご息女、エリーナヴィアス様――
ならびに、クローディアス辺境伯当主、リックウェン閣下のご入場です!」
高らかな声が響き渡る。
その瞬間、会場内が一気に騒がしくなった。
「……あれ、クローディアス辺境伯? あの、魔法も使えない“最底辺の男”が……?」
「ど、どうして? デビュタントに、エリーナ嬢と“お揃いの衣装”で……ってことは、婚約してるってこと!?」
「まさか、あのフォードレイン家が? 有り得ないだろ!」
「なぜだ!? どんな手を使った!?」
次々と飛び交う、ざわついた声と囁き。
嫉妬、軽蔑、憶測、驚愕――
様々な感情が混ざり合い、音となって私たちに降り注ぐ。
けれど、私はまっすぐ前を見たまま、歩調を崩さなかった。
(ふふ、想定内よ)
隣のリックウェンが、どれほどの視線を受けているのか。
想像に難くない。
でも、それがどうしたというのだろう。
「随分、好かれているわね」
私は面白がるような口調で、ふと彼に声をかけた。
リックウェンは、一瞬ぽかんとしたような表情になり、
まるで豆鉄砲でもくらったかのように、目を瞬かせた。
「……はっ。この状況でそんな顔ができるのは、君くらいだろうな」
呆れ混じりの声。
けれど、その声音はほんの少し、緩んでいた。
彼の手はしっかりと私の手を支えたまま――
その歩みも、一歩たりとも乱れなかった。
やがて、王族の玉座がある最奥にたどり着くと、会場が一気に静まり返る。
王の厳かなる祝辞が、ゆっくりと、けれど重々しく読み上げられていく。
そのひとつひとつの言葉が、私の“公の立場”を確かなものに変えていくようで――
言葉にできない想いが、心の奥で静かに芽吹いていく。
やがて、その祝辞が終わり――
王の言葉とともに、室内楽団が奏でる音が高らかに響き渡る。
ゆるやかに広がっていく弦と管の調べが、絹のように会場を包み込み、
貴族たちが一斉に前に出る。
舞踏会の幕が、正式に――開かれた。
その瞬間、隣にいたリックウェンが、静かに私の正面へと歩み出た。
そして、観客の視線など一切意に介さず、
ごく自然な所作で、右手を差し出してくる。
深紅と黒の刺繍が輝く衣装に包まれたその手は、
どこまでも優雅で、まるで騎士が誓いを捧げるような動きだった。
「お嬢様――お相手願えますか?」
低く、けれどどこまでも丁寧な声。
その響きが、なぜか胸の奥にふわりと降りてきた。
(……大丈夫かしら)
思わず、そんなことを考えながら、
私は自然と微笑んで、その手を取っていた。
ごくゆるやかに、けれど確かな強さで握り返される。
そのまま、音楽の拍に合わせて――
私たちは、舞踏の中心へと歩き出した。




