17.微笑みの裏に、隠した真実
風がやわらかくなり、少しずつ春の匂いが混じり始めたある日。
私は、邸宅の応接間で書類整理に追われていた。
そんなとき――
ふいに、使用人が慌ただしく駆け込んできた。
「お嬢様、リックウェン様がお見えです!」
「……え?」
耳を疑うような知らせに、思わず顔を上げる。
慌てて身なりを整えながら、玄関ホールへ向かった。
そこに立っていたのは――
普段とは打って変わった、きちんとした礼服に身を包んだリックウェンだった。
ダークカラーの正装は彼の鋭い雰囲気を一層引き立て、
整えられた黒髪と引き締まった表情が、やけに大人びて見えた。
「リック……?」
私は思わず駆け寄りながら問いかけた。
「どうしたの?突然」
息を整えながら尋ねると、リックウェンは微妙に眉をひそめた。
――なぜ知らないんだ、とでも言いたげな、不満そうな顔で私を見下ろす。
(え、なに?私、また何か聞き逃してる……?)
じわりと嫌な汗が滲む中、リックウェンが口を開いた。
「ご両親から招待を受けたんだが……」
低い声に、私は一瞬時が止まったような気分になった。
「え、えぇぇっ!?また勝手にそんな……!」
耳まで真っ赤になりながら、思わず声を上げる。
心の中では、(またかぁぁぁ!)と叫んでいた。
招待の話なんて、私は一言も聞いていない。
両親の自由すぎる采配には、もう何度驚かされれば気が済むのか。
リックウェンは苦笑するわけでもなく、ただ淡々と私の反応を眺めている。
少しだけ肩をすくめるその仕草に、諦めにも似た空気を感じた。
(……リックも大変だよね)
なんとか気を取り直して、私は微笑みながら言った。
「えっと、賓客室に通せば……いいのかしら」
あたふたしながら、リックウェンを促す。
「こっちよ」
礼儀正しく頷いた彼を案内しながら、心の中で小さくため息をつく。
(……ほんとにもう。後で絶対お父様たちに文句言ってやるんだから!)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
賓客室に通してみたものの――
重厚なドアを静かに閉め、私はリックウェンと向かい合った。
豪華な応接セットが並ぶ広い部屋。
なのに、空気は妙に重苦しい。
(……気まずい)
ソファに腰掛けたものの、どうにも落ち着かない。
視線を泳がせながら、無理やり口を開いた。
「えーっと……元気だった?」
どうにかひねり出した、ありきたりな言葉。
リックウェンは、背筋を伸ばしたまま、表情一つ変えずに答える。
「あぁ、問題ない」
それだけ。
(うーーん……)
心の中で思わず頭を抱えた。
(いや、比べるのもあれだけど……私が付き合ってきた男の中で、「問題ない」だけで返してくるの、貴方だけよ、リック)
淡白すぎる返答に、思わず苦笑いしそうになる。
気まずさをごまかすように、話題を切り替えた。
「戦地は……どう?」
問いかけると、リックウェンは少しだけ顎を引き、落ち着いた声で答えた。
「君がしっかり防いでくれたおかげで、よほどあちら側に強力な戦力が現れない限りは、大丈夫だろう」
穏やかだが、自信に満ちた口ぶりだった。
(協力……)
リックウェンの言葉を聞きながら、私はふと思い出す。
(そういえば……)
回帰前の世界では、うちの戦力をもってしても、敵国セイレートにクローディアス領は半分も占領されていた。
あのときは、為す術もないほど一方的だったのに。
でも、先日私が戦場に立ったときは――
こっちが圧倒的に有利だった。
むしろ、そのままセイレートを滅ぼせる可能性すらあった。
(……それなのに、なぜ半分も領地を取られたのか)
静かに自問する。
(あちら側に、こちらの戦力を圧倒できるような“強敵”がいた――そう考えるのが、普通よね)
思考が深まるにつれ、自然と顔が険しくなっていく。
ふと、目の前のリックウェンがこちらをじっと見つめていることに気づいた。
「ヴィアは……よく難しい顔をするな」
ポツリと呟かれ、私は慌てて顔を上げた。
「え? あ、そう? ごめんなさい。考え事をしてたの」
慌てて取り繕いながら微笑む。
でも、内心では、どうしようもない実感が広がっていた。
(……うーん)
(回帰を繰り返して、歳を重ねるごとに……考えることが本当に多くなってきた)
昔は気づかなかったこと。
見えなかったもの。
それが、今は――いやでも目につくようになってしまった。
自分が変わったのか、世界が変わったのか、それすらもわからないけれど。
そんなふうに頭の中をぐるぐるさせていると――
リックウェンが、わずかに肩を揺らしながら、呆れたような――けれど、どこか優しい声で言った。
「言ってるうちから、また考えごとか?」
私は、苦笑いしながら、ソファの背もたれに軽くもたれかかった。
「ごめんなさい。もう癖みたい」
肩をすくめて、冗談めかして返す。
けれどリックウェンは、ふっと視線を逸らしてから、少しだけ口ごもった。
「……ヴィアは……」
そこで言葉を切り、逡巡するように眉を寄せる。
「え? 何よ」
私は身を乗り出し、じっと彼の顔を覗き込んだ。
「そういうのが一番気になるわよ。遠慮せずになんでも言って」
リックウェンはしばらく口を閉ざしていたが――
やがて観念したように、ぽつりと漏らした。
「いや……君は本当に、十七なのかと」
その一言に、私は一瞬きょとんとして、すぐに小さく吹き出した。
「あぁ……よく言われるわ。もうすぐ十八だけど」
わざと軽く言って、笑ってみせる。
(……まぁ、“よく言われる”なんて、真っ赤な嘘だけどね)
内心では、苦い笑みを噛み殺していた。
(本当のことなんて、言えるわけない)
(通算で百歳を超えてるなんて――誰が信じるのよ)
(……いや、まぁ、世の中には“そういう能力”を持って生まれる人も、稀にいるのかもしれないけど)
自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
リックウェンは、まだ何か言いたげにこちらを見ていたけれど――
私はわざと何でもないふうに微笑んで、話をそっと流した。




