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歌わぬ辺境伯と契約花嫁 ~君に捧げる、世界で一番優しい歌~  作者: 無月公主


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16.立候補ラッシュに困惑しています

翌日。

 朝露の残る中庭を通り抜け、私は一枚の紙を手に、そっと掲示板へと向かった。

 騎士団の訓練場の隣にあるその掲示板は、普段は武具の修理依頼や、馬の世話の募集ばかりが並んでいる場所だ。


 私はきゅっと息を飲んで、持ってきた募集用紙を、隅っこに小さく貼り出した。

 目立たないように、でも、ちゃんと見つけてもらえるように。


(……これで、よし)


 指先で紙の角をなぞりながら、内心で小さく頷く。

 用紙には、簡潔な言葉で、私の思いを込めた。


【エリーナヴィアス・同行侍女募集】

【条件:誠実な者・新しい未来を恐れぬ者】

【目的:結婚に伴う随行および新生活の補助】


(……誰も来なくても、別にいい。でも……)


 胸の奥に、淡い期待が芽生えるのを、そっと押し殺す。


 そんなときだった。


「あの、お嬢様」


 背後から、静かな、それでいて芯のある声が聞こえた。


 振り返ると、そこに立っていたのは――サリーだった。


 深みのある緑の髪を、きちんとまとめた彼女。

 制服の着こなしも完璧で、姿勢ひとつ崩さない。

 その翠色の瞳は、いつもと変わらず、冷静だった。


「サリー?」


 不思議に思って声をかけると、彼女は表情を変えず、はっきりと言った。


「立候補を希望します」


「……え?」


 一瞬、耳を疑った。


 けれどサリーは、迷いもためらいもなく、まっすぐ私を見据えていた。


「お嬢様の婚姻に伴う領地異動に、侍女が不足する可能性を鑑みました。  また、クローディアス領遠征時における指揮判断、並びに戦況の正確な分析――  私はそれを見て、統率者としての資質を感じました」


 淀みなく告げられる言葉に、私は思わず息を呑む。


(……そんなふうに、見てくれていたんだ…。)


 けれど、サリーはそれだけで終わらなかった。


「私は、算術および財務管理に一定の心得があります。  新たな領地経営においても、お力添えできるはずです」


 冷静な口調の中に、ほんの微かな熱が滲んでいるのがわかった。

 無表情に見えて、サリーは――本気だった。


(……うれしい。だけど……)


 それと同時に、ほんの少し、不安が顔を覗かせる。


 私はそっと息を整え、サリーに向き直った。


「……ありがとう、サリー」


 それから、慎重に言葉を選びながら続ける。


「でも……サリーなら、わかってると思うけど」


 目を逸らさず、真正面から彼女を見る。


「ここを出たら――もう、二度と戻れないかもしれないのよ」


 フォードレイン家に仕える者にとって、それはあまりにも重い意味を持っていた。

 選べば最後、もう『家族』として迎えられることはない。


 だが――


「はい。ですが……私は、後悔のない人生を歩みたい。  そう思いました」


 サリーは迷いなく、真っ直ぐに答えた。


 その瞳は、まるで一筋の光のように澄んでいた。


「もともと、私は騎士としてこの家に入っています。  侍女としては、多少、礼儀作法に不足があるかもしれません」


 少しだけ、はにかんだように目を伏せながら、さらりと言う。


「それに……私は、貴族の出身とも言い難い身ですし」


 ほんの僅かに、寂しそうに笑った。


「オードレス男爵家の養子にすぎませんから」


(……そんなこと)


 出自なんて、身分なんて――

 そんなもので、サリーの価値が決まるはずがないのに。


 気づけば私は、たまらず一歩踏み出していた。

 そして、そっと、彼女の華奢な肩を抱き寄せる。


「……大丈夫」


 耳元で、できるだけ優しく囁いた。


「サリーは、私にとって、すごく心強い存在よ」


 彼女の小さな体から、静かな温もりが伝わってくる。


 サリーは、ぱちりと瞬きをして、

 それから、何も言わずに私の言葉を受け止めた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 侍女募集の一件から、少しだけ日が経ったころ。

 思いがけない出来事が待っていた。


「――お嬢様、俺たちも立候補したいです!」


 勢いよくそう言ってきたのは、アースとディルバだった。

 二人は目を輝かせながら、まるで少年みたいに胸を張っている。


「……えっ?」


 思わず、ぽかんと口を開けてしまった。


 アースは、陽に焼けた頬を照れくさそうに掻きながら言った。


「お嬢様のために、俺たちも、騎士として力になりたいんです!」


「そうだ。護衛だって、馬の世話だって、何でもやりますから!」


 ディルバも負けじと拳を握り締めて続ける。


 その言葉に、私は胸がじんわりと温かくなった。

 こんなにも頼もしい仲間がいてくれるなんて――本当に、嬉しい。


(……でも)


 ふと、心の奥に小さな影が落ちる。


(貴方たちの才能を見出したのは……実は、回帰前の世界でのヴォレアスお兄様だったのよね)


 この事実を、今の彼らは知らない。

 少しだけ胸が痛むけれど、私はぎゅっと唇を結んだ。


(でも、仕方ないの!)


 私が生き残るためには、彼らの力がどうしても必要だ。


(悪い用にはしないから、ごめんね……!)


 心の中で、そっと手を合わせるように祈る。


 そんな私のもとへ、タイミングを見計らったかのように、ディンヒル卿が戻ってきた。


 しっかりとした足取りで近づいてくると、胸元から一枚の書状を取り出し、私に手渡す。


「許可……いただいてきました」


 短く、しかし誇らしげにそう告げるディンヒル卿。

 彼の手にあるのは、正式な承認の証だった。


 私はそっと書状を受け取り、封を確かめる。

 その重みが、なんだか妙に現実味を帯びて感じられた。


 私は、ふっと小さく笑った。


「あはは……」


 肩の力が自然と抜けていく。


(募集してみるものね……!)


 思わず、心からそう呟いた。


 掲示板に紙を貼ったときの、不安で押しつぶされそうな気持ち。

 あれが嘘みたいに、今は、心の中が温かい光で満たされていた。


  だが――


 そんな温かな光景の陰で。


 扉の影から、もうひとつの視線が注がれていた。


 金色の髪に、金の瞳。


 ルダが、唇を噛みしめながら、

 爪をぎゅっと、痛いほど食い込ませていた。


(――お嬢様……)

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