襲撃
とれたての魚に、晴人はかぶりついた。
鱗も骨も一緒くたに噛み、ごくんと飲み込む。
「おいしい」
「お前、適応力高すぎんだろ」
「なにが?」
魚は石器で真っ二つにし、半分は正亜が持っている。
正亜は生の魚を見下ろし、考える。
寄生虫、雑菌、食あたり、死……。
火を通せばそれらの心配はなくなる。火打石として使える石はその辺に転がっているが、火打金がない。鉄やステンレスで代用できるが、制服のポケットにはそんなもの入っていない。
「…………なあ、晴人」
「なに? 食べんねやったらそれもちょうだい」
「スマホくれ」
「?」
晴人はスマホを差し出す。正亜は受け取り、晴人と目を合わせた。
「これぶっ壊していい?」
「ぶっ殺すぞ!?」
時がとまった。
数秒の沈黙ののち、晴人は真顔で魚をもう一口かじる。
「どうせ電波もないんだし、使えないだろ」
「電波なくてもできることあるんよ」
「充電もできないからな?」
「まだあと14%ある」
「微妙! どうせもう使えないんだし、いいだろ」
「よくないわ! なんでそんなことするん!?」
「スマホの表面って金属だろ。……それなりに重いしアルミじゃない。もしステンレスだったら火が起こせる」
「それ、壊す必要ある?」
「この石あるだろ。これで金属部分をぶっ叩く」
「ほうん……スマホってそんじゃんじゃ壊れんやろ。僕、1日に5回は落とすけど元気やもん」
「落としすぎだろ」
よく見たらスマホの画面は割れ、ケースも傷だらけだ。
「まあ、とりあえずこれで火起こしていいか?」
「いいよ。君の力じゃ僕のスマホは壊れんから」
「その言い方イラッとするな」
スマホのケースを外し、試しに石器で叩いてみる。一度目は何も起こらないが、二度目はかなり強めにうった。
シュッと、音がして火花が飛ぶ。
「おー」
その光景に晴人が歓声をあげた。
正亜は適当な枝を用意し、石器で薄く削って火種を作る。木の粉が小さな山になり、その上で火花を散らした。
火花は火種の上で赤い斑点を作り、数秒で消える。
正亜は何度も何度も試すが、結果は変わらず。10回ほどで体力が尽きた。
「ちょっと休憩」
「お前弱すぎ」
すでに食事を終えていた晴人は非力な同級生を嘲笑う。なんの気まぐれか、正亜の横にきて同じように石器とスマホを叩き合わせた。
大きな火花。晴人は火種を触って平たくすると、その上で火打石を用意。
がっがっがっがっと、連続で火花を散らす。赤い斑点が消える前に新たな火花が降り注ぎ、やがて火種は黒い焦げ目が目立つようになり、ついには煙があがる。
「え、お、おおおお! マジで!?」
「ふははははははは。僕を崇めろ」
できあがった炎が消えないよう、慎重に小枝を置き、息を吹きかけ火を大きくする。
「ちょ、それ、消えないように見てて!」
言い残し、正亜は急いで枯れ枝を集める。焚き木を十分に用意すると、大きめの枝を火にくべた。炎は高々と燃え上がり、もう消えることもないだろう。
魚を炙って食べる。
切り身をひとつ、晴人に差し出した。
「あげる」
「いいの?」
「火作ってくれたし」
「ありがとう! いただきまーす」
晴人はそれを一口で飲み込んだ。
食事を終えると、正亜はお手製の家に入る。出口では炭化した枝に小さな炎が残っているのが見えた。あれを火口にすれば明日は簡単に火が起こせる。
ぬっと、入り口を影が覆う。
晴人だ。
「いーれて」
一瞬、「星でも見てろ」と言おうとしたが、魚をとったり火を作ったりしてくれたことを思い出す。隅にどいてスペースを作った。
「お邪魔しまーす」
晴人が入ってくると、一気に中の温度があがった。
「お前体温たっか」
「そう?」
「筋肉って発熱してるんだな」
「じゃあお前めっちゃ冷たいやん」
「るっせ」
晴人は横になるなりいびきをかきはじめる。正亜も横になるが、やはり寝つきが悪い。繊細なシティボーイに、この環境で眠るのはまだ慣れない。
正亜は起き上がり、余っていた枝を手に取る。しばし弄んだあと、閃いた。
「…………弓矢か」
槍は正亜に奪われたし、何より自身に近接格闘ができるはずもない。弓なら遠くから攻撃できるし、狩りにも使える。
枝の中から、とくにしなるものを見つける。両端にナイフで切り込みを入れ、そこに靴紐をくくりつけた。
試しに弦を引き、離すと、たわんだ弓が勢いよくもとの形に戻る。
「いけそうだな」
弓を置いて、今度はまっすぐな枝をいくつか選ぶ。尻の部分にV字の切り込みを入れ、先端はナイフで尖らせる。
十本ほど作ったところで、ようやく眠気がやってきた。できあがった弓矢セットを晴人の槍の隣に置く。ごろんと横になり、瞼を閉じた。
ーーーーーーーーーー
「正亜、正亜っ」
押し殺した声とともに、頬を叩かれる。
「あぁ? んだよ……ねみい……」
仏頂面で晴人を見上げると、しーっと人差し指を立てられた。
「なんかおる」
「なんかって?」
正亜の問いには答えず、耳をすませる晴人。正亜もならって音に集中するが、何も聞こえない。
5分ほどそうしていただろうか。ざっと、落ち葉を蹴るような音が聞こえた。
正亜はぱっと晴人を見るも、晴人は瞑目したまま動かない。
音だけではわからないが、外に出るのも怖い。正亜は出口へ目を向ける。月明りの中、背の高いシダ植物の茂みだけが見える。足音は茂みの奥から聞こえている。
突然茂みが揺れ、足音の主が姿を現した。
獰猛な肉食獣の目。補足鋭い牙、長い首。前脚は短く、羽毛が生えている。三本の指には巨大な鉤爪。全長3メートルはあろうかという巨体。
地球では見たことがない、否、骨格と復元図でしか見ることができない生物。
太古の時代に滅んだ爬虫類。2本の脚で立ち、三本の指を持つ、肉食の獣脚類。
恐竜。
「ひゃっ…………あぁ……」
正亜が小さな悲鳴をあげる。晴人が慌てて正亜の口を塞ぐも、遅かった。
大きく見開かれた丸い瞳が、2人に向けられる。
「ああああああああああ!!!!????」
正亜の絶叫。
晴人は咄嗟に槍を掴み、相手の目に投げつける。
「がああっ!?」
不意打ちを食らった恐竜は悲鳴をあげる。晴人は槍のそばにあった弓矢に気づくとそれも掴み、正亜を抱えて飛び出した!
ーーーーーーーーーー
「がああああああああ!」
咆哮が夜の森に響き渡る。木々が震え、近くに潜んでいた小型の動物たちが逃げ出していく。
目を負傷した恐竜は追ってくることもなく、2人をただまっすぐに見つめている。
槍の一撃で食べるのは諦めたのかと、正亜がほっと息をついたときだ。
茂みの中から、さらに三体の恐竜が出てきた。傷ついた恐竜は仲間と合流するや2人を追いかけてくる。
ライオンやチーターなどの肉食獣ほどのスピードはない。だが、人間なんかよりはずっと早い。開いていた距離はどんどん詰められる。
「正亜! 正亜!!」
「……えっ! あ、なに!?」
「これ!!」
晴人が渡してきたのは先ほど作っていた弓矢だ。
「これ、武器やろ!! 使え!」
「わ、わわ、わかったよっ」
晴人に喝を飛ばされ、正亜は震える手で弓矢を構え、狙いをつける。
「があああ!」
「ひっ!」
吠えられただけで狙いがそれ、矢は明後日の方向に。
「ビビりすぎやろ! がんばれがんばれ!」
「いや、だって、だって、こわっ無理! あれは無理!」
「死にたいんか!? やれ!」
死ぬ、その言葉を聞いた途端、冷水を浴びせられた気分になる。
——そうだ、やらなきゃ死ぬんだ。死にたくない! 決めたはずだ、生き延びるって。
強く息を吐き、恐怖を押し込める。
すぐそこまで迫っている肉食獣を真っ直ぐに睨みつけた。
——怖い。けど、やるしかないっ!
弓矢をひきしぼり、先頭の一体に向かって矢を放った。
矢は今度こそまっすぐに飛び、先頭の恐竜の目に突き刺さる!
「がああああああああ!!??」
恐竜は首を振り、走る速度を緩める。それで警戒したのか、2人からわずかに距離をとった。それでも食べることは諦めていないのか、一定の速度でついてくる。
正亜もさらに矢を放ち、何本かは当たる。矢が当たるたびに恐竜たちは警戒心を強めていた。徐々に距離も開いていく。
だが今度は晴人に限界が来ていた。
「お、おおう……正亜、そろそろ僕の足がやばい」
「このまま行けば諦めてくれそうだ。もうちょっとがんばれ!」
正亜が言うと、晴人は「ああ、もう!」と足に力を込め、ぐんと加速する。
だが、気力で支えたのも一瞬だけ。
とうとう晴人は限界を迎え、がくんと膝の力が抜けた。体勢を取り直すこともできず、地面を転がる。
正亜には恐竜たちが、獰猛な笑みを浮かべたように見えた。
警戒心を解き、恐竜たちはまっすぐに2人へ走ってくる。晴人は正亜を掴み、恐竜と反対方向へ投げ飛ばした。正亜はあちこちをぶつけながらも木々の間を抜け、開けた場所に放り出される。
「晴人!?」
正亜の顔が恐怖に染まる。
だがすぐに聞き慣れた声があとを追ってきた。
「うがあああ!」
最後の力を振り絞った晴人は森を飛び出し、正亜の横に転がった。
「……なんなんだここは」
晴人の言葉につられ、正亜もあたりを見回す。
不思議な場所だった。
森の中にぽっかりと空いた空間。中心には直径30メートルほどの湖。それが異常だった。
湖には、水ではなく、水銀のような液体が溜まっていた。
鏡のようになった水面に、銀色の月光が降り注ぎ、幻想的な景色を作り上げている。
見たこともない光景に目を奪われていたのも束の間、追っ手が森を飛び出してきた。
晴人は逃げることをやめ、恐竜に向き合った。
そして、にやりと正亜に笑いかける。
「ここは僕に任せて先に行け!」
「いや、勝てないだろ! 一緒に逃げるんだよ!」
が、晴人は首を横に振り、足を叩く。
「もう走れん」
「いや、けど、戦うのはもっと無理だろ……」
「いいから!!」
言って、晴人は正亜を突き飛ばした。自身は恐竜に立ち向かう。
だがやはり、晴人はバカだった。
突き飛ばしたのは湖の方向だった。
晴人の力で、正亜は簡単に吹き飛んでいく。
「あ」
晴人はやってしまったと気づいて声をあげるが、もう遅い。
どぷん、と重たい音をたて、正亜は湖に落ちていった。