二人乗り
放課後の図書室、小野寺正亜はいつも座っている窓辺の席で本を読んでいた。
ジャンルは古生物学。最近入った本なので、情報も新しい。古生物の常識はちょっとした発見ひとつで大きく書き変わる。最新の本を読んでおくに越したことはない。
内容は重めだが、好きなジャンルなのでかなりのスピードで読める。パラパラとページをめくっていると、あっという間に読み終えた。
一冊読み終えたところで、時計を見やる。そろそろ下校時刻。
正亜は荷物をまとめて立ち上がった。図書室を出て帰路につく。校舎を出たところで背中を叩かれた。
「よう!」
「……いってえ」
恨みがましい視線を向ける。そこに立っていたのは同じクラスの黒須晴人。
「ひとりで何してるん?」
「図書室に引きこもってた。お前は部活か。ご苦労なこって」
「いやー、全身筋肉痛なのに追い込まれて死ぬかと思った。帰って腕立てしな」
「……は? なんで疲れてんのに筋トレすんの? ばかなの?」
「僕の三頭筋がもっといけるって言ってるから。胸筋ちゃんももっと大きくなりたいって言ってる」
「脳筋は理解できん……」
「コンビニ行こうや。お腹減った」
「話に脈絡なさすぎるだろ。会話のキャッチボールしてくれよ」
呆れてため息。が、晴人は気にするそぶりもない。「肉まんとピザまんどっちにしよっかなー」と、容量の小さな頭はすでに食べ物のことでいっぱいのようだ。
「悪いけど、図書館行くから」
「はあ!? 僕に筋トレしすぎとか言っといてお前も本読みすじゃない? そんなに本ばっか読んでたら頭悪くなるよ」
机上の空論ばかりもてあそんでいては現実生活と乖離するということを皮肉混じりに言ってるのか、正亜はちらと思うも、このバカにそんな深いセリフが吐けるわけがない。適当に言ってるだけだろう。
「本っつっても色々あるんだよ。さっきは生物だったから、今度は歴史。ジャンルまたげば疲れることもない。……ま、脳筋ゴリラには本の違いなんてわからんだろうけどな」
「おい、あんまりバカにするなよ」
びしっと、正亜に人差し指を突きつける晴人。
「僕だってワンピース読んでるんだぞ」
「……文字を読む習慣があるなんて、意外と知的なゴリラじゃないか」
「だろ? 自転車とってくる」
ゴリラ、もとい晴人は一言断って駐輪場へと走っていく。しばらく待っていると、古びたママチャリを引いて戻ってきた。
正亜は荷台に腰掛ける。
「あれー? 図書館行くんじゃないの?」
「ああ。よろしく」
「僕んちと逆なんだが?」
「君の大腿四頭筋がたくさんペダル漕ぎたいって言ってるのが聞こえる」
「いやー、僕チキンレッグ目指してるから。最強の腕になるから」
「じゃあ手でこげ」
「僕の扱いひどくない?」
ぼやきながらも、晴人は図書館へとハンドルをきった。
「そういやそろそろ中間だけど、お前今回も赤点だとまずいんじゃないか?」
「そうなんよ。担任は僕の大胸筋を見せれば黙るけど、顧問に殺される」
「さっすが日本拳法部。顧問が怖い」
日本拳法とは打撃も投げ技もある、総合格闘技に似た武術だ。晴人は頭はみじんこ以下だが、一年の時にインターハイ出場、二年ではベスト8まで残った。高校にも部活の推薦だけで入学したので、テストのたびに毎回赤点祭り。
川沿いに出ると、冷たいが吹きつけてきた。正亜は「さむっ」と叫んで学ランをかき合わせる。
「はっはっは、軟弱者め。筋肉が足りんから寒いねん」
「じゃあてめえの上着よこせ」
「いいよ」
「いいのかよ」
晴人はペダルを押し込む力を強め、スピードをあげる。両手を離し、上着を脱ぎ始めた。
「いや、危ない危ない! 怖い怖い怖い! もう上着とかいいから!」
「スピード出しとけばこけんし」
「ジャイロ効果過信しすぎだ! ていうか前!!」
晴人はボタンを外すのが面倒なため、シャツと同じ容量で学ランを脱ぐ。袖から腕を引き抜き、首からも抜こうとしたところで、視界が布地に覆われる。
そのせいで、大きめの石に気づかなかった。
「おっとぉ!?」
「あっぶねーつってんだろ! ブレーキブレーキ!」
大きく車体が揺れ、晴人がブレーキをしようとするも、服がもつれてかえってバランスを崩す。大きく傾いたことでタイヤが地面を滑り、二人は地面に放り出された。
晴人は服が顔面に絡みついてもごもご言いながら土手を転がり、正亜を巻き込んで転がり落ちる。
盛大な水飛沫。
二人は川底へと消えていった。
秋風もますます冷たくなるこの季節、水温は極寒。
急速に体温は奪われ、晴人ご自慢の筋肉の鎧も役に立たず、二人は二度と水面へと上がってくることはなかった。
ーーーーーーーーーー
「おーい、起きろー!」
肩をゆすられ、正亜の意識が覚醒する。目を開けると、見慣れた友人が覗き込んでいた。
「……不細工のドアップ」
「おい、言葉に気をつけろ?」
軽口こそ叩いてみたものの、全身が痛い。意識を失う前のことを思い出す。晴人と二人乗りをしていたら川に落ちて、それから——
あたりを見回す。
川などどこにもない、あるのは巨大な木々だけ。
森だ。
どこまでも続く、深い森。
「どこだ、ここ?」
呟くと、晴人はなぜか「ふふん」と笑う。
「異世界」
「なんじゃそりゃ」
「どう見ても異世界だろ。僕の近所にこんなとこないし」
「お前の中じゃ街の外は異世界なのかよ。携帯持ってるだろ。GPSは?」
「自分の見れば?」
「貧乏だから携帯ないつってんだろ」
だから図書館くらいしか娯楽ないんだよ、とも付け加える。
晴人が携帯を取り出し、「んー?」と首をかしげる。
「場所出ん」
「貸してみろ」
正亜が携帯を受け取った。画面には学校周辺のマップだけが表示されている。だが現在地を示すマークはなく、ついでに圏外なので助けも呼べない。
「……どうなってんのか。樹海にでも流されたのか?」
「だから異世界って」
「異世界ってなんだよ。定義教えろ定義。地球以外の星か、それとも別の宇宙なのか? ああ、もしかしたら俺たち死んでてあの世にいるのかもな。なら異世界って言えなくもないのか」
「難しすぎて何言ってるのかさっぱりわからん。異世界はリゼロとかこのすばとかのやつ」
「なんの用語だ」
「アニメ」
「携帯もテレビもパソコンもないうちでアニメが見れるとでも?」
正亜は嘆息し、立ち上がる。川で流されている時に打ったのか、あちこちが痛んだ。
が、立ち上がったところで何もできない。遭難したときは動かないのがいいと聞くし。
座り直し、そして晴人が森へ入っていった。
「って、どこ行くんだよ!?」
「お腹減った」
「だからなに!? こんな森にコンビニがあるとでも?」
「んー、ある!」
「根拠は?」
「コンビニがないと、僕が困る」
「じっとしてろ! 家に帰らなかったら親だの学校だのが通報するはずだ。そのうち助けがくる」
「異世界に警察は来ることができない」
「異世界かどうかは知らんが俺たちが来れたんだ、他の人間が来れない理由はない」
「警察は召喚されない」
「だから! 召喚とかなんとか、アニメから離れろ! 俺たちはただ遭難しただけ! 頼むからじっとしててくれ」
「……しょうがないなー」
晴人は不満げにしながらもその場に座った。
正亜は少しでも体力を温存しておこうと横になる。
晴人はなぜか腕立てを始めた。突っ込みたかったが、余計な体力を使いたくなかったので無視することにした。
一時間ほど経ったろうか、陽が傾いてきたころ。
「ひま」
晴人が言った。
「あ? 筋トレの続きでもしてろよ」
「もうメニューない。蛇でも捕まえて食おっかな」
またも森へ入ろうとする。
「だから、じっとしてろって! しかももうすぐ夜だぞ!」
「だから晩御飯。たんぱく質を補給しないといけない」
「お前ほんっとうにバカだな!?」
「おっとお、あんまり僕をバカバカ言うなよ? これ以上バカになったらどうするんだ?」
「もう限界突破したバカだから安心しとけよ」
「うーん。じゃあ僕バカやから、食べ物探すわ」
晴人は歩き出す。動くのはまずいが、ひとりになるのはもっとまずい。
正亜は仕方なく晴人のあとを追った。