第一話 覚醒
「勇者よ、また会える日を信じているぞ。。。」
暗闇の中で声が響いた。その声に反応して目を開けると、白い天井が視界に入ってきた。
数秒間天井を見つめ黙っている、その間に入る様々な情報からようやく状況を把握する。
消毒の匂いが入り混じったような独特の匂い、どこかの病院のようだ。
「おお、目を覚ましたぞ!」
「よかったぁ、アイちゃん!」
周りで何人もの人が騒いでいる。そちらに目を向けると、パパ、ママ、弟と家族みんなが目に涙を浮かべながら喜びと安堵の混ざったような表情を浮かべていた。パパに至っては完全に号泣していると言えるだろう。白衣を着たおそらく医者であろう人物も、ホッとしたような笑みを浮かべている。
一体何事か、と体を動かそうとすると何かが引っ掛かっている感触を受けた。違和感の先に視線を向けてみると、腕に何本もの管がつながっていて、身体を自由に動かすことができなかった。どうしてこんな状態に?と思いつつも、声に出すのはぐっとこらえた。
まずは、深呼吸をして心を落ち着ける。
なにがあったか状況を思い出そうとするが、頭に霧がかかったように思い出せなかった。みんなの盛り上がりもひと段落し、落ち着いたところで状況を説明してもらう。
どうやら、水曜日の夜から日曜の夕方までの間、昏睡状態だったらしい。ようやく思い出したことは最後の記憶は水曜日の夜、寝る前にヨーグルトを食べたことだった。
そんなに心配ならキュアでもヒールでもかけてくれればよかったのに、そんな考えがふいによぎった。ん、キュア?ヒール?それってなんだっけ。突然、覚えのない単語が浮かび自分の頭の中で自問自答をするが、当然答えは返ってこなかった。
まあいいか、病み上がりで疲れているのだろう、きっと。
意識は戻ったが念のためということで、精密検査を受けた。が、結果は特に異常なしとのことで無事に退院することとなった。
家に帰る際、タクシー乗り場まで歩いてみる。家族が大事をとって車いすにしようと反対をしたが、3日間寝込んでいた割には体がだるかったり、違和感は感じられなかった。通常、数日間まったく体を動かしていないでいると、どこか違和感があったり、疲れやすかったりして、急に動けたりしないはずと思っていた。骨折した手や足が、治った時に筋肉の衰えでうまく動かせないのが良い例だ。3日間くらいであれば、そんなに影響はないのだろうか?体調的には変わったところはなさそうだ。
不意に、右手の小指に見たことがない指輪がついているのが目に入った。小さな四角い宝石のようなものがついている。こんなものをつけていた記憶はないのだけど、と思い外そうとするがかなりきつくはまっていて取れそうにない。とりあえず、今は問題ないのでそのままにすることにした。もしも指輪が外れなかったら、先生に見つからないようにしないといけないな、とぼんやりと考えていた。
翌日、月曜日の朝、両親は心配していたけれど、身体の調子は良いので、そのまま学校に行くことにした。学校までの道のりは普段であれば全力で走っても15分はかかるところだ。ところが、なぜか小走りで15分を切るくらいで着いてしまった、息も切れていないのでそこまで急いで走っていないはずだ。
あれ、病み上がりのはずだけど、期せずして最短記録を更新してしまったな、あと5分寝ていても大丈夫だったかも、と思いながら靴箱で上履きに履き替える。
なんだか学校に来るのがすごく久しぶりのような錯覚を受けた。木曜日、金曜日と学校を休んだので正確には五日ぶりである。教室に入るとクラスメイトが心配して集まってきてくれたが、もう大丈夫だよと、元気なことをアピールしておいた。変に心配かけたくないし、実際、体の不調は今のところ一切見当たらない。
英語、数学と授業をボーっと聞き流していたがその割に記憶に残った気がする。連立方程式はいちいち加減法を式で書かなくても何となくすぐに答えが浮かんでくるのだった。
そして3、4限目は体育の時にそれは起こった。体操着に着替える際、例の指輪を外すことができず見つからないか気になったが、幸いなことに誰からも指摘されなかった。
グランドに出ると、隣のクラスの友人から声をかけられた。
「あれ、なんか入院していたんでしょ、運動して大丈夫なの?」
「うん、大丈夫、大丈夫、からだ的には全然問題無し!」
そんな会話を何人かと交わす。隣のクラスにまで私がお休みしていたことが知れ渡っているとは、意外と人気者なのかしら?いやいや、そんなはずはない。おそらく半分以上は興味本位で気にかけている程度だろう、詳細がどんな伝わり方しているかわかったもんじゃない。。そう考えると、藍は少し怖くなった。
今日の体育は陸上で、100m走と、走り幅跳び、砲丸投げとやることがもりだくさんで若干うんざりする。きょうびの女子中学生は実生活で砲丸のような重たいものを遠くに投げることはないし、全力疾走するのは電車やバスに乗り遅れそうなときくらいだろう。それもせいぜい数十メートルで100メートルも走ることはないと言っても過言ではないはずだ。いくつかのグループに分かれ順番にローテーションし種目をこなしていく形である。藍のグループの最初の種目は砲丸投げだった。
「砲丸って重たいよね。」
「こんな重いもの投げるのマジ無理なんだけど。」
隣のクラスの女子の会話を聞いて、うーん、まったく同感、さっき同じことを考えていたよ、、と藍も心の中で同意する。砲丸投げなんて、自分でやるのは初めてだな、、そもそも普通のボールを投げるのもそんなに得意ではない。先生が見本を示した後、順番に生徒が投げ始めた。藍の番になり、先生の手本を思い出す、確か体をひねってそのひねり戻しを利用して投げているようだった。とりあえず頑張ってみよう。そう考え砲丸を持つ、あれ、持ってみると意外と重たくないな、これならいけるかも。ちょっと自信が出てきた。砲丸を投げるサークルに入り力いっぱい投げた。
「えい!」
「記録8m20cm!」
おー、結構飛んだぞ。でもさすがにそんなに甘くない、先生から身体がうまく使えていなくて、ほぼ手投げになってしまっていると指摘を受けた。意外と重くないと思った瞬間に体のひねりを使うことを忘れてしまったようだ。。もっと足腰の力を使って上半身に伝えられると記録はもっと伸びると先生からコメントを貰った。でも、その割にはいい記録で、陸上部の砲丸専門の子に次いで2番目の記録だった。初めてやったにしては上出来といえるだろう。そのとき、不意に、身体に悪寒が走り、そしてすぐに身体全体から何かが抜けていくような感覚に陥った。そのあと疲れが取れて、体が軽くなった気がしたのだった。今ならさっきの記録を超えられそうな気がする、と思ったが、残念ながら既に砲丸投げは終了となってしまった。
次は100m走か。スタートライン付近に移動する。
「走るのだるいよねー。」
「50mでも無理なんだけど、まあ流して走ろーよ。そんなガチで走る必要ないっしょ。」
と隣で話をしているクラスメイトたちをしり目に本気モードに気持ちを切り替える。何事も全力で取り組むというのが私のモットーなのだ。
「いちについて、よーい、」
「バンッ!」
ピストルの音に鋭く反応し、いいスタートを切った(と自分的には思った)。ぐんぐん加速してゴール、やった、一緒に走った3人の中では1位だ、後ろを振り返るとかなり差があったのかだいぶ遅れて後続がゴールしていた。
あれ、なんかゴール前でタイムを計っていた計測係の人たちがざわついている。
「ちょっとまじ? やばっ。」
「はやっ!」
「アイっ、速いよ!」
どうやら良いタイムだったみたい。
近づいて声をかけた。
「何秒?13秒切った?」
とちょっとおどけて見せる、自分のベストタイムは以前測ったときの14秒台なので、かなり盛ったタイムを言っている自覚はあった。
「ヤバッ!12秒85だよ。。。」
「えっ⁉」
嘘から出たまことというやつか、、調子が良い感じがしていたけどそこまでとは。。思わず藍も絶句してしまう。
「陸上部並みじゃね。」
「陸上用スパイクも履いていないのに、、」
先生も驚きの表情を隠さない。女子中学生の全国大会の参加標準記録が12秒5くらいらしく(もちろん陸上用のスパイク、ウェアを着用し、陸上用トラックで走った上での記録)、普通の体操着と運動シューズ、かつ、土埃舞う砂のグラウンドで素人が出せるタイムではないのは明白である(あとから聞いたことだが、陸上部の友達の話によると、スパイクを履いて走るだけでコンマ数秒~1秒くらいは簡単に縮まるらしい)。
「あれ、ちょっとフライングしちゃっていたかな、ハハハ。。。」
とりあえず笑ってごまかしてみる。
そのあとの走り幅跳びでは5m10cmとこちらもかなり良い記録となった(全中の参加標準記録は5m45cmらしい)。体が軽くてもっといけそうな気もしたが、2回目以降の挑戦はやめておいた。
授業の後、陸上部の亜美が駆け寄って話しかけてくる。昔から仲が良い友達の一人である。
「藍、陸上部入りなよ!絶対全国狙えるって!記録ヤバいんだけど!100mだけじゃなくて、走り幅跳びもいけるよ、ちゃんと練習したらもっと飛べるでしょ!」
まくしたてる亜美。それに対して謙遜する藍。
「いやいや、まぐれだって!」
表ではそういいつつも、実際はまだ余裕があった。もっといい記録を出せそうな予感があることは自覚していたが、陸上で全国を目指す気分にはなれなかった。
亜美の粘る勧誘を何とか振り切り家路につく。ソファーの上で寝転がって今日の出来事を思い返していく。何かがおかしい。登校にかかった時間の短さ、勉強、運動、何においても中の上くらいで(顔は上の上から上の中くらいだと自分では思っているが、、)、何かに秀でていたことはなかったのに、まるで夢をみているみたいだ。
家族のみんなが帰ってきて、ぼーっとする時間も終わりを告げる。
夕食前にシャワーでも浴びようと服を脱いだ時、ふと右のわき腹の部分にある大きな傷跡に目が留まった。
「なんじゃ、こりゃ!」
と思わず演技じみた声を上げてしまった。病み上がりということで家族が心配して駆けつけてくるのではと思ったが、どうやら聞こえなかったようで来る気配はない。そっと触ってみると少し痛みを感じた。そのとき、不意に記憶がフラッシュバックする。
強大な敵、魔王から振り下ろされる一撃、それを凌ぎ最大火力のスキルを何度も繰り出しダメージを与え、あと一歩というところまで追いつめた場面、魔王が道連れ覚悟で自分の命と引き換えに繰り出してきた魔法に対し、味方をかばってとっさに盾を取り出し間に入った私、体勢が不十分でダメージを流しきれず右わき腹に負った深い傷。
そのあとは記憶が流れるように思い出されていった。5人でパーティを組んで修行に明け暮れた日々、ギルド通いでいくつもの功績を上げたこと、Aランクの冒険者にまで上り詰め、魔王討伐の旅をしたこと。そして、5人で魔王討伐を果たし、勇者の称号を得たこと。
そうか、思い出した、私って勇者だったんだ。。