風の女神「シナト姫」と邪神s演習は
「ママぁ――、飛びたいよう!」
十一月下旬、月曜日。目の前にはハムエッグとサラダが並んでいる。バターをたっぷり塗ったフランスパンをかじりながら、フウカは、叫ぶように訴えた。
今朝、起きてすぐ窓を開けて空を見上げた。
「寒い」
パジャマの襟を掻き合わせながら、つぶやく。秋も深まり、だいぶ気温も下がっていた。見上げた先は青く澄み、雲一つない。
昨日までの一週間、学校を休んだ間の穴埋めと期末テスト対策で、勉強漬けの毎日だった。そのうっくつが爆発したのだ。朝食を食べながら見ていたテレビのニュースでは、紅葉がまっさかりであることを報じていた。
(紅葉が、見たい)
空の上から眺める一面の紅葉は、息を飲むほど美しい。その光景を思い起していたら、思わず声が出たのだ。
「ママは、今、とても忙しいのよ。そんなに飛びたいならカイトさんに頼んでみなさい」
紅茶を淹(iい) れながら滝子は、言った。
神宮の巫女である彼女は、年末年始の準備などで多忙であった。とても土日に休みを取ることはできない。
「ええッ、そんなぁ――」
昨夜まで家庭教師としてカイトに来てもらっていた。だいぶ気安くなっていたが自分から声を掛けるのは、ちょっと気が引ける。
(デートに誘っているように思われちゃうかも……)
勉強の合間にカイトの恋愛観について尋ねたりもした。
「ママから頼んでよう」
「なに言ってるの。自分のことでしょ」
滝子とカイトは、同じハンググライダークラブに所属している。インストラクターと訓練生の間柄だ。しかし、フウカの遊びの話で、しゃしゃり出ることはできない。「親バカ」だと思われるだろう。
フウカは紅茶を飲み終え、学校へ向かう。校門の前でユウコと合流する。
「おはよう!」
「おはよう……」
なぜかユウコが、意味ありげな目でフウカを見ている。
「どうしたの?」
その視線に気づいたフウカが、尋ねた。
「昨日まで大学生のお兄さんと一緒にいたんでしょ。私のこと、言ってくれた?」
そう言えば、「会わせてくれ」と頼まれていた。すっかり忘れていた。また、約束したわけでもない。
「厳しいセンセイなので、言い出せなかった。ゴメンね」
後ろめたい思いをお愛想笑いっでごまかしながら、謝る。
「……そんなことだと思った。友だちがいがないのね」
ユウコは、プウゥとふくれる。
「まぁ、今回は許してあげる。次の機会には、ゼッタイに言ってよ」
念を押されてしまった。
(次の機会って……、一緒にハンググラダーをやる約束をしようとしていることを話すわけにはいかない。友情より、空を飛ぶ楽しみが大事だ)
自分の欲求を優先する。
(――話すくらいならできるんじゃない?)
そんな考えも頭をよぎったが黙殺する。
午後、勇気を奮ってカイトに電話をして頼んだところ、快諾してくれた。今週土曜日に行くことになった。
当日の朝、ライトバンで迎えに来てくれた。荷物を後ろへ積んで出発する。今日も快晴だ。
「カイトさん、ゴメンね。忙しくなかった?」
助手席に座って尋ねた。
「今、ポッカリ暇ができた。ちょうど息抜きをしたかったところだ」
年末の作戦のことを思えば、忙しくないはずはなかった。気は急いていても、実際に行動を起こすまでには間があるということだろう。
訓練場に到着し、飛行準備に取り掛かる。機材を整え、後は心身を整えるだけだ。カイトは、事務所に用事があるとのことで、その場にはいない。「先に飛んでいてくれ」とのことだった。
草の上に座して背筋を伸ばし、印を結ぶ。深く静かに呼吸し、意識と身体の調整をおこなう。千竈家に伝わる「息吹」という瞑想技法の一つである。
風の女神「志那都比売」の姿を思い描き、飛翔する後を追う。吐く息と共に身体を浮かせ、ゆっくりと上昇していく。最後は、雲海の上に出る。蒼天の下、風の流れに身をゆだね浮遊する。フウカは、一種のイメージ・トレーニングだと思っている。
目を開けtてゴーグルを装着し、片膝を着いた姿勢を取る。片手を挙げた。すると、背後に置いてあったハンググライダーがフワッと浮き、フウカの背の上に乗った。ベルト類を締め、着装を完了した。
「今日も自分の力で飛びたいから、操縦は任せてね。でも、危ないときは頼むよ」
目の前にぶら下がる仔犬の御守り「ファル」に語り掛けた。
風向きを確かめ、山腹の斜面を駆け下りる。風に上手く乗れた。上昇し、紅葉の森を目指す。
朱に染まった森は、思った通り絶景であった。その上を自在に飛び回る。
「あっ!」
突然、突風が下から吹き上げ、機体が平衡を失った。コントロールが効かない。
「墜落する! ファル、助けて――」
言葉に出して、叫んだ。




