千竈家の「影仕え」――御剣様の「お身拭い」
数日後、滝子は源造の家を訪ねた。
熱田神宮の南側に在り、大津通りに面した三階建ての古びたビルだ。
一階は、ガレージになっている。
このビルの二階と三階が、自宅である。
源造は名古屋市内に貸しビルを持っており、家賃収入で生計を立てていた。
神宮の清掃は、千竈家の奉仕活動として代々おこなっている。
滝子は神宮の杜が眺められる二階の居間でソファに座り、源造と対面していた。
ビルの背後は空き地で、その先は線路となっている。
よって、窓で吹き抜けとなっている二階は、風通しが良い。
だが、都市部である。吹き込む風だけでは、限界があった。
「暑くなったね。
齢を取ると、身体に堪えるわ」
首に掛けたタオルで汗を拭いながら源造は、語りかけた。
空調はあるが、稼働させていない。どうやら苦手のようだ。
古風な黒い扇風機が、二人に風を送っている。
開け放たれた窓には、簾と風鈴が下がっていた。
「でも、杜を渡る風で、多少は暑さも和らぐんじゃないですか?」
「気分的にはな。
しかし、周りはコンクリートだ。
大して変わらんよ」
ゴクッと冷えた麦茶を飲む。
風鈴が、チリンと鳴った。
「じつは、ご報告したいことがありまして、参上いたしました」
姿勢を正し、滝子はハンググライダー場で起こったアクシデントについて語った。
「……」
源造は腕を組み、ジッと耳を傾けている。
「フウカは『運が良かっただけ』と思っているようですが、何らかの力が働いたことは、確かなようです」
長年の飛行経験を踏まえ、慎重に言葉を選びながら語り終えた。
「シナト姫が、救ったと?」
「信じられないことですが、そうとしか考えられません」
滝子は、ためらいながら言った。
「有り得るのかな」
源造は、つぶやくように答える。
「フウカのシナト姫をイメージする『思念の力』が、強かったということになるのかな。
シナト姫の力は、フウカ自身の潜在的な能力でもあろう」
自分を納得させるかのように言った。
「私も、そう考えています」
フウカが中学二年生のとき、見た「ユメ」の話を告げたときから「そうかもしれない」と思い、それとなく千竈家に伝わる行法を修行させてきた。
その内の一つである観想法「シナト姫」が、役に立ったのであろう。
特別な効果はなくても、グライダーを安定して飛ばすイメージ・トレーニングとして役立てば良いと考えていた。
「ついに『剣の守り人』が、顕われたのだろうか?」
源造は、問いかけた。
「……」
滝子は、息を飲む。言葉が、出なかった。
「次の『お身拭い』の際、御剣様にお尋ねしてみよう」
ハンググライダー場で起こった話を聴いた後、源造は、滝子に久しぶりに見た「ユメ」について語った。
「不思議なユメを見た。
赤き竜が、暗闇の中にある光の帯のような流れの中を泳いでいくんだ。
身をくねらせながらな」
寝苦しい夜だった。
やっと明け方近くに眠りについたが、ほどなく飛び起きてしまった。
竜は、炎をまとっていた。
光の帯の流れは赤黒く、熱がこもっているようだった。
布団の上で座り込み、寝汗をタオルで拭きながら考えた。
ただの夢でないことは、これまでの経験からわかった。
だが、意味するものについては、思い至らなかった。
「竜の通り道か――。
地中には『竜脈』が、張り巡らされている。
だが……」
中空を睨んだまま、ボソッとつぶやくように言った。
「……?」
滝子には何を言いたいのか、わからなかった。
午後四時近くになっていた。
「お館様、そろそろ私は、お暇いたしたく存じます」
滝子は、声を掛けた。
源造は、ハッとした様子で顔を上げる。
「そうか、済まん。
つい考えに耽ってしまった」
両手を開いた膝につき、軽く頭を下げる。
「いえ、私には何が起こっているのか見当もつきません。
お考えがまとまりましたら、またお聞かせください」
暇乞いをして、席を立った。
次に顔を合わせるのは、「お身拭い」の日だ。
千竈家の「影仕え」は三ヶ月に一度、密かに「剣」を拭い清めることである。
ちょうど今月、その日が巡ってくる。