電撃作戦で勝利は得たが――惨劇が心に残したもの
甲板に現れたのは、アヅミたちだった。
鍋墨を油で溶いた染料で、顔に隈取を施してある。本来は魔除けであるが、戦闘の際もおこなう。
剣の切っ先に似た両刃の短刀を口にくわえ、鈎縄を木柵に打ち込んで、船腹をよじ登って来たのだ。
(どうやって近づいた⁈)
死の直前にモンゴル兵の脳裏をかすめたのは、そんな驚きだった。
背後の火災に気が取られる数分前、監視の兵は岸近くの海面が、帯状に黒く染まっているのに気付いた。
(岩礁かな?)
最初は、「隠れ瀬」かと思った。
だが、ゆっくりと動いていた。
警戒の声を上げようとした。そのときに後方で、騒ぎが起こったのだ。
視線を前方に戻したときには、すでに遅かった。
海面がサバッと盛り上がり、先行していた小型船が次々と転覆した。
巨大な扇状のモノが、波打ちながら押し寄せてきた。
そのモノの上には、それぞれサル(?)がへばりついていた。
ただ先駆けの巨大なモノの上には、人が立っていた。
黒い波は、一斉に船底へ潜り込む。
それと同時に人かサルかわからぬものは、蚤のように跳ね上がり、船腹へ取り着いた。
監視の兵の意識は、そこで途切れた。短槍が、腹を貫いていた。おそらく最初に乗り込んだ者が、投げたのであろう。
前列三隻の甲板上は、乱戦となっていた。
――とはいっても、刃を交わす白兵戦となっていたわけではない。大きく左右に揺れ、また、乱高下する艦上で立っていられるものは、ほとんどいない。できるとすれば、船戦に慣れた武芸者くらいだ。
互いに四つん這いになり、槍で突いたり剣で払ったりして相手を海へ落そうとしていた。不格好ではあるが、仕方がない。
とくにモンゴル兵や高麗兵は上陸に備えて鎧兜を身に付けていたため、転落したら溺れるしかなかった。
後列の二隻は、やはり「黒い波」に潜り込まれ、揺さぶられていた。
だが、なぜか敵が乗り込んでこなかったため、しばらくして態勢を整えることができた。
矢を放って救援しようともしたが、敵味方入り混じった状態では、それもできない。
取り敢えず後方に下がって、距離を取ることにした。
方向転換して、沖へと向かう。
湾から外海へ出ようとしたところで、左右の島影から現れた大型船と遭遇した。
「トカム国」の船だった。
対海賊用の軍船としての用途も考えて、船首には「衝角」が付いていた。巨大な金属製の突起である。ぶつけて敵の船腹に穴を空けるのだ。海戦の際の最終兵器として古代から使われている。
勢いよく斜め方向から突進してくる。
一隻目では――。
接近すると矢の雨が、降ってきた。
すれ違いざまに丸い素焼きの玉が、投げ込まれた。
それは、甲板で割れ、炎と煙を発した。
モンゴル軍は、たちまち混乱に陥った。
二隻目では――。
「ドゴンッ!」
強烈な衝撃が、走った。
船腹に衝角が、打ち込まれた。
やがて船は、傾き始める。
旗艦では、乱戦となっていた。
舞い降りた少女に気を取られているうちに、忍び寄ってきたアヅミたちが這い上っていた。その様子は、船虫(ゴキブリに似ている)を想わせた。
モンゴル兵や高麗兵が叫び声を上げながら、ボトボトと海中へ落ちていく。
旗艦の甲板では、少女が舞い踊っていた。
体重が、ないかのようだ。軽やかにステップを踏み、跳ね、回転し、棒を振るっている。
相対する敵兵たちが、その動きと共に薙ぎ倒されていった。
ひとしきりのダンスを終えると、迎えに来た白い翼のようなものにぶら下がり、船上から去っていった。
戦闘に気を取られていたためか、「いつの間にか消えていた」というのが、その場にいた者たちの感想であった。
カイトはトビマルの背に貼り付いて、顔だけ海面上に出していた。
浅瀬でマンタの一群が、横三列に並んでいる。乗っているアヅミたちも、同様の姿勢だった。顔には、鍋墨でペインティングが施されているし肌も浅黒いので、一体化して見える。
少し波立っている。また、陽の光の乱反射もあり、距離があれば、視認しにくいはずだ。
高台から飛び立ったシラサギの群れが、敵船団の上空に達しようとしていた。
カイトは、片手を挙げる。それが、出撃の合図であった。
マンタたちは列を乱すことなく、ゆっくりと前進を始める。
最後尾の旗艦から煙と炎が、上がった。
カイトは片膝を就き、立ち上がる。
手綱を握り、片方の手を大きく前へ振り下した。
群れのスピードが、急速に上がる。
アヅミとマンタの背が、海面から浮き上がった。
たちまち船団の前列へ近づいた。
「バシャッ!」
トビマルが、さらに勢いを増して前半身を上げ、ヒレで海面を叩き、尾を強く上下させた。
飛び上がり、船と船との間を抜けた。
カイトは、すかさず中央の船の甲板へと跳んだ。
「ドン、ドドォン――」
衝撃音と共に大きく揺れた。
マンタたちが、船底を押し上げたのだ。
カイトは帆柱の綱につかまり、一呼吸おいてから着地した。
敵兵たちは、「将棋倒し」になっていた。
側面からアヅミたちが、一斉に乗り込んでくる。
カイトは、お手製の手榴弾を敵兵が群がるところへ転がし、煙と炎で混乱させた。
向かってくる者には、細長い手裏剣を投げ付けた。ひるんだところで日本刀を抜き、突進する。
闘いは、以前の船旅で幾度か経験していた。しかし、慣れたということはない。冷たい汗が、背を濡らす。
船上では刀の業など通用しない。ただ突いたり振り回したりするだけだ。
致命傷を与えることは目的としていない。いや無理である。
「ワアァ――」
雄叫びを上げ、突いて、斜め左右に切り下す。
それだけで相手は尻餅をつき、這って逃げた。モンゴル兵は草原での戦いなら勇猛果敢であるが、一対一の切り合いなど、ほとんど経験したことがない。それも、足元が不安定な船上である。さらに、弓を射かけたり長槍で突いたりするには、近すぎた。
そのうちにアヅミたちも数を増した。敵兵を短槍で突き、海へ蹴落としていく。短時間で、甲板上を制圧した。他の二隻も、ほぼ同様であった。
高麗兵の対応は、様様であった。高麗は、満州族(女真族)が多数を占めていた政権である。ツングース系の満州族は、朝鮮半島と接する大陸地域で狩猟と牧畜、多少の農耕を営み、暮らしていた民族。ちなみに高句麗は、満州族の建てた国だ。
モンゴルとは敵対したり臣従したりと、複雑な関係を持っていた。
よって、モンゴルの信を得ようと積極的に戦いへ参加する者と、反感を持ちながらも従っていた者に分かれている(この時代、朝鮮半島は、すでにモンゴル国が実効支配していた)。後者は、すぐに降伏した。
水夫として乗っていた朝鮮半島のアヅミたちは、高麗人などからは「海島人」として差別されていたため、報酬に釣られてか強制的に徴用されたかであった。したがって、抵抗することもなく指示に従った。
旗艦の屋形の上に降り立ったフウカは、身体の席をマオに譲った。
意識は保っていたが、ただ宙に浮いているだけであった。
身体が勝手に動き、敵兵を薙ぎ倒していった。文字通り舞を舞っている感じである。血しぶきが飛ぶわけでもないので、闘っているという実感はなかった。まさにVR(仮想現実)ゲームをやっている感覚だ。
(何だ? こんなものか――)
カイトから闘いの恐怖と悲惨さを聴かされていたので、ビビっていた。しかし、それほどでもなく拍子抜けしたくらいだった。
一曲分の舞踏が済んだ頃合いで屋形の上へ戻り、「ファル」を呼んだ。
上空を旋回していた愛機が、頭上にやってくる。
念じると身体がフワッと浮き上がり、難なく接続器具を装着することができた。
一気に上昇した。
何気なく海面に目を遣って、息を飲んだ。
吐き気が込み上げ、吐いた。
恐怖で、身体が震えている。
船の周囲は、血で染まっていた。
多数の鮫が群がり、敵兵を海中へ引き込んでいた。
大陸育ちの人間が泳げるはずもなく溺れるか、血の臭いを嗅ぎつけたサメたちの餌食になるのかは、しごく当然のことであった。
そこまで想像が、及ばなかった。
直接、相手を殺傷したわけではないが、フウカが手を下したことには変わりなかった。
目を背け、島へと向かった。
何とか出発点の高台へ、たどり着くことができた。
機体から接続器具を外し、よろめくように座り込んだ。
身体の震えは、まだ止まらない。
「どうかなされましたか?」
フウランが駆け寄って来て、心配そうに声を掛けた。
手布を取り出し、フウカの口の周りを拭いた。
巫女たちも集まって来て、担架に乗せ、神殿へ運び込む。
その間、フウカは目をギュッと閉じて、胎児のように手足をすくめていた。
身体は、小刻みに震えたままだ。
布団の上へ置かれ、薬湯を無理やり口の中へ注ぎ込まれる。
薬のせいか意識が遠のき、深い眠りに入っていた。
目覚めると、自室の寝台の上だった。
窓の外は、すっかり日が暮れていた。
燭台の明かりにカイトの姿が、映し出された。
椅子に腰かけ、腕組みをし、目を閉じている。
(戦いの後始末に忙しいはずなのに……)
状況から考えて、たぶん勝ったと思う。それでも戦後処理は、大変だったに違いない。今も、関係者は忙しく立ち働いていることだろう。
「お目覚めですか。姫様――」
控えていた侍女が、声を掛けてきた。
「ええ、世話を掛けました」
上半身を起こし、なるべく姫様らしく答える。
パニック状態は、収まっていた。
「どうやら落ち着いたようだな」
カイトも、言葉を添えた。
表情は、沈着冷静そのものだった。口調も、重重しい。
「勇者様」が、板に付いている。茶化す気にもならない。
「……戦いは?」
いちおう尋ねてみる。
「勝ったさ。
予定通りかな」
サラッと、答えた。
「ごめんなさい……、パニクっちゃって――。
迷惑を掛けた?」
おずおずと、上目遣いで問う。
「そんなことはない。
想定の範囲内だ。
あの程度で済んで、よかった」
「……?」
「激しい肉弾戦になったらマオが、やり過ぎてしまった可能性があったからな。
そうなったら、君の精神は、もっと深刻な状態になっていた」
「けっこう傷ついているんですけど……」
ムッとして、言葉を返す。
「そうかもな。
君は『間接的には、自分のせいだ』という罪悪感で自分を責め、心を乱した。
しかし、それは現代人の思考、倫理観の結果に過ぎない。
それが悪いとは言わない。だが、この時代で、しばらく過ごすとしたら、また辛い思いを味わうことになることは覚悟しておいてほしい」
「……」
カイトの言う通りなのだろう。反論できなかった。
巻き込まれたというかたちではあるが、この時代へタイムトリップしてきたのは、自分の決断である。
「君は日本史の授業で、『元寇』を学んだだろう。
日本を攻めようとしたモンゴル兵が、対馬や壱岐の島民を、どのように扱ったか知っているかい?」
「うん、先生が話してくれた。
掌に穴を空けられて、船べりに吊るされたって……」
「もし今回の戦いで我々が負けていたら、どうなっていたと思う?」
「九州本土へ侵攻するときに、同じように扱われるかも……」
夢で見た光景は、負けた時の私たちの姿だったかもしれない。
「――だよね。
そんな目に、島の人たちを遭わせたいかい?
その吊るされた列の中に、君もいるかもしれない」
「絶対、イヤ!」
「――だったら?」
「戦って、勝つしかない――」
カイトは意地が悪いと、フウカは思った。
そういう結論にしかならなかった。
「君の受け入れ難い気持ちは、良くわかる。
僕らは、基本的人権、平等や平和主義といった考え方を当然のものとして育ってきた。
でも、人間の歴史をたどってみれば、それらは近代以降の一時期の話でしかない。
しかも、現代社会であってさえ、世界中で共有されているわけではない。
戦後の日本が、特別なんだ。むろん僕らにとっては、幸運で喜ばしいことなんだけどね」
「……」
講義調の語りであったが、それはそれで理解できた。
モヤモヤした気分は晴れなかったが、心は少し落ち着いた。
「僕は前の旅で、戦いの修羅場を何度も経験した。
自分の刀で、生身の人間を刺殺したこともある。流れる血が、刀を伝わって自分の手を染める光景と感覚は、忘れることができない。
それで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になった。今も、治ってはいない。ただゼンが脳をいじって影響が出ないようにしてくれているから、何とかやっていけているけどね」
カイトの旅の話は、ときどき聴いてはいたが、戦いで負った深い心の傷については、初めって知った。
(……私だったら、とても耐えられないだろうな)
その時のカイトは、フウカと同じ年齢だったはずだ。
「君には、同じ体験や思いを味わせたくない。
できる限り配慮するよ」
「……『できる限り』なんだ――」
「うん、『できる限り』だ。
僕は、神様じゃないからな」
軽い言い方ではあったが、正直ではあると思った。
自分のことは、自分で責任を持つしかない。
侍女が、迎えに来た。
夕食ではあるが、祝宴というかたちになろう。
「ああ、今から向かう」
重苦しい空気を振り払うが如く明るい笑顔で、「勇者様」が答える。
また「一幕の芝居」に付き合わなくてはならない。
フウカも自分の頬を両手でパチンと叩き、「風の姫」を演じる態勢を取った。
祝勝会の舞台は、笑顔と喜びで満ちていた。
後始末が終わったわけではないが王族や貴族、武将、アヅミの長などが顔を揃えた。
まずは、直接の関係者だけで祝おうというわけである。
「お待ち申し上げていました!」
トカムの国王、徳義高が満面の笑みを浮かべて立ち上がり、上座の席へ誘う。
他の出席者も皆、立ち上がり、両掌を胸の前で重ね、深々(ふかぶか)と頭を下げる。
カイトがフウカの手を取って着席させ、自分もおもむろに腰を下ろす。
フウカは笑顔を絶やさずに参列者を見渡す。
集まる視線が、熱い!
「皆の者、本日はご苦労であった。
島の神々、勇者殿ならびに『風の姫』のお導きの下、武人はもとより民草まで心を合わせ難敵に立ち向かい、見事に打ち払うことができた。
喜ばしきこと、この上ない。
感謝の念を捧げると共に、嘉日を祝おうぞ!」
義高が開宴の辞を述べ、将軍の音頭で乾杯、国の重鎮たちの祝辞へと続いた。
フウカは笑顔を作り愛想を振りまきながらも、うんざりしていた。
(豪華な結婚式の花嫁さんって、大変ね。
私の時は、絶対にシンプルにやるぞ!)
心の中で、固く誓った そんな益体もないことを思いながら隣をチラッと見ると、カイトが澄ました顔で酒を口に運んでいる。
(えっ、ひょっとしてカイトさんが新郎?)
なぜか胸がドキドキして、顔に血が上った。
宴たけなわともなると、人が次々と挨拶にやってくる。
テキトウに合わせていたが辟易し、とうとう我慢できなくなった。
「ちょっと風に当たりに――」
王とカイトに断りを入れて、席を立った。
侍女たちが、付き添う。
内庭へ出て、石のベンチへ腰掛ける。
ほてった肌に夜風が、気持ち良い。
満天の星空を見上げていると、昼間の殺伐とした戦闘など、嘘のように思えてくる。
しばらくしてフウランも、宴席から抜け出てきた。
大人たちのドンチャン騒ぎなど一四歳の少女にとって、退屈で不快なだけであろう。
「フウランも涼みに来たの?」
「ええ……」
短く答えた。
(何か様子がヘンな感じ……?)
いつものフウランだったら、目を輝かせて今日の武勇談を聴きたがるはずだ。
取り敢えず隣へ座らせる。
姫二人の侍女たちが、いつの間にか側から消えていた。
有り得ないことだった。
「今日は、お疲れさまでした。
首尾よくいきましたね」
フウランが、謎めいた笑顔を向けてきた。
(――これ、フウランじゃないな)
直感した。
「あなた、誰なの?」
眉をひそめて問う。
「よくわかったわね。
さすが『剣姫』だ」
語調が、変わった。