鎌倉時代の空をハンググライダーが舞う――「風の姫」さまぁ!
(な、なに言ってんのよ。
バカ、バカ、バカ!)
内心で叫びながら、フウカはキッと睨んだ。
カイトは、平然とした表情で解散を告げた。
「私に何をさせようとしているの?
ハンググライダーで飛ぶくらいはできるけれど、それだけよ」
帰り道、カイトに小声で文句を言った。
「それでいいさ。
ちょっと小技を付け加えてもらうけれどね」
ニヤッと笑いながら、答えた。
「……?」
何を考えているのかわからないが、もう任せるしかなかった。
翌朝、侍女たちに着替えさせられた。
錦織で金糸の細かい模様が入った赤い頭帯、羽が挿してある。
前髪が少し、頭帯の上に掛かっている。
服装は、薄茶色の上衣と膝上の短い袴、革ベルトを巻いている。
その上から動きやすさを優先したチョッキ風の革鎧と垂れを装着、麻紐を編んだ草鞋、鉄鋲を打った脛当て、膝当て、肘当て――といった戦装束で身を固めていた。
(どこの『戦闘少女』じゃ!
コスプレも、いいとこだよ。私に、そんな趣味はない)
鏡に映った自分の姿にツッコミを入れた。
両脇で侍女たちが、満足そうな顔で立っている。
玄関で待っていた輿に乗せられ、運ばれていく。
着いた先は、芝生が広がる岬であった。
すでに大勢の人々が参集していた。
王と王妃、姫たち。貴族、武人、神女団――。
それだけなく見知らぬ人々も見受けられた。
寄留商人だろうか宋風の服装をまとった人の他、アヅミの長と思われる文身の入った赤銅色の肌をした筋骨たくましい壮年の男たちだ。
輿から降り立つと、人々がザザッと膝を折った。
カイトが近寄ってきて手を取り、一同の前に立たせた。
「知っての通り、大陸からの敵が間近に迫っている。
本来ならば、我らになすすべのない災禍となるところだ。
だが、幸いなことに救世主が顕現なさった。
三百年余の時を経て、神聖女王様の盟友であらせられる勇者様と、霊的に双子の姉妹であらせられる姫巫女様である」
王が立ち上がって、大音声を発した。
貴人たちは両膝を地に着けて両手を合わせ、前に掲げる。
その他の者は、一斉に額づいた。
「皆の者、頭を上げよ。
我らは神聖女王の要請を受けて、この地に参った。
我にとっては、懐かしき地である。
この麗しき我らが国土を汚させてはならぬ。
力を合わせて打ち払おうぞ!」
武人の装いに身を固めたカイトが大剣を地に突き、王に負けぬ声量で促した。
「オオオオオオッ――――――」
武人やアヅミたちが、鬨の声を上げて応える。
カイトは片手を挙げて制し、言葉を続けた。
「こちらにいらっしゃるのは、神聖女王の霊的姉妹である姫巫女殿だ。
女王と同様、我が友でもある。
本日は、その霊威の一端をご披露下さるそうだ。
しかと目に焼き付けるとよい」
昨夜、披露するパフォーマンスに関する打ち合わせをおこなったが、改めて衆人の前で言われると、恥ずかしくてならない。
(ハ、ハハハ……、私、そんなに大した者ではないんですよ)
心の中で、打ち消す。
顔には笑みを浮かべているが、内心は、トホホといった感じだ。
みんなの期待に満ちた視線が、痛い。
人々の歓声は、止むことがない。
皇族風の「お手振り」で、その場をやり過ごす。
しばらくしてから岬の先へ移動した。
ハンググライダーの「ファル」は、荷ほどきされていた。
フウカはカイトに手伝ってもらいながら、手際よく組み立てていく。慣れた作業をしていると、気持ちの方も落ち着いてきた。間もなくセッティングが終了した。翼の白が、眩しい。 訓練場にいるときの感覚が、身体を満たしていく。
最後に「白い犬の御守り」をベースバー(操舵棒)の真上辺りの主軸へ結んでブラ下げた。
この御守りは昨夜、フウランから手渡された。「壱岐の宮」伝来の秘宝として、代々受け継がれてきたものだという。「剣の守り人」が現れたら献上するようにと言い伝えられているとのこと。
金糸の刺繍で彩られた緋色の袱紗に包まれた木彫りの像を見て、マオが腰に下げていた物だと、すぐにわかった。千数百年の時を経て、よく失われなかったものだと感心した。
掌の上に載せると、下半身から熱いものが込み上げてきた。自然と涙が流れ出す。フウカ自身も、驚いた。おそらくマオの感情なのであろう。
マオにとって、眷属というより最も身近で安心できるパートナーであった。いざというときは、御守り以上の働きをしてくれるに違いない。
フウカは装備を身に付け、愛機を背にして立つ。
右手を挙げた。
グライダーがフワッと浮き上がり、スウッーと頭上まで来ると、ゆっくりと降下し始めた。
「オオッ!」
感嘆の声が、周囲から上がる。
フウカは、機体の動きに合わせて身を沈め、片膝をつく。
カイトが、翼の前方を支えてくれた。ハーネスを連結させ、グッと翼を持ち上げながら立ち上がる。
海に向かって、一気に斜面を駆け下りた。
向かい風を受けてグライダーは舞い上がり、フウカは宙に浮く。
身体を水平にし、バーを両手で握り締め、顔を上げる。
目の前に先導するシナト姫の姿があった。
振り向いて、ニコッと笑い掛けた。
全身を包む大気の流れが感じられた。何とも心地よい。
上昇気流に乗って、高度を上げる。
コバルトブルーの海と環礁内のエメラルドグリーンのコントラストが、とても美しい。
大きく旋回してみる。
三角形の岬の芝生の上には、こちらを指さしたり、手を合わせて拝んだりしている人々の姿があった。
久しぶりの飛行だったので、肩慣らしをするべく様々な技法を試してみた。
以前の感覚が戻ってきたところで、帰還することにした。
岬に向きを変え、ライディングの準備に入る。
高度が数メートルにまで下がったところで、ふと悪戯心が起きた。
以前、訓練場で失速し、墜落しそうになったとき、不思議な力が働いてゆっくりと着地したことがあった。
そのことを昨日、カイトに話した。
「――君は、風を操ることができる。
つまり大気を自在に動かせるんだ。
たぶん念動力が、使えるんだろうな」
ちょっと考えてから、答えた。
「は、はは……、そんなSF小説みたいなこと、私にできるはずがないよ」
いわゆる「サイコキネシス(念力)」が使えるんじゃないかと言ったのだ。
(私って、超能力者なの?
バカバカしい)
全力で否定する。
でも、あのときの現象は、それとしか考えられなかった。
母は「シナト姫が、助けてくださった」と言っていたが「念動力が働いた」と考えた方が、まだ納得ができた。
シナト姫の姿は、幼いころからのイメージ・トレーニングの結果だと思っていたからだ。
「この世界には、霊界が強く干渉している。
意外なことではない」
真面目な顔つきでカイトは、断言した。
(じゃあ、実証してみようじゃないの)
このくらいの高さなら、着地した際の転び方さえ上手くすれば、大けがをすることはないはずだ。
フウカは、空中で装備を外す。
身体が、ストンと下がった。
(落下する!)
しかし、身体は、宙に留まった。
思わず両手を広げ、羽ばたくようなしぐさをしてしまった。
ゆっくりと降下し、無事に着地できた。
「オォォッ―――」
驚愕の声が、上がる。
とくに鳥をトーテム(神聖な象徴)とする神女団の巫女たちは、歓喜の様相を表していた。中には、感極まって涙を流している者もいた。
グライダーは、紙飛行機のように自然な動きで着陸したようだ。
「『風の姫』さまぁ!」
まっさきにフウランが、小走りで駆け寄って来た。
顔を真っ赤にして、半泣きの状態である。
(『風の姫』って誰よ?
えっ、私――)
ドンと飛びついてきたフウランを、あやしながら落ち着かせる。
「上手くいったな。
パフォーマンスとしては、上々の出来だった」
ニヤニヤしながら、カイトが声を掛けてきた。
ねらい通りだったようだ。
いつの間にか取り巻かれていた。
人々は、口々に「風の姫様」と、言い合っている。
(また呼び名が、増えたわけ?
『剣の守り人』『剣姫』、今度は『風の姫』か……)
人の口には、戸が立てられない。諦めるしかなかった。
「まさに風の精霊様としか思えませんでした。
私ども巫女が鉢巻きに挿している鳥の羽は、『風直り』と言います。
風を操る力が、アヅミたちから期待されているからです。
それを見事に実証なされました。
私ども神女団の長として、霊威をお示しいただけましたこと、身が震えるほど感動いたし、また、感謝の念が沸き起こりました」
足元に跪くフウランが、両手を握りしめながら語った。
地に伏せる他の巫女たちも、コクコクと頷く。
その外側で控えるアヅミの長たちも、熱い眼差しを送ってくる。
どうやらカイトの目論見は、達成できたようだ。
神女団を掌握し、アヅミたちの信頼を勝ち得ることに成功したらしい。
これで、防衛戦の軍勢は確保できるであろう。
「皆の者、よく聴け!
これより『風の姫』を陣頭にいただき、寄せ来る敵を打ち払う体制を整える。
この後、軍議を開く。兵士、アヅミはもとより我らが郷土を愛する者は、皆、集え!」
人々の熱気が冷めないうちにカイトが、そう呼び掛けた。
この場で、臨時の集会がおこなわれるもようだ。
(やれやれ、私の役目は、これで終わったよね)
フウカは、その場を離れ、愛機「ファルコン」のところへ向かう。収納作業をおこなわなくてはならない。
興味半分で付いてこようとする人々を兵士たちが、追い払う。
まず「犬の御守り」を取り外し、腰のベルトへ結んだ。無意識のうちの動作だが、マオの意が働いていたのであろう。
収納作業を終え、フウランだけを伴って神殿へ戻る。
神聖女王の像の前で、今日の次第を報告する。
蝋燭の炎が揺れ、美華が微笑んだような気がした。
一仕事を終えた満足感が、心地よい疲れと共に身体を満たした。
(本番は、これからよ。
頑張らなくちゃね)
迷いや不安は、いつの間にか消えていた。
気持ちも、前向きになっている。
宮殿の自室へ移動して、寝台へ転がり込んだ。
いつの間にか眠りに入っていた。
マオが、先ほどの岬に立っている。
空は、どんより曇っていた。
長い棒を片手にして地を突き、仁王立ちの様相だ。
厳しい視線の先には、敵船団が舳先を揃えて並んでいる。
示威行動なのか数隻が陸地に近づき、船腹を見せてはターンして戻っていく。
舷側には、人が吊るされているようだ。
映像が拡大される。
服装から見て、どうやら奄美の島人らしい。襲撃され、捕らえられた人たちか?
掌に穴を空けられ、麻縄を通し、簾のようにズラッと並べられていた。
壮年の男や女はもちろん、老人や子どもも混じっている。
息があるのかないのかは、わからない。
(日本史の授業で習ったことがある。
確か元寇のとき、対馬や壱岐島で捕らえた島の人を吊るしたとのことだった)
その残酷さに吐き気がした。戦闘員でもない人々を狩って、獲物のように扱う。
教師の説明では、「肉の盾」としたのではないかとのことだった。
猛烈な怒りが湧き上がってきて、身を震わせる。
これもフウカの感情というよりも、マオのものあろう。生前、似たような場面に立ち会ったことがあったのかもしれない。フウカ自身には、まだ映画の一シーンを眺めているような距離感があった。
(……でも、これから本当に起こるかもしれない。
『予知夢』なんだろうか?)
リアルで目撃したら、とても耐えられないであろう。
カイトの言葉が、思い起された。
飛び起きた。肌に触れてみる。冷や汗をかいていた。
扉から侍女が飛び込んで来た。
「姫様!
どうかなされましたでしょうか?」
心配した表情だった。
叫び声を耳にしたようだ。
「ごめんなさいね。
ちょっと夢見が悪くて、うなされてしまったみたい」
謝って、落ち着かせる。
窓の外を見ると、すでに日が暮れていた。
侍女は、夕食の準備ができたことを知らせに来たところだったという。
身支度を整え、食事の場へと向かう。
国王夫妻と娘の三姉妹が、席に着いていた。
カイトも座っていて、片手をちょっと挙げた。
王の隣の椅子が引かれた。カイトとの間の席となる。
「だいぶ疲れてしまっていたようだね」
カイトが、気遣いの言葉を掛けてくれた。
「久しぶりだったから、ちょっとね。
でも、楽しかった」
飛行自体は、確かに心躍る体験だった。
その後の悪夢さえなかったら、まだ高揚した気分に浸っていられたかもしれない。
フウランの憧れに満ちた視線に気づいた。何か言葉を発したがっているようだ。
ニコッと笑い掛ける。
「風の姫様、本日は、ありがとうございました。
私にとって一生、忘れることができない日となりました。
感謝の念にたえません」
急くように語り掛けてきた。「風の姫」の呼び名は、彼女の中で定着したらしい。
「これ、失礼ですよ!」
王妃の叱責が飛ぶ。
王の挨拶が、まだ済んでいない。
「あっ、申し訳ありません……」
肩をすくめる。
「まぁ、よい。
客人を迎えてはいるが、身内の席だ。
姫、勇者どの、お許しください」
王の謝罪に二人は、笑顔で頷く。
「それにしても、これで一挙に態勢が固まりましたな。
整うかどうか心配しておりましたが、なんとか迎え撃てそうです」
王は、心から安堵したように言った。
「いや、まだ為すべきことは山積しています。
これからが正念場でしょう。
また、時間との戦いになります」
カイトは、戒めの言葉で応じた。
いつものフウカなら「姫と勇者なんて、『ドラ○エ』か」と、心の中でツッコミを入れるところだが、今はカイトの意見に同意した。
先ほど見た夢のシーンを思い浮かべた。
(……敗けたら私たちが、あのような目に遭う)
九州本土攻撃の際に、「肉の盾」として使われるであろう。
気持ちを引き締める。
食事の後、カイトと二人で今後のことを打ち合わせた。
敵の来襲予定まで、後十日ほどだ。
「これを渡しておくよ。
人を相手に、剣は使えないだろうからね。
如意棒だ」
長さ八〇センチ弱の金属製の棒だった。両端には、黒いゴムキャップがはまっている。
片手で、軽く振ってみた。合金なのか見た目よりは軽い。
両手で端を持って引き延ばすと、倍の長さとなった。立って床に突くと、ほぼフウカの身長と等しい。警備員が、暴漢を制圧するときに使うものなのだろう。
下腹部で不思議な力が渦巻き、上昇してくる。すぐに手の指先まで届き、握った手に力がこもる。
(マオが、喜んでいる。慣れ親しんだ武具だからな)
フウカは、マオに身体の席を譲ることにした。
目を閉じ、深く呼吸を整える。瞑想状態に入った。
マオの運動中枢が、身体の動きを支配した。主な意識はフウカのままだが、身体が勝手に動き出した。
棒を構え、左右に振る。
棒術の様々なかたちが、繰り広げられた。
(あれ、まあ!
名人になったみたいだ)
自分の身体の動きに、感心してしまった。
だが、たちまち息が上がり、急速にパワーダウンしてしまった。
幼い頃から山の中を駆け回っていたマオと異なってフウカは、普通の女子高校生である。ハンググライダーを操るため基本的な運動は欠かしていないが、鍛え方が違う。
「――少し身体を鍛えてもらわなくてはいけないな」
カイトが、ちょっと困ったような顔で言った。
「そんなの無理よ!
後、十日でしょ?」
ふくれっ面になって反論する。
「……」
言葉が、返ってこない。
カイトも、わかっているからだろう。
「対策を考えてみるか……」
そのセリフを最後に打ち合わせは、終わった。
寝室に戻ったフウカは、寝具の上に身を投げ出し、「大の字」になった。天井を仰いで、ため息をつく。
カイトの意図は理解していた。敵前で、せめて最初のうちくらいはカッコ良いところを見せないと、味方の士気が上がらない。
(……でも、できないものは、できないよ)
そんなことを思っているうちに、眠ってしまった。
誰かが、クスクス笑っていた。
(何よ!
運動音痴の私が、そんなにおかしい⁈)
ムッとした。
目の前に胡坐をかいたマオの姿が、現れた。一五、六歳に見える。
麻袋製のような貫頭衣に荒布の帯、短い袴を穿いている。山暮らしの頃の服装であろう。
ボーイッシュな髪型、太い眉の下に強い光を宿す両眼があった。こちらをジッと見つめていた。
『マオなの?』
『ああ、そうだよ』
短い会話が、交わされる。
(とうとう現れた)
マオの一生は見続けてきたが、話すのは初めてだ。
身体の中に居るとは言われていたが、実感はなかった。
『……どうしたらいい?』
端的に問い掛ける。
『身体ができていないのは、仕方がないな。
だが、これから様々な敵兵や妖獣と闘わなくてはならぬ。
鍛えていく必要があろう』
『でも、今からじゃ、無理だよ』
『――確かにな。
当面の敵に対しては、我が身を貸し与える』
『……?』
『ただし汝らの時間で一回、三分から五分くらいしか保てぬ』
(ウル○ラマンかぁー―)
思わずツッコミたくなった。
たぶんマオの体細胞情報を一時的にコピーすることで、無理やり賦活(強制チャージ)させるということなのだろう。一種のドーピングである。筋肉増強剤を一気に注入するのに等しい。
だったら長くは、維持できない。フウカの身体が、ダメージを受ける。
『……なんとか頑張ってみる』
そのようにしか言えなかった。
『じゃぁ、試してみよう』
マオが近づき、身体が重なった。
『痛い! 痛いよ』
叫びを上げる。
体中の筋肉がきしみ、波打っていた。
ドックン、ドクンと血と体液が、細胞の一つ一つにまで浸潤していった。
「姫様、朝でございます。
お召し替えを……」
侍女が声を掛けてきた。だが、言葉が、途切れた。