巨大エイ「飛丸」を召喚ーー海上を滑空して巫女の下へ
「フウカ、戻ったか?」
遠くから声が聴こえてきた。自分は暗い穴倉の底に居て、上の方から呼び掛けられている感じだ。
伏せていた身体が、誰かの手によって引き起こされる。
視界が、だんだんはっきりしてきた。
フウカは、神聖女王像の前に据えられた壇の上に居た。二畳ほどの広さ、金の錦織で縁取りされた朱色の毛氈が、敷かれている。胡坐をかき、懐剣を胸元で握り締め、目の前の人影を見た。
「カイト……」
ボンヤリとした声で、答えた。
(長い夢を見ていたのか?)
切れ切れの記憶をたどりながら、フウカは思った。
燈火によって浮かび上がった神聖女王像が、微かに笑みを浮かべたような気がした。
(ミカ、マオ……)
二人の顔が思い浮かび、涙が頬を伝わった。
「うん、大丈夫。
ミカ、……神聖女王様と一緒に旅をしていたの」
涙を指先で拭い、笑顔を作って答えた。
「……そうか。
ミカは、元気だったか?」
カイトの顔と声は、切なげだ。
「元気だったよ。
かわいくて、すてきな人ね」
「……」
「カイトのことは、いつも見守っているみたいよ」
「ありがたいな」
嬉しそうな表情が浮かんだ。
(時代を超えた恋愛関係なんて、有り得ない話だけど、気持ちはわかるな)
まだ恋愛経験のないフウカであった。ちょっと羨ましく感じた。
(でも、やっぱりリアルが良いよね)
直接会えないなんて、辛過ぎる。
「ミカとフウカは、魂レベルでは、双子の姉妹みたいよ。
ミカが、お姉ちゃんなんだ」
「ほう――」
興味深そうな反応を示した。
「まっ、それは、さておき、着替えよう。
やらなくちゃいけないことが、まだたくさんある。
立てるか?」
カイトが、手を取った。
「うん、わかった」
足は、しびれていないようだ。
倒れ伏していた時間は、約十分ほどだったという。
周りを取り囲んでいた巫女たちが、駆け寄って来た。
二人の会話に耳を側立てていたので、フウカが神聖女王の縁者であることがわかったらしい。どことなく距離感があった接し方が、急に恭しくなった。
神聖女王とフウカの関係を示して、神女団の尊崇を集めるのが、この儀式を企画したカイトの目的であったのだろう。その点では、効果があったようだ 普段着に着替え、神殿のバルコニーで、くつろいでいた。
マオの一生をたどった長い旅の記憶は、フウカに「剣の守り人」としての覚悟を促した。また、自分の身体の中にマオの人格が宿っていることも、感じさせた。「目醒めを感じた」と言った方が適切かもしれない。
目の前には、テーブルをはさんでカイトが座っていた。海の方を眺めている。
「カイトさん、次はどうするの?」
予定を尋ねた。
「味方を増やさなくてはならないな。
まずは、海上で敵艦隊に打撃を与えられるような戦力が必要だ」
「この島にあるの?」
「戦艦として使える大型船は三隻あるが、それだけでは足らないだろうな」
「他に当てはあるの?」
「……他の商団の力も借りるつもりだが、正直言って心もとない。
本格的な戦いは未経験だろうし、寄留民なので戦意も高くないはずだ」
「マズイじゃん!」
「ああ……」
カイトは、それだけ言って口をつぐんだ。
腕組みをしてジッと、考えている。
戦いの経験は豊富なはずなので、頭の中でシュミレーションしながら策を練っているのだろう。
「戦闘員の主力は、やはりアヅミたちを頼るしかないな。
そのためには彼らを束ねる神女団の力が、必要だ。
さっそくだが、ひと働きしてもらうよ」
ニヤッと笑い、フウカに視線を向ける。
「えぇぇぇ――、私、どうしていいいか、わからないよ」
素っ頓狂な声を上げる。
「君ならできる。
何とかなるはずさ」
カイトは気楽に言うが、どうすればいいのか見当もつかない。
「はぁ――?」
「後は、任せた」
反論しようとするフウカの眼前に、片手の掌を広げて制止し、さっと立ち上がって席を離れた。
取り残されたフウカは、呆然としたまま海の方へ目を遣った。
港へ下りる。
もう夕暮れ時となっていた。
凪いだ海原は、すでに金のきらめきを浮かべている。
停泊した大小の船が、静かに在るだけで、人影はない。
フウカは、伏せられた大きな木の箱の上で胡坐をかいていた。
目的があるわけではなく、何となく腰を下ろしているだけだ。
途方に暮れていると言ったほうが良いかもしれない。
(丸投げされても困るよ……)
心の中でカイトに恨み言をつぶやく。
「風華様、夕涼みですか?」
脇から声を掛けてきた者がいた。
「ああ、フウラン。
……ちょっとね。
あなたは――?」
フウカは笑顔を浮かべ、少女の方を見た。
白装束で身を固めている。
「お勤めをおこなうために下りてまいりました」
水平線に沈みゆく陽に向かって、一日を無事過ごせたことへの感謝の祈りを捧げるのだという。
「――何かお困りのことがございますか?」
フウカの表情から、察したようだ。
「じつは、カイトさんから難題を吹っ掛けられたの」
「まぁ、カイト様から⁈」
敬意のこもった語調であった。
フウランにとってカイトは、伝説上の勇者だ。憧れに近い心情を抱いている。
「私、何にも知らないのよ。
なのに一方的に押しつけるんだから――」
タメ息をつきながら、グチをこぼした。
「カイト様のお言葉ですから、何かお考えがあってのことでしょう」
フウカに共感はしてくれなかった。
それでも行き詰っているので、カイトとの話を告げて、何か良い案はないか尋ねてみた。フウランは見習いではあるが、神女団の一員である。また、将来は、巫女たちを率いることになる。それは同時に、アヅミたちを動かせる立場になるということだ。
「……そうですねぇ。
アヅミたちに働いてもらうことは、できると思いますよ。
問題は、戦いの方法でしょうね」
ちょっと小首を傾げただけで、あっさりと言い切った。
「私に考えがございます。
明日の朝、またここへお越し願えますか?」
「もちろん大丈夫よ」
フウカは、勢い込んで答えた。
「溺れる者は、藁をもつかむ」といった心境である。二言はなかった。
その後、祈りの場へ向かって立ち去るフウランの背中を見送りながら、フッと思ったことがあった。
(これって、ミカの仕業かな?
子孫だもんね)
偶然ではない気がした。
クスクスと忍び笑いをしているミカの顔が、思い浮んだ。
明け方、時を告げる「一の太鼓」が鳴ったのを合図に港へ下りた。
港では、日課である朝の祈りを済ませたフウランが、巫女二人を従えて待っていた。
「おはようございます」
フウランたちは胸の前で掌を重ね、深々と頭を下げた。
「うん、おはよう!」
朝の陽光に目をしばたたかせながら、挨拶を返す。
昨夜はあれこれ考えていて、よく眠れなかった。まだ、頭がボンヤリしている。
案内されて港の桟橋へ向かった。カイトも同行していた。
石組みの堅牢そうな造りで、突堤の周囲は水深七メートルくらいありそうだった。
巫女たちが風呂敷包みをほどき、香炉などの祭具を取り出して並べ始める。
「何をやるの?」
「眷属たちを招きよせるのです」
「眷属って、イルカたちのこと?」
マオの人生を追ってきたので、「イルカ招きの儀式」は見て知っている。
「似たようなものですが、イルカではございません」
控えめな微笑みを浮かべながら、答える。
「……?」
マオが様々な鳥や獣を操ることができることはわかっているが、海の生き物で戦力となりそうなものは、思い浮ばなかった。
(クジラでも呼び寄せるのかな?
――まさかね)
クジラの友人がいたことは、カイトから聞いていた。イルカの親戚だから、この島の巫女なら可能なのかもしれない。しかし、今は夏だ。クジラが近海にいるのは、冬から春にかけてである。
そんなことを考えているうちに祭儀の準備は、整ったようだ。
海に向かって設えられた香炉などの祭具を前にして、フウランとお付きの巫女が、祭文を唱え始めた。
しばらくすると、沖の方から何かの群れが、海面を飛び跳ねながら向かってくる。急速に近づいてきた。
「何よ、あれ⁈」
思わず声が出た。
ハンググライダーに似ているが、長い尻尾が伸びている。全体的に茶色っぽく、前面に目らしきものがあった。
(エイだわ――。
マンタというやつだ。
それにしても、デッカイ!)
イトマキエイであった。亜熱帯から熱帯の海に生息する。スキューバダイビングで遭遇する人気の海洋生物である。
横幅は最大九メートル、体重三トンにも達する。全体としては横長の菱形で、長い尾を有する。毒針は、ない。頭部に胸ビレが変化した二対のヘラ状突起があるのが特徴だ。
性格は温厚で、人にも警戒心を示さない。脳も魚類の中では最も発達していて、牛や馬くらいの知能を持つとされる。
沿岸では集団で行動することがあり、ときどき海面上に飛び出しては紙飛行機のように数メートルも滑空する。
先頭のリーダーらしきマンタが静かに岸辺へ近づき、フウランの足元まで寄って来た。八畳間くらいの大きさだ。
ヒレをあおって「ザバッ」と頭部を持ち上げ、ヘラ状突起と目を海上にのぞかせる。
「飛丸、よくぞ参った。
そちに頼みたいことがある」
フウランはかがんでトビマルと目を合わせ、微笑みを浮かべながら言った。
(エイと話ができるんだ!)
フウカに、また新たな驚きが加わった。
「一族を率いて、敵を打ち払って欲しい」
信頼関係があるのだろう。ごく自然に依頼していた。
「私が、乗せてもらう。
頼んだぞ」
脇からカイトが、言葉を掛けた。
Tシャツに短パン、膝当て、草鞋履きといった格好で、片手に長い紐を持っている。すでに乗る準備を整えていた。
「ひょっとして私も乗るの?」
上目づかいで反応をうかがうように尋ねた。
「いや、君にはハンググライダーで空から攻撃を仕掛けてもらう。
それも、最初だけだ。仲間に威勢を見せたら、すぐに退いていいよ。
象徴としての儀式みたいなものだ」
「……」
ホッと胸を撫ぜ下したが、わだかまるものがあった。
(みんなと一緒に闘わなくていいの?)
チラッとカイトに目を遣る。
「万が一にも人殺しはさせたくない。
一生、心の傷として残るからね」
しみじみとした口調で言った。
そう言えば、前回の旅では戦闘で敵の兵士を殺し、PTSDを患ったとのことだった。
ここは、「現実世界と霊界が、複雑に折り重なった世界」ではあるが、けしてゲームの中ではない。「生命が息づくリアルな空間」である。ここで死んだら、ゲームのように生き返ることはできないという。現代へも、戻れないそうだ。
「よろしくな。
頼むよ」
そう言葉を発すると、マンタの背に飛び乗った。
サッとエイの顎部分に紐を掛け、手綱とする。
片膝を着いた姿勢で「パシッ」と両手で手綱を打ち下げ、右手を引く。
すると、巨大なマンタは向きを変え、沖に向かって泳ぎ出した。
動きが安定したところで、立ち上がった。
サーフボードを乗りこなしている感じだ。
(なんか手馴れているね。
初めてじゃないのかな?)
そう感じたほど、スムーズな動作だった。マンタとの息もピッタリ合っていた。
「さすが善女竜王様と共に戦場の空を翔けていらっしゃった御方ですね」
フウランは胸元で掌を組み、見惚れたような表情でつぶやいた。
善女竜王は、祭殿の壁画に描かれていた「宙に舞う黄金色の竜」である。カイトを背に乗せて、巨大な怪物と闘った。
竜とエイとの違いはあるが、互いに息を合わせるのには、慣れているのだろう。
カイトを乗せたマンタは、しだいに勢いを増し、海上を跳躍し滑空しながら猛スピードで進んでいった。アッという間に豆粒ほどの大きさとなり、水平線の彼方へ消えていった。一族らしいマンタたちも、群れを成して後に続いた。
沖を見つめ言葉もなく立ち尽くしているフウカたちの下へ、同じスピードを保ったままカイトたちは戻ってきた。往復二〇分も掛かっていなかったであろう。
突堤を飛び越すマンタの上からカイトは、ヒラリと地に降り立った。
「バランスを取るのが、けっこう難しいな。
でも、慣れれば、何とかなりそうだ」
それが、第一声だった。
「よく振り落とされなかったね」
フウカは、驚きを込めた声で、答えた。
「霊力で一体化していたから問題ないよ。
ゼンに騎乗していたときも同じだったからな」
事も無げに言った。
この世界へ来てからのカイトには、驚かされてばかりだ。元の世界で普通の「お兄ちゃん」として会っていた印象からすると、考えられない変貌ぶりであった。まさに「伝説の勇者様」である。
面会を済ませて去っていくマンタたちに、手を振って別れを告げた。
気が付くと巫女たちが、カイトに対して平伏している。
「どうしたのよ。頭を上げなよ」
フウカは、慌てて声を掛ける。
「あらためてカイト様の神威あふれる御姿を拝観いたし、心震えておりまする。
まさに壁画に描かれている通りでございました」
同行してきた巫女長が、額づいたまま言上した。
片膝を着いて胸の前で掌を合わせて頭を下げていたフウランが立ち上がると、ようやく巫女たちも上半身を起こした。
「私どもはイルカたちを招くことはできても、細かく意を交わすことはできません。
神聖女王様が島にいらっしゃった頃は、普通の巫女でもやっていたようですが……。
これも、長年の間に失ってしまったことです」
唇を噛み締め、悔しそうにフウランが語った。
(……ミカって、スゴかったのね)
親しくなって友だち気分で一緒に行動していた美華の顔を思い浮かべた。
気が付くと、巫女たちが、期待を込めた目で、フウカを見上げていた。
(えっ、もしかすると霊的に双子だという風華にも、それだけの力を期待されている?
つまり、私に……)
ハッとした。
(どうしよう。そんな力、ないよ)
フウカは、うろたえた。
所詮、ただの女子高生でしかない。
「明日は、風華様が天空を翔ける御姿をご披露くださる。
皆の者に周知しておくがよい」
カイトが、とんでもないことを言い出した。