双子の姉妹だった美華と風華――御剣を奉じて本土へ
「そろそろ客人のお出ましだ。
備えよ!」
デンは、落ち着いた口調で迎撃隊へ命じる。
深く入り込んだ湾の最奥部。目の前は、砂浜だ。
兵たちは、海岸と陸地を隔てる灌木林に身を潜めていた。
砂浜は、上陸するのに適した場所である。
だが、多少でも戦闘経験のある者なら、真正面から上陸したりはしない。
警戒と下調べが必要であった。当然のことながら、守る側も堅固な防塁を築いているはずだからだ。
実際に島側では、陣を敷いて待ち構えていた。
「上陸誘導」「包囲殲滅」「残敵掃討」の三段構えである。
迎撃部隊は、約二〇〇名。デンの部下を核とした来訪者組が半数、後は島の在住者から志願者を募った。戦闘経験者は六〇名ほどであったが、集団戦では指示さえ的確であれば未経験者でも十分に戦力となり得た。石を投げ付けたり、槍先を揃えて突き立てたりするだけであったからだ。その戦法はギリシャ・ローマ時代から変わらない。
十六夜の月が、天空に掛かっていた。
暗い海上を二隻の大型船と十数艘の小舟が、向かってくる。
隊列は乱れ、我先にと突進して来ている感じだ。
大型船の艦上には、所々で火の手が上がっている。
船影が近づくにつれ、様子がわかってきた。背後から迫って来る船団がいるようだ。
追い込まれているのだ。
小舟が数艘、浜へ乗り上げた。
乗っていた人影がバラバラと飛び降り、バシャバシャと水音を立てながら、駆け上がろうとする。
しかし――。
「ギャッ!」
波打ち際で、それぞれ悲鳴を上げた。
脚を大きく上下させ、倒れ、または、転げまわった。
大量のウニが、砂の中に浅く埋められていたのだ。
草鞋を履いていた者だけが、地雷原を脱することができた。
後続の者たちは、その様子を見て躊躇ったが、背後を振り返り、浜の手前で海へ飛び込んだ。矢が降り注いできたからである。
浜は、静まり返っていた。
難を逃れた者たちが、窪地や岩陰に身を隠す。その数は、しだいに数を増してきた。
追っ手は停船し横列の陣を敷くが、上陸する気配はない。
矢の雨も、止んでいた。
海を睨んで刀剣や槍を構えるが、ホッとした空気が流れた。
突如――。
「ワアッーーーー」
左右から喚声が上がり、鐘や木を打ち鳴らす音がする。
慌てふためいて、キョロキョロと見回す。
身を寄せ、しだいに一団となっていく。
「ヒュン、ヒュン」
矢音が、響いた。
灌木の林から、一斉射撃。
「ウッ!」
「ウゲッ」
背に数本の矢が、立った。
振り返れば胸や腹部を穿たれ、血を吐き、崩れ落ちた。
「掛かれっ!」
枯草や薪を積み、燃え上がらせた荷車が突っ込んできた。
続いて――。
「わあぁぁぁ―――」
槍先を揃えた人々が、押し寄せる。
最前列は革鎧と鉢金で身を固め、金属の鉾や槍を手にしたデンの部下と旅の仲間たち、後詰は竹槍を構えた従来の島民たちだ。
明るい炎に照らし出された敵兵は、対照的に深くなった闇から飛び出してくる襲撃者の姿が、近くにならないと認知できなかった。
むやみやたらに刀剣を振り回すが、振り払えない。串刺しになって倒れていく。
武器を捨てて林の中へ逃げ込もうとする者もいたが、待ち構えていた弓兵に狙い撃ちされた。四半刻(三十分)もしないうちに無傷で立っている敵は、いなくなっていた。
大型船に残った者は呆然と、その様子を眺めている他なかった。
ハッと気を取り戻したときには、甲板が傾きかけていた。船底に穴を開けられたようで、沈没が始まったのであろう。
小舟は、数艘掛かりで追い回され、陸方向へ詰められている。
「これで、一件落着ですかな」
デンが顎髭をしごきながら、縛り上げられた敵兵のかたまりを見ながら誰にともなく言葉を発した。
周囲を人々が、幾重にも取り巻いている。荷車の炎が残っているので、ほのかに全体像が見て取れた。
「うむ、一段落ついた」
マオの声だ。淡々とした語調であった。
背後にたむろしていた島民たちは、まだ興奮が冷めやらぬようで、ざわめきが収まっていなかった。
この一連の騒動は、ある一報が島へもたらされたことから始まった。
マオたちが島での定住を決めて一年近くがたっていた。
湾から川を遡り、中央部の山々が間近に眺められる緩やかな丘陵でムラづくりを開始した。「風水」を鑑みながら建物の位置を決め、築いていった。
最初に手掛けたのは祭殿兼集会所である。
山地を背にした場所に高床式、二層構造の木造建築物を立てた。正面は、陽が昇る真東、海方向だ。
次いで穀物倉庫や武器庫を設け、官舎や一般住居も整備していく。
一般住居は、「竪穴式」である。一見、粗末な掘っ立て小屋に思えるかもしれないが、かなり考え抜かれていた。
地面を一メートル近く掘り窪めることで、寒暖差に影響されにくくなる。地中の温度は、二五・六度に保たれているからだ。
周囲に溝を掘ってあるので、雨水が入ることはない。溝に溜まった水は、排水路によって斜面を流れ下り、集落の周りを取り囲む環濠へと向かう。
茅葺屋根は、三層以上であれば雨漏りを防ぐことができる。通気性も良い。高さがないので、風にも耐えられる。
暴風雨は、植林と石垣でしのぐ。現在でも南西諸島では、林とサンゴ塀で屋敷を守っているところが多い。屋根の高さも、比較的低い。
「邑づくり」と並行して、田畑を拓いていった。用水路を巡らし、給排水を調節できるようにした。
早く収穫できるイモや雑穀類を最初に植え、水田も整備していった。懸命に働いて衣食住の環境を整えているうちに半年以上が過ぎていた。
これまでの在住者とは、まだ距離があった。いちおう各地区の有力者へは挨拶をし、敵意がないことを伝えたが、信頼を得ているとは言えなかった。
数百名の大人数なので手出しはされなかったが警戒の目で見られ、接触を避けられた。
致し方のないことであった。
(何とかしなくてはならぬな……)
マオは、考えた。
ただ住むだけなら、面倒がなくて現状でも良いのかもしれない。しかし、島全体を掌握して、一つの「国=クニ」にしたかった。
支配欲からではない。統治機構を設けないと、他の地域との交易ができないからだ。小さいながらも国家として認知されれば、交渉や取引契約が可能となる。また、地域防衛の名分が、立つ。
侵略の意志を持つ者も武力行使には、それなりの名分と準備が必要となる。単なる一地域であるならば、住民のいるいないを問わず一方的に踏みにじられ、支配されるだけだ。
島民を武力で従わせることは可能だ。
だが、維持に手間暇がかかるし、人的資源とするには効率が悪い。国民となることの利益を理解し、喜んで従ってもらえるようにしたい。
将来的には、周辺海域に住まう言語・文化的に同系統の倭人たちをも同胞として抱え込みたかった。
(要は、信頼だ)
信頼を得るのに最も確かなのは「安全と安心」である。
しかしながら、口先の甘言だけで得られるものではない。それは、「なるほど!」という実感を通してのみ達成される。
そんなことを考えていたとき、急報が届いたのだ。
「対馬に船団が押し寄せました!
北の民のようです」
対馬付近で漁をしていた旧知の倭人が、知らせてきた。
「ウェイ、どう思う?」
マオは、その場で一緒に聴いていた船長に尋ねる。
「儂らと同じ、扶桑への渡海組でしょう。
半島も、どうやら騒がしくなっているようですからな」
事もなげに断定した。
海の者を通じた情報収集は怠ってないようだ。
「ちょうど良い機会です。
我らの力量を島の者どもに見せつけてやりましょう」
デンも、迷うことなく言い放った。
「うむ、そうだな」
マオも、うなずく。
三人の意見は、即座にまとまった。
壱岐島へ到達するまでには、早くて三日間は掛かるはずだ。
おそらく壱岐島西北部にある湾をめざすだろうと推測した。距離的に近いからだ。
湾の入り口付近に大型船三隻を潜ませ、湾内の所々に小舟を配置する。陸上部隊は、湾の最奥部だ。
大型船は常に整備しているので、すぐに動かせる。操船に優れた水夫と、弓兵、そして、潜り漁を得意とする者を乗せる。密かに船底に穴を開け、浸水させるのが役目だ。
身内だけでも対応できたが、目的は自分たちの実力を知らしめることにある。島民の志願者を募ることにした。手分けして島中を回り、半島からの来襲を知らせ、協力を求めた。参加する者には、食糧や日用品、作物の種や農具を与えることを約束した。
その約束が功を奏したのか、若者を中心に二百名ほどが参加することとなった。他に戦闘に加わらず、見学だけすることも許した。その場合、報奨はない。
マオはウェイと共に旗艦に乗り、全体の指揮に当たる。
三日目の午後遅く、だいぶ陽が傾いた頃に敵船団が沖に姿を現した。
島の漁民を装った小舟を数艘、偵察に出す。
島の間を流れる大海の川(対馬海流)に揉まれ、かなり疲れ切っているようだ。隊列も取れていない。何とか荒波を乗り切り、目的地に着いたという安堵感がうかがわれる。
敵船団は、大型船三隻と数十艘の小舟で編成されていた。総員は、三百数十人といったところであろうか。刀剣や槍を持った北方系を思わせる兵士などが約半数で、後は倭人系しい。おそらく水夫として雇われたか徴用された者たちなのか。
女子供は、混じっていない。先乗り部隊であろう。だが、マオたちは少しホッとした。彼らさえ叩けば、残りは逃げ散るはずである。
大小の船が、ゆっくりと湾内に入ってきた。警戒している様子はない。
マオは舳先に立って、指を様々(さまざま)に組み替えながら呪を唱える。
「ギャー、ギャー、ギャー」
海鳥が、群れ集まってきて敵船団の上で鳴き騒ぐ。交互に急降下しては、乗組員の頭を突こうとする。
兵士や水夫は、「何事か?」といった様子で槍や櫂を振り回して追い払おうとした。それでも、鳥たちは、攻撃を止めない。
「ゴン、ゴン、ゴン」
そうしているうちに海中から船底を打つ音が響き、その度に激しく揺れた。
見ると、イルカの群れが寄ってきて体当たりを繰り返しているのだ。
相次ぐ異変に乗員たちは、パニック状態となった。得体のしれない出来事は、人々を恐怖に陥れる。船足は完全に止まり、それぞれ混乱の渦中にあった。無我夢中で、櫂を宙で振り回したり、海面を叩いたりしていた。
やがて陽が沈み、夕闇が辺りを包んだ。
マオたちの乗った船は、潜んでいた島影から滑り出て接近する。
「ヒュン、ヒュン、ヒュン」
残照を利用して敵船を見定め、一斉に火矢を放った。
同時に海鳥やイルカたちは、姿を消していた。
島に定住してからマオは、「イルカ招き」の呪を試していた。
イルカは知能が高く、あまり人を恐れない。ときには漁師の求めに応じて魚を浅瀬へ追い込んだりする。見返りとして獲れた魚を貰えるので、イルカにとっても利がある。また、好奇心も旺盛で、人と遊びたがったりもした。
そうした習性を知っていた越国の神殿では、漁法の一つとして「イルカ招き」を研究し、呪法として確立していた。
マオは、この島でも使えるかどうか試していたのである。結果として、うまくいった。あらに工夫を重ね、簡単な内容であれば意を交わせるようになった。さらにイルカたちを訓練し、自在に動かせるまでに至った。
「鳥使い」としての力の他に、新たな武器を手に入れたのだ。
今回の作戦でも、その力は、遺憾なく発揮された。
敵船団は鳥とイルカのアタックを受け、混乱し、停滞した。
動かない相手を射るのは、たやすかった。
あちらこちらの船から火の手が上がり、混乱に拍車が掛かった。
マオたちの船団は機を見て接近し、追い打ちをかけた。
突如、背後に現れた船影と火矢攻勢に驚愕した敵は、正面の浜に向かって逃げるしかなかった。側面の陸地にも松明の燈火が並び、隠れることは不可能だったからだ。
戦いが終わってみるとマオたちには、ほとんど損害がなかった。
一方、敵方は北方系兵士たちの約半数が死傷し、後は捕虜となった。捕虜たちは、環濠掘りや水路整備に使役するつもりだ。
使われていた倭人たちは食糧と水を与え、舟に乗せて追い返した。半島にば、壱岐島に力のある勢力が存在することを伝えてくれるであろう。
マオは、全島の住民に戦勝を知らしめ、今後も侵略や略奪者を寄せ付けないことを約束した。安全と安心を保証したのである。
二年後、拠点づくりと耕地整備を終えたマオたちは、次の段階に進むことにした。
「イキ国」の樹立である。
息子を国王として政務を担当させ、娘には巫女の長として宗教的権威を与えた。姉が弟を霊的に補佐する「神権国家」の体制を築くことにしたのだ。
息子の由緒は、「周の血を引く公子である」と触れさせた。越国の王子だったので、偽りではない。さらに越は、「海浜の民=倭人の国」であったとも語り伝えさせた。
娘は集落の祭殿に置き、表向きの神事を担わせた。
集落の背後にある山中に神殿を建て、各集落から霊的な資質を持つ少女を集め、巫女としての知識と技能を学ばせ、修行を終えた後、地元へ帰す。巫女たちは集落の祭祀を担い、貢物と情報を神殿へ納める。巫女たちの権威は、漁や農耕に欠かせない「暦」の知識と各地から収集された気象や潮流の動きなどの情報である。とくに海に生きる者にとっては、生死や漁獲高に関わることなので、高い信頼を寄せられることとなった。
マオは大巫女を名乗って神殿に籠り、主に研究と巫女たちの指導に当たっていた。しかし、その知識と能力、さらに豊富な情報は島外へも広く知られるようになった。よって、各地の有力者たちは、その恩恵にあずかるべく巫女候補の少女たちを送り込んできた。
「イキ国」は、単なる地域的な政治勢力としてだけでなく、周辺海域のアヅミたちを宗教的権威によって束ねる海上国家として認識されるようになっていった。
さらに二十数年がたった。
老いたマオは、病の床に就いていた。
明け方に夢を見た。
前回と同じ岬に立つマオの前に、海面を割って「ヤマトの竜」が現れた。
静かな面持ちで見下ろし、神意を伝える。
「長らく待たせたな。
御剣を迎える準備ができた。
『剣の守り人』と共に扶桑へ渡らせよ。
『遷座の地』までの道筋は、赴けばわかる。
塩造りや農地開発などの職能者を含む開拓団を同行させよ」
それだけを述べると、また海中へ没した。
目覚めたマオは、息子と娘を始め、デンやウェイなど「旅の仲間」の主だった者たちを神殿へ集めた。それぞれ国政の重職にあったが、ただちに参集した。
「託宣が下った。
御剣様と守り人を扶桑へ送る。
新たなる地へ赴くようだ。開拓団を組織せよ。
守り人は、吾が遷化した後に顕われるであろう。
間もなくだ。注意を怠るな」
マオの前に列した人々は、動揺した。間もなく命が尽きると宣言したからだ。
「剣の守り人」は、人が決めるのではない。御剣様が、自ら選ぶという。選ばれた本人も、自覚できない場合が多い。マオも、剣によって選ばれた。
命を受けた人々は、さっそく開拓団の編成に取り掛かった。
「イキ国」の農地開発に関わった人々は健在だったので、人選と教育に問題はなかった。
「剣姫」の継承に関しては、誰も触れることはなかった。マオの死が、前提となるからだ。少しでも長く生きていて欲しいという側近たちの切実な願いが、口を重くさせていた。
マオの血を引くのは、息子である王の子どもたちだけであった。
三十歳代半ばに達した王には、十六歳の長男を筆頭に二男三女の子どもがいた。
次女と三女は、双子である。今年、十二歳になった。八歳から神殿に入り、巫女としての基礎教育を受けている。
十四歳の長女が、巫女団の長である伯母の跡目を継ぐ予定だ。
次女はヒナ、三女はマユと呼ばれていた。愛称である。真名は、両親しか知らない。
巫女としての修行は二年前から、実践段階に入った。
今は「鳥寄せ」や「イルカ招き」など、動物と意を交わして術を学んでいる。マオや伯母レベルであれば、クジラや大鷲と親交を結び、仕事を依頼することができる。
二人は、まだ身近に寄せたり一緒に遊んだりすることが可能になったくらいだ。それでも楽しく、充実した毎日を過ごしていた。
半年が、過ぎた。
一進一退を繰り返していたマオの容態は、もはや医師でも手の施しようのないところまできていた。
夕刻、引き潮の時間、臨終を迎えたマオの周囲には、王と王妃などの親族、「旅の仲間」を中心とする重臣たちが居並んでいた。
枕頭には、「御剣」が置かれている。
開いていた高窓には、白い小鳥が二羽留まって下を眺めていた。ミカとフウカである。マオの人生に沿って少しずつタイムワープして、見続けてきた。その旅も、もうすぐ終わろうとしているようだ。
『……こうしてご先祖様であるマオの一生を見てきたわけだけど、感慨深いよね。
最初は普通の女の子だったのに、目に見えない糸に導かれるようにして、波乱万丈な道を歩むことになるなんて……』
マオが、つぶやくように言う。
『まぁね。
だから、面白いんじゃない。
私も生きているときは、イロイロあったし――』
ミカが、クスッと小さな笑いを見せながら答えた。
『……私の場合は、すべてこれからってことなのね』
タメ息交じりにフウカは、自分に言い聞かせるように言う。
マオの枕元は、急に緊張をはらんできた。
脈を取っていた医師が、難しい顔をしている。
「母上!」
王が手を取り、呼び掛ける。
「オオミコ様……」
長女が、床に両手を突き、涙ぐみながら悲哀の言葉を漏らした。
背後に控える側仕えの巫女たちが、必死に延命の呪を唱え続ける。
しかし、マオの息は荒くなるばかりだった。額に玉の汗を浮かべている。
フッと表情が、穏やかなものとなった。顎が落ちる。
医師が、黙ったまま首を左右に振った。
「風華様は、真なる蓬莱島へ旅立たれたようだ」
越国の宮殿時代から仕えていたデン将軍が、静かに宣言した。
「……?」
王とウェイの他は、キョトンとした顔つきで、互いに顔を見合わせた。
「風華様とは、オオミコ様の真名である。
『剣の守り人』としての御名であらせられる」
王が、説明した。真名は、身内にしか知らされない。
『えっ!
マオって、私と同じ名前だったの?』
小鳥の姿で見守っていたフウカが、驚きの声を上げた。
『当たり前じゃないの。
あなたの直接の御先祖様なんだから――』
隣のミカが、言った。
『あなたの御先祖でもあるんでしょ?』
『そうよ。
でも、私は剣の守り人ではない』
『……』
『私の御先祖様は、ほらっ、そこにいるよ』
ミカが嘴を向けた先には、マオの足元にすがって双子の姉妹が泣きじゃくっていた。
『姉のヒナが、美華の名を名乗るの。
妹のマユが、風華の名を継ぐことになる』
『じゃぁ、私たちって双子だったの?』
『魂の状態ではね』
ニヤニヤしながら、ミカは答えた。
フウカは、教えて貰ってきたことを振り返りながら考える。
(要するにマユが、後に剣を奉じて開拓団とともに本土へ渡り、愛知県の尾張地方へ向かったということか。そして、『熱田神宮』を創建することになるんだ)
北九州を拠点としていた倭人系のアヅミ(海人族)は本州へ渡り、各地へ散っていった。
神宮の大宮司を務めた尾張氏は、海人族に属する。フウカの先祖である千竈氏は、尾張氏と同系統であると思われる。
「尾張=オハリ」の呼称は、「開墾」から来ているとされる。「はる」は、土地を耕すことなのだ。沖縄方言で、農業者のことを「ハルサー」と呼ぶ。つまり尾張氏は、「開拓団」ということになる。
美華の系統は、後のオオミコの命によって南西諸島を南下し、徳之島を経て沖縄本島へ到達した。そこで、斎場御嶽を拠点としてアヅミを束ねる神女団を組織し、やがて琉球国を樹立することとなる。美華は、初代の「神聖女王」であった。
双子の姉妹であった美華と風華が、長い年月を重ねた後、再び出遭ったことになる。
『さぁ、徳之島へ戻ろうか。
私たちの戦いが、待っている』
ミカが声を掛け、フウカが頷く。
二羽の小鳥は微細な光に包まれ、姿を消した。
(……今生における吾の役目も終わったか。
いろいろなことがあったな……。
だが、良き人生であった)
肉体を離れたマオの霊体は、しばらく宙にポカリと浮かんで、遺体を取り囲んで涙を流す人々の様子を眺めていた。
(――名残は尽きぬが、母者の待つ蓬莱へ向かうとするか)
巫女たちの「殯唄」に送られ、高窓から外へ出た。
今にも水平線に沈もうとしている夕日に向かって飛ぶ。海上に敷かれた輝く金色の帯の上を、スウッーと進んでいく。
壱岐島では、「原の辻遺跡」という弥生時代の集落跡が発掘されている。
三世紀末の「魏志倭人伝」では「一支国」と記され、約三千軒の集落があったとある。この集落跡が、「壱岐国」の王都であったと推定されている。
古来より中国大陸や朝鮮半島と日本を結ぶルートの要路であった。よって、鉄器や銅剣などの大陸産の物品が数多く発掘されている。
また、長崎県でも二番目に広い平野があり、気候も温暖で農業生産に適していた。
漁業も、当然のことながら盛んであった。古墳の壁画には、クジラ漁の様子が描かれたものがあるなど、組織だった漁がおこなわれていたことがうかがわれる。
ただ日常においては、沿岸での「潜り漁」が中心であったことだろう。壁画には、短い頭髪で、顔に文身を入れた人物像が見られる。
これは「魏志倭人伝」における「倭人」に関する記述と一致する。「倭人」は潜り漁で生計を立てていた海人族とされ、断髪・文身・稲作・竜蛇信仰を特徴とする。
倭人は、長江以南の南方民族の総称「百越(越人)」の一部と見られている。長江中・下流域から北へ向かい、遼東半島や朝鮮半島の南端沿岸から日本列島にかけて広く居住したと思われる。後世になると、認識の範囲が狭まり日本の「弥生人」と同一視されるようにもなった。
アヅミは「海へ潜る者」という意味で、対馬・壱岐島から北九州沿岸にかけて住み暮らしていた倭人の一般的な呼び名であった。後に北九州沿岸地域で一大勢力を築いた部族が、「安曇氏」を名乗り、天皇家と縁戚を結んで日本列島各地に進出していった。
壱岐島を始祖の地とする「壱岐氏」も朝廷へ食い込み、主に卜占などの神事を担うようになった。「亀卜」を得意としたらしい。この占いは、「越人」の習俗である。壱岐氏は、史書の付説によると「周国の公子が、壱岐島へ渡って始まった」とのこと。
壱岐島は「古事記」によると、イザナギとイザナミの夫婦神が生み出した八つの島の一つで、「天比登都柱」との神名を持ち、「天と地を結ぶ存在」とされている。現在でも、島内に一五〇社もの神社がある。昔から「信仰の島」であったことが、うかがわれる。
この物語では、玄界灘から南西諸島にかけて居住する「アヅミ」たちの信仰を集める神殿「壱岐の宮」が在ったところとしている。
派遣された開拓団は現在の愛知県西部に至り、「尾張氏」を名乗った。御剣は、開拓団と共に現在地へ遷され、熱田神宮に祀られる「クサナギの剣」となったと設定。「越国」の少女マオ(風華)が大蛇と闘って得た「越王勾践剣」が、数千キロの旅路を経て、尾張の地へ鎮座したわけである。
やがて御剣は、さらに二千年余の年月を経て、現代の大災厄を防ぐため、風華の名を受け継ぐ少女の手に戻り、異世界のヤマタノオロチと闘うことになった。