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虜囚を取り戻すぞ――「燕」の侵略軍と戦う

 船団が水平線の彼方へ消え去った。

 樹間の枝で、二羽の小鳥は、互いに顔を見合わせた。

『なんとか怪物を倒せてよかったね。

 ヒヤヒヤしたよ』

 フウカは、ホッと息を吐きながら言った。

『ああ、そうだな。

 本来ならば、トウテツの力は、あんなもんじゃない。

 世に現れた直後でよかった』

 ミカは、何かを思いながら答えた。

『他の場所で、見たことがあるの?』

『……ある。

 二度と、(あい)(まみ)えたくなかったがな。

 ヤツは、一二〇〇年後に、また現れる』

 (にが)い思いが(こも)った声だ。

 思わずトウテツの弱点を伝えたところから考えると直接、向かい合ったことがあるのではなかろうか。

『……』

 それ以上、問えなかった。

『青蛙神って、良いカミ様なのね?』

 話題を変えた。

『あんな姿でも、(わざわ)いを予知し、幸運をもたらすカミだからな』

『へぇ――。

 じゃあ、マオたちは、無事に海を渡れるんだ』

『たぶんな。

 さぁ、見届けるぞ』

 ミカに促され、二羽の小鳥は飛び立つ。

 次の瞬間、パッと姿を消していた。

 フウカとミカは初代「(つるぎ)(ひめ)」の生き(ざま)を、(あいだ)をおいて小トリップを繰り返し、追い続けていた。


 月が半分に欠けた頃、船団は山東半島の東端付近に到達していた。

 だいぶ蒸し暑くなっている。だが、夜になれば、海風が心地よい。

 マオたちは、いつものように上陸して野営していた。

(いよいよだな。

 『倭』とは、どんな所だ)

 海岸の岩場に立ち、マオは渡海先に、思いを馳せた。

 マオは、神殿で学んだ「山海経」の記述を思い起こしていた。


 古代の地理書「山海経」は、マオの生きた戦国時代に初期の形が成ったとされている。

 その中に、次のような記載がある。


  「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」(山海経 第十二 海内北經)

   (がい)国は()(えん)の南、()の北にあり。 倭は燕に属す。


 並び順から言うと中国大陸の(ぼっ)(かい)の沿岸に大国「燕」が在り、その下方の朝鮮半島北部に「蓋国」が存在。さらに、その下に「倭」が、位置することになる。現在の韓国に相当する地域だ。「倭」は、「燕」に属していることになっている。

 ただ「属している」といっても、中国大陸側の視点での見方であって、実態はさだかではない。「蓋」は「国」として記されているが、「倭」は、単なる「地域名」である。

 研究者によると、その頃の侵略地経営は(ゆる)いもので、拠点となる砦を幾つか築き、その周囲で地元民を使役して田畑を耕させていた程度のようだ。砦と砦の間を線で結ぶといったくらいの支配力であったらしい。つまり、「面」として領有していたわけではなかった。

 朝鮮南部は北に比べれば、気候も温暖で土地も肥えている。おそらく北方や中国大陸からやってきた様々(さまざま)な集団が、それぞれ「(むら)」を作っていたのではなかろうか。中には「(くに)」を称する集団もあったかもしれない。

 この南部地域で歴史学的に確認できる「国家」が誕生するのは、紀元後になってからである。

 そうした地を中国大陸側が「倭」と呼んだのは、単なる「蛮地」としての認識ではなかったろうか。「粗野(そや)蛮族(ばんぞく)跋扈(ばっこ)する僻地(へきち)」といった感じである。「倭」とは、「中華思想」に基づく蔑称(べっしょう)であったのだろう。「倭」が、日本列島を指すようになったのは、ずっと後になってからだ。

 とにかく当時の朝鮮半島南部地域が、大国「燕」であっても面として制圧するのが難しかった土地柄であったことは、容易に想像できる。

 豊かな土地であればあるほど小集団でも食糧や武力を(たくわ)え、独立独歩の活動ができる。抵抗が激しく、完全な掃討(そうとう)はできなかったであろう。


 マオは膝を折り、「航海の無事」を月に祈った。

 翌朝、一行は準備を整え出航した。

 食糧と水は約五日分、それ以上は船に積めなかった。

 幸いにも、空には雲ひとつなく海上も、()いでいた。

 陽の昇る位置を確かめ、暦と照らし合わせて針路を定めた。

 真夏の太陽が、容赦なく人々の肌を焼いた。

 だが、夜になれば、一息つくことができた。

 満天の星空で、くっきりと星座も確認できる。

 マオは「星表(ほしひょう)」を手に、現在位置と方角を確かめる。この星表(星の名前と位置を記した天体図)も、戦国時代に作成された。

(今日で、三日目か――。

 夜間の内に、できるだけ距離を稼いでおこう)

 これまでも尋常ではない速度で、航行することができた。おそらく青蛙神の加護があるのだろう。

 マオは、()(ほそ)ってきた月に向かって、感謝の祈りを捧げた。

 だが、同時に不安も増してきた。後二日以内に到達できないと、窮地に追い込まれる。これまでに集めた情報と神を信じるしかなかった。

 五日目の正午過ぎ――。

「陸が、見えるぞぉ!」

 舳先(へさき)で進行方向を見つめていた男が叫んだ。

「オォォォォーー」

 割れんばかりの雄叫(おたけ)びが、海上に響き渡った。

 マオも、掌をかざして、眺める。

 水平線の彼方に、薄っすらと陸地の影が見えた。

(――着いたか)

 安堵(あんど)感が、身内に広がる。

 三艘の小舟が先行して、上陸地点を探す。

 入り江と浜が、見つかった。

 斥候(せっこう)(はな)ち、様子を(さぐ)らせる。

人影(ひとかげ)は、見当たりません。

 焼けた人家が、多数ありました。

 まだ焼け(あと)から、煙が(くすぶ)っている状態です。

 盗賊か海賊にでも、襲われたのでしょうか」

 斥候からの報告があった。

 兵士を送り拠点を確保してから、上陸を始めた。

 警戒しながら野営地を設けるが、「(じん)」の構えだ。

 日暮れ時までには、設営も完了した。

 マオは護衛兵を従え、周辺を見て回る。

 隣り合った集落二つが、襲われていた。

「これは……」

 足跡の数や荒らされ具合から見て、多人数によるものだと判断された。

「何者だ!」

 護衛兵が、誰何(すいか)した。

 林の中を逃げていく者が、いたようだ。

 追いかけていた兵が、数名の男女を連行してきた。

 マオの前に、槍を突き付けられながら座らされる。

 薄汚れた服装で、(おび)え切っていた。

 おそらく様子を見に来た村人なのだろう。

「心配しなくても良い。

 盗賊や海賊ではない」

 マオは腰をかがめ、笑みを浮かべながら話し掛けた。

 (なま)りはきついが意は、通じるようだ。

 髪形や顔つき、文身(いれずみ)があるところから見て、倭人であろう。

 上陸した一行の姿形(すがたかたち)を見て、同系統の海人族であるとわかり、少しホッとしたらしい。

 側付きの女官が、あれこれ尋ねる。

()()(かた)、『燕』の兵士に(おそ)われました」

 村役らしい男が、口を開いた。

 夜が明けきらない時刻に突然、馬の足音やいななきがして騒がしくなった。

 家を出てみると、槍や剣を構えた兵士が数十人、辺りを見回していた。

 言葉は理解できないが、村人を広場へ集めていることだけはわかった。

 抵抗しようとしたり逃げ出そうとしたりした者は、容赦(ようしゃ)なく槍で突かれたり剣で切り殺されていたりした。それでも半数くらいは林へ逃げ込むことができた。

 そっと物陰から、広場をうかがう。

 老人と幼児は、その場で殺された。

 働けそうなものは、縄で(くく)られ転がされていた。

 若くて()()えの良い女は別に集められ、衣服を()かれているところだった。

 取り囲んだ兵士たちは、ニタニタ笑っている。値踏(ねぶ)みしているのだろう。

 倉庫から食糧を運び出している者もいる。

 そんな惨劇(さんげき)を、ただ(くちびる)を噛んで見ているしかなかった。

 兵士たちは、捕らえた人々を縄で数珠(じゅず)(つな)ぎにし、()いていった。

 そっと後を追うと、「燕」の砦へ入っていく。最近、設けられた施設だ。

 林に戻って対策を話し合っていると、海の向こうから大船団がやってきた。

(海賊か?)

 絶望的な思いを抱きながら、林の奥へと逃げるしかなかった。

 男は、語り終えた。

 その眼には、「助けて欲しい!」という切なる思いが、浮かんでいる。

 マオたちは、腕組みしながらジッと聴き入っていた。

「どう思う?」

 面々を見渡しながら、マオは問い掛ける。

「いずれにせよ、ただちに行動を決しなければ、なりませんな。

 我らのことが『燕』の砦に知られることは、(とき)の問題でしょう」

 兵士たちを(ひき)いていた(デン)が、答えた。

 三十歳代後半、美髯(びぜん)()丈夫(じょうぶ)である。

 後世の者が見たならば、「三国志演義」の関羽(かんう)を想起してであろう。

 宮殿で皇族の身辺警護を担当していた親衛隊長だ。

 王が逃げ出すときも同行せず、残った者たちを守ろうとした。

 航行の間は身分を気にせず、一人の()()として務めてくれた。

「……」

 マオも、同感だった。

 すぐに立ち去るのが、賢明(けんめい)なのかもしれない。

(……だが、この者たちを見捨てることになる)

 同じ「(ひゃく)(えつ)」の民(南方系の海人族)というだけで、これといった縁があるわけではない。

 力ある者が、民から収奪するなど、この乱世において当たり前のことであった。気にしていたら、キリがない。

 マオは、ある遊説家のことを想った。

 その男は、「墨家(ぼっか)」であった。

 「墨家」とは、戦国時代(紀元前四〇〇年頃)に活躍した「墨子」を始祖とする思想集団である。「自分を愛するように人を愛せよ。それは天の意志である」という「兼愛」や他国への侵略を否定する「非攻」などの思想で知られる。

 門弟たちは、頭を丸刈りにし、粗衣(そい)粗食(そしょく)裸足(はだし)で全国を歩き回った。ときには大国に攻められている小国の砦に(おもむ)き、「籠城(ろうじょう)戦」を手助けしたりした。

 そのエピソードから「墨守(ぼくしゅ)」(守り抜くこと)という言葉が生まれ、後の世にまで名を(のこ)すことになった。

 彼らは、「独立自尊」の精神を(むね)とし、常に社会的弱者の(がわ)にあって、強者からの理不尽(りふじん)な圧迫や攻勢に立ち向かった。そのための戦略・戦術と防衛技術を持っていた。

 

 マオが宮殿にいた頃、一人の男が王を(たず)ねてきた。墨家の名は、儒家と並んで知られていた。よって、()()ぎだらけの衣服に、巻いた()茣蓙(ござ)一枚と袋を背負っただけの身なりながら、門をくぐることができた。

 国王「無彊(むきょう)」は、興味半分で男と面会した。

 男の目的は、「斉」の口車(くちぐるま)に乗って「秦」に攻め込もうとしていた王に対して、断念するよう説得することにあった。

 諸国の情勢を伝え、「侵攻の非」を説いた。だが、無彊は、聞き入れなかった。怒って、男を宮殿から追い出した。

 男が数日、滞在している間に、マオは居室を(おとず)れ、教えを()うた。

 毬栗頭(いがぐりあたま)無精(ぶしょう)(ひげ)の男は、(おだ)やかな笑顔で、迎えてくれた。

 マオは日頃、思い悩んでいることを相談した。

 男は、少し考えつつ丁寧に応えていった。

「ご承知の通り、我国は、無謀(むぼう)な賭けに出ようとしています。

 我は宮廷に身を置きながら、為すすべを持ちません。

 力及ばず、忸怩(じくじ)たる思いで日々を過ごしています」

 マオは、国が間違った方向に進もうとしているのに、どうすることもできない自分の無力を訴えた。

「……お気持ちは、お察し申し上げます。

 なれど、思いはあってもできることには限りがございます。

 過ぎたる悩みの裏には、『自分の思うようにならない』という『(おご)り』が隠れています。

 (おのれ)にできることには力を尽さなければなりませんが、後は、天に任せるしかないのです」

 男は、少し考えつつ丁寧に応えてくれた。

 最初に「墨家は、国や人を意のままにしようと動いているのではない」と語った。

「我らは、『天の(ことわり)』を伝えているだけなのです。

 心は、鏡です。磨き上げた鏡には、『天の意』が映し出されます。

 天の意は、『人のみならず草木虫魚のすべてが、等しく存在する価値がある』と説いています。むろん『食い、食われる』の関係はありますが、それすら天意により『訳あって、組み上げられている』と我らは、考えています。獣であっても、己が生きるのに必要な分だけ食らいます。それ以上は、求めません。

 ですが、人は、(おのれ)の『(ぶん)』をわきまえず、過剰(かじょう)に欲します。

また、『力を誇示する』ためだけに他の国や人を圧迫したり支配したりしようとします。

『天下泰平のため』などと大義名分を述べたりもしますが……。

我らは、それぞれが『独りの人間』として己の『心の鏡』を磨き上げ、そこに映し出された『天の理』を伝え、正してもらうことを求めます。

また、弱き国や人が、不当に圧迫を受けたり支配されようとしたりしたら、全力で抵抗を支援いたします」

 その真摯(しんし)な態度と、静かな熱情に(こころ)()たれた。

 「武侠(ぶきょう)の人」であった父、(がん)(ゆう)面影(おもかげ)を重ね合わせた。

 男が宮殿を去った後も語ってくれた言葉を胸の奥へ収め、時折り思い起した。


(やはり捨てては、おけない)

 マオは、意を固めた。

 「義を見てせざるは、勇なきなり」という「論語」の言葉が、思い浮かんでいた。

 さっそく兵士を集め、攻略計画を練る。

 兵の数は約三〇人ほどだ。ほとんどが宮殿警護兵で、デンの部下たちであった。

 まずは、斥候から偵察した砦の様子について報告を受ける。

 砦は(もく)(さく)によって囲まれていて、大小の建物と物見(ものみ)(やぐら)ある。

 指令棟・兵舎・武器庫・倉庫・馬小屋、そして、さらわれてきた人々が押し込められている小屋などが確認できた。

 兵士の数は、約二〇〇人くらいだと推定される。(とら)われているのは、五〇人ほどだと想われる。見栄えの良い女たちは、別の小屋に入れられているようだ。

 ――とのことだった。

 報告内容を(もと)に、襲撃の手筈(てはず)を整える。

 兵士は、「襲撃」「救出」「待ち伏せ」の三班に分ける。それとは別に村人から有志を募り、後詰の隊を作ることにする。「馬の追い出し」「救出した人々の誘導」「周囲の集落への情宣」といったものだ。

 救出が成功したら、情勢が落ち着くまで、村人全員が、林の奥に隠れ潜む。「逃散」の可能性も考えて、準備する。

 残ったマオの一行は、ただちに出航できるようにしておく。

 襲撃時刻は、夜半過ぎとした。

 「新月」が近い時期だ。星明りを頼りに行動することになる。互いの合図を、入念に打ち合わせた。

 襲撃隊は、砦の木柵近くに身を(ひそ)めた。

 物見櫓の上に見張りの敵兵の姿が、柱に設置された(しょく)(だい)(もと)に照らし出されている。

 マオは、弓に熟達した者を招き寄せ、射落とすことを命じた。

「ヒュン」

 放たれた矢は、見張りの喉元(のどもと)に突き刺さった。

 叫び声は、上がらない。手すりを乗り越え、ドサッと身体が地に落ちた。

 神業(かみわざ)に近い出来(でき)だ。これも、加護の賜物(たまもの)であろう。

 マオは、大きく手を振る。

 隊員たちが、木柵の一部を切り開き、侵入路を確保した。

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