「越」の滅亡――難民を率いて「蓬莱島」をめざす
(進退窮まったな。
さて、どうする)
マオは桟橋に立ち、水平線を眺めながら、考えた。
ボブヘア、朱色に金糸の刺繍が入った頭帯、紺の上衣と黒の革鎧、筒細の袴、手首と足首は紐で絞ってある。素足に、草鞋履きだ。
錦の袋に入った剣を背負い、腰帯に手斧、身長ほどの棒を手にしている。
紀元三三四年、「越」の港――。
三四歳になっていた。一六歳の娘と一四歳の息子がいる。
(……蓬莱島をめざすか――)
マオは、意を決した。
「蓬莱島」は、東の海上に在ると言われている理想郷だ。果物や穀物が豊かに実り、暮らしに困ることはない。仙人たちが、住むという。
三嬢が、幼いマオに「遠い故郷」として語ってくれた。行方知れずとなった母ではあるが、ひょっとしたら本当に帰っていったのではないかとも思った。
現実的には、戦乱の中で田畑を荒らされ、生きるすべを失った人々が、最後の希望として夢見る土地である。
これまでも、多くの人々が蓬莱島をめざして船出していった。だが、そこから戻って来たという話は、聞いたことがない。
しかし、もはや選択の余地はなかった。
港の周辺には千人近くの人々が、群れていた。
牛や山羊が鳴き、馬車や荷物などが雑多に置いてある。ようやくここへ、たどり着いたという体だ。汚れた衣服をまとい、疲れ切って口を開く気力もないといった様子で、その場に座り込んでいる。顔には、絶望の色が浮かんでいた。
マオは、そんな群衆の前に立った。
「皆の者、よく聴け!
我らは、『蓬莱』をめざして船出する。
さらに困難は続くであろう。
それでも、共に旅を続けようと思うものは、船に乗れ。
留まるも去るも、好きにせよ」
大音声を発した。
「越」は海外交易が盛んだったので港は何か所かあり、整備もされていた。マオたちは、その内の一つに逃げ込んだ。
船はあったが、港に錨を下ろしているのは、古びた大型船三隻と半構造舟(丸木舟に側板を付けたもの)が十数艘だけであった。乗り込めるのは、良くて七〇〇人前後くらいだろう。
人々が、ノロノロと立ち上がる。一方で座り込んだまま動こうとしない人も、少なからずいた。
マオは、まだ気力を保っている者たちに指示して、水夫を集め、倉庫に保管されている食糧や水、装備などを船に運び込ませた。留まることにしたらしい人々にも、食糧を分け与えた。
準備を終え、船団は太鼓の音に合わせて大海へ漕ぎ出す。
宮廷に迎えられた一五歳のマオは、祭殿に配属された。「剣の守り人」として必要な知識を身に付けるためだった。一種の巫女修行と言ってもよい。
山で自由気ままに育ったマオにとって堅苦しい生活ではあったが、何でもよく知っていた母を想い、自制しながら学んでいった。
そんな日々は、二年間ほど続いた。厳しい修行の毎日ではあるが後半になると、多少の余暇も得られるようになった。そんなときは街に出て、人々と触れ合いもした。
だが、安穏とした生活は長くは続かなかった。「剣の守り人」の威光を利用したかった国王「無彊」に、妃の一人として召し上げられたのだ。
最初の内は、野生の香りを残した「山猫」として面白がられたが、しだいにマオの率直な物言いが、王の「癇に障る」ことが多くなり遠ざけられるようになった。
五年の月日が、立っていた。ちょうど長男が、生まれた頃だった。王には他にも六人の妃がいて、皇太子も決まっていた。
マオとしては、放置されていた方が気楽で良かった。権力絡みの陰湿な宮廷の人間関係が、肌に合わなかったからだ。
子育てや神殿勤めの傍ら、方術の修行や武芸の鍛錬に励むようになった。
都の郊外では大きな白い犬に騎乗し、平原を風のように駆ける女武者の姿が目撃されるようになった。
マオは、現場の兵士や下働きの者たちへも気軽に声を掛け、慕われていた。とくに職人たちとは、親しく接した。
一方、無彊は、隣国の「楚」と争い、小競り合いを繰り返していた。後世に「楚越」という言葉が残っているが、これは「仲が悪い」ことの例えである。それほど関係が、悪かった。
紀元前三三三年、「越」は「斉」にそそのかされ、「楚」へ侵攻した。「斉」と同時に攻める手はずであった。だが、裏切られた。
怒った「楚」の威王は、「越」の奥深くまで大軍を送り込んだ。越軍は、その勢いを止めることができずに各地で敗走した。
無彊は、自ら軍を率いて都を出た。しかし、奇妙なことに妃や官僚までも同行させていた。
後でわかったことであるが、食糧や宝物庫が空になっていた。つまり、迎え撃つのではなく、逃げ出したのだ。
残された人々は、呆然とするばかりであった。楚軍は、間近に迫っている。
マオは、「蚊帳の外」に置かれていた。見捨てられたのだ。
状況を悟ったマオは、宮廷の人々をまとめ、落ち延びることにした。残っていたのは、守備兵、神殿の巫女、学生、下男下女、職人たちばかりであった。
銅鏡などの神具、書物、兵器、農具、種籾、治工具を馬車に積み、海岸をめざした。
マオは、集団の殿(最後部)を務めた。
鷲を呼び寄せ油壷をつかみ取らせて敵の最前線に投下し、火矢を放って燃え上がらせ、風を巻き起こして「野火の壁」を築いた。
幸いにも敵の主力は、南西方面へ向かったらしい無彊の軍を追って行った。よって、マオたちは、宮殿占領軍の一部だけを相手にすればよかった。
マオの術策に手こずった敵は、すぐに追撃を止めた。宮殿や街の略奪を、優先させたのだ。都を遠く離れたら自分たちの取り分が、少なくなってしまう。
そんな事情を知る由もないマオたちは行き止まりとなった港で、選択を迫られていた。