美華に導かれ、古代中国「越」の国へ跳ぶ
金箔の厨子が、目に入った。彩色された立像が、納められている。像の高さは、一五〇センチ余りだろうか。
蝋燭の灯りによって浮き上がった像は、お寺に祀ってある観音様のように見えた。
これが、「琉球国」天孫王朝を開いた神聖女王であろうことは、すぐに察しがついた。
横の壁には、一面に絵画が描かれていた。どうやら戦いの場面のようである。
立像の前で両手を重ねて掲げ、深く腰を折って拝礼した後、壁画を眺めた。
海上のようだ。中央付近に腰から上を出した巨大で醜悪な怪物が、両腕を振り上げたかたちで描かれている。浮かんでいる船と比べて推定すれば、上半身だけで二〇メートル近くはあるだろう。
付き添いの神女の解説によると、中国の古代神話に登場する魔王「蚩尤」であるという。史上最悪と称されるモンスターらしい。
(ラスボス?
ミノタウロスの親玉みたいだな?)
フウカは、思った。
ゲームでダンジョン攻略するときは、こうした階層主級のモンスターが、登場する。
頭部は牛、湾曲した大きな角が特徴的だ。全身が金属で覆われている。
八本の腕に、それぞれ剣や斧などの武器を持っている。
神話に依れば五千年以上前、「涿鹿の戦い」で「黄帝」の率いる神軍と熾烈な戦いを繰り広げたとのこと。それが蘇って、沖縄へ現れた。
シユウの眼前で対峙しているのは、宙に舞う黄金色の竜――。
剣を振り上げた男が、騎乗している。
「こちらが、カイト様です」
誇らしげに、説明してくれる。
「フェ――」
どう見ても、別人だった。漫画の主人公である。
手にしているのはフウランが力説していた「トカム」王室の宝物「七星刀」であろう。刀の絵は、「輝き」で飾られている。二代目の王が、「旅」に際して与えたものだそうだ。
フウランや神女たちにとって勇者「カイト」と「七星刀」の組み合わせは、欠くべからざるもののようだ。
(三百年前の伝説を描いたものだからね……)
フウカは心の中で、つぶやく。
神女の語りは、さらに続いた。
「右上の雲の上にいらっしゃるのが、神聖女王様と神軍です」
白い衣装を身にまとった聖女が軍を従え、杖を手に勇者と魔王の闘いを見下ろしている。
シユウ側の空は、黒雲を背景に妖魔や魔族などの魑魅魍魎が群れをなしていた。
「百鬼夜行」図のようだ。牙をむいて威嚇したり、嘲笑したりしている。
下の海は荒れており、大型船や小舟が波間で木の葉のように揺れている。
大型船は二種類で、大陸からの侵略軍と「トカム」からの軍船であるとのことだ。荒天をものともせず敵船に小舟を寄せて攻勢を掛けているのが、アヅミたちのようである。
その他にも、ワシやシラサギなどの鳥、イルカ・クジラといった海獣が、描かれていた。
画題は、「慶良間海戦之図」とのこと。
(……カイトさんが、大歓迎されるわけだわ)
フウランの気持ちが、よくわかった。
「巫女様、儀式の準備が整いました。
こちらへ、お越しくださいませ」
壁画に見入っていたフウカの背後から、声が掛かった。
振り向くと、神聖女王像の前に壇が設置されていた。
木組みで高さ三十センチ、広さは二畳といったところだろう。
金の錦織で縁取りされた朱色の毛氈が、敷かれている。
衣装の裾を二人の若い神女が持ち上げ、フウカは年嵩の者に先導されて壇へ上る。
静かに座って、胡坐を組む。裾が、広げられた。
背筋を伸ばし、両手を重ねて腰から身体を前へ倒す。
運動前のストレッチをやっているような感じだ。
いったん身体を起し、顔は伏せたまま挨拶の呪詞を唱える。
今日の良き日、御前にまかり越したる者は、
尾張の国、千竈の里、塩つくりの氏人の子、
壱岐の宮、安曇の長、神剣を護り伝えし末裔、
風司る御神 志那都比売の恩寵を賜りし娘、
真名を風華と申す 慎みて御挨拶申し上げまする
唱え終わると、また深く腰を折る。
呪詞と次第は、カイトに教えられた。
「何なの? これ」
「はは、カッコつけだよ。
美華が相手なら、『こんちは! よろしくね』だけでいいんだけどな。
でも、周りの目もあるから、それっぽく仕立てたんだ」
こんな会話が、事前に交わされた。
後は「息吹」で呼吸を整え、懐剣を握って瞑想していればよいとのことだった。
すべて神聖女王様に「お任せ」である。
懐剣を取り出し、両手で捧げ持ってから腹の位置に構え、縦に握りしめる。
いつも通り呼吸を整えていく。
身体の感覚がなくなり、意識だけが宙に浮いている感じとなる。
「ヒューヒュー」と風が渦巻く音が、聴こえてきた。
ここまでは、お馴染みの状態だ。
(うっ、何よ これ!)
下腹(丹田)から熱い塊が競り上がってきて、喉を通り頭頂からスポンと抜けた。
意識が、ブラックアウトした。
気が付くと、宙に浮かんでいた。足元に自分の頭が見える。
顔を上げた。
目の前に少女が居た。笑顔だ。
白い薄絹の衣装をまとっている。
後光が差し、ほのかに体形が透けて見える。
長い髪を後頭部で折り重ねてまとめ、笄で留め、残りを背に流していた。
極薄のベールが、髪全体を覆っている。
額には、涙形三つを扇のように並べた紅の印が付されていた。
一七、八歳くらいに見える。
「よろしくね。フウカさん」
親しげな声が、響く。
(――この人が、神聖女王様か。
美華さんと、言ったっけ)
すぐに察しがついた。
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
ドギマギしながら挨拶を返す。
(飾らない人だな)
好印象を持った。
(カイトさんのカノジョなんだよね。
時代を超えたカップルなんて、ちょっといいな)
そんなことも思った。
「じゃあ、今から一緒に跳ぶよ」
「中国古代、『越』の国へ――」
「え、えっ、待ってください!」
急に言われて、慌てた。
(何しに行くの?
『越』って、確か紀元前に中国大陸の南部に在った国だよね)
鎌倉時代から、さらに時を遡ることになる。
訳が分からず混乱した。
「ゴメン、ゴメン――。
先走っちゃたわね。
初代の剣姫に会いにいくのよ」
フウカの顔を覗き込むようにして言った。
「なぜですか?」
「あなたの身体の中に眠る剣姫が、彼女だから――。
今後、共に闘っていく人よ。
直接、本人に会っておいた方が、いいんじゃない」
ミカは、軽い口調で言った。
初代の剣姫のことは、母の滝子から聞かされていた。
『捜神記』という本に登場する「大蛇退治の少女」である。
この本は四世紀頃、東晋の干宝という人が著したものだ。
民間で語り継がれていた不思議な話を集めて、書き記している。
フウカは「剣姫」について滝子に尋ねたとき、教えられた。
春秋時代、越(紀元前六〇〇~同三〇六年)の国で、大蛇に生贄として捧げられた少女が、一匹の犬と共に立ち向かい、見事に倒したという話である。
(そんなぁ……)
まだ心の準備ができていない。
「大丈夫、私に任せておいて――」
ミカは、片手を差し出す。
ためらいながらも、その手を取った。
厨子から微粒子状にキラめく光の洪水が、あふれ出ていた。
そこへ向かって、水平に並んで飛んでいく。
吸い込まれていくといった感じだ。
『フゥェ―――――!』
声にならない叫びが、もれる。
ミカが安心させるようにニコッと笑い掛け、一つうなずいた。
二人の身体は光の渦の中心に向かって行き、飲み込まれた。