「旅」の記憶を封じられていたカイト
「ところで、なぜ僕の記憶にフタをしたんだい?」
「決まっているじゃない。
お兄ちゃんのメンタルを守るためよ」
「……」
何となくは、わかっていた。
「旅」は、楽しいばかりではなかった。辛さの方が、勝っていた。
海賊や蛮族、大陸からの侵略軍などと、武器を手に取って何度も激しく戦った。
戦場は、常に阿鼻叫喚の地獄だった。
海は血に染まり船から落ちた兵士は、集まったサメたちに食いちぎられた。
森は炎に包まれ、降り注ぐ矢の雨に逃げ惑い、襲い来る妖異や怪物に踏みにじられた。
当時一六歳のカイトも刀を振るい、無我夢中で戦った。敵の兵士を迎え撃ち、切った。
身体を刃で突き刺した感触や驚愕の表情、血に濡れた自分の両手……その映像は、カイトの脳裏に刻み込まれ、苦しみをもたらした。
親しくなった「旅の仲間」たちの死にも、直面してきた。また、自分自身も矢で射られ、生死の境をさまよった。
現代へ戻っても、しばらくは、鮮明に記憶を保っていた。
新学期になって「いつも通りの日常生活」が始まったが、その空気になじむことができなかった。
映画を見ているようで、リアルな感じがしなかった。
悪夢にうなされたり、通学途中で立ちすくんだりすることも、しばしばあった。
記憶のフラッシュバックが、起きるのだ。
(これがPTSDというやつか……)
「心的外傷後ストレス障害」という。
大きな災害や事故に遭ったり、または目撃したりすることで心に傷を負ってしまうのだ。
不安や恐怖にさいなまれ、日常生活を送るのに支障が生じたりする。
テレビや雑誌などでよく使われる言葉なのでカイトにも、多少の知識はあった。
でも、なぜか一週間後には、「旅」の記憶も症状も消え去っていた。
おかげで三年間、ほぼ普通の生活を送ることができた。
ただ好きだったハンバーグや刺身が、食べられなくなっていた。
身体が、条件反応的に避ける。だが、理由はわからなかった。
「ありがとう。助かったよ。
記憶が強烈過ぎて、あのままだったら心が病んでいた」
ゼンの計らいに、感謝する。
「それは、良かった。
まだ部分的に『ガード』を残してあるけどね」
凄惨な戦場だった。わずか数年で忘れ去ることなど、とてもできない。
「ゼンと出遭ったのも、偶然とは思えない。
僕に伝えたいこととか、やらせたいことがあるんだろう?」
「察しが、いいね。その通りよ」
真剣な面持ちとなった。
テーブルに両肘を着き、指を組んだ。
「……」
カイトも、身構える。
「とうとうフウカと出遭ってしまったね」
「中学生の頃から、知っていたぜ」
「異能者『剣の守り人』としての彼女にね」
「やっぱりそうなのか――」
カイトの推察は、どうやら当たっていたようだ。
「ええ、『予定調和』というやつだわ。
フウカと一緒に、やって貰いたいことがある。
このタイムラインに生きる以上、宿命といってもよいかも」
「予定調和」とは、それぞれの物事が別個に独自の理由で動いているように見えても、その相関関係には、あらかじめ仕組まれた調和があるという考え方である。
神学的な理論ではあるが、多くの人々が「運命」「宿命」などといった言葉で感じているものだ。
「僕に選択権は、ないのかい?」
「ないよ」
即答だった。
相手は、ライムライン上のすべての時点に遍在する「カミ」である。
信じるしかなかった。また、これまでの信頼関係もある。
「……で、何を、どうしたらいいんだい?」
「まず依頼主の時代と場所へ跳んでもらう。
――できるでしょう?」