「日本列島」壊滅への予兆――現実化する破局噴火
もし天上界というものがあるとすれば、そこは焦熱地獄の最中にあるはずだった。
神話に登場する神々や仏、その眷属たちも、泣き叫び恐怖と絶望に打ち震えていたことであろう。
真っ赤に染まった空。
赤黒く沈んだ色の渦巻く雲がある。
巨大な噴煙の柱が、渦の中心を貫いていた。
地球の周囲を回る宇宙ステーションから観測したならば、噴煙は成層圏にまで達していることが、記録されたと思われる。
視点を柱に沿って下していけば、その根元が海上にあることが見て取れる。
激しく沸き立ち、白い蒸気と噴煙が吹き上がる。
溶岩が三六〇度方向に流出し、焼けた噴石が、夏の夜空を彩る花火のように四方へ拡散する。
噴火口の上空では稲光が、絶え間なく網の目状に放たれていた。
「ドゴン、ドゴン、ゴゥーー、ガッゴン、ザザザッーー」
大気は揺れ、熱波が拡がる。
そう……海底火山が噴火したのだ。
だが、現代でも見られるような、ただの噴火ではない。
周囲三〇キロ平方メートルの海面が、真紅の円心から色調を暗く変えながら染まっている。取り巻くのは、塗り込められた漆黒の闇……。
火口から炎が上がり、枝葉のように広がっていく。
主な炎枝は、八本か。その有様は、よく見ると、太陽から吹き上がるプロミネンス(紅炎)のよう。例えるならば、巨大な蛇か龍が鎌首を持ち上げ、うねっているかのようであった。
二〇一八年(平成三十年)五月二十七日の深夜――。名古屋市熱田区に在る自宅。
フウカは自室のベッドで突然、目を覚ます。サイドテーブルの眼鏡を取って掛け、柱時計を見る。午後十一時五十九分を指していた。
全身に汗をかいている。空調は、効いているはすだった。
(夢だったのか……)
うなされていた。妙にリアルな夢だった。心臓の鼓動が、まだコトコトと鳴っている。
上半身を起こし、タオルで顔の汗を拭う。
鈴木風歌は、十四歳の女子中学生。春の健康診断では身長一五四センチ、体重四六キロ。やや痩身だが、ほぼ同年齢の平均値だ。普段の髪型は、「おさげ三つ編み」。ただ就寝中の今は、ほどいている。部活は、弓道部。
夢の中でフウカは当初、家の窓から空を見上げていた。
厚い雲に覆われ、何かが音もなく降りしきっていた。雪ではない。灰のようだ。庭に薄っすらと降り積もっている。
背後のテレビ画面には緊急速報の文字が浮かび、アナウンサーが緊張した面持ちで火山の噴火を伝えていた。
どこかで大噴火が、起こったらしい。
フウカは、積極的にニュースの内容を聴いていたわけでない。
(何か大変なことが起きたんだな)
そんな程度であった。
休校の連絡もないので、ともかく通学の準備を整えようと窓辺を離れたとたん、それは起きた。
「ガタガタッ、ミシミシッ、ザザザァーー、ド、ドン!」
激しい上下振動、横揺れ、本棚が倒れ、ベッドが横移動する。
立ってはいられなかった。
「キャァ――!」
悲鳴を上げる。
身が投げ出され、壁に激しく叩きつけられた。
全身に走る痛みと共に、大噴火のビジョン(映像)が脳裏いっぱいに展開した。
それは一瞬の出来事であり、すぐに意識が途切れた。
だが、――すべて夢であった。
「ヘンな夢を見ちゃった」
翌月曜日の朝、トーストにバターを塗りながら、台所の前に立つ母親へ夢の内容を語った。
「そうなの……」
スープを鍋から器へ移しながら、母は返事をした。
フウカとしては半分、笑い話のつもりであった。
しかし、なぜか応える母の声は低く、真剣みを帯びていた。何か考えているようだった。
母子家庭であった。フウカの父、高志は自衛官であったが昨年の秋、訓練中の海難事故で殉職していた。今は、母の滝子(四十歳)と二人暮らしである。
フウカを学校へ送り出した後、滝子はパソコンを前にして画面を見つめていた。休日であった。土日が忙しい職場なので休みは、主に平日となる。
そこには「準備段階に入った鬼界海底巨大カルデラ噴火」と題されたニュースが映し出されていた。
最新の観測機器を搭載した神戸大学の観測船『深江丸』は、鬼界カルデラ周辺で詳細な海底地形の調査活動をおこなった。
その結果、カルデラ内部に世界最大級の「溶岩ドーム」が成長しつつあることが確認された。直径一〇キロ、高さ六〇〇メートル、体積三二万立方キロ超。今も噴煙を上げ続ける活火山「桜島」が、すっぽり三つ分も納まるくらいの規模だ。
マグマは前回の噴火以降に溜め込まれたもので、薩摩硫黄島の火山へも供給している。
しかも、ドームの成長速度は、桜島の約十倍にものぼることがわかったという。海底で雌伏し、熱水を噴き出していると――。
「鬼界海底巨大カルデラ」は、鹿児島県薩摩半島佐多岬の南、沖五〇キロに位置する。
屋久島と種子島も、等距離くらいにある。
カルデラは東西二一キロ、南北約一八キロの楕円形。内部は山手線の輪、二倍くらいの広さ――。
外輪山として、竹島や薩摩硫黄島があり、海上に姿を現している。薩摩硫黄島は、現在も噴火を続けている活火山だ。
今から約七千三百年前、巨大な火山島が大噴火を起し、南九州で形作られつつあった定住・村落型の縄文文化を壊滅させた。
溜め込んでいたマグマを吐き出した火山島は沈み込んで海底にカルデラを形成し、しばしの眠りについた。
放出されたマグマの量は江戸時代、富士山「宝永大噴火」の七百倍以上と見られる。
上空に吹き上げられた火山灰は、偏西風に乗って東北地方にまで到達した。降り積もった灰は「鬼界アカホヤ火山灰」と名付けられ、九州南部で一メートル、関西で二〇センチほどの層が確認されている。
影響は火山灰だけではない。海底を這うようにして広がった火砕流によって大津波がもたらされ、九州南部の海岸は三〇メートルを超える大津波に襲われ、西日本の太平洋側でも高波が押し寄せた。
「フゥ……」
滝子は、深いため息を漏らした。
(とうとう『刻』が、来てしまったのかな。何で私と娘の時代に――)
己の不運を嘆いた。
パソコンを閉じ、神棚へ向かう。
祖先の霊を祀る御霊舎の前に座し、祝詞を唱える。
嫁ぎ先の鈴木家は、神道を奉じていた。「鈴木」は、もともと「神に仕える家柄」の姓で、社家が多かった。
滝子自身も神道系の大学で神道学を学び、神職の資格を取得した。勤め先は、名古屋にある「熱田神宮」である。巫女として神事や社務に携わる他、「お守り」や「お札」などの販売窓口に座ったりもする。
熱田神宮は名古屋市南部の台地に位置し、古くは伊勢湾に突き出た岬に在ったとされる。むろん干拓が進んだ現在では、当時の面影はない。創建は諸説あるが、神宮では景光天皇の四十三年(西暦一一三年)としている。千九百年以上も前だ。伊勢神宮に次ぐ格式を誇る。
翌日、白い着物に赤い袴を着けた滝子は、熱田神宮の杜で竹箒を手にしていた。
早朝の杜は市街地にあるにもかかわらず静寂に満ち、鳥のさえずりと地を掃く音だけが聞こえる。
広い神域には、楠の巨木が目立つ。葉を広げる樹々の下に大小の境内社が、点在した。
境内社の中には、由緒がよく分かっていないものもあった。摂社「下知我麻神社」と「上知我麻神社」も、その一つである。
滝子は、上知我麻神社の社殿前に座して額づく人影を認めた。
六十歳後半から七十歳前半くらいであろうか。頭は白髪で、短く刈り上げている。
上下とも灰色の作業服、タオルを首に巻き、いかにも清掃作業員といった格好だ。中肉中背で、齢の割には引き締まった体型をしている。
「源太夫様、おはようございます」
老人が顔を上げたタイミングを見計らって、背後から声を掛けた。
「おはよう。
その名で呼ぶのは、止しておくれ。
源造でいいよ」
振り返り、立ち上がりながら言った。
陽に焼けた顔に笑顔を浮かべていたが口元は、引き結ばれていた。
「ハッ、失礼いたしました」
滝子は軽く腰を折り、頭を下げる。
「どうした?」
「娘が、『ユメ』を見たようです」
フウカの語った内容を、伝える。
「そうか……。
儂も昨夜、同じような『ユメ』を見た。
だから、ここへ参った」
源造は、吐息をつく。
「なすべきことは?」
「ない――。
手遅れだ」
「……」
「今日まで、保てたことを幸いとしなければなるまい」
俯きかげんに軽く首を左右に振る。
「そうかもしれません。
私たちは、十分に生きて来られたと言ってもよいでしょう。
しかし、娘が不憫でなりません」
唇をかみしめた滝子の目は、潤んでいた。
「十四歳だったかな?」
「ええ」
二人の間に、沈黙が流れた。
「少し気になったことがあった。
『ユメ』の最後に、ある物が見えた」
天空から白銀の光を放ちながら、降下してきたものがあった。
細長い流線形の物体であった。頭頂部は、鋭い剣の切っ先を思わせた。
そのまま勢いを損なうことなく海面に突入し、そのまま没していった」
「どう言うことでしょう?」
「わからぬ。
だが、何らかの『報せ』ではないかと思っている。
吉兆であったなら良いのだが――」
「そうであれば、うれしいですね」
滝子は指先で目元を拭い、わずかに微笑む。
――源造と滝子が立ち話をしていた頃、神宮の土用殿(明治二十六年以前まで神剣が祀られ、本殿とされていた)地下にある「秘せられた石室」では、一振りの剣が青白い光を放ち、微細動を繰り返していた。