カイトとの出遭い――「星宮社」と千竈氏の謎
社の前では、若い男の人が写真を撮っていた。
「あらっ?
福沢海人さんじゃないかしら――」
滝子が、声を上げた。
青年が、振り向く。
「あっ、やっぱりカイト君だ!」
笑顔で、手を振る。
足早に近づいた。
「鈴木さん――。
奇遇ですね」
カイトも、にこやかに応える。
滝子とカイトは、同じハンググライダークラブに所属している。
インストラクターと訓練生の関係だ。
フウカも、顔は知っている。しかし、挨拶を交わす程度の付き合いしかない。
「ホント、奇遇だわね。
こんな所で遭うなんて――。
何しているの?」
遠慮のない態度で、語り掛ける。
「ちょっと調べたいことが、ありましてね。
鈴木さんは、どうして?」
「このお社は私の実家と縁があるんで、ときどきお参りに来ているの」
「ご実家って……、失礼ですが旧姓は千竈さんなんですか?」
急に勢い込んで、カイトは尋ねた。
「そうなのよ。
珍しい姓でしょ」
滝子は、カイトの態度の急変に驚きながら答えた。
「すみません。
つい興奮してしまいました。
今、ちょうど千竈氏の歴史について調べているところなんで――」
「そう言えばカイト君は、史学科の学生さんだったよね。
何で、また――?」
「じつは、熱田神宮と尾張氏、千竈氏の関係について調べていましてね。
知我麻神社の元宮が星宮社にあると知って、見に来たんです」
「へェ――、そうだったの」
「――アッ! 鈴木さんは、神宮にお勤めでしたよね?」
「ええ……」
「ますます興味が湧いてきました!」
カイトは、独りで盛り上がっている。
(何なの? この人は……)
側で聞いていたフウカは、思った。
普通の大学生に見えるが、ちょっと変わり者なのかも知れない。
「どこに興味を持たれたの?」
「千竈氏と神剣の関係です」
「……!」
滝子は内心、驚いた。
「影仕え」は、秘匿されているはずである。
千竈家が尾張地方で勢力を失ってからも千年余り、密かにおこなってきた。その活動は、熱田神宮関係者にも知られていない。
「本来、大宮司職は尾張氏の本家筋が継いでいたんですが、平安時代後期に外孫の藤原南家、藤原季範に譲られてしまっているんです。
『霊夢』によってとのことですが、ちょっとどうかと思いました。
季範は職を継いだものの京都に在住していて、大宮司の職を疎かにしている。
何か権力がらみの事情があったんでしょうが……」
カイトは、自分の考えを述べた。
「それが千竈と、どのような――?」
「神剣のお世話は、尾張氏にとって最重要の任務であったはずです。
秘密も、いっぱいあったでしょう。
藤原南家とつながりができた尾張氏が直接的に行っていたのでは、いつか神剣の秘密が外部に漏れてしまうと、考えたのではないでしょうか?」
「なぜ千竈へ――?」
「たぶん尾張氏の縁戚であり、同じく古代から続く家柄だったからではないでしょうか?
それに、中央から目に付けられにくい。
古代には重要視されていましたが平安時代後期ともなると、単に尾張氏と縁のある一族と見なされていましたからね」
名古屋市南区北部に「千竈通」という地名がある。ちょうど知多半島への入り口に位置する辺りだ。以前は、海に面していたらしい。
近世の頃までは、製塩業が盛んであったようだ。古い時代の製塩は、海水の塩分濃度を高めた上で煮詰めるという方法でおこなわれていた。
つまり「千竈」と言う地名は、「千の竈」で塩を炊いていた場所であるということだ。
製塩には、多量の薪と人手が必要となる。莫大な資金と組織力がなければ、成し得ない。
「千竈氏」は、尾張地方において上代から富と権力を蓄積した有力氏族であったようだ。
熱田神宮とのつながりは、明確にはわかっていない。
現時点において確かなのは上知我麻神社の祭神が、「乎止与命」であることだけだ。
オトヨは尾張氏の祖とされる人物である。神話では、「日本武尊」の伴侶である「宮簀姫」の父である。
オトヨの館は、「松炬島」にあったとされる。(現在は、笠寺台地の一部となっている)
ヤマトタケルは館を訪れ、娘のミヤズ姫と結ばれた。姫は、ヤマトタケルから草薙剣を預かり、ヤマトタケル亡き後も守り続けた。
熱田神宮は、クサナギの剣をご神体としている。オトヨとミヤズの血を引くとする尾張氏が長らく神宮の神主を務め、奉ってきた。
尾張氏は古代から続く大豪族であり、朝廷とも縁が深い。
源流をたどれば、安曇氏や和邇氏と同じく「紀元前に日本へ渡ってきた「百越系種族」(越族近縁説)ではないかとの見方もある。千竈氏も海人族で、同類であったろう。
オトヨの館が松炬島に在り、千竈郷と隣り合っていることを考えれば千竈氏は、尾張氏の親族もしくは縁を結び、一統に加わっていた姻族ではないかと推察できる。ならば、「オトヨ」を「上知我麻神社」で祀っているのも頷ける。
ちなみに日本における海人族の元締めは、「安曇氏」である。「アヅミ」とは、「海へ潜る者」または「海に住む人」と言う意味らしい。
「アヅミ」の名は、現在でも日本各地に残っている。愛知県の渥美半島も、「アヅミ」たちが多く住み暮らしていたことから名づけられたとのことである。
出自は周辺の島々を含む北九州沿岸部で、主に漁労を営んでいたと思われる。
海人族のルーツは、中国の長江流域に発する「倭人」(東方へ向かった百越)であろうと考えられている。いわゆる稲作を伝えたとされる弥生人だ。
安曇氏は神話の時代から天皇家と縁戚関係を持ち、朝廷においては、天皇の「食」を司っていた。古代における「食」は、穀物と海産物が主であった。
「食」は、人の命を保つのに欠かせない。栄養学を知らない当時の人々にとって、「生命=生霊」であったであろう。安曇氏は、「霊的に天皇を支えていた」という存在とも言えよう。
朝廷より「海人族の司」として公に認められていた。
尾張氏と千竈氏も海人族として、安曇氏の差配を受けていたと推察される。
「姓氏録」や系図資料では、安曇氏と尾張氏は共に綿津見(海神)を始祖とする。
「……」
「すみません。
けして軽視しているわけではなく、持続性を考えたら妥当ではないかと――。
地元の経済基盤もしっかりしていて、家が絶える可能性も低いじゃないですか?」
滝子の顔色をうかがいながら、カイトは語った。
「――よく調べていますね。
感心しました。
でも残念ながら千竈の家と尾張氏とは、縁が薄くなってしまいました。
私が神宮に勤めているのも、個人的理由です」
いくら親しいといっても、「影仕え」の話をするわけにはいかなかった。
「ですよね。
あくまでも僕の勝手な推論ですから……。
許してください」
「いえいえ、千竈の家に関心を持ってくださって有り難く思っています。
私も、興味が湧いてきました」
源造から宝剣の話を聴いたばかりなので、カイトの洞察力に驚愕した。
また、偽りなく興味が増した。
カイトは、さらに次のような見解を示した。
ここの上知我麻神社と下知我麻神社の主祭神は熱田神宮と同じであるが、下知我麻神社の方には、「伊奈突智老翁」が併せて祀られている。だが、江戸時代に著された「尾張名所図会」には、両社の処に「イナツヲキナノ社」とだけ記されているので当時の地元の人々には、この人物(神?)のみが祀られていると認識されていたのではないだろうか?
この人物は伝承によると、「土竈で固塩(固形の塩)を焼く技術を伝えた人」だという。つまり千竈氏の祖もしくは一族が祀っていた神ではないか?
――とのことだった。
「それに本来の信仰対象物は社ではなく、横にある岩と樹だったんじゃないかと思ったんです。あくまでも想像ですが――」
カイトは地面から突き出しているような岩を指さした。指先のような形で、注連縄が巻かれている。樹の方にも巻かれていた。
「なぜ、そう思ったの?」
「古代では、神が降臨するのは、主に大樹や大岩、『磐座』と言うんですが、自然物だったからです。有名な奈良の『大神神社』も、そうですよね」
「なるほど、確かに……」
滝子は大学で神道学を専攻していたので、カイトが言わんとしていることは理解した。
「それにしても、良いところですね。
ここが昔、岬の突端で海を一望できたんですよね。
逆に海で働く人や船で行き交う人からも見えて、心の拠り所となっていた――。
『常夜燈』があって、その燈火が目印になっていたそうですね。
当時の光景を想い描くと、ウットリしてしまいます」
カイトは、憧憬の眼差しとなっていた。
「うふっ、カイト君ってロマンチストなのね」
滝子が、微笑みながら言った。
フウカは打ち解け合って話し込んでいる二人を見て、少しシラケた気分になっていた。
(今は、住宅地が広がっているだけじゃない)
学校でも友人たちがアイドルの話などに熱中していたりすると、こんな気持ちになった。むろん口に出しはしないし「お愛想笑い」をしたり、うなずいたりはする。
欠伸を噛み殺しながら樹の間を見上げると、どこからか潮騒の音が聞こえてきた。