フウカの夏――見知らぬ少女からの呼びかけ
ジリジリと肌を焼く太陽――。
名古屋の街中を歩くフウカは、気温を表す電子掲示板を見上げた。
(三十七度!
はぁ――、暑いはずだ)
マスクと眼鏡を外し、顔の汗をハンカチで拭う。
「おさげ三つ編み」が、揺れる。
白い半袖ブラウスとチェック柄のスカート、高校の制服だ。
短い夏休みではあるが、出校日があった。
午前中だけだったので、友人と下校途中に市街地の店へ立ち寄った。
名古屋は地下街が発達しているので、たいていの用事は暑さ知らずで済ませることができるが目的の店は、あいにく地上に在った。
「こりゃ、たまらんわ。
フウカ、アイス食べよ!」
隣の奈美が、オッサンのような叫び声を上げた。
ボーイッシュな髪型、陸上部に所属する体育会系女子である。
連日の猛暑で、さすがに部活も自粛中だ。
「マク○ナルド」へ駆け込み、一息つく。
店内は中高校生などの若者で、込み合っていた。
「私たちが大人になるころには最高気温、何度になっているかな」
ナミが、グチっぽく言った。
ソフトクリームを浮かべたコーラを、ストローでズズッとすする。
「四〇度、超えているんじゃない」
フウカは、カップ入りのアイスクリームを口に運びながら答える。
「そんな涼しい顔で、サラッと言うんじゃないよ」
「だって、テレビで言ってたもん」
「まぁ、そうなるんだろうけどね……」
ゲンナリした顔のナミが、ポツリと言う。
「しかたないんじゃない」
そう言いながらフウカは最近、言い知れぬ胸騒ぎを感じていることを思い起こした。
「盆踊りや花火大会も中止になっちゃって、つまらない。
海へ行きたいなァ――」
「暑いだけじゃないの」
「浜辺でのステキな出会い、――なんてあるんじゃない?
来年は受験があるし、期待できそうなのは今年だけなのにな」
「もうすぐ夏休み、終わっちゃうよ。
宿題、ぜんぶ済ませちゃった?」
「フウカったら、ホントに夢がないだから――」
会話が、途切れた。
「……」
確かに今年はコロナのせいで行動が制限され、鬱屈した日々が続いていた。
テレビや新聞を見ても明るい未来を描けるような情報はなく、自然災害や景気の落ち込みといった暗い話題ばかりが目に入った。
また、個人的にも大学進学や就職といったお決まりの人生コースは想定できても、将来に対して大きな夢を抱くということはない。「彼氏」を作ることなど、論外だった。
今、あるのは、P証やXP証のライセンスを取得してハンググライダーを自由に操り、大空を飛び回りたいということだけである。
ここ数日、気にかかっていることがあった。
明け方、目覚める前のトロトロした意識の中で、「呼び掛ける声」を聴いた。
その「声」は遥か遠くからのもので、蚊の羽音と紛うくらい微かにしか届いていなかった。
「フウカ、フウカ……、助けて。
私の力では、もう止められない。
あなたの力が、必要なの」
弱弱しい女性の声だった。
誰であるかもわからない。
思い当たることもない。
言い知れぬ焦燥感だけが募った。
このことは、まだ滝子にも話していない。
今朝も、「声」を聴いた。
朝食の時間になっても、気分は落ち着かなかった。
「ねぇ、フウカ――。
今日、『星宮』へ行くけど、付き合わない?」
滝子が、声を掛けた。
「うん、いいよ」
少し間を置いて、返事した。
夏休みの宿題は済ませてあるので、とくに用事はない。
星宮社は千竈家に縁があるとのことで、幼い頃から連れて行かれていた。
神域は広くないが緑が豊かで、気持ちの良いところである。
食べ終わった食器を片付け、部屋へ戻って身支度を整える。
滝子を待って、家を出た。
日差しは、もう強い。
フウカはツバの広い白い帽子「ガーデンハット」を被り、滝子は日傘をさしている。
名鉄本線で、星宮社へ向かう。
「本星崎」の駅で降り住宅地を北西へ進むと、こんもりとした樹木に覆われた小山が、見えてきた。
(『ト○ロの森』って、こんな感じなのかな?)
フウカは小山を見上げ、ふと思った。
鳥居をくぐると、空気感が変わった。
ジーンとした軽く痺れるような肌感覚が、全身を包む。
不快感はない。むしろ心地良いくらいだ。
石段を上がって、四方が吹き抜けとなっている拝殿の前に立つ。
この社も、「尾張造り」だ。
手前から拝殿、祭文殿、本殿の順に並んでいる。
神域には熱田神宮と同じく楠の古木が目立つ。
敷地の全体が、ほぼ木陰となっている。
樹々を渡る風が、涼しい。
「気持ちいいね」
滝子が、周囲を見渡しながら言った。
「うん――」
フウカも、同意する。
(こんな所で昼寝したら、気持ちいいだろうな)
拝殿の板敷スペースに目をやりながら思った。
さらに石段を上り、社殿裏の高台へ向かう。
注連縄が巻かれた磐座と神木、二つの小さな社が、並んでいる。
「上知我麻神社」と「下知我麻神社」だ。
熱田神宮の社地にもあるが、元々は、ここ本星崎町にある「星宮社」の背後に在ったと言われている。星宮社建立以前から在り、旧来からの地主神であると伝えられている。
この神社は、逆涙形している「笠寺台地」の南端に位置する。笠寺台地は、古代において「松炬島」と称される島であった。つまり海を一望に見渡すことのできる「島の岬」に位置していたのだ。