表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/48

「越王勾践剣」と「剣の守り人」の由来

数日後、滝子は朝から、千竈源造の家を訪れていた。

源造と滝子は、伯父と姪の関係にある。明治初期まで「()(かま)」の姓を共にしていた。

 三ヶ月に一度の「お身拭い」の日だった。

 (みそぎ)は、自宅で済ませてある。

 三階へ上がり、祭殿前に座す。

源造は、上下とも白装束、滝子は白い上衣と緋の袴を身に着けていた。

大祓(おおばら)え」の祝詞(のりと)を唱え、次いで「お身拭い」の儀式をおこなうことを言上(ごんじょう)する。

源造が先に立ち、階下へ降りる。白い布で包まれた箱を抱えた滝子が続く。

ガレージの背後に隠し扉があり、地下へ降りる階段があった。

階段は、地下二階分あった。

コンクリートの壁に囲まれた部屋へ降り立ち、道具棚を横へずらす。

頑丈(がんじょう)そうな鉄製の扉がある。

扉を開けると目の前には、石組みの地下道があった。

源造はランタンを掲げ、前に踏み出す。(ぬさ)の付いた榊の枝を背に挿している。

石組みの道は緩やかな下り坂となっており、道路の地下を横断するかたちで熱田神宮方面へ延びていた。

歩みを進めた二人は、「土用殿」の真下辺りに到達した。

両開きの木製扉があった。

「ギギッ――」

 厚手の重い扉を開くと、ひんやりとした空気が流れ込んできた。

湿った土の香りが漂う。

部屋は、やはり石組みのようだ。

冷気のせいか薄い靄が、漂っていた。

足を踏み入れる。

肌寒い。地上の暑さが、嘘のようだ。

四方の壁の(くぼ)みにランプが置いてある。すべて点燈した。

石室の全体像が、浮かび上がった。

中央に横一五〇センチ余り、縦一二〇センチ余りの木製櫃があった。

朱塗りである。

源造が櫃の前にかしこまり、榊を左右に振ってから脇の支え器具へ立てる。

滝子は、背後に控える。

揃って額づいた後、祝詞を上げた。

(かい)()を取り出し、二つ折りにして口に(くわ)える。

白手袋をはめ、二人で上蓋(うわぶた)(はず)した。

石櫃が、現れた。

重い蓋を持ち上げる。

赤土で密着しているため、かなりの力を要した。

楠の丸太を半分に割り、中を()り抜いた容器が据えられていた。

敷き詰められた砂金の上に、錦の袋に包まれた物が置かれている。

源造が膝を突き両手で、そっと持ち上げ、そのまま(あと)退(ずさ)りする。

滝子が差し出した朱塗りの置き台の上へ、慎重に下ろして横たえる。

改めて二人は柏手(かしわで)を打ち、額づき、拝礼する。

源造は立ち膝のまま前進し、錦の袋を取り上げ、紫の紐を解く。

滝子が、脇から袋を引き抜いた。

剣が、現れた。白い布で巻かれている。鞘は、ない。

布をほどく。

剣の腹は中心線が少し盛り上がって(みね)となっており、菱形の斜線が刻まれている。

肌の色は赤黒く、刻まれた線には金が埋め込まれていた。

刃の部分は黒味がかった銀色で、錆は浮かんでいなかった。

源造は剣を立て、全身と両面を検分する。

滝子が、カタバミの葉を潰した汁を布に振りかけ湿らせたものを両手で広げ、源造の前へ差し出す。

源造が、刀身を載せる。滝子が布を折って挟み、ゆっくりと拭う。

カタバミはシュウ酸を含み、古来より銅鏡や仏具を手入れするのに使われてきた。

今でも十円玉をカタバミで磨く、子どもの遊びがある。葉をよく()んでからこすると、鋳造(ちゅうぞう)時の輝きを取り戻す。

滝子は二、三度拭ってから、別の白布で(から)()きする。

「お身拭い」を済ませると源造は、再び剣を立てた。

滝子が、部屋の燈火をすべて消して回った。

まだ座して、鈴を振る。

源造は千竈家に伝わる呪詞を唱えながら下腹の丹田に「気」を凝らせ、それを体幹にそって上昇させ、全身の隅々にまで行き渡らせる。

「気」が握った手から剣へ伝わる。霊的な(ひも)のつながり「(たま)()」が、結ばれた。

ビリビリと刀身が振動し始める。

青みがかった光を微かに帯びた剣が、闇の中に浮かび上がる。

「ヒュッ、ヒュッ!」

目を閉じた源造は剣を立てたまま、左右に振る。

(たま)()り」の儀式をおこなっているのだ。

神器は、ときおり振り動かして、込められた魂を活性化させる必要がある。

一連の動作の後、源造は剣を前で立てたまま、瞑想状態に入った。

しばらくして源造の気配が、変わった。脱力し、肩を落とした。

それを見た滝子は、燈火を()ける。

儀式は、終わった。

後始末をして、石室を後にする。


日本へ近づく火竜――ヤマタノオロチの巣へ

ビルの三階へ戻った二人はソファへ身を沈め、深く息を吐く。

「お身拭い」の儀式には、かなりの精神力を要するのだ。

「お疲れさまでした」

 冷たいお茶を差し出しながら滝子は、慰労(ねぎらい)の言葉を発した。

「ありがとう。

 お前さんもな」

 源造は(のど)を鳴らしてお茶を飲み干し、答えた。

御剣(みつるぎ)様の()託宣(たくせん)は、ございましたか?」

 気遣いながら、そっと尋ねる。

「ああ、ござった。

 (かんば)しくないな」

「……」

「火竜が、日本へ向かっている。

 七千年以上、眠っていたオロチ様に角突くようだ」

「二年前にフウカが見た夢が、やはり……」

「覚悟はしていたが、これほど早く起こってしまうとはな」

「いつ?」

「来年だ」

「……!」

 滝子は、息を飲んだ。

「その『時』を先に延ばす手立ては、ないのですか?」

「今のところ、思い当たらない」

 源造は、瞑目する。

「せめて後十数年は、猶予(ゆうよ)が欲しかったのですが……」

 滝子は、うなだれる。

「――だが、希望が、まったくないわけではない。

 (つるぎ)(ひめ)が再び(あら)われ、オロチ様を(おさ)えることができればな」

「剣姫?」

「御剣様が与えて下さったイメージの中に表れた。

 不思議な(いぬ)(あたま)の白い竜に(またが)った短髪の少女だ。

 全身に赤く文身(いれずみ)が浮かび上がっていた。『白粉(おしろい)()り』というやつかもしれない」

「犬頭の白い竜?」

 滝子は、思わず問い返した。

 そんな竜は、映画「ネーバーエンディン○ストーリー」に登場するファル○ンしか思い当たらない。フカフカの白い毛に覆われた「幸せの竜」である。

 フウカの大のお気に入りでファル○ン、犬頭で垂れ耳のヌイグルミを抱えて毎晩寝ている。愛機の名前も、同様だ。

(やはりフウカは、剣姫か?

 でも、イメージが合わない)

 「千竈の血筋だから、剣姫が顕現(けんげん)した可能性はある」とは思いながらも、現実感はない。

 源造が話した少女のイメージとも、異なる。

 滝子の頭には、学校の制服を着て「おさげ三つ編み」、眼鏡を掛けたフウカが、オモチャみたいな剣を片手にヌイグルミの竜に(またが)ってヤマタノオロチに立ち向かう姿が思い浮かんだ。

(まるで『ヘタなマンガ』だわ)

 弓道部に所属しているが、どちらかと言えば文化系タイプだ。図書室で、静かに本を読んでいるのが似つかわしい。

 フウカの友人たちに話したら、腹を抱えて笑い(ころ)げるであろう。

「スサノウのヤマタノオロチ退治の元ネタは、中国にあるらしい。

 記紀の三百年前、四世紀に著された『(そう)(じん)()』に似た話が載っている。

 場所は長江の下流域、『越』の国だ。

 頭が米蔵(こめぐら)くらいある巨大な蛇神に、生贄(いけにえ)として八人の少女が次々と捧げられた。

 九人目の少女は、一計を案じて蛇神を退治した。

 この時、少女を助けたのは犬だった。犬が噛みつき、少女が剣で切った。

 この話を耳にした越王が、少女を妃として迎えたと言うんだ」

 源造は、伝説の要旨を語った。

「スサノウのような英雄がやったのではなく、少女自身が犬と共に闘ったんですか」

 剣姫の話をしたいのだと思った。

「そうなんだ。

 少女は越人なんだろうな。最後に、越王の妃になった」

「……?」

「『越王勾践剣』のことは以前、話したことがあったな?

 また、我々の遠い祖先が越人ではないかということも――」

「ええ、クサナギの剣が、その『八本の内の一本ではないか』という話でしたね。

 『尾張氏の先祖が、日本列島へ渡ってくるときに持ってきたのではないか』とのこと」

「今日、御剣様をじっくり拝んで、改めて確信した。

 越人が(きた)えた『蛇の剣』だとね」

「蛇の剣?」

「『クサナギの剣』の名の由来は、知っているだろう?」

「ええ、ヤマトタケルが火攻めに()ったとき、『剣で草を()ぎ払ったことから名づけられた』という有名な神話ですよね」

「そうだ。

 しかし、剣の名の由来としては、ちょっと不自然だとは思わないかい?

 強い敵を倒したならわかるが、周囲の草をパッパと刈っただけだぞ?」

「神話ですから、(おお)()()に語っているだけじゃないですか?」

「この剣で『周囲の草を薙ぎ払って窮地を脱した。スゲエだろ?』と自慢するのかい?」

「――ちょっと残念な自慢ですねぇ」

「だろう?

 もともと『アメノムラクモの剣』、つまり『ヤマタノオロチを倒して得た剣』という立派な名前があったのを、『草を薙ぎ払った剣』に変えたんだなんて――。

 後世に伝えるほど価値のある話か?

 しかも、ヤマトタケル自身が剣を振るった記述は、この話だけだ。

 他にも武勇伝は、あるのにな。

 つまり『クサナギ』の名が先にあって、後から()()付けただけだ」

「でしたら、ホントの由来は?」

「ある著名な国文学の教授が唱えた説がある。

 昭和天皇の宮中御歌会始で(めし)(うど)を務めたほどの人だ。

 その説によると、

 『クサ』は、『クシ(奇)』で、美称。

 『ナギ』は、『蛇の古語』だとのことだ。

よって、クサナギは、『美しい蛇』とでも表現したらいいのかな」

「美しい蛇の剣、――ですか。

 確かに御剣様に刻まれた『金の菱形模様』は、『蛇のウロコ』を想わせますね」

「うん。

 同型の『越王勾践剣』自体に、その意味が込められていたんだと思う。

 越人は、『竜蛇信仰』を持っていたからな。

 蛇は越人にとって『畏怖の対象』でもあるが、『神聖な存在』でもある」

「越王の妃となった少女は『剣姫』で、『剣の守り人』だったんじゃないかと?

 物語は、『越の聖剣を守護する剣姫』の存在を意味づけるものであると――」

「そう考えている。

あくまでも想像の領域を出ないがな」

「私たちの遠い御先祖様ということになりますか?」

「そうなるかな」

「ロマンでは、ありますが……」

 話の筋としてはわかるが「飛躍し過ぎかな」と滝子は、思った。

 二千年以上前の話である。真実など、わかるはずもない。

「確かにな。

 にわかには信じがたいことであろう」

「……」

「我らと直接的なつながりがあるかどうかは別として、紀元前に越人が日本へ渡ってきていることは確かだ。

中国の古書だけでなく考古学的、さらには遺伝子の類似性においても証明されつつある。ネットで調べてみたらいい。

 海辺の民である呉国や越国の人々が、大陸での戦乱を避けて日本列島へ渡ってきたというのは、ごく自然なことであろう。

 歴史学では『倭人』または『弥生人』ということで(ひと)(くく)りにされているが、それぞれ事情や立場、環境が異なっていたと思う。

 現代人がイメージするのは歴史の教科書で見た『貫頭(かんとう)()を着た農業人』、一般民衆だ。

だが、個人や家族単位で渡ってきたのではないはず。

遠距離移動をするためには『船や航海術、天文知識、農業生産や漁労など食料調達の手段、さらには武力を持った集団』でないと難しい」

「有力者に率いられた『知識、文化を持った集団』ということですね」

「当初は越国に敗れた呉国人が、主力であったろうな。紀元前五〇〇年前の頃だ。

 そうした人々が九州各地に集落を作り、やがて『国』を名乗るまでになった」

「次に越国の人たちが来たんですか?」

「たぶん――。

 楚国に攻められて敗れたからな。紀元前三〇〇年くらい前の話だ。

 その頃は、すでに九州には呉系の国々があったが、なんとか入り込んだらしい。

 まさしく『呉越同舟』だな。

 それでも新天地を求めて、海岸沿いに本州へ渡っていった一族もあったとされている。

 山陰、さらには北陸地方へもな」

「南方民族なのに、冬の寒さや雪に耐えられたんですかね?」

「それは、わからん。

 古事記や日本書紀には、北陸地方に『コシ』と呼ばれる国が在るとしている。

 日本書紀では『越』の字を使っているんだ。

 今でも、北陸地方は『越前』『越中』『越後』と呼ばれているだろう?

 『コシ』の呼び名に『越』の漢字が当てられたと考えられているが、『越』の字が地名として先にあり、後から『コシ』と訓読するようになったとする説もある。

 『コシ』が『越』で、越人の国があったかどうかはわからない。

 気になるのは、古事記に『コシのヤマタノオロチ』と記していることだ」

「オロチは、コシの出身またはコシから来た……ということですか?

確かに意味深ですね」

滝子は、相槌(あいづち)を打つ。

(銘柄米『コシヒカリ』は越後の国、新潟が名産地だったわね)

 ふと関係ないことが、頭に浮かんだ。

牽強(けんきょう)付会(ふかい)になりそうだから、これ以上言わない。

 しかし、興味深い。

 なぜわざわざ『コシの――』などと記しているんだろうか?」

「……」

「ところで、ヤマタノオロチ伝説って、記紀にしかないのですか?」

「物語ではないが、似たような伝承は各地にある。

 『九頭(くず)(りゅう)』伝説というかたちでね」

「九頭竜――。

言葉は、聞いたことがあります」

「一番古いのは、発掘された奈良時代の木簡に記されていたものだ。

 『奈良の南山に棲む九頭竜に、疫病の原因となる鬼を食べて貰った』という話だ。

 古くは土地の神霊として崇拝されていたらしい。

 後世になると生贄を要求する悪神扱いされるケースが増える。

 英雄に倒されたり高僧に調伏(ちょうぶく)されたりして、改心して善神となったというパターンだ。

 多くは水神として(あが)められている。

 神奈川県の『箱根神社』を初め、全国各地にある。

 千葉県にはヤマトタケルが、生贄を要求する九頭竜を倒したという伝説も残っている。

 これらの話は中国の道教に発するもので、おそらく修験者たちが広めたんだろうな」

「へェ――」

「時代は下るが鎌倉時代の仁治元年、肥後の国、熊本県の阿蘇山が噴火した際、『九つの蛇が火口から姿を現した』という話もあるんだ。

 九本頭の蛇ということかな」

「フウカが二年前に見た夢と似ていますね」

「ああ、儂も見た……」

 二人の話は、火山と竜蛇との関係に移った。

「鹿児島にある巨大な海底火山に、ヤマタノオロチが眠っている。

 そして、目覚めのときが間近に迫っているということでしたね」

「儂やフウカが見た夢と、御剣様が与えて下さったビジョンの意味を考えると、そういうことになる」

「オロチが目覚めて破局噴火が起これば、日本は壊滅する――」

「火山噴火に関する観測結果、データと学説を重ね合わせて考えれば、ほぼ間違いない」

「その破局を少しでも遅らせるためには、『剣姫を覚醒させ、オロチを抑えなくてはならない』ということなんですね」

 源造の言葉を疑うわけではないが、すくに(うなず)くわけにはいかなかった。

 源造の話をまとめれば、尾張氏の係累である千竈氏の祖先は、越人にまで(さかのぼ)ることができ、二千年以上も「越王の剣=クサナギの剣」を宝剣として守ってきた。

 「クサナギの剣」は「蛇の剣」であり、ヤマタノオロチの分身でもある。

 よって、唯一、オロチを抑えることができるものだ。

 古来より「剣姫」が「剣の守り人」として在り、危急の際には剣を振るって災厄を払い除ける役目を負っている。

 その剣姫が、娘のフウカではないかというのだ。

(『火山の大噴火を少女が、剣を振るって抑える』なんて、ファンタジーに過ぎる)

 だが、源造の言葉を否定することはできなかった。

 御剣様は、ただの金属であるはずなのに淡くはあるが青白い光を発し、微振動を繰り返していた。

 また、これまでに源造の受けた神託は、かなりの確率で当たっていたのも事実だった。

日本の破局が近づいていることは、納得していた。

(現実社会において実体があるはずもないオロチと、どのようにして相まみえるのか?)

 滝子には、想像もつかなかった。

 「この世の在り方」について、以前から聴かされていた話を思い起こした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ