熱田神宮の神剣――どのような物なのか
「天皇と剣の関係はわかったけど、熱田神宮の剣は、どんなものなの?」
「神話レベルでは同体の聖剣なんだけど、熱田神宮に祀られているという点で、少し意味合いが異なるんじゃないかと僕は考えている」
「結論から言うと、元は『尾張氏の宝剣』だったんじゃないかと考えている」
「尾張氏が先祖代々、伝えてきたということ?」
「確たる証拠はない。
まぁ、僕の想像に過ぎないけどね」
「……?」
「尾張氏の先祖をたどれば、紀元前に日本へ渡ってきた『百越』、広い意味での『越人』に行き着くと思っている」
「百越?」
「百越とは、古代中国大陸の沿岸部に住んでいた南方民族の総称なんだ。
ちょうど今の上海から南の地域といったら良いのかな。江南と言われているところだ。
長江の中・下流域で栄えた『長江文明』を築いた人々と見られている。
中国人の主流となっている漢民族とは、まったく異なる。
漁労や航海術に優れていた海洋民族で、稲作・短髪・文身・高床式住居・竜蛇信仰などの特徴を持つ。『普段は上半身、裸で文身を入れている』なんて中国の古書に書かれている。
倭人も、同族とされている」
「『魏志倭人伝』の?」
「そう、弥生人と言ってもよい。
紀元前から、日本列島へ渡ってきていた」
「何で渡ってきたの?
大陸は、戦乱が続いていたからじゃないかな。
『周』、つまり『春秋戦国時代』。
かなり文化程度の高い人たちも、集団で逃れてきたと思われる」
「あっ!
漫画『キング○ム』の時代だ。
『秦』が、全国統一するまでの時代だね。
群雄割拠して、乱れに乱れていた――」
「秦の統一が紀元前二二一年、その前の四、三百年前くらいの期間かな。
その頃、一族郎党で海岸沿いに移動し、北九州へ渡ってきた人々が多くいたはずだ。
稲作や製塩、金属加工、建築などの知識や技術を携えてね」
「いわゆる『渡来人』というやつだな」
「うん、ごく初期のね。
歴史学上の分類では、日本人の源流の一つというのが正確だけどな。
紀元前三百年前頃、『呉』とか『越』といった国があった。
いずれも広い意味で『越人の国』だ。風俗習慣は、似ている。
でも、『呉越同舟』と言う言葉が残っているくらい仲が悪かったけどね。
こうした越人の国は、稲作や銅製品で栄えていたらしい。
『呉』系の人も、『越』系も、それぞれ戦乱を避けて日本列島へやってきた。
今でも、その子孫を名乗る人たちがいるんだ」
「尾張氏も呉系か越系の人かはわからないけど、越人の系統じゃないかと思っている。
とくに『越』なんかは剣の鍛造で、有名だった」
「剣?」
「うん、現存する物では、『越王勾践剣』というのがある。
一九六五年、中国の湖北省江陵県の古墳から発掘されたんだ。
越の王様『勾践』の剣と言う意味だね。
二千年以上も前のものなのに錆一つなかったらしい」
「そんなバカな。
埋まっていれば、錆びるだろ!」
「ホントなんだ。
研究者も不思議に思って、剣の成分を詳しく調べたんだ。
全体としては、『白銅』で出来ていた」
「白銅?」
「銅製品は、銅と化合物の含有率で種類が分かれる。
青銅と白銅は、錫が含まれている。
その割合で色が変わる。
錫が少なければ新品の十円玉のような赤銅色となるが、量が増えると黄金色、白銀色と変化していくんだ。白銀色のものを『白銅』と呼ぶ」
「十円玉って『青銅』なの?
青銅って、青緑っぽいものだと思っていた」
「あれは、酸化しているだけなんだ」
「越王勾践剣は発掘されたとき、刃の部分は錆もなく鋭さを保っていたというんだ。
柄を含めて約五六センチ、幅五センチ弱くらい。
剣だから、両刃で先は三角形に尖っている。
刃以外の胴部は少し赤黒く、二重の斜線が菱形に彫り込まれているんだって。
『越王勾践が自作して用いた剣』と刻字されているとのことだ。
ホントに自作したとは思えないけどね。
最初から神具として制作されたんだろうな。
越の剣は、使わずに箱へ入れておくのが通例だったみたいだ。
全部で八本あったみたいだけど他の剣は、どこへ行ったんだろうね」
スマホを取り出したカイトは、「ウィキペディア」で調べながら言った。
「越人は『剣を一族の神具として祀っていた』ということかな。
それほど剣にこだわりを持っていたんだ」
ユウヤは、感嘆の声を漏らした。
「成分を調べてみると、剣の胴部は銅が八〇%、錫が一九%弱で、鉄と鉛、そして、硫黄が微量含まれていたようだ。
刃の部分は銅と錫が、約六対三の割合。微量だけど硫黄の量が、他の部分より多い。
錫の量を増やすと硬くなるので、切れ味を良くするためなんだろうな。
けっこう手間を掛けているね」
「どうして錆びなかったの?」
「よくわかっていないけど硫黄がまぶしてあったみたいだから、そのせいかも」
「ところで熱田神宮の『クサナギの剣』とは、どういう関係があるんだ?」
「うん、それなんだけどね。
まず前提がある。
本来、剣は『誰も実物を見たことがない』とされているんだ。
皇室の剣も神宮の剣もね。
「皇室の剣も?
誰も見たことがない。
つまり千数百年、手入れもしていないということ」
「そういうことになるよね」
「いくらなんでも錆びちゃっているんじゃないの?」
「そのはずなんだけどな」
「聖剣なんだろ?
錆びていたら、困るだろう。
そうだったら、ちょっとカッコ悪くないか?」
「僕も、そう思う。
じゃあ、実際は、どうなのということになる。
『見てはいけない剣』だけど、見てしまった人たちがいるんだよ。
その記録が残っているんだが、形状表記が勾践剣と似ている」
「いつ頃、誰が?」
「江戸時代の徳川綱吉のとき、熱田神宮の大改修があった。
同時に剣を収めた入れ物、櫃も新しくした。
その時、大宮司社家の宮司たち四、五人が実物を見ちゃったというんだ」
「だったら仕方ないんじゃないの?
神職だし――」
「大宮司社家は尾張氏の血を引く人たちだから、問題ないとも思うんだけどね。
本人たちも、そのつもりだったんだろうな。
でも、ダメで、後から罰を受けたらしい。
剣を見た話を外部の人に話しちゃったからかな?
ともかく話を聴いた外部の趣味人が、記録に残したんだ」
「そうなんだ」
「その記録によると神剣を祀っている神殿の中には、靄が掛かっていた。
木造建築物なのに、何で靄が掛かっていたんだろうな?
そんなはずないのにね。
木製の大きな箱があった。
その櫃を開けると、石の櫃が置いてあった。
さらに開けたら、赤土が詰まっていた。
真ん中に刳り貫かれた楠の丸太があり黄金が敷かれていて、その上に布に包まれた剣があったんだって。
布をほどいてみると、剣が出て来た。
長さ二尺七八寸、およそ八五センチ。
刃先は、菖蒲の葉に似ている。つまり両刃の剣の形だよね。
色は全体的に白っぽく、錆はなかったというんだ」
検索したネット上の資料を見ながら、カイトは説明した。
「おそらく白銅の剣なので、錆びていないということか」
「越王勾践剣と似ていると思わない?」
「確かに……」
「まだまだ証拠としては、足らな過ぎるけどね。
越人の血を引く古代氏族、尾張氏が、『一族の宝剣としてクサナギの剣を代々、守ってきた』と考えるとワクワクするだろ?」
「でも、神話上はアマテラスからニニギが授かって、天皇家が伝えてきた剣なんだろ?」
「うん、そうだよ。
でも、実際に守ってきたのはオトヨ、ミヤズ姫の血を引く尾張氏なんだ。
ヤマトタケルは、姫に剣を託して薨去したことになっている。
「どうして大事な神剣を手放しちゃったの?」
「うん、そのことなんだ。
手放した理由については、はっきりわかっていない。
ただ気になる言い伝えはある。
尾張氏の家にいたとき、ヤマトタケルが厠、トイレへ入ろうとして剣を桑の木に掛けておいた。そのまま忘れて部屋に戻った。
思い出して桑の木に戻ると、剣が神々(こうごう)しく光輝いて手にすることができなかった。それで、ヤマトタケルは『剣を我が形影として祀るように』と言って出陣して行ったという話があるんだ。
つまりヤマトタケル自身が剣を持って、尾張氏の家を出ることができなかった。
また、別の話もある。
天武天皇の時代、事情があって、熱田神宮の神剣が一時的に宮中で保管されていた時期があった。あるとき天皇が病に伏し、占ってみたところ『クサナギの剣の祟り』と判じられた。それで、神宮へ戻されたと言うんだ。
神剣が、尾張氏の下から離れるのを嫌がったということなんじゃないかな。
こんなことから『元から剣は、尾張氏の手元にあった』と考えた方が自然じゃないかと僕は、考えているんだ。
ミヤズ姫は、霊的な『剣の守り人』、祀り人だったんだと思う」
「……?」
「天皇家との関係を考えるにはヤマトタケルが、どういう立場だったかを知る必要がある。伝説上の人物だけどね。