境内の蛇に生卵を供える――熱田神宮と大神神社
「A教授って、自由だよね。
うらやましいな」
カイトは、独り言のように言った。
「だよな。
地球環境学なんて学んでいると、将来的な見通しについて悲観的なデータばかりが目に付くんだ。絶望的な気分になる。
それを教授に訴えると、『さっさと絶望しちまえ!』と笑いながら言うんだ。
『絶望してから、自分の持ち札を見ろ』ともね」
グチめいた口ぶりで言った。
「どういうこと?」
「『確かに絶望的だ。事実として、受け入れろ。だが、今、この瞬間は、生きている。
だったら、次に『自分が打てる手』だけ考えろ』ってことらしい。
『絶望の先にこそ、光はある……かもしれない』なんてね。
メタラーなんてカッコばかりつけて、仕方のないヤツらだよな」
トホホといった感じではあったが語調や表情からは、親しみと敬愛の念がうかがわれた。
話し終わったA教授が例のXポーズで、ニヤッと笑う場面が思い浮かんだ。
(軽い話しぶりだったけど、けっこう深い内容だったよな)
おそらくイタリア文学の古典「神曲」が、あるのだろう。
著者であり主人公でもあるダンテが、ひょんなことから地獄巡りをすることになり、最後は天界へ至るという話だ。
「地獄の門」のは、「この門をくぐるものは、すべての希望を棄てよ」と書かれていた。
その「地獄の底」を経て、ダンテは心の安らぎを得る。
(絶望を経ないと、心の安らぎは得られないのか……。
希望を絶って後、自分の手に残っている『できること』を見て、やっていけということか。
人間って、とことん底を見ないと、自分を変えていけないらしいからな――)
二人の間に数秒、沈黙が生まれた。
「どうせだから、お参りでもしていくか?」
カイトが、提案した。
「そうだな」
立ち上がって「手水舎」の方へ向かった。
作法に従って手と口を清め、ハンカチで拭う。
ふと横を見ると、大楠が目に入った。注連縄が、巻いてある。
「大きな樹だな?」
横のユウヤに言った。
「ああ、境内に七本ある大楠の内の一つだ。
胴回りは約七メートル、高さは二〇メートルといったところだろう。
『空海お手植えのクスノキ』なんだって。樹齢は千年以上だ。
ちょっと根元を見てみろよ」
近寄って、ユウヤが指さすところに目をやった。
鶏卵が三個置かれ、金網で覆われている。
動物に食べられないようにしているのであろう。
「何だ、こりゃ?」
「樹の洞に棲んでいる蛇へのお供えらしいよ」
「蛇が――?」
「うん。神様のお使い……かな。
実際に、食べにやってくる。
白いやつとか黒っぽいやつとか、八から十匹くらいは居るみたいだ」
「ホントに?」
「散歩がてら毎日のように通っている近所のジイさんが、言っていた。
見たら、金運が上がるそうだ」
ユウヤが、そう解説した。
「アッ!
いるぞ」
間を置かずカイトが、叫んだ。
幹の穴から顔を出し、舌をペロペロさせ、すぐに引っ込んだ。
「ラッキーだな。
なかなか見られないんだぜ。
これで、金持ちになること間違いなしだ」
ユウヤが、祝福した。
「ビギナーズ・ラックだな」
カイトは、即座に応える。
(そう言えば、奈良の『大神神社』でも見たな)
三輪山をご神体とする古代からの神社だ。
元々は、社殿もなかったという。
神話において祀られているのは大物主という神で、「蛇体」ということになっている。
拝殿前に「巳の神杉」が立っていて、蛇が棲んでいるという。
やはり鶏卵が供えられていた。
白蛇で、「神の化身」とされている。
だが、実際の目撃例はなく、売店の人が「私の母親が、見た」といった程度の信憑性だ。
根元にある洞には、今は白蛇の代わりに青大将が棲んでいるという。
カイトは、このことを思い出し、心に引っ掛かりを感じた。
(『蛇を祀る社』か――)
熱田神宮が、公式に蛇を祀っているということはない。
だが……。
改めて社殿を見渡す。
現在は、伊勢神宮と同じ「神明造り」だ。
しかし、明治二十六年以前は、この地方独特の「尾張造り」だったらしい。
鈴を鳴らし、手を合わせる。
「ここは、クサナギの剣をご神体としているんだよね。
ナゼだろうな。
俺、地元の人間だけど、よく知らないだわ」
ユウヤが、言った。