線引きされる者達1
あれから数日経った。
花岡はあれから毎日のように人の家に上がり込んでは人の机に座り、人のお菓子を食べながら勉学に勤しんでいる。
今日も今日とて来訪してくるのだろうか……。
重い気分とともにスクールバックを持ち上げて靴を履いて玄関を出る。
アパートを出て少し歩けば歩道の上まで屋根がかかった商店街通りに入る。
ここ最近寝付きが良くなかったせいか、いつもの通学路が長く感じる……。
いや、元々寝つきが良い方ではなかった、そういう意味なら単純に疲れる要因が増えただけなのかもしれない。
ぼーっとした頭も足を動かしているとやがて体中に血が巡り、少しずつ活性化していくとつい先日のことが頭をよぎった。
昨日は本当に酷かった、というより段々と態度が肥大化している気がする。
どれくらいか酷いかと言うと人の冷蔵庫勝手に開けて雪見だいふくを半分食べるくらいには図々しくなった。だいぶ酷ぇな。
ここ最近のことを思い返すと真っ先に花岡の顔が浮かび、同時にある懸念も生まれた。
昨日もちゃんと家に帰っただろうか?
18時前には家から追い出して軽く見送りはしたのだが彼女が家に帰ったところを確認したわけではない。
以前のように面倒にならなければいいのだが……嫌な予感しかしない……。
常に最悪の事態を想定するのが癖になっており、頭の中では嫌な想像ばかりが水泡のように浮かんでは消え浮かんでは消えていた。
そんな根拠もない類推をすればあっという間に学校手前の橋に差し掛かり、周りには自分と同じ制服を見に纏った生徒が組になって歩いていた。
男子は灰色のスラックスに紺のブレザー、女子は膝丈ほどの紺色のプリーツスカート。
皆、俺と同じような格好なのに俺の目には各々全く異なって映った。
年以上に大人びている者、落ち着きなく動き回ってる者、どこか自信がなく制服に着せられている者、気怠そうに眠い眼を擦っている者。
皆銘々に十人十色。だが、その足が辿り着く先は同じで一つの学び舎。
色褪せた臙脂色の外壁に所々錆の見える校門。
創立してからどれだけだったか知らないが剥げた塗装がその年齢を感じさせる。
下駄箱から上履きを取り出し、右手の職員室を通り越して渡り廊下の先の階段を上がる。もう半年も続けたルーティーンはすっかりと体に染み付いてその足取りは自動的に教室へと向かっていた。
「…….?」
教室の目の前まで来て感じる違和感。
普段ならふざけた笑い声やきゃっきゃっと絹を裂くような甲高い声が薄い戸から漏れ出ていた。
だが今の中の雰囲気はどこか厳かでヒソヒソと小さな声が飛び交っている。
どこか入室が憚られる中、俺は極力音を立てずに静かに戸を引く。
かたり、と小さい音にクラスの視線がばっと集まったかと思うと、再び小さな声の勢いは加速していく。
刺すような視線にギッと体が軋み、体が一瞬固まる、が振り払うように小さくかぶりを振って自席に着いた。
室内に漂う異様な空気は淀んでいて疑心に包まれている。一体全体何があったんだ……。
周囲を見渡すこともできず縮こまっている俺に近づく一つの足音。それは目の前の席に座ると気さくなトーンで話しかけてくる。
「よっ、幸平」
「拓人……」
そこにはいつもと変わらぬ面持ちで対応してくれる奴がいた。
ちょうどいい、こいつなら何か知っているかもしれない。
俺は声を聞こえるであろうギリギリまで絞って周りに悟られないように尋ねる。
「……なぁ、なんか教室の雰囲気おかしくないか?嫌に注目されている気がするんだけど……」
俺の問いがおかしかったのか拓人はキョトンと目を丸くして何かに納得したように声を漏らした。
「あー、そりゃそうだろ。あの花岡に彼氏がいたとなれば、狙ってた男子連中は黙ってないだろ」
「花岡に彼氏?」
花岡梓はクラスでも有数な美形に属するタイプだ、顔よし、性格良し。まぁ少し天然入っているが、男からしたらそこもかわいいのだろう。
へーと適当な相槌を打つ。
だが、拓人はより一層怪訝な表情を強めた。
「おい、なんで他人事みたいに言うんだよ?」
「?……そりゃ他人事だからな」
「ばれてないと思ってるのか?お前が花岡と付き合ってるんだろ?」
「は?何言ってんだ?」
不意の一言に素の反応をしてしまう。
何言ってんだコイツ、俺が花岡と付き合ってる?あるわけないだろう。
色々思うところはあるが、とりあえず否定する。
「誰だよ、そんなデマ流した奴」
「誰って、修司だよ。昨日お前と花岡がニ人で同じアパートに入っていくのを見たって」
瞬間ダーッと後悔の念が滝のように襲いかかってくる。
他の人間ならともかく、修司かぁ……嫌な奴に見つかった。
昨日までその気配すらなかったのに一日でこの広がり様、何かおかしいとは思ったが見つかった奴がツイてなかった。
あの男の口の軽さは異常とも言える、今日はどうやら休んでいるようだが明日来たらとっちめてやる……。
って今日金曜日じゃねぇか、あいつ狙って休みやがったな……。
こうなったらどうにもならない問題より、一先ずは拓人だけでもなんとかして誤解を解かなければと説得に取りかかる。
「……昨日は花岡がどうしても本を貸してほしいって言ってから取りに行ったんだよ」
く、苦しい、言い訳が苦しい……。
拓人はほーといまいち納得しかねるような声を出すとクスッと鼻で笑って周囲に目配せする。
「まあ、俺はどっちでもいいけどよ、周りは信じちゃくれないだろうな」
そう言われて首は動かさずちらと目端で周囲を見やるとほとんどの生徒がこちらをみて何やら小さく会話していた。
そんな時ガラッと後ろから戸が走る音が鳴る。
談笑しながら入ってきたのは花岡、千晶、夏樹の三人組。
正直タイミング的には微妙だが俺以外で唯一この状況を打破できる当事者の登場に少し胸を撫で下ろすが……果たしてどうなるか。
花岡らは一度荷物を置くために散ったかと思うと直ぐに教室の中央、花岡の席の周辺の椅子を借りて集結していた。
「そーいえばさぁー」
脈絡なく千晶は気怠げに口を開くと花岡に顔だけ向ける。
「梓は今誰かと付き合ってるの?」
「え?」
「は?」
予想だにしない質問に一方は困惑をもう一方は立ち上がり花岡に詰め寄っている。
「ほんとなの?」
「え?いや、その」
問い詰められた花岡は戸惑っているようで視線を泳がせている。
否定してくれー、出来るだけバッサリと。そう心中で願っていると彼女は頬をぽりぽりと掻いて困った笑みを浮かべた。
「えっとね、最近仲良くなった人ならいるよ」
彼女の曖昧糢糊とした返答に1人は糸が切れたように椅子にへたり込み、1人は溶けたように机にでろーんと突っ伏してしまった。
仲の良い人という彼女の発言はどっちにも捉えることが出来るためおそらく勘違いしてしまったのだろう。
その一連のやり取りを見ていた大衆の誤解はさらに加速し、ただの噂は妙な真実味を帯びていた。
* *
ひゅうと制服の隙間を通り抜けるからっ風。
昼下がりの体育館裏の短い影に腰を下ろして缶コーヒーを片手でぷらぷらと振る。
来世を決められるのなら雲になりたい……。
流れゆく雲をぼけーっと眺めているととたとたと足音が近づいてくる。
「おーい、幸平探したぞ」
遠くからそう俺を呼び駆け寄ってくる声に俺は顎を引いたまま声だけで返した。
「拓人か、なんか用か?」
「まあ、用って言えば用なんだけど……用があるのは俺じゃなくてな」
「あん?」
拓人が判然としない言い方するなんて珍しい……。
そう思って顔を上げた矢先、拓人の後ろからこちらに歩いてくるニ人の影が見えた。
「いやな、用があるのは……」
説明しようした拓人を押し除けて出てきたのはグラマラスな女性。
「ん、ありがと吉田。もう戻っていいよ」
見た目に反して素っ気ない声でそう言うと拓人は少し下がってへこへこと背中を丸めて少しずつ下がっていく。
「じゃ、じゃあ俺はこれで」
あ、あいつ、人のこと売りやがった!おい何敬礼とかしてんだ後で覚えとけよ。
こちらを遠巻きに見ていた拓人にこめかみをひくつかせていると夏樹はそんな俺にわざとらしくため息を吐いた。
「こんなのが……花岡の彼氏ねぇ」
「趣味わる〜」
おい、いきなり悪態つくとか随分といい性格をしていらっしゃいますねぇ!
とか言ったら間違いなく殺される(社会的に)のでやんわりとけれども否定するところは否定する。
「い、いやあー、そんな噂誰が流したんだろうね、俺なんかが釣り合う訳ないのに」
自虐的に振る舞ってみても、彼女たちはくすりとも嗤わない。冷えた目はより冷たく、素っ気なかった声はもはや呆れかえっていた。
「別にアンタに話しかけてるわけじゃないんだけど」
「きも〜」
クソッ!どうしろってんだ……。生きてちゃダメなの?俺?
俺が対応に困りあぐねていると夏樹はそれを見兼ねてなのか、少しイラついたようで荒っぽい口調で告げる。
「あのさ、あの子の邪魔しないでくれない?」
「邪魔?」
反射的に聞き返した。
邪魔とは酷い言われようだ。俺だって彼女の邪魔をしているつもりはない、寧ろ協力者だ。
「要は関わるなってこと、それだけ」
そう言うや否やくるりと踵を返しスタスタと校内へ戻っていく。しっかし足長ぇな。
邪魔、というと彼女たちは花岡の抱えている問題を知っているのだろうか……。
情報が少なすぎて分からないが、ただ知っていてもおかしくはない。現に夏樹にはそういった言動も見えたし……。
まぁ、兎にも角にも関わるなと言われれば関わる義理はない。
手元のコーヒーを飲み切って、よっこらせっと重い腰を上げる。
「ねぇ」
「うわっ!……っと千晶さんまだいたのか」
てっきり俺一人かと思ってたわ、びっくりした。
ぽけーっとした目とゆるゆるの表情筋は何を考えているのか分からない、ただじーっとこちらに視線を送ってくる。
ただ見られているというのも居心地が悪く体をよじって訳を聞く。
「えっと、千晶さん何か用?」
少し間を置いて千晶は口を開いた。
「キモ男は梓のこと、何か知ってるの?」
えっ?なんて?
「キモッ……んん、そう言う千晶さんは何か知ってるの?」
軽く咳払いして動揺を払ってから聞き返すと、彼女はふいとそっぽを向いてしまう、が数秒待つと沈んだ声が聞こえて来る。
「知らない……ただ最近忙しいってのは見てて分かる」
俺から見える彼女の横顔には眉一つすら動いてはいないが、その声音は少し寂しそうに聞こえた。
だから、俺も少し声のトーン落として真剣に答える。
「そっか、ごめん俺も何も知らないんだ」
話すべきだっただかもしれない。
そんな後悔が過ぎったのは正直内心では迷っていたからだ。きっと彼女たちの方が俺なんかよりずっと花岡のことを見てきただろうし心配もしているだろう。
だが、もし花岡が周りに助けを求めているのなら俺なんかよりも彼女達に先に話すはず。
訳は知らないが花岡自身が話してないのであれば俺が勝手にべらべらと話していい道理はない。
そんな言い訳を考えているといつの間にか千晶は顔を真っ直ぐとこちらに向けていた。
「だよね」
彼女は諦めたように短い了解を口にして一人校舎に戻っていく。
何故花岡は俺にだけ打ち明けたのだろう、その答えはいくら再考しても出てこない。
きっと情報が足りないのだ。
見聞きしていないことは知らないし、他人の事なんて完全には分からない、当たり前のことだ。
取り残された俺は特にすることもなく、空っぽの缶をもう一度口元で傾けるが、やっぱり中身は一滴も入ってなかった。
* *