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それでも彼女は愛されている

 

 「くあッ......ふあ~」

 昨日はおかしな目にあったせいか中々寝付けなかった。

 眠気を吹き飛ばすように欠伸とともに体を伸ばす。

 四限が終了して昼休みに入るとどうにも気が緩んでしまう、ただそれは俺だけのことではなく先刻までの授業中の張り詰めたような空気は一気に弛緩し、多くの生徒は身をよじって周りと楽しいお喋りに興じている。

 そんな空気に感化されたわけではないが、うきうきと昼飯を準備していると俺の隣に誰かが近づいてくる。

 「あっ幸平今日弁当か」

 「お、拓人。購買行くなら俺のお茶買ってきてくれ」

 「さらっとパシるなよ」

 そう言いながら、買いに行ってくれるだよなぁ......。

 たったったと拓人は小走りに購買に向かった拓人を尻目に弁当とにらめっこする。 

 うーん、一人で先に食うのもな。

 弁当を出すだけ出して机におっかかり拓人の帰りを待っていると不意に教室の前の扉が勢いよく開かれる。

 そこから現れたのは我らが担任の高木先生。

 グレーのスーツの装いに低いヒールをコツコツと鳴らして教室へ二、三歩歩いて首を左右に振っている、その動きに合わせ後ろにまとめた短いポニーテールがぴょんぴょんと動く。

 その光景をクラスの多くが訝しんでいた。まあそれもそうだろう、うちの担任はある意味有名。

 いつも気怠げで覇気などは全く感じず、よく生徒に仕事をぶん投げてくる。

 ってか授業で使うプリントくらい自分でやれよ、俺にやらせるなよ。

 そんなぐうたら担任がわざわざ昼休みに来たことの物珍しさからか口を開いていた者は会話の最中であっても押し黙り、そうでない者も一斉に教室の前方に注目している、俺もその一人だった。

 一体何を……そう思う間もなく高木先生はこちら一直線に顔を向けると俺とばっちりと目があってしかめっ面のまま口を開いた。

 「佐藤!ちょっとついきてもらってもいいか?」

 何だ、どうした、何事だ。

 と心中では問いただして見ても口では従う意思を示した。

 「は、はあ......」

 先生は俺が席を立つのを確認すると一足先に教室を後にする。

 ざわざわと騒ぐ教室を背に廊下を歩く神田先生の背を追いかけていくとある地点で足を止める。

 「よし、入れ」

 「あの......高木先生、俺職員室に呼ばれるようなことした覚えないんですけど?」

 大した説明もないまま、部屋に通される。四限が終わって間もないということもあってか職員室には人がまばらだった。

 「おい佐藤こっちだ、こっち」

 気がつけば高木先生は職員室の隅にあるパーテションボードで区切られた応接スペースのようなところからひょこっと顔を覗かせていた。

 「一体何を......」

 俺はパーテションボードと壁の隙間を通り抜けるとそこには向かい合った黒いソファにその間に置かれた透明な天板のテーブル、それ以外は何もないシンプルな空間だ、そこに座っている女子生徒がいなければ。

 「は、花岡......さん?」

 品行方正な彼女がどうして?

 その問いを聞く前に先生が俺に指示を促す。

 「まあ佐藤、座れ」

 言われるがまま花岡の向かいに座ると高木先生が俺の隣にどすっと腰を下ろす。

 「佐藤、単刀直入に聞こう、お前昨夜花岡とどこかであったか?」

 「えっ、ああ......まあ」

 じろりと睨めつけられたからか、予想外の質問からかたじろいでしまう。

 「どうなんだ?」

 「いや、確かに会いましたけど……それがどうかしたんですか?」

 ふむ、と思案顔で顎に手をやる先生を傍目に目の前の花岡を見やる。

 入ってきた俺には目もくれず俯いたまま膝に手を置き、唇をきゅっと結んだまま黙している。

 今日彼女は朝の点呼の時点から学校にいなかったからもしやと思ったが......。

 訝しむ俺を見かねてなのか隣から滔々とした説明がなされる。

 「先日、夜間巡回していた警察の方から、我が校の女子生徒が夜間に制服で外を出歩いていたので話しかけようと思ったら走って逃げてしまった、と連絡が来てな」

 高木先生の説明を聞いて昨夜の公園の出来事が頭に浮かぶ。

 「......それで、なんで花岡さんが?別に他の人って可能性も」

 「加えて今日花岡の親御さんから娘が帰ってないって言われてな」

 俺の言葉を遮るようにくる追撃、そこまで言われては返す言葉もない。

 消去法ではあるが概ね当たりだろう。

 「で、そこまで分かってて何で俺が呼ばれたんですかね?」

 一部納得しつつ当然の疑問を呈すると先生は組んだ腕を解いて俺に目線を流す。

 「話が早くて助かる、それで花岡に昨夜のことを聞いてたんだが、何を聞いても答えてくれなくてな......その中で唯一出てきたものがお前の名前だったんだよ」

 だんだん分かってきたぞ、嫌な予感しかしねぇ......。

 「もう一度聞きたいんだが、お前は昨夜花岡と会っていたんだよな、二人揃って何をしていたんだ?」

 先生のこちらに向けた顔にはいつもの気の抜けた雰囲気はなく、細く鋭い目からは圧を感じる。

 いや、二人揃ってナニもしてないんですけど、いつの間にか不良の片棒担がせれてるんですけど。

 とは言っても、やってないこと証明することはどうも難しい。

 なのでおかしなことは口走らず、事実を述べ判断は相手にゆだねたほうがいいだろう。

 「別に何もしてませんよ、ただ......」

 先生に向けた弁明を言いかけたその時、俺の視界の端で何かが動く。

 気がつけば俯いていた彼女は顔をあげてこちらを見つめてくるが、その顔はいつもの柔和な様相はなく彼女には不釣り合いなほどに歪んでいた。

 俺は開いていた口を動かすことが出来ず、ただただ阿保面を晒すことしかできなかった。

 それほどまでに花岡の表情は異様で文字通り俺は目を奪われてた。

 そんないつまでも口籠る俺に先生は答えを急かしてくる。

 「おい、どうなんだ。何かあったのか」

 「いや......その......」

 夜遅くに出歩るき、両親話題になると一転した態度、そして、俺に対してのあの献身的な行為。

 それらの行動に妙な既視感を覚え頭の中で一つの仮説が生まれる。

 もしかして彼女は......俺と同じなのかもしれない。

 奪われて、失って、欲しくなったから、与えて対価を求める。

 その手法はよく知っていて、よく実用している寂しがり屋の典型的なSOS。

 だからか、おかしなことを口走ってしまったのだろう。

 「先生、走って逃げた女子生徒が見かけられたのは何時ごろでしたか?」

 「あん?」

 訝しむよう様子は先生の口調に現れ、すっと顎をさする。

 「それを聞いたから何だというんだ?」

 「花岡さんは昨日の11時からうちで夜通しお喋りしてましたから」

 それを聞いた二人はギョッと目を開き驚愕する、が先生はすぐさま平静さを取り戻すように咳払いをして冷めた声で俺を問い詰める。

 「おい佐藤、ふざけているのか?それは誰かが証言できるか?親御さんや家族でそれを知っているものは?」

 矢継ぎ早に質問を投げかけられるが残念ながらそれを証明するものはない。

 「残念ですけど俺は一人暮らしなんで第三者の証明はないんです。だから言いづらかったんですよ。ね、花岡さん?」

 アンタッチャブル。高校生にもなれば隠したいことの一つや二つあるだろうし、色恋沙汰など典型的なものだ。

 花岡が何か隠したいことがあって話を合わせられる人間は俺しかいない、ならここで作られた話は真実になり得る。

 まぁ、これは普段から非行などしないと信頼における花岡だから出来ることだ。

 彼女が法に触れるような行為をしないと断言できるからこそ行える強行。

 俺は最後に話を合わせるよう彼女に向き直って視線を送る。

 名前を突然呼ばれたからかそれとも目の前の男が馬鹿なことを言ったからか花岡は口を開けて呆けている。

 「どうなんだ花岡?」

 先生に名前を呼ばれてようやく我に帰ったようで切れ切れの声で返事をする。

 「えっ……あっそう……です」

 口を開いている最中に気がついたのか途中から口をもごもごとさせ恥ずかしがっている。

 同級生の男子とひとつ屋根の下で一晩過ごしたという事実を認めるということはそういう関係であると公言してるようなものだからな、変なことを言わせてしまって誠に申し訳ない。

 と心中で花岡に謝辞を向けていると花岡の返事を聞いた先生は俺と花岡を交互にをじろりと睨め付ける。

 だが、突然ふっ、と俺を鼻で笑ってから立ち上がった。

 「分かった。花岡の親御さんには昨日は友人宅で過ごしたと伝えておく。お前たち、もう戻っていいぞ」

 そう言って先生は俺たちに背を向けつかつかと歩いて行った。

 なんか意味深だな……。

 高木先生の不敵な態度に些かの疑問を抱きながらもとりあえずはこれで一件落着、俺は教室に戻ろうと腰を上げた。

 「じゃあ俺はこれで」

 確認を取るように俺は対面に座る花岡に会釈をしようと目をやると思いっきり視線がぶつかった。

 「あっ!そうだね!じゃ、じゃあね!」

 慌てるその声を背に俺はソファから立ち上がり職員室を後にした。

 *      *

 「おっ、幸平どこ行ってたんだよ」

 「ちょっと野暮用」

 自分の席に戻ると拓人はすでにお昼を頂いたようで食後の甘ったるそうなカフェオレを飲んでいた。

 「野暮用ねえ……」

 言葉足らずの説明だったせいか変な勘ぐりをされても困るため一応反論しておく。

 「別に、高木先生にいつもの手伝いを頼まれただけだよ」

 瞬間、教室前方のドアがからからと動く。

 そこからおそるおそる出でるは学校指定のスクールバックを片手に携えた女子生徒、花岡梓だ。

 拓人は俺への追及より突然登場した花岡に関心が移ったようで考えるような仕草をとっている。

 「あれ、花岡?今日休みって聞いてたんだけど?」

 彼女はそそくさと自分の席につき、一通り荷を片すといつもの自分のグループに加わる。

 そこでは数人の女子生徒が何で遅れたの〜?など半日サボりかーと言って彼女を茶化し輪に加わり易い空気を作っていた、それに乗っかるようにいいでしょーと彼女も戯けて答えて会話に加わる。

 そこでの彼女の振る舞いはいつも通りに見える。

 笑い声が楽しそうに弾む空間。俺はそれを目の端で見つつ昼飯を胃にかきこんだ。


  2


 「じゃあ、特に連絡事項はないから終わるぞー」

 高木先生はそういうとロングとも言えないホームルームは閉会し教壇を降りる。その直後にざわざわと教室には雑音が溢れていく。

 その中で一際目立つ声が通る。

 「じゃあこのあと遊び行かな〜い?みんなも行くでしょ?」

 声の主はボブくらいの髪の長さに大きくくりっと丸い目をしており人形のようだ、小さな背丈も相まって庇護欲を刺激されるような容姿をしている。

 「ごめん千晶!今日は……ちょっと用事があって……」

 おずおずとは言ってるがきっちりと誘いを断る花岡。

 「えぇ〜梓ぁ最近拒否ってばっかじゃん〜前みたいに付き合ってよー」

 甘えるような蕩けるようなけれど艶っぽいわけではない。溶けたチョコレートのような甘い声で引き留める。

 「こら、千晶。梓はあんたと違っていつも暇ってわけじゃないんだよ。今日はアタシで我慢しな」

 千晶とやらにチョップを入れながら会話に入るもう一人の女子生徒。

 男にも勝るとも劣らない背丈、程よく焼けた褐色の肌にベリーショートがよく似合う出立。あと胸が大きい。

 こいつは俺でも知ってるくらいには有名だ。確か……陸上部の榎本、夏樹……だったかな、だが陸上として有名なのではなく有名なのは別の理由。

入学して数週間で2年先輩から公開告白をされて秒で断っていた。その時に『胸じゃなくて人の顔見て話したらどうですか』って言い放った時の先輩の顔は中々に見ものだった。

 ふふっと気持ち悪い思い出し笑いに口を歪ませいると、いつの間にか話が進んでいたようだった。

 「じゃあ〜夏樹で我慢するよ……」

 「そうしてもらえると助かるな」

 「おい、どういう意味だ。アタシだって今日直で整体行こうと思ってたんだぞ」

 だが千晶はそれを聞いてもやる気なさげにぐでーっと軟体動物のように机に突っ伏している。

 そんな態度に呆れてか榎本は視線を窓の外に向けわざとらしくため息を吐く。

 「はー。じゃあ、アタシは整体行ってくるわ」

 そう言ってバックの紐を肩にかける。

 「ええぇ〜夏樹ぃ〜付き合ってよー」

 それを聞いて起き上がった千晶はバックを片手に榎本におっかかりながら二人で廊下に出て行った。

 仲良いなー、相反する性格だと思うのに上手くやっているのには何かコツがあるのだろうか?それとも何か違う共通点でもあるのだろうか。

 と、意味のないことを考えながらだらだらとバックの中を整理して身支度を整える。

 さて、俺も帰らなくては。今朝弁当を作ったらちょうど冷蔵庫が空になってしまったのでスーパーに行がなければならない。

 それに今日は色々なことがあったせいか妙に疲れたのでさっさと休みたい。わしっとバックを手に掴み後ろの戸口へ向かう。

 だが、教室から出ようとすると後ろから声が飛んできた。

 「こ……」

 「ああ、言い忘れていたが佐藤。この後職員室にくるように」

 とっくに職員室に帰っていたと思っていたが高木先生は廊下から頭だけ出して俺に告げると自分だけさっさと行ってしまう。

 相変わらず用件人間だな……。

 さっさと済ませてしまおうと俺はバックを肩にかけ先に出ていた先生の影を追う。

 それにしてもさっき先生とは別に呼ばれた気がしたんだが……思い当たる節もない。

 まぁどちらも大した用件じゃないだろう。


 3


 「失礼しまーす、1Aの佐藤です。高木先生いらっしゃいますか」 

 少し大きめな声で呼びかけても職員室はしんと静まり返っている。たまに聞こえるのは紙が擦れる音椅子が軋む音ばかりであまり人の気配を感じない。

 まあ、人がいないのも当然といえば当然。他のクラスはまだLHRしてるだろうし、と辺りを見回すと無言でぷらぷらと手を振る女性が見えたのでしぶしぶ近づく。

 「で、高木先生何かご用ですか?」

 「ああ、お前さっき一人暮らしだって言ってたよな?」 

 先生は机に置いてあった紙をこちらに見せてくる。

 「ええ、まあ。でこれは?」

 「学校じゃな、万が一問題があったときの緊急連絡先や現住所を把握しておく必要があってな。お前四月の面談の時点じゃ保護者とと暮らしてるってなってるし、現住所とか家の電話が変わってるなら教えてくれないか?」

 そう言って紙を俺の目の前から手元に戻しボールペンを構えてカチっと芯を出す。

 「はあ、わかりました」

 俺は必要とされる情報を聞かれるがまま答えた。

 住所、固定電話……はないので親の携帯と自身の携帯番号、保護者指名etc……事情聴取みたいだなこれ。

 ある程度聴取が済んだ頃、高木先生は思い出したように口を開いた。

 「ああそうだ、佐藤お前何で花岡のこと庇った?」

 「庇ったぁ?」

 思いもよらぬ言葉に驚いてすっとんきょうな声がでてしまった。

 すると先生は書き手を止め、ふっと嘲りの混じった笑みをこちらに向ける。

 「ああ、どこからどう見てもお前らが男女の関係には見えん」

 「あーそういう......」

 庇ったなんて大袈裟な言い方だったから変に疑られてるかとビビっちまったぜ......。

 しかしひどい言い草だ、まるで俺が美人局にでも引っ掛かっているみたいじゃないか!否定はできないけど!

 俺は非情な現実を再確認するように冗談めいた顔を作る。

 「やっぱそう見えます?」

 すると先生は珍しく神妙な面持ちで俺を見て小さく口を開いた。

 「ああ......何かあったのか?」

 「いや、まだ何とも」

 「そうか」

 短い会話が終わると、重たい空気の中に再びジャッジャッとボールペンの走る音、廊下から聞こえる話し声がやけに耳に響く。

 花岡が何かを隠しているのは明白、そしてそれは十中八九彼女の家絡みのものだろう。

 こういうのは下手に刺激せず放っておくのが一番だ、身内のことに首を突っ込まれるのを不快に思う人だっている。

 そんな中、先生は書類を書きながら平素な声で話を蒸し返す。

 「そうか、ではなんで花岡のこと庇ったんだ?」

 「別に庇ったわけじゃ......」

 「なんだ、じゃあ本当に不純異性交遊でもしてたのか」

 「してませんよ!」

 目の前の教職員がとんでもないことを口走り慌てて否定すると、さも当然に興味なさげな態度をとる。

 「だろうな」

 ほんとなんなんだ、この人は......。

 「本当に何もないですよ。会ったのは事実ですけど」

 「随分とさっぱりした青春をおくっているな」

 余計なお世話だ……。

 そんなことを話していると、俺の情報修正が全て終わったのか先生は手元の紙をファイルにすーっと差し込む。

 「さて、これで私の用件は終わりだ」

 よ、ようやく解放された。

 ふーっと長い呼吸をして別れの挨拶と軽い会釈をする。

 「お疲れ様でした、失礼します」

 用件が終わったなら俺が職員室にいる理由もない。

 俺は踵を返してその場から立ち去ろうとすると高木先生は再び俺に声をかける。

 「なあ、佐藤」

 「はい?」 

 先生の呼びかけに首だけを巡らせて答える。

 振り返ると先生はまっすぐな目で柔らかな声音を俺に向けて言った。

 「お前も何かあったんじゃないか?」

 胸の内で何かがざわと何かが騒いだ。

 けれども俺の口はいつも通り淡々と動く。

 「いえ、特には」

 「そうか、花岡のことも含めて相談したくなったらいつでも来い」

 お前にはよく世話になってるからなと小さく付け加え、怪しげ笑みを浮かべている。

 ほんとですよ、と言おうかと思ったがここは素直に受けとって笑って返した。

 「そん時はよろしくお願いします」

 ともう一度軽く会釈して俺は職員室を後にした。

 

 *         *

 職員室を出て昇降口を目指す。

 10月も残すところあと僅か、これからは秋が一層深まりあっという間に冬に入る。

 ほんの数ヶ月前まではジメジメとむせ返るような暑さに包まれていたが今では気温はすっかり落ち着き渇いた風が廊下を吹き抜けている。

 風と共に窓から入ってきたのは運動部の活気のある低い声、それが室内の至る所から聞こえる管楽器の高音と合わさり人気のない校舎に情緒を醸し出している、この景色は学生でしか味わえないのだろうと感慨深くなる。

 などとあてもない年甲斐のない思いを馳せているとあっという間に昇降口。下駄箱で靴をトレードして爪先をとんとんと靴を履く。

 一歩外に出て頬に触れた空気は室内の空気より冷たく、足下から伸びる長い影が太陽の勤務時間を伝えている。まあ、24時間営業なんですけど。

 本当、今日は散々な1日だった。

 らしくないことをしたせいか、いつものスクールバックがやけに鬱陶しい。

 こうでもしてくだらない思考を回していないと余計なことまで思い出してしまいそうになる。

 「ね、ねぇ」

 校門を超えた辺りで後ろから女性の声、何やら誰かを呼び止めているようだ。十中八九俺ではない。教室とかで可愛いクラスメイトがこちらを見て手を振ってきたら大体後ろの奴だからスルー安定。そこで勘違いすると当事者だけでなく目撃者からも『あいつキモかったわー(笑)』とか吹聴されるから注意が必要。

 スタスタと早足に歩道を歩くと、背後からカッカッとローファーの地を蹴る音と同時に再度その声は俺を引き止める。

 「待ってよ!」

 「あ?」

 そこまで言われてようやく後ろを振り返るとそこには軽く肩で息をしている女子生徒、花岡梓がいた。

 「花岡さん?どうしたの?」

 俺が郊外でクラスメイトから話しかけられるのは稀だ。っていうか拓人と松原しかいない。

 俺の問いに上げられた顔はどこか硬くて昼の職員室での光景を連想させる。

 「あはは……ちょっと話したい事があって」

 花岡はそういって誤魔化すようにはにかみながら髪をくしくしと弄っている。

 「ああ……」

 余計な事を言ってしまったから怒っているのか、まあ流石にあれはお節介とかってレベルじゃないしな。

 さっさと謝ってこの件は他言無用と頭を地に擦りつけようと頭を下げかけた瞬間それより早く声が投げかけられる。

 「ごめ……」

 「さっきはありがとう!......おかげで助かったよ......」

 さっきまで何か思い詰めた表情はすっかり抜けて、彼女の顔に安堵の色が見える。

 てっきり、『ねぇ、ああいうのやめてくれない、ほんとにキモイ』とかいうマジのトーンで言われる事を覚悟していたのでほっ、と胸を撫で下ろす。

 「そっか、よかった......じゃあ、これで」

 用も済んだことだし、さっさと立ち去ろうとくるりと踵を返すと再び彼女が静止を促したので顔だけ振り向く。

 「あ、ちょっと待って。その......お礼っていうか何ていうか」

 そう言う彼女の口はもにゅもにゅと動かし落ち着かないのかスカートの端を掴んで弄っている。

 そんな嫋やかな仕草をとられるとなんだかこちらまで気恥ずかしくなってくる。

 直視できず視界の端に彼女を入れたまま、努めて平静を心がける。

 「ああ、気にしないで、寧ろ出しゃばってごめん」

 そうだ、これは昨日の手当ての借りだ、そしてこれで貸し借りなし。

 俺が素っ気なく見える態度を取ったから、彼女は不機嫌そうに眉間に皺を寄せて一歩詰め寄る。

 「それだけじゃなくて......なんかジュースでも奢るよ!」

 何に奮起したのか、むん!と胸の前で腕でガッツポーズを作る。

 「いや、本当にいいから......それじゃ」

 あまり人の好意を無下にしてはいけないと思うのだが、今回は状況が状況だ。

 目に見えて厄介ごとに首を突っ込む趣味はない、ここが引き際だ。

 俺はバイバイと簡単に別れの合図を示して歩き出す。

 「あっ、ちょっと......」

 俺は彼女の三度の静止を振り切って黙々と歩き出す。

 このまま黙っていればいつか彼女は離れていくだろうと。冷たい態度だということは理解しているがそれくらい離れた距離感が正しい、いや正しいかは分からないが今まで通りの距離感だろう。

 歩く歩く。

 二歩三歩遅れてコツコツと足音が重なる。

 商店街を抜けて、橋を渡って、駅の向こう側へ歩いて行く。15分も歩いてようやく住んでいるアパート近辺のスーパー辺りまできても足音はついて来る。

 ついには我が家の玄関先までその足音は俺を追いかけてきた。

 鍵を開けてノブを回す。

 「お邪魔しまーす!」

 花岡は開いたドアの隙間を縫うようにひゅっと室内に足を踏み入れる。

 「ちょっと待て」

 なんで?なんでこの人家主より先に無許可で入ってんの?ねぇなんで?ニンジャなの?

 ポイっと靴を脱ぎ捨てて問答無用に室内に入ろうとする花岡の肩を掴むと振り向いたその顔はしてやったりと悪戯めいた笑みを浮かべている。

 「やーっと反応した。......ちょっと話そうよ」

 いつもの落ち着いた声音とは真逆の強引なやり口に俺の中の花岡梓のイメージが噛み合わなくなっていく。

 「......はあ」

 小さくため息をついて俺はドアノブを回した。

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