表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/33

玖、夏の夜に二人は出会う

 術者の修行と学業に励んでいる間に、春日女子高等学校での一学期はあっという間に過ぎて行った。

 幸子さん達と暫しの別れを惜しみ、賢木美弥子様の強烈な視線を受けながら学び舎を去った佳乃子は、夏季休暇に入る。

 少し実家に顔を出した後に嶋田家へ戻り、佳乃子は『アルバイト』という行為を始めることにした。



 座敷の中央、漆塗りの台の上に青磁の壺が鎮座する。

 佳乃子が目を凝らすと、壺の後ろに影が見えた――髪の垂れ下がる、痩せた女のような体形が……。

 佳乃子が意識を集中させると、目の前に子犬が現れて飛び掛かる。

 喉元に食らいつくような動作を見せると、壺の影は消え去った。


 一息ついて壺を見直すが、もう影が見えることはない。

「これで問題ないと思います」

「お疲れさまでした」

 自分の背後、開いた襖の所で見ていた篤子に声を掛けると、彼女は事も無げに壺を手に取る――佳乃子にとっては、魑魅魍魎よりも、壺の値段が恐ろしいところである。

「気配を感じません……祓いの力にも慣れてきましたね」


 鈴懸家に寄越された、曰く付きの品――悪霊が取り憑いていたり、人の手によって呪いが掛けられていたりする、それらの選別や祓いが佳乃子の仕事だ。

 駆け出しの少女に寄越される物など大して危険はないが、仕事をこなすにつれ、力の成長を感じつつあった。


「今日はこのくらいにしておきましょうか」

「まだ行けますっ」

「……過信は禁物ですよ」

 窘めるように睨む篤子に、思わず身を竦める。

 優しい師匠であるが、やはり顔が怖い。

「夏季休暇に入ってからも、貴女はあまり家から出ずに……務めに励むことは良いのですが」

「私には、あん……」

「あん……?」

「あん、なに必死に育ててくれた両親に、少しでも恩返しがしたいんです……」

 俯いて、なるべく師と目を合わせないようにする。

『あんみつが待っている』なんて、口が裂けても言えない。

 暫しの沈黙の後、そっと目線を上げると――涙を拭う師の姿。

「あなたは……そこまで……ご家族の事を……」

 佳乃子が慰労会の資金を貯める中、こうして、率川家のお嬢さんの株が上がっていくのであった。



 夏季休暇も半ばに入った頃、嶋田家に急ぎの文が届けられた。

 受け取った篤子は内容を確認すると、困惑の表情を見せる。

「最近、芝辻の方面に穢れが出現していて……宗像家の“(はふり)”の方々が鎮圧に向かうそうなのですが……霊視の力を持つ者が欲しいと要請があって……」

 芝辻駅は、ここから一駅隣。

 飲み屋さんが並ぶらしいので、佳乃子には縁がない。

「今、動ける者が鈴懸家に居ないのです。ですから、佳乃子さんに手伝いを、と」

「はい、行きます!」

 篤子の心配を余所に、佳乃子は即答した。

 “祝”の働きを間近で見る、めったにない機会だった。



 遙か昔から存在する魑魅魍魎。

 それらは、人々の体と心を餌にして成長し、穢れを振りまく。

 生者のみならず、死者の怨念も古くから根付く我が国を守るのが術者の務め。

 “(かんなぎ)”と呼ばれる術者達は女性に多く、舞神楽を以て土地を浄める。

 そして、“祝”は魑魅魍魎そのものを滅ぼす力を持つ。


 迎えの車に乗り込んで、隣駅に着いたのは、草木も眠る丑三つ時――

 仮眠を取ったとはいえ、まだまだ眠い。

 あくびを噛み殺しながら、駅の周辺を歩く。

「大丈夫かい、お嬢さん」

 先導するのは警吏の制服を着た青年二人と、大きめの外套を纏った少年が一人。

「はい、問題ありません」

 佳乃子は、篤子の後ろでおずおずと答えた。


『佳乃子さんは私が守りますから、絶対に前へ出ないように』

 そう言いつけた篤子は、すでに霊力で生み出した狛犬を従えている。


 周囲を警戒しながら歩いていると。

「……来たか」

 ぴりっと肌を刺す感触――これが、穢れの気配か。

 佳乃子たちの周囲を黒い靄のようなものが囲む。

 実体を得るまでに成長した穢れというものは、生半可な力では祓えないらしい。

「……お師匠様」

「ええ……佳乃子さんは動かないように」


 警吏たちが腰に下げた刀を抜いた。

 彼らの持つそれの刀身が仄かに光を帯びる――これが、二人の“祝”としての能力のようだ。

「露払いは任せてくれや」

 少年が腕を振ると、風が巻き上がり靄を切り裂いた。


「行くぞ」

 警吏達が切りつけると、靄は少しずつ消えていく。

 佳乃子に近付こうとするものは、篤子の狛犬が噛み千切る。

 あっと言う間に靄は消え、夏の熱気だけが残る。


(……すごい……)

 佳乃子は微動だに出来なかった。

 完全に蚊帳の外である。

(こんなのと、戦うなんて……無理そう……)

 ちょっと心が折れそうだった。


「嬢ちゃんには刺激が強かったかな」

 少年が、佳乃子の頭を撫でる。

 外套から覗くのは、金鍾山学園の制服。

 佳乃子よりちょっと背の高い彼は、高等部の生徒なのだろう。

「……しかし……あっけなさすぎるな。まだ親玉がいるのか?」

「そのようだ……だが」

 再び、肌に嫌な感じ。

 散ったはずの靄が、再び集まる。

「頭を叩かなければいけないか?」

「斬るまでだ」

 三人が再び構える。狛犬も低く唸り声をあげた。


 その時、佳乃子の耳に小さな叫び声が届く。どうやら子どものようだ。

「兄貴、ここは任せた」

 声のした方へ少年が走り出す。

「私も行きますっ」

 小さな子どもが巻き込まれているなら――篤子の静止する声を背に、佳乃子は駆け出した。


(いたっ)

 佳乃子が辿り着いた先には、倒れる人影。

 街頭が照らすのは、擦り切れた着物の幼子だった。

「坊主、大丈夫か?」

 少年が幼子を抱きかかえる。彼は昏倒したまま、反応が無い様子。


(どうしよう、子どもが襲われたなんて……)

 せめて出来ることを、と佳乃子は周囲を見渡す。

 危険はないかと目を凝らし――幼子の後ろに、赤黒い影が見えた。

 牙を剥き出して、少年の首元へと手を伸ばし……

「駄目!」

 佳乃子は咄嗟に体が動いた。

 指先に意識を集中させ、子犬を呼び出す。

「お願いっ」

 指差すと幼子の姿をした悪鬼へと飛び掛かる。

 腕に噛み付くが、あっさりと振り払われた。

 子犬は地面に転がると姿を消す。

(うそ……いつもの時と、全然違う……)

 佳乃子は意識を手放しそうになり、その場に座り込んでしまった。

 徹夜で内職に励んだ時のような体の怠さに、全力で走った後のような息苦しさ――これが、霊力が尽きたという感覚なのだろうか。


「お前……」

 幼子の正体を察した少年が短刀を取り出し、それの胸に突き立てる。

 醜悪な叫び声を上げたのち、塵となって消滅した。


 佳乃子の荒い息遣いだけがその場に響く。

「すまねぇな、嬢ちゃん」

 少年は佳乃子の目の前まで来ると、膝を付いた。

 立てるか、と手を差し出してくる。

「よく兄貴にも言われるんだ、情に流されるなって」

「い……いえ……お役に立てたのなら……」

 どうにか呼吸を整えた佳乃子は、彼の手を取ろうとして、ある一点に目が行く。

 外套から覗く金色のバッジ。

 見覚えのある鐘の形。真ん中には、“中”の文字。

 つまり、彼は――

(まだ中学生じゃない)

 佳乃子は彼の手を借りずに立ち上がる。


「元気だな、嬢ちゃん」

「嬢ちゃんじゃありません」

 少しつま先立ちになり、立った彼を見下ろす姿勢を取る。


「私、高等学校の、お姉さんだから」

 手巾を取り出し、呆気に取られる彼の顔を乱暴に拭く。

 汗や埃で汚れているが、かなり整った顔立ちではある。

 ついでに外套の皺を伸ばして、最後に両肩を一叩き。

「子どもが大人ぶって、危ない事しないの!」

 ふん、と鼻息荒く踵を返す。

 追いかけてきた篤子に「帰りましょう!」と声を掛け、向こうを驚かせた。


 率川佳乃子、十五歳。

 年下に『お嬢ちゃん』扱いされるという、屈辱の日であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ