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漆、率川佳乃子は友を得る

 花冷えを感じる夜遅く――

 佳乃子は嶋田家の一室で、篤子と向き合っていた。


 呼吸を整え、膝の上にそろえた指先に意識を集中させる。

「そう……そこから、自分の霊力の流れを感じて……」

 血管の走行のように、自分の腕に白い筋が走るのが見えた。

「指先へ流れるように意識して……」

 右手を少し上げ、人差し指を畳の縁へ。

 白い光が指先から溢れ、形を作っていき――茶色い子犬がころりと寝そべる。

「集中を途切れさせないで。同調を続けるのです」

 少しの倦怠感を覚えながらも、子犬を指差し、そのまま手を動かす――篤子の脇に控える、大きな狛犬へと。

 子犬はゆっくりと狛犬へと近付き、腹の下へと潜り込んだ。

「……いいでしょう」

 その言葉に佳乃子が一息つくと、子犬は静かに消えて行った。


「霊力の扱いに慣れてきたようですね」

 師匠の言葉に佳乃子は首を振る。

「いえ……まだまだ未熟です」

 彼女の後ろに控える狛犬の大きさと比べれば、自分と篤子の力量差は歴然。

 しかも、佳乃子は少しの時間しか形を保つことが出来ない。

「仕方のない事でしょう。貴女は霊力を自覚することが遅かったのですから。けれど、霊視持ちは成長もいい筈。焦ることはありませんよ」


 霊力を以て魑魅魍魎を祓う“(はふり)”は数あれど、戦い方は術者によって異なる。

 篤子が佳乃子を(想像上の変態商人から)守ると息巻いたとき、鈴懸千早様が認めたのは、二人が似た性質を持っていたからだろう。

 篤子は数十年と鈴懸家に仕えている歴戦の“祝”らしい。


「学校の支度もあるでしょうし、今日はここまでにしましょう」

「はい、ありがとうございました」

 佳乃子は深々と頭を下げる。その顔はどうにも浮かない。

(学校かぁ……)



 春日女子高等学校に通い始めて一週間――佳乃子は幾つか悩みを抱えていた。

 まずは、学業。

 櫻川女子学院でも勉強が疎かになっていた為、授業の内容が理解できないでいた。

 将来は術者を目指すとはいえ、このままでは鈴懸家に申し訳が立たない。

 そんな佳乃子を支えてくれるのは、二人の級友だった。



 この日も、授業の終わりに分からなかった所を教えてもらっていた。

「算術は公式さえ覚えてしまえば、後は繰り返しよ」

「お金の計算なら得意なのになぁ」

「……まあ、人生にはそちらの方が役に立つものね」

 佳乃子の前に座る生徒が苦笑する。

 緩やかに波打つ髪を下ろし、大きなリボンを付けた、華やかな印象の袴姿。

 級長の住吉小百合さんである。

 伯爵家で市議会長の娘さんという、かなりのお嬢様に最初は恐縮しっぱなしだったが、ご本人はさばけた話しやすいお人柄のようだった。

『市議会長といっても、ただ目立ちたがりのいい格好しいなだけよ。父母の会会長に、商店街の商業振興委員会会長、鹿保護の会後援会会長、春日囲碁倶楽部の部長まで……仕事を手伝わされる家族の身にもなってほしいわ』とは小百合さんの談。



「今日も遅くなっちゃってごめんなさい」

 時刻はもう夕刻過ぎ。

 おしゃべりに興じていた生徒達も、ちらほらと帰り始めている。

「別に構わないわ。自分の復習になるもの」

 そう言うと、てきぱきと帰り支度を始めるのはセーラー服姿の女子生徒。

 長い髪を一つに纏め、眼鏡を掛けた理知的なお顔立ち。

 藤組の中でも背が高く、大人びた雰囲気を醸し出している。

 水谷知世さんは医師の家系に生まれたお嬢さんで、お爺様は大病院の院長先生。

 基礎学校から此方に進学してきた勉強家。

 女医を目指す為に、大学へ進学する予定らしい。


「……あら、またよ」

 知世さんが、そっと溜め息を吐く。

 その視線の先を横目で追えば、長い黒髪のお嬢様。

 大きな目でこちらを見つめている。

 その左右では双子の生徒がひそひそと耳打ち。

 入学当初に九尾の狐を見てからというもの、佳乃子は賢木美弥子様に睨まれる日々を過ごしていた。


 賢木家と言えば畿内の四大名家の一つ。

 尊きお方の住まう地、京師を守る術者として高い実力と矜持を持っている――とは師匠の篤子の談。

 鈴懸と賢木の当主は、あまり仲がよろしくないとも付け加えて。

 いつも左右に控える双子は浜木綿(はまゆう)桃さんと桜さん。

 お顔立ちも髪形もそっくり。

 浜木綿は紀州を拠点にする四大名家の一つ。

 彼女達が『美弥子様』と呼んでいるのだから、美弥子様は相当高い地位にいるのだろう。

 佳乃子が見るかぎりは、三人とも佳乃子よりも修練を積んだ術者なのだろうと思う。そして先達にあのような態度をとられて気後れしていた。


 そんな彼女は、同級生だけならず上級生からも『美弥子様』と呼ばれている。

 級友達が声を掛けてくれている時も、彼女がずっと睨んでくるので、佳乃子は他の方々に気を使って人の輪から離れて過ごすようにしていた。


 級長としての義務感と生来の面倒見の良さ、そこそこの家柄で美弥子様とも対等に話が出来る小百合さん。

 京師の華族に気兼ねする必要のないお家で、『私達の本分は学業なのだから』と割り切った学生生活を送る知世さん。

 佳乃子は、この二人と行動を共にすることが多い。

 時々、もう一人いるが。


「美弥子さん、これ、落としたのではないかと上級生の方が」

 美弥子様の視線を遮るように、セーラー服の女子生徒が佳乃子の前に立つ。

 三つ編みが小さく揺れた。

「……どちらの方が?」

「私なんかが話し掛けても大丈夫でしょうか……と気にしていたから、お礼は結構じゃないかしら」

「そう……」

 美弥子様が下を向く。

「……私には、理解できへんわ」

 女子生徒の足元を見て、美弥子が呟いた。

 彼女の視線の先は、白い靴下に包まれた足首。

 名門華族のお嬢様には刺激が強いのだろう。

「あら、結構便利よ? 走りたいときだってあるでしょう?」

 当の本人はスカートの裾を持ってくるりと回る。

 すらりとした足が、膝まで見えた。

 教室に残っていた生徒達が「まぁっ」と声を洩らした。


 目を白黒させる美弥子様を置いて、生徒はくるりと回れ右。

 近くで見ていたセーラー服の集団に近付く。

「尚子さん、こちらが前にお話ししていた教本よ」

「ありがと、雪緒さん。ダンスなんて、私の人生に必要ないんだけどねぇ」

「まあ、美容体操とでも思えばいいわ」

 皆でくすくすと笑い合った。


 住馬(いこま)雪緒さんは、春日女子高等学校の中でも目立つ生徒だった。

 年代物の美しい袴姿を披露する日もあれば、セーラー服で自転車に乗る日もある気まぐれなお嬢様。

 袴姿の華族、制服姿の庶民――と何となく分かれて行動する学級内を小百合さんと一緒に纏めている。

 佳乃子にも親切にしてくれたり、時々は困らせたりしちゃう不思議なお人。



「佳乃子さん、佳乃子さん」

 今日は小百合さんも知世さんも御用事があるらしく、早々に帰られた。

 自習して帰ろうと佳乃子が図書室へ赴いている時、そっと雪緒さんが寄って来た。


「今日のおとめ座のラッキーアイテムは、チョコレートケーキ。よかったら食べて」

 手渡された包みは、ずっしりと重い。

「……私、おとめ座じゃないよ?」

 一部の生徒達が好む雑誌にあるらしい星座占い。

 佳乃子は生憎霜月の生まれ。

「ええ、私もおとめ座じゃないの。だからどうぞ」

 雪緒さんは事もなげに言うと、一本線の入った袴を翻して下校された。

 佳乃子の祖母が若かりし頃ぐらいの流行りだったらしいが、雪緒さんが纏うと瀟洒な印象を与えていた。

(雪緒さんって何なんだろう……術者なのかな?)

 目を凝らすと、子猿のような影が、見えた気がした。


 包みの中を覗くと、こげ茶色の四角い塊が二切れ。

 チョコレート、とは舶来の甘い菓子の事だろう。

 雪緒さんはお菓子作りが趣味らしく、入学当初にも振る舞ってくれた。

 あの時の紅茶のクッキーはとても美味しかった。

(今日のお夜食にしようかな)

 チョコレートの香りに、少し気分が軽くなった。



 図書室で一人、黙々と励む。

 少しずつ分かるようになって来たとはいえ、進度はまだまだ。

 教科書に付けた印を読み返していると――隣に、誰かの気配。

 髪を短く切った、セーラー服の女子生徒だった。

 佳乃子も覚えがある。

「えーっと、白木……幸子さん?」

 一年藤組の同級生。

 同じセーラー服姿の少女達とあまり話すことも無く、一人で黙々と勉強している姿をよく見る。

 背は佳乃子よりも少し大きいくらいの、内気な印象のお嬢さん。


「あ……あの、これっ」

 佳乃子に差し出されたのは、一冊のノート。

「今までの授業を纏めた……写しで……率川さん、いつも教室で勉強なさっていたから……お華族様に、おこがましいかなって思ったんだけど……迷惑でなければ……」

 ぷるぷると震える手で渡されたそれを、佳乃子は受け取る。

「あ……ありがとう」

「じゃ、じゃあ……失礼します」

 そういうと、彼女は小走りで立ち去る。

 ノートを開くと、要点を細かく書かれた分かりやすい内容。

 わざわざ、自分のために書いてくれたのか……佳乃子は胸が熱くなった。

(優しい……可愛い……好き)

 佳乃子は駆け出した。


「あの、白木さんっ」

「は、はい」

 声を掛けると、びくっとした様子で振り返る。

 佳乃子は追いつくと、手の中の物を見せた――頂き物のチョコレートケーキ。

「甘いもの嫌いじゃない? 良かったら、一緒に食べよ?」

 白木さんは恐る恐る頷く。かわいい。


 恐る恐る談話室に入り、隅の方で包みを開く。

 甘い香りに、自然と顔を見合わせて笑った。

 チョコレートケーキは美味しい。

 しかし、飲み物がないと喉につらい。

 茶葉なんて持っていない二人は、白湯を沸かして飲んだ。


 二人は、教師に下校を促されるまで並んでおしゃべりしたのであった。

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