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参拾弐、尽きて呑まれる

※残酷な描写があります

 美弥子さん達の背中を見送った佳乃子は、春日女子高等学校の校舎内に残っていた。

 佳乃子達は、住吉家の車で向かう予定。

 在原家に吸血鬼がいる事を想定し、小百合さんと陽子さん共々「絶対に在原家には入るな」と美弥子さんに念を押されている。


「少し準備があるから、佳乃子さんは後から来て頂戴」

 小百合さんの言葉を受けて、佳乃子はお手洗いで身支度を整えていた。

 ふと鏡で自分の姿を確認すれば、水縹色の着物に紺鼠の袴。

(尚子さんの描いた絵にそっくり)

 自分の首元が血に染まっているように見えて――否定するように頭を振った。

(そんな事考えたら駄目)

 いつもの三つ編みを解き、下げ髪に変える。

 頭の高い位置で結ぶと、自分の背筋もぴんと伸びたように感じた。


(あの絵が本当だとしても……私一人で戦うわけじゃないし、師匠のお守りも持っているし)

 右手に結ばれているのは、師匠が作った組紐のお守り。

 以前に子鬼を殴りつけた佳乃子を案じて、更に力を込めてくださったらしい。

(美弥子さん達もいるし、鈴懸家と宗像家に応援を頼んだし)

 あれやこれやと考えを巡らせながら扉を開ける。

 廊下に出て、入ろうとしていた生徒と鉢合わせ。

「あ、ごめんなさ――」

 見慣れた顔に、思わず立ち止まる。

 高い位置で結んだ髪を三つ編みにして、先端に紫陽花の飾りを付けた女子生徒――同級生の雪緒さんであった。

「ごきげんよう、佳乃子さん」

 本日の授業が終わってから時間が経っているけれど。

 部活動に所属していない雪緒さんが残っているなんて珍しい。

 気が向けばお茶会や読書会なんかを開いている彼女であるが、今日はお一人のご様子。

「ごきげんよう、雪緒さん。じゃあ」

 また、明日――そう言いかけた佳乃子は、再びお手洗いの中へ。

「え?」

 雪緒さんに手を引かれ、先程の鏡の前へもう一度立っていた。

「あの、雪緒さん?」

 いつも佳乃子や幸子さんを翻弄する雪緒さんであるが、今日も動きが読めない。

 彼女は何も言うことなく、佳乃子の髪に手櫛を通す。

 何度か指を流していたかと思いきや、両の手を駆使して編み始めた。

 鼻歌交じりに、上機嫌で。

「はい、終わり」

 最後に赤い糸を蝶々結び――どことなく、妹の里紗さんを連想させた。

 鏡の中では、下げ髪を三つ編みにした佳乃子が出来上がり。

 雪緒さんと揃いの髪形である。

「一度、お揃いにしてみたかったの」

 ぽかんと間抜けな顔をしている佳乃子の後ろで、雪緒さんはいつもと変わらない微笑み。

「それじゃあ、今度は教室でお会いしましょう」

 ごきげんよう、と彼女は出て行ってしまった。



(雪緒さん、何だったんだろう……)

 些か緊張感の抜けた佳乃子は、急いで目的地へと向かう。

 商店街を抜けた先、以前とは違う自動車の傍に小百合さんは立っていた。

 佳乃子の髪を見て軽く肩を竦めるが、車に乗るように急かす。

「今日はお忍びの車の方が良いと思って、取りに行ってもらったの」

 お嬢様は、用途によって車も使い分けるらしい――佳乃子は少し慄いた。


 ゆっくりとも感じる速度で、車は進んでいく

「小百合さんは」

 泣き腫らしたお顔の陽子さんと、眉間に皺を寄せた小百合さん――重苦しい車内の空気に耐え切れず、無意識に口を開いていた。

「在原家の方々と交流ある?」

「私? そうねぇ……」

 小百合さんの眉間の皺が深くなる。

「在原家にも“(かんなぎ)”がいるの。紅寧(あかね)さん……三番目の奥様の長女の方。私よりも長く務めていて……何と言うか、あまり、お近付きになりにくいというか……」

 言葉に迷っているらしき小百合さん。

 性格が合わないのか、術者としての力量に問題があるのか――何となく、言外にそのような思いを感じた。



 さて到着した在原家の本宅。

 外から見るに、鈴懸家よりも広大で派手な印象を受ける。

 美弥子さんがお邪魔したのであるから、さぞかし賑やかだろう――と思ったが、門は固く閉ざされて、何も聞こえない。

 高い塀に沿うように止められた賢木家の自動車も、無人の様子。

「うーん、どうしようか?」

 何かしらの動きがあれば、美弥子さん――正確には、桃さんから連絡が来る予定なのだが。

「周辺でも見てこようかしら?」

 塀の周りをぐるりと歩くだけでも日が暮れてしまいそうだ。


「佳乃子さん?」

 呼び掛けられたのは、少し遠くから。

「はい?」

 声がする方角へと振り向いた佳乃子は、「あっ」と声が漏れた。

 白い肌と、毛先まで艶やかな長い黒髪。

 大きな瞳は、少し驚きに満ちていた。

 曇天の元でも眩い美しさを見せるお嬢様は――

「百乃様」

 面識のある、在原家の御令嬢であった。

「佳乃子さん、どうして此方に?」

「え、えーと、その……」

(百乃様がいてもおかしくないよね……どうしよう、百乃様は術者ではないけど……)

 さてこの方は、事情を知っているか否か――

 佳乃子が考えあぐねる間に、百乃様は小百合さんと陽子さんの顔を順に見る。

 後ろに控えていた年配の女性に何か囁くと、佳乃子の手を取った。

「付いて来て」



「私は橿宮の別宅に住んでいるのだけど……」

(確かに、ここから櫻川女子学院へ通うのはちょっと遠いよね)

「父に用事があって、本宅に滞在していたの」

 百乃様の案内を受けて、佳乃子は通用口からお邪魔していた。

 周囲を警戒するが、屋敷の人達とは出会わない。

「先日、兄の一人が大怪我をして帰って来たから、騒ぎになって……私は関わる事を禁じられているから、伝聞で知った程度なのだけど」

 百乃様がちらりと遠くを見る。

「今、賢木家の方々がいらしてるのよ」

 その方角に、美弥子さん達がいるのだろう。

「私は部屋から出ないように言われていて……でも、何か、嫌な予感がして」

 彼女の表情が曇る。


 百乃様が立ち止まった場所は、在原家の敷地の片隅。

 古びた石造りの建物は、外から厳重に錠前と閂が掛けられている。

「予備の蔵なのだけど、兄が怪我をした日に何かを運び込んでいたの」

「お嬢様」

 先程、百乃様に付き従っていた女性が戻って来ていた。

 彼女は古い鍵を取り出して、錠前に差し込む。

「孝子に相談するつもりだったけど、佳乃子さん達のお顔を見たとき、お連れした方がいいのかと思って」

「……ありがとうございます」


(この中に、高山さんがいるとしたら……)

 勇み足と感じるが、折角の機会を逃してはならないと思う気持ちもある。

(小百合さん達は安全な所で待ってもらって……)

 そう思い、彼女達の方を見るが――

「行くわよ、佳乃子さん」

 小百合さんは、率先して扉を開けようとしている。

 後ろの陽子さんも引く気はないようだ。

「百乃様は……」

 せめて、彼女だけでも――そう思い、視線を送る。

「ええ……私は、自分の出来る事をしてくるわ」



 扉を開けると、湿った臭いが鼻を突いた。

 至る所に家財道具や書物が積み上げられており、少し埃っぽい。

 古びた電球は明かりがつき、蔵の戸を閉めても視界は保てるようだ。

 率川家の居間より広いかも、と周囲を見渡していた佳乃子は我が目を疑った。

「え……?」

 蔵の中央、周囲の物を動かして開けられたような空間に、誰かが横たわっている。

 手足を厳重に縛られて、猿轡を咬まされている人物は、若い男のようだ。

 それだけでも驚く光景なのだが、佳乃子の霊視には、周囲に描かれた線が見えていた。

(何の模様? 血の色に見えるけど……)

 外国の言葉のような部分や、幾つかの図形を組み合わせた部分があり、何を表しているのか佳乃子には判別がつかない。


「直人様!?」

 他の二人は、床に描かれたそれが見えてないようだ。

 陽子さんがまず飛び出し、小百合さんが後に続く。

「直人様……」

「早く病院へ……」

 高山直人らしき人物は、浅く胸を上下させており、息があると分かった。

 縄を解こうとする二人の傍で、佳乃子は床の線を目で追い――

「へえ、君には分かるのか」

 聞き慣れぬ声に、背筋が凍りついた。


「誰も、これに気が付かなかった」

 隅に置かれた階段箪笥――そこに、腰掛ける青年の姿があった。

 皺だらけのスーツを身に着けて、手入れされていないような金の髪はくるくると毛先が踊る。

 気怠そうに頬杖をついて、長い脚を組み、手には『初級 国語辞典』と書かれた本。

 読書に耽る舶来の青年――に見えなくも無かったが。

「……どちら様?」

「多分……吸血鬼?」

 佳乃子の霊視では、大きな蝙蝠の影が見えていた。


 陽子さん達を庇うように、小百合さんと並んで立つ。

 吸血鬼らしき相手の視線は、辞典に注がれたまま。

「そう、だね……吸血鬼という、らしいよ……すまない、この国の言語はまだ慣れなくてね」

 抑揚の乏しい、掠れた声が発せられる。

「高山さんに何をなさったの?」

「何なの、これ」

 小百合さんと佳乃子の質問が被る。

「タカヤマサン……そこの、彼の事?」

 此方を見る事無く、頁を一枚捲る。

「あっちよりも、見込み、ありそうだから……試してみたかったんだ」

 “あっち”とは在原家の術者の事か、試すとはどういうことか――疑問は幾つかあるが、口を開けなかった。

(何だろう、この変な感じ……)

 体が怠くなるような、眠くなるような……霊力切れの時とも違う、不思議な感覚に襲われていた。

「この島国の同輩は、人間の心を食べるらしいね……わけがわからないよ。心、なんて、何処にあるのかも分からない物を、どう食べようというんだ……だからさ……」

 彼は親指と中指を擦り合わせる。

 ぱちん、と音が響いた。

 すると、床に描かれていた文字が、禍々しい光を帯びる。

 霊視が無くとも分かるのだろう。「ひっ」と押し殺した声が、後ろから聞こえた。

「やだ、何……」

 横目で、小百合さんが後ずさる姿が見える。

「此方の言語では……生気を吸い取る、でいいのかな? サキュバス共のやる事を応用したんだけど……君達には縁が無いか」


(要するに、力を奪われてるって事よね……)

 何かしらの儀式が行われており、自分達を消耗させているらしい――と、何となく理解できるが、佳乃子では対処のしようが無い。

「……佳乃子さん、どう?」

 小百合さんの上擦った声に、沈黙で返す。

(せめて、陽子さんだけでも……)

 逃がす事は出来ないか、と閉ざされた扉を見やる佳乃子の隣で、小さく息を吐く音が聞こえた。

「衣鈴さんを呼ぶべきだったかしら」

 そうぼやく小百合さんは、懐から何かを取り出す。

「……小百合さん?」

 佳乃子は、一目見て簪のようだと思った。

「これは、多分……私達の領分なのね」

 細い棒の先端には、小さな鈴が、文字通り鈴なりについている。

 小百合さんが軽く振ると、しゃらん、と心地よい音が響いた。

(確か……神楽鈴、だったかしら?)

「佳乃子さん」

 静かに、右手を掲げる

 先程までの怯えた様子から一転し、小百合さんは級長の姿を取り戻していた。

「私に時間を頂戴」


 掲げる、振るう、振り下ろす――

 しゃらしゃらと音を鳴らしながら、小百合さんは優雅に舞う。

 次第に、床に書かれていた禍々しき文様が、少しずつ色を変えていく。

 血のような赤い色から、淡き桃色へと。

 小百合さんは“巫”としての訓練を受けた身。

 土地を清める力を以て、吸血鬼の術を浄化できると判断したらしい。

 指先一つまで美しいが、見惚れている場合でなはいのだろう。


 陽子さんは、婚約者の手を握りつつ、小百合さんの舞を見ていた。

 自分がどうすべきか考えあぐねているのだろう。

 佳乃子の霊視には、血を流しながらも起き上がらんとする白い虎の姿。

 高山直人が、既の所で耐えているのなら――

「陽子さん」

 佳乃子は、彼女の手に組紐を結ぶ。

 師匠のお守りなら、二人を守れると信じて。

「絶対に、手を離さないで」



 佳乃子は吸血鬼と小百合さんの間に移動した。

(何もしてこない筈、無いよね)

 相手は此方を一瞥すると、親指を口に含む。

 不快な音と共に血が滴るのが見えた。

 手を振ると、血が僅かに迸り――黒い靄へと姿を変えた。

 その中から蝙蝠が数体飛んでくる。

(これは、私の仕事っ)

 指先に意識を集中させ、自分の式――成犬を呼び出す。

 小百合さんに飛んできたそれらを、次々と噛み砕いた。

 陽子さんに向かうものもいたが、彼女に触れる前に消え去った。

 第二波に備えて向き直るが――

「……そうか」

 彼は、頁を一枚捲る。

「不思議なものだね。神の力無しに僕達を害するなんて……しかし、この国では、あらゆるものが神になるんだって? シンドウ……いや、シントウか……ややこしいね」

 彼の言葉が終わらないうちに、床の模様は消え去った。

 纏わりついていた重苦しさが薄れていく。

「小百合さん……すごい……」

 ちらりと振り向いた佳乃子の後ろで、小百合さんは糸が切れたように崩れ落ちる。

 慌てて受け止めた体は、浅く息を立てて眠っていた。

 彼女にも、相当な負荷がかかっていたのだろう。

 ゆっくりと床に寝かせた。

「……そういえば」

 ぱたん、と本を閉じる音が聞こえたので、慌てて吸血鬼に向き直る。

 ひょろりと背の高い姿が、辞書を丁寧に箪笥の上に置いている所だった。

 身構えるも、彼は一瞬で佳乃子の眼前に迫り――

「え――」

 あっさりと、佳乃子の式を踏み潰してしまった。

(嘘……)

 呆然と、座り込む――いつか経験した時のような、霊力が尽きたような感覚に襲われていた。

「佳乃子様っ」と叫ぶ声が聞こえる。

「此方に来てから、あれの血しかもらってないんだ」

 佳乃子の前に跪く姿は、愛を乞うような姿にも見える。

 自分の腕を掴む手の感触が気持ち悪いが、振り払う力が出せない。

「此方の生娘の血は、どんな味だろうね」

 僅かに綻ぶ口元からは、犬歯が覗く。

「いや……離し……」

 ふと、宗像壮真の顔が脳裏に浮かんだ。

 恐怖や怒りや色々な気持ちががごちゃ混ぜになって、佳乃子の心を黒く塗り潰していく。

 そんな感覚が消えないまま、意識が薄れていった。

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