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参、はじめてのお茶会

 櫻川女子学院中等部の最上階には、限られた人間だけが立ち入ることを許されているサロンが存在する。

 サロンはお茶会を開くための場所――佳乃子が知っているのはそれだけ。

 他家の方々と交流を深めたり、時には同じ派閥の方々を労って差し上げたりと、お嬢様は心を配らなければいけないらしい。

 そのような行為とはほぼ無縁の生活を送ってきた佳乃子は、初めて訪れるサロンの内装に、ただただ圧倒されるばかりだった。

 繊細な模様が描かれた、舶来物の椅子と机。大きなぴかぴかの窓と、縁飾りのついた分厚いカーテン。机に置かれた銀製やガラス製の小物……どれをとっても、率川家の財力では到底買えないものばかりだった。


「さあ、佳乃子さん。どうぞお掛けになって」

 百乃様が案内したのは、一番奥の席。いくつか並ぶ机の内、ここが一番大きくて、高そうな家具に見える。

(ここって、一番偉い人の席なのでは……?)

 自分のような者が座っていいのかと躊躇するが。

「……大丈夫だ。百乃が決めたのなら誰も文句は言わない」

 佳乃子の後ろにいた孝子様にそっと背中を押されたので、大人しく従うことにした。


「……」

 大きな楕円の机を挟んで、向かいには百乃様と孝子様。

 他の机には、紫の袴のお嬢様方。

 自分より遙かに格上の方々に囲まれて、佳乃子はどうにも落ち着かなさを感じていた。

 しかも、皆様方が、何も言わずに佳乃子を見つめているし。


(こういう時ってどうしたらいいんだろう? 身分が高い方から話すのよね……?)

 授業で聞いたお茶会の作法など、全く記憶に残っていない。

 佳乃子は、ただ俯いて机を見る事しかできなかった。


 暫し待つと、「失礼致します」との言葉と共に、数人の女性達がサロンに入って来る。

 藍色の着物に白いエプロンを付けた女性達は、どう見ても学院の生徒ではない。

 白い台車からお茶と菓子を出して給仕を始めるが、佳乃子には何処の使用人かも分からない。


 真っ先に茶が置かれたのは、勿論、百乃様の前。

 佳乃子が普段使っているような湯のみではなく、舶来品らしきティーカップ。

 細い取っ手が付いた物なんて、佳乃子は初めて触る。

 中に注がれる茶色い液体は、紅茶という物なのだろう。ご丁寧にお皿に乗せて、小さなスプーンを添えてくれた。

 ティーカップの隣には、小さくて丸い何かが乗った皿が置かれる。薄紅色と茶色い物が一つずつ。


「どうぞ、召し上がって下さいな」

 百乃様はそう言うと、自らも紅茶に口を付ける。

 その仕草だけでも、溜め息が出るような美しさだった。

「あ、はい……いただきます」

 百乃様を見習って細い取っ手に指を掛けるが、どうにもティーカップが持ちづらい。

 こわごわとカップを口に付けるが、紅茶らしき液体は熱くて、緑茶とは違う渋みがあった。

「紅茶は初めてか? 慣れないなら砂糖とミルクを入れるといい」

 佳乃子の様子を見ていた孝子様が、机の上の置物を示す。

 飾りと思っていたが、どうやら、調味料入れだったらしい。

 色硝子の容器には賽子のように成形された白い砂糖が、銀細工の如雨露のような容器には牛乳が入っているようだ。

 砂糖を二つ、牛乳をちょっと垂らしてスプーンで混ぜると、先程よりだいぶ飲みやすくなった。


「ここのマカロン、とても美味しいのよ」

 百乃様はそう言うと、薄紅色の丸い物体を手に取る。

 他の方々の様子を盗み見ても、どうやら手掴みで食べて良い菓子らしい。

(……私に気を使ってくれたのかな? ナイフとフォークを使うお菓子だったら良く分からないもの)

 一口で食べるには少し大きめだったので、半分くらい齧る。

 さくっとしているような、ねっちゃりとしているような、どうにも分からない食感だった。

 果物を入れているらしく、少し甘酸っぱい。

 甘いお菓子と一緒なら、紅茶のお砂糖も少なくて良かったかもしれない――己の脳内で反省会を開いていたが、百乃様と孝子様がじっと此方を見ている事に気が付いた。

 他の席のお嬢様方も、飲食の手を留めて、此方の様子を窺っている。

(……そうだった。お菓子を貰うために来たんじゃなかった)

 食べ物が絡むと、どうにも夢中になっていけない――佳乃子は慌てて紅茶を飲み込むと、背筋を伸ばした。


 この場で最も高い地位にあるお二人は、黙って目線を交わしている。

 孝子様の方が僅かに頷くと、佳乃子に向かって口を開いた。

「貴女は、御自分の家の成り立ちを知っているか?」

「ええっと……大和府がいくつかの藩に分かれていた時代に、戦で功績を上げたらしいとおじ……祖父から聞いたことがあります」

(お爺様も、『儂も婆様や親父にそう聞いただけだから、何をしたかはよう分からんが』って言っていたけど……)

「御親族に“(かんなぎ)”や“(はふり)”がいたことは?」

「いえ……いない、と思います。初めて聞きました」

 響きだけで言えば神職を連想させたが、佳乃子には縁の無い言葉だった。

「貴女は妖怪や幽霊の類を信じる方かな?」

「私は見た事ありませんけど……言い伝えとかが残っているなら、存在する可能性があるのかな、ぐらいには」

(なんだっけ、そういう言葉あったよね……鬼の証明?)


 佳乃子の返答を聞いた孝子様は、僅かに目を細める。

 そんな渋いお顔のままカップを取り、紅茶を一口。

 佳乃子としては、今までの返答が適切であったか否かが分からないので、黙って待つしかない。


 カップを空にした孝子様が「俄には信じがたいと思うけれど」と前置きして。

「我が国の華族の成り立ちは、神護の時代辺りから始まったと言われている」

(えっと……千何百年まえだっけ?)

「尊きお方の住まう都を魑魅魍魎から守るため、陰陽寮という機関が設けられ、邪気を祓う術者が数多く育成された」

「あの……陰陽寮って風水とか天文学とかを担当するって聞いたような……」

「……ああ、それは表向きの話だ。実態は違う」

「はぁ……」

 歴史の授業で習った内容とは異なる話を聞かされて、佳乃子はただただ混乱する。


「いつしか、神楽を以て清めを行う者を“巫”、己が霊力で魑魅魍魎を祓う者を“祝”と呼ぶようになった。時代の移り変わりと共に体制は変わったが、術者は国を護る為に生きてきた。それの功績を称え、術者を保護する為に華族制度は生まれたんだ。……まあ、色々な柵で叙爵の基準も変わってしまったが。子爵以上の家の多くは、術者の家系に当たる筈だ」

 そういうと、孝子様は佳乃子に微笑む。舶来の物語に出てくるような王子様――そう例えたくなる美しさだった。


 その微笑みを『質問があるならどうぞ』という意味に捉えた佳乃子は、おずおずと口を開く。

「うちがそんな家系なんて、どうして誰も知らなかったのでしょう?」

 佳乃子の記憶をたどっても、そのような事に触れた家族は誰もいない。

 佳乃子も、自分に起きている現象が無ければ『活劇か小説にありそう』ぐらいにしか感じなかった筈だ。


「そうだな……」

 孝子様は暫し考え込む素振りを見せて。

「幾度かの大戦や外来の悪鬼との諍いにより、多くの術者が命を落とし、途絶えた家系も幾つかあるという。率川家もそうだったんじゃないかな?」

「はぁ……」

(うちの家系図とか記録って、ほぼほぼ燃えちゃったらしいしね……)

 家の者にどう説明したものか、と佳乃子は唸る。


「私……これからどうしたら良いのでしょうか?」

 ごくごく普通の貧乏令嬢として生を受けて十数年――いきなり“術者”だの“祝”だの言われて戸惑う反面、これは何かの転機ではないかと感じていた。

 佳乃子の、ひいては率川家の運命を変えるのではないかと。


 佳乃子の問いに答えたのは、百乃様だった。

「私達華族には、国を護る義務があります」

 今までの笑みは消え、まっすぐに佳乃子を見つめている。

「己が力を尽くし、この国と民を脅かす魑魅魍魎を滅する事……そして、次の世代を育てる事」

 先程までのお姿が優美な牡丹なら、今は誰も寄せ付けぬ薔薇の花――気高さと真摯さを感じさせた。

「貴女に霊力が発現し、そして霊視の力を持っているのなら……相当の価値があり、義務があると私は思います。“祝”としての修業を積むなり、術者の家系に嫁ぐなり……まずは、鈴懸様にお会いしなさいな」

「鈴懸の現当主、千早様は畿内の……ひいては我が国の術者を束ねている御方だ。身の振り方を相談するといい」

 孝子様がそう補足すると、百乃様は再び笑みを見せる。

 窓の方を一瞥すると、「もうこんな時間なのね」と呟いた。

 それが、お開きの合図だったのだろう。孝子様がすっと立ち上がる。

「佳乃子さん、車で送って行こう。私から御家族に説明した方がいいだろうし」

「お願いね、孝子」

(いや、そんな、恐れ多いような……)

 しかし、お二人にそう言われては固辞することも出来ないので、佳乃子は黙って頭を下げるのであった。


「突然、こんな話をしてしまって、申し訳なかったな」

 佳乃子が今まで見た自動車の中でも、一際お高そうな黒塗りの車。

 率川家の人間よりも立派な身なりをした運転手の後ろで、佳乃子は孝子様と横並びに座っていた。

 椅子の柔らかさを堪能していた佳乃子は、孝子様にそう言われて、慌てて頭を振る。

「い、いえいえ、そんなことは断じてございませんっ。私、校医の先生に幻覚だろうって言われて困ってたから……」

 その言葉に、孝子様は肩を竦める。

「あの者も、華族の出の筈だが……学長に“一言”言っておいた方がいいかもしれないな……」

「一言って……いえ、何でもありません……」

 孝子の発言に不穏な響きを感じたので、佳乃子は追及しない。


「……葛城ゆかりは」

 率川家まであと少し、という所で再び孝子様が口を開く。

(ゆかりさまって、さっきの……コロネの麺麭みたいな、くるくるした……)

「性格に難はあったが、私達の中でも優秀な術者だったんだ。……女性には珍しいと言われる“祝”の才があった」

(……私が踏んじゃった蜘蛛の事かな)

「それをあっさり御したんだ。きっと、貴女は優れた術者になるんじゃないかな?」

 さも面白そうに話す孝子様。佳乃子はただただ恐縮するしかない。

(他の皆様方も、花が見えていたから……あれが霊力の強さってことよね……)

 お茶会に出ていた方々を思い出すと、後ろに桃の花が咲き――

(あれ? でも……)

 唯一人、何も見えなかった人物がいた。

「百乃様って……」

「百乃は」

 佳乃子の意図を察したのか、孝子様の口調がきついものとなる。

「在原家では珍しく、霊力を持たずに産まれた人だ。それでも、誰よりも在原の人間たらんと努力している」

 前を見据える孝子様の瞳は険しい。この話題は、どうやら禁忌のようだ。

 薄氷を踏む思いとはこんな感じらしい――佳乃子は身を竦める。

「……はい。今日初めてお会いしましたが、すごい方だと思います……」

 佳乃子はそれだけ言うと、孝子から目を逸らす。


 どうやら、霊力の有る無しというのは、自分が考えているよりも大事のようだ――家までのあと少しの道のりが、とても長く感じた。

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