弐拾弐 鬼より怖い
節分を迎えた御笠市では、各地で祈祷や豆まきが行われる。
それに先立って、“祝”も穢れを払うために各地を練り歩く――そう教わったのは、つい先日。
見習いの“祝”達の修行とされているそうだ。
篤子師匠は佳乃子に同伴するつもりであったが、鈴懸千早様に『若い者だけで行かせるのもいいだろう』と言われ、従う事にしたらしい。
「豆は持っていますね?」
「はい」
「護りの力を込めました。これを身に着けて行きなさい」
「はい」
「他の若い“祝”達の動きが気になるかもしれませんが。まずは自分の身の安全を考えるのですよ」
「はい」
「それから……」
「あっちゃん、いい加減にしねぇと夜が明けちまうぜ」
後ろで二人のやり取りを見ていた嶋田健司が口を挟む。
「ですが……」
過保護な部分がある篤子としては、まだまだ言い足りないのだろう。
「大丈夫だって。佳乃子ちゃんも成長しているって言ってたじゃねぇか。それに、しっかりした護衛役がいるみたいだし」
健司の言葉に応えるように、呼び鈴が鳴らされる。
外にいたのは、外套を羽織った宗像壮真。
佳乃子ともう一人、見習いの“祝”の付き添いを頼まれたらしい。
「いつも悪いな、坊主」
「俺が好きでやってるだけさ。姉さんは俺がちゃんと送り届けるから、待っててくれや」
壮真に言われ、篤子は渋々佳乃子を送り出すのであった。
「別に、迎えに来てくれなくて良かったのに」
もう一人の見習いとは商店街前で待ち合わせると聞いている。
佳乃子は一人で向かう予定だった。
「流石に、若い娘さんを一人で歩かせるわけにいかないさ」
「まあね。最近は変質者も出るらしいけど……」
佳乃子が周囲を見渡してみれば、道中は灯篭が点在し、いつもの夜間より明るい。
しかも、巡回している警吏達の数も多いので、いざという時に見習い達を助ける手筈は整えられているのだろう。
夜の道をのんびりと歩き、商店街の入り口にたどり着く。
佳乃子達の接近に気付いたのだろう、停められている自動車から一人の少女が降りてきた。
年恰好は佳乃子より少し下。
丁寧に結われた髪に、佳乃子と似たり寄ったりの袴姿――質は遙かに良さそうだが。
そして、暗がりでも分かるぐらいに顔色が悪い。
「……宗像様と、率川様ですね?」
か細い声に、佳乃子と壮真がそれぞれ返事を返す。
「あの、荒城里紗といいます……この度は、よろしくお願いします」
おずおずと頭を下げる里紗に、佳乃子もお辞儀で返した。
「里紗さんは、いつから“祝”に?」
「えっと……三年ぐらい前からです」
「すごい、私より大先輩だ」
「いえ、そんな……私、あまり実戦というものに出たことが無くて……鬼と戦うのも初めてなんです」
身近な“祝”達がすでに一人前と認められるほどの実力者なので、同じ立場の存在は佳乃子にとって新鮮だった。
佳乃子の問いに答える里紗の表情は硬く、常に両手を握りしめながら歩いている。
嵌められている指ぬきが目を引いた。
「鬼かぁ……私も初めて見るかも」
小袋を手に、佳乃子は呟いた。
中身は、先程まで神棚に備えていた大豆。
いざという時に使えと師匠から託されたお守りであるが、炒った大豆は撒くより食べたい。
「大豆とか、柊とか、鬼って弱点が多いよね。強いの?」
「どうだろうな……」
ぽりぽりと豆を齧りながら零すのは宗像壮真。
豆など不要、という余裕の表れが羨ましい。
「俺としては、お嬢の方がおっかないがねぇ」
彼がお嬢と呼ぶのは、賢木美弥子さん。
佳乃子を迎えに来る途中、桃さん桜さんを引き連れた美弥子さんを見かけたそうだ。
実力のある“祝”なので、強力な鬼が出た時の備えに呼ばれたらしい。
隣を歩く壮真もそちらの括りに入りそうだが、彼は見習い達を守る役目に回ることにしたとのこと。
「一度、十尺ぐらいのでっけぇ奴を見たことあるぞ。ちょっとやそっとじゃ傷つかないし、男たちを振り回して大暴れしていたな」
「……そう聞くと怖いなぁ」
自分の力では到底太刀打ちできないだろう相手に、少し身が竦む。
隣の里紗もさらに身を固くした。
「……まあ、兄貴は舶来の鬼の方が厄介だったって」
「え、外国にも鬼がいるの?」
「ああ、何でも、血を吸って配下を増やすし、倒しても復活するって」
「うーん……よく分からない」
佳乃子には想像つかない。
外国の紳士らしくネクタイを締めた鬼を思い浮かべたが、多分違う。
商店街を抜けて、長屋が並ぶ通りまで進んだ時――
「……いるな」
ある一点を見つめ、壮真の視線が険しくなる。
「うん」
佳乃子の霊視でも、鬼の姿を捉えていた。
二人の言葉を受けて、里紗も構える。
鬼の大きさは、成人男性の腰ぐらい。
赤や青の体色で、ふわふわの髪から伸びる角が見える。
全員で倒れたお地蔵さんを囲み小躍りしていた。
「なんか……思ってたよりかわいいかも」
多分、子鬼と呼べるぐらいの弱い存在なのだろう。
大した悪さは出来ないように感じた。
「油断するなよ」
「分かってるって」
壮真の言葉を受けて、佳乃子は指先に意識を集中させる。
茶色い犬を形作ると、子鬼の群れに突進させた。
不意を突かれ、一匹が喉元を咬まれて消失する。
佳乃子達の存在に気付いた子鬼達が此方へと飛び掛かって来るが、佳乃子は近付いて来た者から順に犬をけしかけて祓っていく。
中には連携を組んで前後や左右から同時に掛かってくる者もいたが、跳ねたりしゃがんだりすれば簡単にかわせた。
合気道や薙刀の授業は藤組でもいい方だし、運動神経には自信があった。
(でも、武器とかあるほうが便利よね。お師匠様に相談しようかしら)
霊力の刃と短刀を駆使して戦う壮真の方を見るぐらいには、余裕があった。
(おっと……油断しちゃ駄目)
子鬼の手を紙一重でかわすと、佳乃子は目の前の敵に集中した。
(……ちょっと面倒な事になったか)
佳乃子目当てで見習いの護衛に名乗り出た宗像壮真であったが、幾つか誤算があった。
同行していた荒城家の御令嬢、聞いていた以上に戦えない。
荒城の霊力は赤い糸。
里紗も指ぬきから赤い糸を生み出して子鬼たちを拘束しようと試みていたが……。
「ど、どこ? 違うの?」
気配を察する能力は、まだ未熟なのだろう。
佳乃子のように霊視の力を持たない彼女は、見当違いの方向に糸を放っては慌てて子鬼の攻撃を避ける、と防戦一方であった。
子鬼達も何処を狙えばいいのかと分かってきたのだろう。
次第に里紗を狙う者の数が増えていく。
『なるべく見習い達に任せて、護衛役は手を出さないように』と兄から言いつけられていた壮真も、方針を変えた。
霊力の刃で子鬼たちの数を積極的に減らしていき、里紗に近付く鬼は短刀で切り捨てる。
他人を守りながら戦う、というのは中々骨の折れる作業ではあるが、自分とて古くから続く“祝”の家系。父や祖父から十分に鍛えられている。
特に『惚れた女が出来た』と宣言してからは、特に厳しくなった。
「あ、ごめんなさ……」
「礼はいい。自分の事に専念してくれ」
「は、はい」
怯えながらも何とか攻撃を当てようとする里紗。
「はい次っ」
その近くで、佳乃子は一人奮戦している。
動きを見るに、まだまだ余裕があるように思え、壮真は安堵した。
まだ“祝”の修行を初めて一年に満たないらしいが、本来の素質と良い師匠の元で順調に成長しているようだ。
いい意味と悪い意味、二つの誤算があったが、子鬼達は順調に数を減らしていき、残るは数匹。
結局、里紗は鬼を祓えないまま。
最後ぐらい彼女の手で……と判断した壮真は、少し攻撃の手を緩める。
里紗が一匹と対峙できるように調整した。
里紗は数回手を振るうが、子鬼は巧みにかわして距離を詰めていく。
「いや……」
(無理だな)
顔を背けた里紗を見て、壮真は最後の一匹に向けて刃を放とうとするが――
「おらぁっ」
里紗と子鬼の間に割り込む影があった。
佳乃子はすかさず踏み込むと、右手を繰り出し、子鬼の顔面に裏拳打ちを繰り出す。
顔面を強打した鬼はたたらを踏み、消滅した。
(いや、まさか……)
霊力を己の拳や足に込めて魑魅魍魎を祓う術者は、確かに存在する。
しかし、佳乃子はその類の修行を受けていない筈だが……。
「あ、師匠のお守り……」
佳乃子が見つめるのは、自らの右手。
結ばれていた組紐がほどけて消えて行った。
師匠のお守りとやらが、護りの力を発揮したのだろう。
「ごめんなさい、私のせいで……」
里紗は座り込み、項垂れている。
「やっぱり、私、お姉ちゃんより大した力もないし、いつも失敗ばかりで……」
「すごいよ、里紗さん」
そんな彼女と視線を合わせ、手を取る佳乃子。
「糸を出すなんて便利じゃない。私、いつも糸が足りなくなるもん。鍛えればすごい役に立つよ」
「そんな……」
冗談だと思ったのだろう、里紗の顔が綻ぶ。
(まさか犬を糸にしようとか思わないよな……)
この自称貧乏令嬢が何よりも実用性を重視していると理解している壮真としては、半笑いしか出来ない。
「さ、まだまだ子鬼はいっぱい出るらしいし、一緒に行こ」
「はい……佳乃子様」
里紗は目を輝かせ、佳乃子を見上げる。
(また始まったぞ……)
どうも、この令嬢は人誑しの癖があるらしい。
手を繋いで歩く二人を見つめ、壮真は嘆息した。
「姉さん、さっきの技すごかったな。どこで覚えたんだ?」
佳乃子の裏拳打ちを思い出し、壮真が質問する。
「……ああ、あれ? 尚子さんと研究しているの。最近御笠駅周辺に出没する乙女の敵、もろだし野郎と遭遇した時の為にね」
「佳乃子様、格好いい」
佳乃子をうっとりと見上げる里紗。
「そ……そうか……」
男の急所に容赦なく裏拳を決める令嬢など、鬼よりもおっかないが。
(まあ、宗像家の嫁に迎えるんだ。それぐらい強くなけりゃな)
惚れた弱み――と指摘する者はいないので、壮真は内心頷くだけだった。




