弐拾壱、乙女達の胸の内
「佳乃子さん聞いて!」
春日女子高等学校の新学期、朝礼が始まる頃合に尚子さんは駆け込んできた。
自分の席には行かず、まっすぐ佳乃子の元へ。
「圭吾さんったらありえないんだよ!?」
佳乃子の両肩を掴み、揺さぶる尚子さん。
(圭吾さんって……尚子さんの婚約者の……)
新年会で見かけた男性の姿を思い出す。
「ありえないのは、貴女のほうですよ」
肩を叩かれて尚子さんがびくっとなる。
佳乃子もついでにびくっとなった。
後ろに立つのは、担任の先生。
雪のような冷たい視線を受けて、尚子さんは静かに席へと向かった。
休み時間に入ると、尚子さんは再び佳乃子の元へ。
「圭吾さんさぁ、本っ当に酷いんだよ」
前の席に座り、佳乃子の机を拳で叩く。
「尚子さん、落ち着いて」
怒りの力で机を割ってしまうのではないか、と危惧した佳乃子は尚子さんの拳を両手で包んだ。
「前にお会いした時は、好き好きって言ってたじゃない。喧嘩でもしたの?」
「……私、そこまで言ってたかな? まあ、兎に角、あの新年会の後よ。帰る時にね、どこかに買い物に行きたいなって言ったの。そしたら、圭吾さん畿内百貨店に連れて行ってくれて。好きな物を買うといいって、使用人さんと私を置いて帰ったんだよ? ありえなくない? 二人で、デートしたいって言ってるのにさぁ!」
佳乃子の両手の中で、尚子さんの拳が蠢く。
「あー。それはあり得ないわね」
頷く頼子さん。
「すごく……太っ腹な方なんだね……」
幸子さんは呆然と呟いている。
佳乃子も幸子さん側の人間である。
本当に気前のいい変態商人なんだな、としか。
ちなみに、術者とは縁の無いお二人には『鈴懸家の新年会で、婚約者と同伴の尚子さんと出会った』としか説明していない。
「いつもさぁ、『俺と出掛けても面白くないだろう』って言って……」
次の授業が始まるまで、尚子さんの愚痴は続いた。
さて放課後、毎月恒例となった佳乃子と幸子さんの慰労会の日でもある。
今回は新年会も兼ねようと、商店街に繰り出していた。
「もう、今日はやけ食いするからね」
「食べ過ぎは駄目よ。こういう時こそ、自分を磨かなきゃ」
佳乃子達の後ろには、尚子さんと頼子さんも。
最近は、頼子さんの御家族の監視も大分緩くなったようで、放課後に出歩く機会も増えているらしい。
今日のお目当ては古くから続く甘味処。
温かいお茶と栗ぜんざいに塩昆布を添えていただく予定。
「あ……」
目的地へと向かっていると、不意に幸子さんが立ち止まった。
視線の先には、金鍾山学園の詰襟姿。
背は高めで、髪を短く整えている。
「白木さん……どうも」
相手の方が先に口を開いた。
仏頂面で声の抑揚も乏しいが、頬は少し赤い。
「ご、ごきげんよう、野上さん……」
幸子さんも頬を染めて、彼を見上げている。
「今日はどうされたんですか?」
「ちょっと、新しい参考書を買いに……」
「そうだったんですね……」
「じゃあ、また……」
そう言うと、彼は小走りで去って行った。
彼の後ろ姿が消えるまで見送ってから幸子さんは振り返り――佳乃子達の視線に気付く。
「……あ、あの、その、違うの!」
幸子さんは慌てて両手を振った。
「野上さんはね、金鍾山学園の方で、真面目な方で、学章を拾った縁で良くしてくださるの。とても真面目な方でね、時々お勉強を教わるだけなの」
甘味処へ着くまでに七回、ぜんざいが届くまで五回。
佳乃子の手を取りながら、説明を繰り返す幸子さん。
(うん……分かってるよ、幸子ちゃん)
佳乃子は笑みを湛え、黙って聞いていた。
「教わっているのは勉強だけなのかなぁ?」
塩大福を手に取った尚子さんは、女学生に相応しくない笑みを浮かべている。
「どこまで行ったのさ?」
「いつも図書館に……偶には外でお話することもあるけど」
ぜんざいの栗を突きながら、幸子さんはぼそぼそと呟いている。
「いいわねぇ」
頼子さんはみたらし団子片手に羨望の眼差しを向けている。
「なんか……お付き合いって感じで」
「お、お付き合いとかそんなんじゃ」
「幸子ちゃん綺麗になってるもん。大人になっちゃったんだ」
「もう、変なこと言わないで!」
佳乃子の肩を叩く幸子さんは、耳まで真っ赤に染まっている。可愛い。
「頼子さんは、どうなの?」
気恥ずかしさをごまかしたかったのだろう。
幸子さんは正面の頼子さんに話題を振った。
「私? 今まで通り、お手紙のやり取りをしているだけよ」
穏やかな顔つきでお茶を啜る頼子さん。大学生の彼との関係は変わりないようだ。
「いいなぁ、みんな幸せそうで」
尚子さんは頬杖を突きながら最中を齧っている。
小百合さんがいたらお叱りを受ける姿だ。
「あら、私は会いたいときに会える皆さんの方が羨ましいわ」
「それは……そうなんだけど……」
頼子さんの言葉に顔を顰める尚子さん。
お口をもごもごさせているのは、多分最中の皮が貼り付いてるから。
「お話を聞いている限り、年が離れた御方なのだから、扱いに困っているだけじゃないのかしら」
頼子さんはお茶のお代わりを注ぎ、尚子さんに渡す。
「時間が解決してくれるわよ、きっと」
「……そうかな、そうだといいんだけど……」
「なんか……恋愛とかお付き合いとかって……大変なんだね」
自らを“殿方には縁の無い貧乏令嬢”と自認している佳乃子は、黙ってぜんざいを啜ることしか出来ないでいた。
『え?』
佳乃子の言葉に、三人が怪訝そうな顔つきを見せる。
「佳乃子ちゃんって、婚約者の人、いるでしょ?」
「え、いないよ?」
佳乃子も怪訝な顔つきになる。
「だって、よく商店街で一緒に歩いているらしいって……」
「私見たよ、鈴懸家の新年会で。綺麗な顔した男の子」
綺麗な顔、と聞いて思い浮かぶのは一人。
「……ああ、宗像壮真様は違うよ? 私みたいな貧乏令嬢を相手にするわけないじゃない」
佳乃子はそう答えると、塩昆布を口にする。甘味の後の塩気がたまらない。
「とても相手の方が甲斐甲斐しいと評判よ?」
まあ、親切にしてくださっているとは思うが。
「うーん……なんて言うか……私、命の恩人みたいな立場だから……」
『え?』
“祝”の世界に縁遠い方々に説明するのは難しいようだ。
尚子さんも術者の修行を受けているわけではなさそうだし。
「え、行き倒れてたとか?」
「佳乃子ちゃんって心肺蘇生できるの?」
「お金に困っていらして……でも、佳乃子さんは助けられないわね」
頼子さんの否定が悲しい。
「でもさ、手まで繋いじゃってさぁ」
尚子さんは黒文字を羊羹に突き刺す。
「ああ、そうだね……」
その言葉を受けて、佳乃子は気付いた。
最近は手を繋いで歩くことが普通になってしまった、と。
没落寸前とはいえ、佳乃子も華族女子の端くれ。
母や祖母から殿方との適切な距離を教えられてきたが、壮真とは何故か近くなっていた。
不思議と彼の方もそれが自然であるかのように振る舞っているが、それはきっと――
「ほら、私、お姉ちゃんだから」
佳乃子はそう結論付けた。姉弟のような関係なのだ。
「これは駄目ね……」
「私、佳乃子ちゃんが分からない時がある……」
「お華族様ってみんなこうなの?」
平然とお茶を啜る佳乃子を見て、三人は揃って溜め息を吐くのであった。




