弐拾、貧乏令嬢は変態商人の夢を見るか
会場の中央、若年の男女が集まっている中に在原百乃様の姿があった。
装束姿の女性達が佳乃子の行く手を遮るが。
「大丈夫よ」
百乃様に制されて、彼女達は後ろに下がった。
「佳乃子さん……随分と見違えたわ」
大きな丸い瞳に見つめられて、佳乃子の胸は高鳴る。
口角を少し上げてふわりと微笑む姿は、昔に見たままの美しさであった。
「百乃様、お久しぶりです」
あけましておめでとうございます、と添えて、深々と頭を下げた。
「あけましておめでとうございます」
両手を揃えて頭を下げる仕草を見ると、恐れ多いと佳乃子は思ってしまう。
「佳乃子さん、あけましておめでとう。元気そうでなにより」
「おめでとうございます」
後から来た孝子様とも挨拶を交わす。
「嶋田篤子様に師事していると聞いたが、あちらの生活はどうだ?」
「はい、おかげさまで……」
(うーん。私、嫌われているような……)
櫻川女学院で百乃様とお会いした時の事を思い出す。
自分達を囲む集団の中には、警戒や嫉妬の感情を隠さない表情の方々も。
百乃様は相当に慕われているのだろう。
お二人に請われるまま近況を話していたが、周囲からの視線が気になるので、そろそろ退散することにした。
「では、私はそろそろ……」
「噂の柴犬姫じゃないか。百乃の知り合いかい?」
後方からの声に、佳乃子の挨拶は遮られる。
振り返ると、袴姿の青年が立っていた。
年は佳乃子達と変わらないぐらい。
線が細く気品のある雰囲気を漂わせていた。
「ええ、櫻川に通っていらした事もあったのよ」
百乃様はそう答えると、青年の前に立つ。
彼を見上げて頬を染める百乃様は、とても幼く見える。
「柿本和也。百乃の許嫁だ」
孝子様が耳打ちしてくれた。
「……なるほど」
柿本家も古くから続く名門。
お二人が並ぶ姿は、とても様になっていた。
まさしくお似合いの二人と言えよう。
「これからも百乃の事をよろしく」
爽やかな笑顔でそう言われ、佳乃子は頭を下げる他なかった。
(さて仕切り直しを……)
百乃様達に暇乞いをし、佳乃子は先程食べ損ねた甘味の元へと向かっていた。
藤組の皆様の姿はもう無く、机を囲むのは年配のご婦人方。
佳乃子は隅にお邪魔して物色を開始する。
(念願の抹茶ケーキ……苦さが程よい……こっちのさくさくした生地も美味しい)
流石は鈴懸家、料理にも抜かりはないらしい――四大名家の偉大さを噛み締めていると、ご婦人方の会話が耳に入る。
「“出涸らし”といえど、百乃さんの人気は変わらないようで。ほら、うちの娘もお近付きになろうと必死ですわ」
「まあ、在原家は……他の御兄弟も、ねえ……それなら人間として優れている方が良く見えますもの」
「在原はもう終わりかしら……必死になって、あんな“馬の骨”を囲っていますけど……」
知り合いの噂話を聞くのは、どうにも気まずい物がある。
甘味を皿に乗せて避難しようと手を動かしていたが、不意にご婦人方の見つめる先に視線が向いた。
スーツ姿の男性と、まだ珍しいパーティードレスに身を包んだお嬢様――佳乃子とそうは変わらない年頃に見える。
壁際に立っている男性の横で、お嬢様は右に左にと動き、絶えず話しかけているようだ。
(……あれ?)
もしやと思い、佳乃子はそちらの方へ向かう。
髪を緩く纏め、薄くお化粧をした愛らしい姿は――
「尚子さん?」
一年藤組の同級生。庶民のお嬢さん達の纏め役にして、藤組の盛り上げ役でもある尚子さんであった。
普段は霊力の片鱗を感じさせないお嬢さんであるが、佳乃子は午後の授業中、船を漕ぎ出す彼女の後ろに不思議な影を見たことがある。
“祝”とも“巫”とも判別できない不思議な方であった。
佳乃子に気付いたのだろう、尚子さんは目を見開いて大きく手を振ってくる。
「久し振り。あけましておめでとっ」
「……あけましておめでとう。尚子さんも来てたんだ」
「うん、ちょっと付き合いでね」
そう言うなり、壁際にいた男性の手を取る。
「在原圭吾さん。私の婚約者だよ」
「そ……そうなんだ。初めまして、尚子さんにはお世話になっておりまして……」
年は佳乃子達よりも十は離れていそうな成人男性。
不機嫌そうな目つきに佳乃子は些かしり込みする。
「あ……ああ、どうも」
男性は困惑したように佳乃子を見ると、「俺なんかが居ない方が良いだろう」と立ち去ってしまった。
「ごめんね、いつもあんな感じで」
尚子さんは目を細めて彼の後ろ姿を見送っていた。
尚子さんが物欲しげに見ていたので、山盛りにした甘味を二人で突く。
「尚子さんって在原家の関係者だったんだね、知らなかった」
普段の自由奔放な姿を見るに、とても由緒正しい家の婚約者とは思えなかった。
「んー、うちはただの庶民なんだけどね……私って予知夢が見れるみたいで」
「……予知夢?」
今までに聞いたことない能力に、佳乃子は首を傾げた。
「よく分かんないんだけど……夢でね、妖怪とかお化けの姿を見るの」
結構当たるらしいよ、と尚子さんは笑う。
「それで、色んな所からお誘いが来ちゃってさ。養子とか結婚とか。お華族様って厳しそうだし、全然興味なかったんだけど……お母さんが病気しちゃって。治療費と引き換えに婚約した感じ」
「そうなんだ……」
所謂、政略結婚という事か。
「在原の当主様は、とにかく、家からすごい術者を出したいみたい。だから、私みたいなのが在原の血を引く子どもを産めば、すごい術者になるかもって期待しているみたいだけど」
佳乃子の年頃で嫁ぐお嬢様もいるし、佳乃子も家の為に必要ならその手段は考えていた。
しかし、顔見知りからその類の話を聞くと、些か困惑してしまう。
「ただ、圭吾さんがね……学校ぐらい行った方がいいだろうって。だから春日女子に通うことになった感じ」
「そっか……」
先程の在原圭吾の姿を思い出す。
目つきこそ悪かったが、態度や物言いには不快なものは感じなかった。
今も、遠くから尚子さんを気遣うような視線を向けており――
「……いいよね。尚子さんを大事にしている感じ」
お金持ちで気前が良くて紳士的。
佳乃子の理想の変態商人とも言えよう。
その言葉を聞いて、尚子さんが顔を綻ばせる。
「佳乃子さん、好き」
急に抱き着かれたので、危うくお皿を取り落とすところだった。
「いつも『可哀想』って言われるの。お母さん達もごめんねって泣くし……私はそんな事全然思ってないのに……」
尚子さんの顔を見るに、本当に彼の事を想っているのだろう。
「当人同士が好きならいいと思うけど」
「当たり前じゃん。お母さんの病気治してくれて、プロポーズしてくれるんだよ? 王子様みたいでしょ?」
そう微笑む尚子さんは、とても幸せそうに見えた。
「……姉さん」
婚約者の元へ向かう尚子さんと別れ、会場を彷徨う佳乃子を呼び止める声が一つ。
振り返ると、宗像壮真が立っていた。
唇をへの字に結び、不機嫌そうなご様子。
年末、荷運びを手伝って下さった時とは大違い。
あの時は、家で茶を飲む彼の姿を見て、率川家の一族がひっくり返っていた。
恐縮する家族に一礼して、彼はあっさり帰って行ったのだが。
「あら、宗像様。あけましておめでとうございます」
「おう、おめでとう……そんな事はどうでもいいんだ」
お辞儀を交わしたと思いきや、急に頭を上げて佳乃子に詰め寄る。
「聞こえたぞ、姉さん。あんな年上の男が好きなのか?」
「ん? どういう事?」
「言ってただろ、あの男が良いって」
彼が指さす先は、尚子さんと婚約者の姿。
先程の会話を、彼は聞いていたのだろう。
「そうね、どうせなら、素敵な変態商人に嫁ぎたいじゃない。羨ましいなって思うわ」
「そうか……」
彼は項垂れる。
「……あ」
彼の姿を見て、佳乃子は一つ思い出した。
「さっき助けてくれたでしょ。ありがとう」
派手なお嬢様の繰り出した扇子を弾き飛ばしたのは、彼の力ではないかと佳乃子は感じていた。
「え、ああ、あんなの、大したことじゃないさ」
先程とは一転し、胸を張って得意そうな表情を見せる。
怒ったり落ち込んだり笑ったりと、今日の彼は何かと忙しそうだ。
(……きっと栄養が足りないのよ)
そう結論付けた佳乃子は、壮真の手を取る。
「お腹空いてない? 何か食べに行きましょ」
「……ああ、付き合うぜ」
彼も佳乃子の手を握り返し、二人並んで歩くのだった。




