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拾伍、願いを縫う

 春姫池での一件より、率川佳乃子はある事に興味を持った。

 物に霊力を込めて使役する――浜木綿(はまゆう)桃さんが使っていた術。

 彼女は、“よくある”と言っていた。

 即ち、自分がその術を覚えれば、率川家の生活水準は向上するのではないか。

 大きな紙で人間大のやっこさんでもこさえて家事や内職の手伝いを……佳乃子の脳内では、やっこさん達が率川家の狭い庭に整列していた。


「ええ、大抵の術者なら身に付けます」

 期待を込めて篤子師匠に尋ねると、あっさりしたお返事。

 佳乃子さんにはその方面の才能は無さそうですが、とも付け加えて。

「そうですか……分かりました……」

 希望は失われた。

 気落ちした佳乃子は項垂れる。

「……そういえば、まだ教えていませんでしたね」



 針の先端を刺して、出して、刺して、出して……出来るだけ、規則正しい間隔で……。

(なみ縫いって、本気でやろうとしたら難しいわね)

 師匠に言いつけられ、佳乃子は運針に励んでいた。

 糸に霊力を込めて作られた品は護りの力を発揮し、時には自分の実力以上の術を出すときの助けになるらしい。

 幼い頃より内職に従事していた佳乃子にとって、これは苦ではない作業。

(私が一人前の術者になった時には、霊験あらたかなお守りとして売り出せば……)


「……ひどい顔しとる」

 顔を上げると、美弥子さんと目が合った。

 お弁当を早く済ませて作業に勤しむ佳乃子の前に立ち、気味の悪い物でも見るような目つき。

「欲にまみれた亡者の顔やで」

 ひどい言われようである。

 さらには、佳乃子が施した縫い跡を一瞥し、「大した力も感じへん」と呟いた。

(お師匠様にも似たような事言われたけど……私にはよく分からないのよねぇ)

 術者としての修行を始めるのが遅かった佳乃子は、『力を感じる』という能力が、まだまだ低い。

 明確な悪意を持っている魑魅魍魎が居るならともかく、穢れや霊力の有無は霊視の力がないと分からない。


 凄腕の“(はふり)”でもある美弥子さんは佳乃子の前の席に座り、手を出してくる。

「貸してみぃ」

「あ、じゃあ……」

 縫い針と布を渡すと、美弥子さんはすいすいと針を動かす。

 あっという間に、新しい点線が出来た。

 佳乃子の隣で、桜さんが「美弥子様の母君が、この手の術に長けているようです」と囁いた。

 美弥子さんはすごいだろう、と言わんばかりに差し出してくる。

 さて霊視の力を用いてみれば、確かに美弥子の縫い跡は淡い光を帯びていた。

 しかし、線がひどく歪んでいる。

「美弥子さん、お裁縫苦手なんだ」

 そんな感想を述べてしまい、美弥子さんをご立腹させるのであった。



 一度始めると興が乗ってしまい、ついつい放課後にも手を出していたが。

(この布を埋めたら、そろそろ帰ろう)

 そう決めて、再び針を動かす。


 必死に作業を進める佳乃子の耳に、それは突如聞こえた。

「幸子さん、今日のおとめ座のラッキーアイテムはキャラメルなの。よろしければお一つどうぞ」

「ありがとう雪緒さん……あれ、私、誕生日の話なんてしたっけ?」

(幸子さんっておとめ座かぁ……)

 なんかそれっぽい。

 自分でもよく分からない事を言っているが、なんかそれっぽい。

 さておとめ座の誕生日はいつだったかと佳乃子は考え――はっとした。ついでに指も刺した。


 興奮した猫のような声を上げてしまい、教室に居た方々が此方に注目する。

「あらあら佳乃子さん、大丈夫?」

 すかさず雪緒さんが近付いて、絆創膏を巻いて下さった。

「うん、ありがとう雪緒さん……それとね」

 そっと彼女に顔を寄せる。

 佳乃子の方から距離を詰めるなんて、初めての事ではないだろうか。

「幸子さんの誕生日って、いつ?」



 佳乃子さんが雪緒さんと内緒話をしていると思ったら、手早く帰り支度。

「ごめん、先に帰るね!」と此方に手を振って、走り去って行った。

 雪緒さんはしゃがみ込み、何かを拾う。

「佳乃子さん、落としたわよ。お待ちになって!」

 珍しく慌てた様子の雪緒さんも後を追い掛けて行ってしまった。


 何となく、その後ろ姿を見送っていた白木幸子の背中をつつくのは尚子さん。

「ね、幸子さん、これから時間ある?」

 幸子が頷くと、尚子さんは手を引いて教室の外へと連れ出すのであった。



 連れられた先は校内の茶室。

 作法の授業で時々入る場所。

 茶道部の顧問の先生は厳しい方なので幸子は躊躇してしまうが、尚子さんは「大丈夫」と扉を開ける。

 中にいたのは、藤組の方々。

 茶道部の衣鈴さんは分かるとして、薙刀部のめい子さんや部活動に入っていない頼子さんまで。

 衣鈴さんが背筋を伸ばして丁寧にお茶を点てている傍で、他のお二人は寛いだ座り方。


「今日は顧問の先生が出張でいないから大丈夫。藤組の方々の自習を手伝うって言って、茶室をお借りしたの」

 幸子の疑問に答えるように、衣鈴さんが説明してくれる。

「あー茶道辛いわー」

 尚子さんは内履きを脱いで上がると、足を伸ばして座る。

「さ、幸子さんも入って」

 衣鈴さんの言葉に、幸子も恐る恐る上がる。

 尚子さんの横に正座していると、衣鈴さんがお茶を出してくれた。

 その脇には、頼子さんが懐紙に乗せたお菓子を添えてくれる。

 あられと抹茶のケーキ。

「では、お点前頂戴致す」

 茶器はどっちに回すんだったっけ……と悩む佳乃子の隣で、尚子さんは躊躇いなく口を付ける。

 すかさず、「にがっ」という呟きが漏れた。

 急いでケーキを口に放り込む彼女の顔を見て、「もう尚子さんったら」と衣鈴さんが笑った。


 これは作法の自習云々ではなく、ただお茶とお菓子を楽しむ集まりかしら――そう思い至った幸子は、少し肩の力を抜く。

 暫し、皆が黙ってお茶を嗜んだ。


「幸子さんさ」

 沈黙を破ったのは尚子さん。

「最近元気ないね? 佳乃子さんと喧嘩したの?」

 ちょっと佳乃子さんと距離を置いていた事を、藤組の皆さんも察していたらしい。

 どうやら気を使われていたようだ、と幸子は思い起こす。

 小百合さんや雪緒さんがさりげなく傍にいてくれた気がするし、知世さんまで「幸子さんが好きそうだと思う」と本を一冊貸してくださった。

 確かに面白かった。

 今日の集まりも、自分の為に開いて下さったのなら、嬉しいような申し訳ないような。

 でもお茶は苦い。


「ううん、そうじゃないけど……佳乃子さん、最近、美弥子さんとお話していることが多いから、声を掛けにくくて」

 茶碗をぼんやり見つめながら、誰とも目線を合わせずに答える。

「美弥子さんに遠慮してる? そういう時は一発引っ叩いてやればいいんだよ。『私の佳乃子に手を出さないで、この泥棒猫!』って」

「尚子さんったら」と他の方々が笑う。


「遠慮っていうか……」

 幸子には、ずっと悩んでいる事があった。

「佳乃子さんって、不思議な感じがするの。私なんかじゃ分からないような、大きなものを抱えているような……」

 その言葉に、真剣な顔つきを見せたのは衣鈴さん。

「藤組には、そんな雰囲気の方々が何人かいて……」

 小百合さんや美弥子さんや桃さん桜さんに……と、幸子は頭の中に思い浮かべる。

「佳乃子さんと美弥子さんがお話している時って、私が立ち入っちゃいけない事情がありそうで、ちょっと……」

 ちょっと、寂しい――その言葉だけは、辛うじて飲み込んだ。


「あーうんうん。分かる、分かるよ、何となく」

 腕組をして大きく頷く尚子さん。

 分かっているのか分かっていないのか分からないが。

 幸子にとって、尚子さんは佳乃子さん達と違う雰囲気を感じる人だった。

 時々、『怖い』と思わせるような……雪緒さんもそうだけど。

 お二人とも親切な方なのにどうしてだろう、と幸子は思う。


「立場が違っても、佳乃子さんはずっと一緒に居たのでしょう?」

 だったら問題ないんじゃない、と言うのは頼子さん。

 件の大学生とは、順調に手紙のやり取りを続けているらしい。

「同じ方向を見ていなくても、互いを思い合う事は出来ると思うわ」

 流石に男を知った女の言う事は深い――誤解を招きそうな発言をした尚子さんは、頼子さんに肩を叩かれていた。


「……幸子さんの言いたいことは分かるよ」

 次に口を開いたのはめい子さん。

 藤組で一番背の高い方で、薙刀部の特待生。

「私も、すずとは身分が違うし、背負っている義務もよく知らない。色々悩んだけれど、今はそれでも良いかなって思う」

 その言葉に、衣鈴さんが頷く。

「めいちゃんとは限られた場所だけでの付き合いでも、私にとっては大切なお友達だもの」

 すかさず、「熱いねぇ」と尚子さんが野次を飛ばした。

 男爵家の衣鈴さんと庶民のめい子さんは幼馴染らしい。

 薙刀教室に通っていた頃からの付き合いで、身分の柵が無い場所では渾名で呼ぶ間柄だとか。

 気負わない二人のやり取りを見ていると、ちょっと羨ましいな、と思った。



 あらゆる品物を手に取っては戻す。

「これも違う……こっちは……なんか違う」

 率川佳乃子は悩んでいた。

(幸子さんの誕生日を知らなかったなんて……)

 なにが心の友だ。恥ずかしい。

 さて幸子さんに何を贈るか、佳乃子は思い悩んでいた。

 文房具に髪留めに小物入れ……どれもしっくりこない。


 あてどなく商店街を彷徨う佳乃子は、ある店の前で立ち止まる。

「手芸店かぁ……」

 ふと思いつく事があり、足を踏み入れた。

 目指すのは、布地が並ぶ一角。

(幸子さんが好きなのは鴇色や珊瑚色辺りだけど……春日女子の制服には合わせにくいかな?)

 淡い灰色のセーラー服を纏った幸子さんが脳裏に浮かぶ。

(もっとはっきりした赤の方がいいかしら)

 色を見て、布地を摘み――

「俺はこれがいいと思うぜ」

 指し示された碧色の布地を一瞥。

「悪くないけど、ちょっと重いかな……」

(青系統もいいかも……でも、もっと淡い方が……って)

 隣を見ると、詰襟姿の宗像壮真。

 今日も爽やかな笑顔を向けてくる。

「……ごきげんよう」

「おう、ごきげんよう、姉さん」

「どうして此処に?」

「遣いだ。姉さんは何を作るんだ?」

「……貴方には関係ありません」

 壮真の相手は放棄して、再び布地を選ぶ作業へ。

 当然のように、彼は付いて来る。

「……何か?」

「姉さんの顔は見飽きないからな」

「……そう」

(美弥子さんは亡者の顔って言うし……)

 自分の顔はそんなにおかしいのだろうか――むくれた表情で布地を見ていると。

「ん? 何だ?」

 急に壮真が振り返る。

 あまりの素早い動きに、佳乃子もつられた。

 視線の先には、見慣れたセーラー服。


「か、佳乃子さん……」

 先程お別れしたばかりの雪緒さんが、そこにいた。

 走って来たのか息が荒い。

「雪緒さん、どうしたの?」

「……これ」

 そういって、鞄の中から取り出したのは、朱色のガマ口。

「あ、それって」

 慌てて自分の鞄を探るが、財布は見つからない。

 雪緒さんが手にしているそれは、まぎれもなく佳乃子の物。

(教室で落としちゃったんだ……)

 貧乏令嬢として、何たる怠慢。

「人が多すぎて、探すのに時間が掛かっちゃったわ」

 ごめんなさいね、と手渡してくれる。

「ありがとう、雪緒さん!」

 危うく幸子への贈り物を用意し損ねるところだった。

 感謝の気持ちを込めて、財布ごと雪緒の手を握った。

「どういたしまして……それより」

 雪緒さんの視線の先には、何故か緊張した様子の宗像壮真。

「可愛らしい方ね。佳乃子さんの御兄弟かしら?」

「あー、んー、まあ、そんな感じ」

 先達の術者で、自分が命を助けた形になっている相手で……とは、術者かどうか分からない雪緒さんには説明しづらい。

「……そう。じゃあ、私帰るわ」

 ごきげんよう、と雪緒さんは店を出て行った。


 その背中を見送り、手にした財布を握りしめる。

(雪緒さん、わざわざ、この財布のために……)

 心と懐を温かくした佳乃子は、再び布地に向かい合う。

「なあ、姉さん……」

 先程より調子を落とした壮真の声。

「あれ、何だ?」

 “あれ”とは雪緒さんの事だろうか。ひどい言いようである。

(まあ、雄一も綺麗なお姉さんの前では緊張していたし)

 実家の弟の顔を思い出し、少し微笑ましくなった。

「同級生の住馬(いこま)さん。時々ひどいこともするけど、良い人よ」

 佳乃子の答えに、「住馬……知らねぇな」と呟く。

「……姉さんってすげえな」

 感心する壮真に、佳乃子は首を傾げるのであった。



 爽秋を感じる朝、春日女子高等学校の正門前は生徒達で混雑していた。

 その隙間を縫うようにして歩く、袴姿の少女が一人。

 二つのお下げを揺らし、早足で校舎へ向かう。

 少女は顔を伏せ、誰とも言葉を交わさずにふらふらと歩いていた。

 周囲の生徒は、彼女の顔を見て表情が曇る。


 一年藤組の教室にたどり着いた佳乃子を出迎えたのは幸子さんであった。

 佳乃子の顔を見て、驚いたご様子。

「佳乃子さん、どうしたの!?」

 昨夜から明け方近くまで作業をしていたため、佳乃子はほとんど眠れなかった。

 あまりの顔色の悪さに、嶋田夫妻からも学校を休むよう勧められたが、それを振り切って通学してきた。

 佳乃子には、今日、学校に来る理由があった。

「しゃ、しゃちこちゃん……」

 呂律もうまく回らないが、震える手で包みを手渡す。

「お……お誕生日、おめでとう」



「取りあえず寝なさい」と、小百合さん達に保健室へ連れられた佳乃子は仮眠を取り、幸子さんと再会したのは二時間目の終わり。

「あ、あのね……」

 教室で向かい合う幸子さんが、薄花色のスカーフを佳乃子に差し出す。

 佳乃子が先程渡した贈り物。

 隅には、同系色の糸で麻の葉文様が刺繍されていた。

 光が当たれば分かる程度の、目立たなさ。

 無辜の民も襲うという魑魅魍魎や悪鬼達……幸子さんを護る力になれば、と佳乃子が願って刺したもの。


 幸子さんは何故かそれを手に、言いにくそうなお顔。

「あのね……佳乃子ちゃんに、付けてほしいの……」

(良かった……いらない、とか言われたらどうしようって思っちゃった……)

 そういう事なら、と幸子からスカーフを受け取る。

 手を回し、スカーフをセーラー襟の中に通す……意外と難しい。

 暫し悪戦苦闘して。

「ど、どうかな、幸子ちゃん」

「うん……嬉しい、ありがとう」

 些か不格好な結び目を撫で、幸子さんは微笑むのであった。

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