拾 貧乏令嬢はデートを知らない
九月が近いと言えどまだまだ暑く、道行く鹿たちも木陰で涼を取る。
かれらの脇を、セミの声にも負けぬぐらいの足音を鳴らし、のしのしと歩く少女が一人。
破れ青海波文に紺の袴姿の率川佳乃子である。
(本当に失礼しちゃうわ)
佳乃子は、中学生に年下扱いされた事を、未だに根に持っていた。
三人の弟達を持つ長女として奮闘してきた佳乃子にとって、年下の少年というものは守り育てる存在である。
術者として先達とはいえ、年下の少年に“嬢ちゃん”呼ばわりをされ、頭を撫でられるなど、あってはならない事だった。
怒りの力で、佳乃子はめきめきと力を伸ばしていった。篤子も目を見張る速度で。
乙女の怒りはとてつもない推進力を発揮するらしい。
最近頑張り通しだったから、今日はお休みにしましょう――篤子にそう言われ、佳乃子は商店街へと向かっていた。
(臨時収入を頂いちゃったし、新学期の準備でもしようかしら)
佳乃子を嬢ちゃん呼ばわりした少年、宗像家の御令息だったらしい。
宗像家は大和府の名門華族。
芝辻に立派な屋敷があるとのこと。
佳乃子は彼の命の恩人という扱いになるようで、篤子経由で丁寧なお礼状と報酬が届けられた。
いつものアルバイトの収入より、遙かに多い。
佳乃子は実家に送る用、あんみつ用を仕分け、残りを自分の小遣いに当てることにした。
(手紙を交換する機会も増えたから、新しい物を買おうかな……雪緒さんの手紙は青い鳥が描かれていて素敵よね……あれは舶来品かしら? 小百合さんはご自分の名前が入った花の印を押していたわね……私も何か、そういう、自分の定番とか決めようかな……犬?)
可愛らしい模様の文房具や装飾品を見ている内に、佳乃子のくさくさしていた気持ちも、少しずつ和らいでいく。
(お揃いのスカーフを結んでいる方達がいらしたけど、幸子さんと同じ小物をつけても楽しそう……でも、私セーラー服じゃないし……それより、幸子さんに嫌がられたらどうしよう……)
佳乃子の脳内は、すでに新学期へと旅立っていた。
「姉さん、久しぶりだな」
あれこれと思案しながら歩く佳乃子に並ぶ、一人の少年。
灰色の袴姿の、佳乃子より少し高い背丈、端正な顔立ち。
そして、声に聴き覚えがあった。
(あの時の……!)
佳乃子を『嬢ちゃん』呼ばわりした、宗像家の御令息ではないか。
無視して先を行こうかと考えたが、相手は格上の宗像家。
「ごきげんよう、宗像様。先日はお世話になりました。では、失礼致します」
義務は果たした。
一礼すると、早足で帰路へと向かう。
「待ってくれや、姉さん。ずっと会いたかったんだ」
その後を彼は付いて来る。
「助けてもらった礼をしたくてな」
「別に、“祝”の義務ですから……私、負けたし……」
佳乃子は口ごもる。
自分の力では、まだまだ魑魅魍魎に対抗できないと痛感していた。
「それでも」
彼が前に回り込む。
佳乃子は足を止めざるを得なかった。
「俺にとっては命の恩人なんだ。一杯奢らせてくれや」
彼が指さすのは、洒落た喫茶店。
あんみつやパフェが掛かれた品書きに佳乃子の心が躍り――果物を頬張る幸子さんの笑顔が浮かび上がる。
(駄目よ、佳乃子。幸子さんより先に、新しいあんみつに手を出すなんて)
次の慰労会は、あの店を提案しよう。
佳乃子はそう心に決めた。
「私、あそこに一緒に入る人は、もう決めているの」
断腸の思いで、再び歩き出す。
「なんだ、好い人でもいるのか」
少年は、少し眉間に皺を寄せた。
商店街を出て大社の方向へ。
少年を連れて、嶋田家への帰路を行く。
池の前で、一つの茶店が目に付いた。
ソフトクリームと書かれた幟がいくつか立てられている。
(ソフトクリームは白いぐるぐる。あんみつに乗ったりしているやつ。甘くて冷たくて美味しい)
茶店から出た観光客がそれらしき品を手にしているが、白くない物も散見された。
外にある品書きを見ると、バニラ、チョコ、抹茶……と色々な種類があるようだ。
佳乃子はごくりと喉を鳴らす。
夏の昼間に歩いた体が涼を求めていた。
視線を感じて隣を見ると、何やら言いたげな笑みを浮かべる少年。
「……抹茶」
「よし来た」
茶店から出てきた少年が持つのは、緑一色のぐるぐると半分だけ緑のぐるぐる。
彼は緑一色の方を、佳乃子に渡す。
(両方? そんな手があるなんて……)
ちょっと負けた気分。
歩きながら食べる、という行為には慣れていない佳乃子は、池の周囲に並ぶ長椅子に目を付けた。
長椅子の端と端、少年と並んで座る。
池を泳ぐ鳥や五重の塔を眺めながら、ソフトクリームを口に運ぶ。
甘さとほろ苦さが合わさって、非常に美味しい。
周囲を見渡すと、同じように長椅子に座る親子連れや男女の姿。
自分達はどう思われているのかと思案し――
(まさか兄妹とか……ううん、姉弟よ、姉弟)
「……ふぅ」
食べ終わり、懐紙で口元を拭う。
これは良かった。
駆け出しへのお礼としては丁度いいのではないのだろうか。
後腐れなく恩を返してもらった――と、佳乃子は内心満足する。
「御馳走様でした」
お礼は大事。
佳乃子は深々と頭を下げた。
少年は上機嫌な様子で頷いている。
「俺は宗像壮真っていうんだ。またな、姉さん」
そう言うと、彼は駅の方へと去って行った。
(……また?)
その言葉に、佳乃子は首を傾げるのであった。




