氷竜の洞窟
洞窟の前までたどり着き、乗せて来てくれた竜たちの方を見ると心配そうにこちらを見て立っているイヒムが見えた。
パウレラはその隣で、まだ北の空を気にしている。
それに向って手を振り洞窟の中へと入っていった。
中の気温は暖かく感じる。風がないというだけでも感じる温度は、数度くらいは変わってくるのだ。
洞窟といえば、じめじめとしたものと相場が決まっているが、この洞窟はじめじめどころか、中の暖かさもあり、壁に貼り着いた氷による光の乱反射で暗くもなく、ちょっと快適なのではないかと思ってしまった。
奥へ進むと、すぐに竜が住んでいても可笑しくはないくらいの広さがある場所へと出た。
そして、当然のように竜が横になっている所を目にすることになった。
「えっーと、おじゃましますが、よろしいでしょうかね」
丁寧な話し方をしようとするが、育ちの悪い俺の言葉はどこか卑屈に聞こえる。自分でもよくわからない挨拶をしながら、その竜の側まで歩いていった。
「あのー、もしもし。できれば起きてお話を聞いていただけたらありがたいのですが……」
反応はなかった。
「死んじゃってますかね」
死んでいるわけではなさそうだった。胸のあたりが呼吸にあわせて上下に動いている。
数分は丁寧に起そうと声をかけたが、埒があきそうにないので方針転換した。
「おーきーろー」
耳元で自身が出せる最大級の声で怒鳴ってみた。
さすがにこれは聞こえたらしく、足の部分がピクッと動いたと思うと、目をゆっくりと開きだした。
「猿め。うせろ」
念話が頭に入ってきた。
それは声ではなく、これまでに経験したことのない、まったく違う感覚を伴うものだった。
これまでに経験した念話は、声が頭の中に響くように聞こえるものだったが、この年老いた氷竜から届く念話には言葉が一切入っていない。この竜が感じていると思われる感情や、目で見ているような映像などの五感の全てが入ってくるようなものだった。
不思議なことに、その氷竜からの念話は理解できるものになっていて、もしかしたら言葉以上に意思を伝えるにはよいのかもしれない。
「おれは猿じゃない。人だ。ミエカっていうんだ。こっちは炎竜の子供のラプだ」
これまた最大音量での挨拶を、その耳のそばでがなりたてた。
「うせろ」
今度の念話は、おどろいたことに身体全体を押してくるような、そんな念話だった。
踏ん張らなければ、立っていることはできなかっただろう。
「おねがいがあるんだ。このラプに人への変化の方法を教えてやってくれ」
最大音量のつもりだったが、さっきよりは少し小さめの声になっていることに自分でも気付いた。たぶん声が枯れかけているのだろう。
また、念話で脅されるかと身構えたがなにもなかった。
恐る恐る竜の顔を見ると、目を開きこちらを見ている。
「やっと話を聞いてくれる気になったかい」
「驚いたな。人を見るのは何十年ぶりだろう」
今度の念話は、聞きなれた、声のようなものでの念話だった。
「……で、どうかな」
一通り経緯と願いを伝えると、さっそく訊いた。
「ラプが人への変化ができるようになるまでにどれくらいかかる?」
外で待ってもらっている二体の青竜のことを考えると、あまり時間をかけたくなかった。
「教えるとは云っていないぞ」
「あんたは始祖と呼ばれる竜族の長老みたいなものだろ。全ての竜の為にできることはするべき義務がある」
人の分際で勝手に竜族のことを判ったようなことを云い、相手の都合も訊かず、考えず、身勝手な人間だとも自分で感じながら、とにかく口にでる言葉を繋げていた。
「わしの子というのであれば、その通りかもしれんがな」
「竜族の始祖なら全ての竜族の親といってもいいだろう」
少し間を置いて、その始祖竜は話だした。
「わしは子を作らなかった。育てるということに意味を見出せなかったからな。わしが自ら作らなかった子を、なぜいまさら、それも他の竜の子のためになにかをしなければならんのだ?」
人とは違う竜の理は、話合うだけ無駄なのかもしれない。
だが、それでも諦めるわけにはいかない。
「おれだって、自分の子供はいない。さっきも云ったように、このラプは友の子で、それに育てるのはおれだ。なぜ竜族ですらないおれが子竜を育てようというのに、竜族の長であるおまえはなにもしないで寝ていられるんだ。――なにもラプを育てろと云っているんじゃない。人への変化の方法だけを教えて欲しいと云っているんだ」
さらに言葉を繋げる。とにかく押すしかない。
「あんたはそろそろ寿命で死ぬらしいじゃないか、死ぬ前に一つくらいは自分の生きた証でも残しておいてもいいんじゃないのか?」
自分でもなにを云ったのか、さらにわからなくなってきていた。かなり失礼なことを云っているなとは感じながらも、それほど間違ったことも云っていないように感じ、自分自身でも感心していた。
「おまえはなぜ、その子を育てるのだ?」
なぜだろう。友の子だからか?
自分自身で云った「自分が生きた証」でも欲しかったのだろうか?
青竜の里でラプの意思を訊いたときのことを思いだし、考える前に声にでていた。
「おれがラプの親になったからだ。そして親は子を育てる義務がある」
「――で、どれくらいかかる?」
洞窟の外へ出ると、青竜が二体とも入ったときと同じ状態で、その場にじっと立っていた。
そろそろ暗くなってきたこのあたりも、さらに気温が下っているだろう。
見ているこっちが寒くなる。
青竜達へ大きな声で叫んだ。
「ラプに教えてくれるってさー。――ありがとー。――帰りに里へ寄るからー、その時にまた合おー」
声が届いたらしく、二体の竜は空高く舞いあがり、そのまま里の方へ飛んでいってしまった。
洞窟へ戻ると氷竜とラプが話をしているような様子が見えた。
「もう始まってるのか?」
「あしたからだ。今日はもう寝るんだな」
まだ日暮れ前である、いくらなんでも早すぎだ。
正直、なぜこの氷竜が引き受けてくれたのか、俺には理由がわからない。
べらべらと喋り捲る人間が面倒臭くなったから、というのが妥当だろう。
なんにしてもラプが人への変化が出来るようになるとすれば、人としての生活を送ることができ、全ての、とまではいえないが、大問題はほぼ解決するのだ。
ラプの人への変化した姿が俺は楽しみでしかたなかった。
この洞窟へ入ってきた時から気になっていたものがあった。
洞窟へ入って、右側に氷竜が横になっている場所がある。
そこには誂えたかのように平たい岩が氷竜のベッドになっていた。
それは王座のように少し高くなり、その段差は王と謁見者の境界を明確にするかのように存在していた。
その平らな岩も自然なものなのかという疑問があったが、それよりも気になったものが、氷竜の玉座のさらに右側、すなわち、入口へ入って直ぐ右側に古惚けてかなり痛みの激しい小屋があった。
「ところで、この小屋はなんだい?」
気にしていたので氷竜の返事を待たずに中を覗き込み、そこにこれまた古びたベッドと木のテーブルとベンチ式の椅子を見つけた。
氷竜は面倒そうに頭を擡げ、自分の足の方にあるその小屋を見た。
「ああ、それか。それは昔ここに居た人間が使っていたものだな」
「え?それじゃその人間を追い出して、じいさんが住むようになったのか?」
「そんなことだれがするか。わしが先に住んでいるところに、その人間が転がり込んできたんだ」
「おどろいたな。こんな所まで人が来たことがあるなんて思いもしなかったよ」
「百年に数人くらいはこの辺りにも迷い込んでくる人間はいるな。あいつもおまえさんと同じで、突然やってきて、春になるまでここに居させろといったまま、三回目の春にやっと帰っていったよ。あそこまで厚かましい人間はおまえさんと、あいつくらいなもんだよ」
その人間の他は、氷竜を見た途端、一目散に逃げて行くらしい。普通はそうだろう。
俺だってラプの為でなければ、こんな寒く、人が住むにはあまりにも不便な場所に好き好んで居たりはしないのだ。氷竜からすれば、どちらも同じなのだろうが、「そんな物好きと一緒にしないでもらいたい」と云うのは堪えた。厚かましいのは確かにその通りなのだから。
「この小屋やテーブルは使わせてもらっていいよな?」
厚かましさをさらに分厚くしてやろう。
「すきにすればいい」
どれくらいの日数をここで過ごさなければならないのかまだ判らないが、人間らしい生活ができそうだった。
広間のほぼ中央に焚き火を作っていたので、それに背を向けた形で座り、氷竜と対面するような恰好になるようにテーブルと椅子を設置した。
放置されていた年月がかなり長かったらしく、あちこちに難が来ていたのでその内に治さなければならないだろう。
「皮でも鞣すかな」
これまでに狩った獣の皮は持ち運べるくらいは取って置いた。
寝る前に暇を見つけては皮を鞣したり、繕ってみたり、この旅では革職人になれるのではないかと思う程の枚数を処理していた。実際は本職にはまったく届かない素人ではあったが、自分が身に付けるくらいの衣服や靴や寝袋等は問題ないくらいには作れるようになっていた。
「そうか。ラプが人の姿になれるようになったら、ラプの分も作らなきゃいかんのか。――面倒臭いなぁ」
面倒だと言いながらも、なぜか顔が緩んでいるのが自分でも判る。他人が見れば気持ち悪がられるだろう。
ラプはもう氷竜のじいさんの横で眠っている。ちゃっかり、平らな岩の寝やすい場所を確保していた。
俺もそろそろ寝ようと小屋の中に入りベッドを見たが、草が敷いてあるわけもなく板の上に寝ることになった。寝袋で寝るのだから、さほどの違いはないが冷たい岩や土の上に寝ることを覚悟していた俺にとっては、これ以上にありがたいものはなかった。
「どこのだれさんかは知らないが、感謝しないといかんな」
寝入ろうかとしたころに、少しの寝返りで腐っていたベッドの足が「パキッ」という衝撃を起してくれたのには少し苛ついたが、小屋の壁側の足だったため壁が足の代わりになってくれてベッドから降りずに済んだ。
「これも感謝だな。明日はやることが山積だ」