拒絶
事の顛末はさほど時間を掛けることなく話終わった。
長旅とはいっても、ラプを預けることが目標の旅なので話の半分は最初の言葉だけで終わっている。
あとは友であるロヒの死、その後の簡単な旅の途中であった苦労話を、同情を誘うように話しただけだった。
最初は同情をして欲しいとは微塵も思っていなかったが、なんとも言えないもやもやした不安や、二人の困ったような顔を見て雲行きの怪しさを感じてしまい、無意識に辛く苦しい旅だったことを強調してしまっていた。
「なるほど。話はわかった」
イヒムはそれだけ云うと考え込んでしまった。
パウレラは無言で話を聞くだけで困ったという顔を始終見せていた。
「実はな。――他の種族を里へ入れることは里の掟を破ることになってしまうのだよ」
二人の表情から予想できていた事ではあったがはっきりと言われてしまうと、あとは溜息でも付く他にはやることはない。
あまり交渉事が得意ではない俺は、その時点でラプの受け入れは無理なのだろうとほとんど諦めてしまった。
まさか説得が必要になるとは……。
諦めてはいた。が、それでもラプのことを思えば藁にも縋る必要があるのだ。
不意に小径の先の白いぼやけた門の中から一体の竜が立派な角を持つ鹿を咥えて入ってきた。
その脇からも人の姿をした者達が、それぞれの手に出来立ての料理やテーブルや椅子、さらには大工道具や木材を持って入ってきていた。
総勢二十人は居ただろう。その中には以前来た時に見た覚えのある顔も何人か見付けることができる。
鹿を咥えた竜は、その鹿をラプの鼻先へ下すと、なにやらラプと念話をしているようで、ラプはその竜を見上げていた。
直ぐにラプはその鹿に齧り付きだしたが、その竜はそのままラプの食事風景を見詰めている。
他の、人の姿へと変化した者達はそれぞれ、テーブルを小径の脇に置き、椅子を置き、食事を置くとそそくさと門の向うへ消えていった。
大工道具や木材を持って入ってきた者たちは手際良くなにかを作りだしていた。
「あっちへ移ろう」
イヒムがテーブルを指差しそう云うと、それまで座っていた岩から立ち上がってテーブルまで移動し椅子へ腰を下した。
パウレラと俺もそれに倣った。
「今は里の中へその子竜を入れることはできない。せいぜい、この小径までなんだ」
イヒムは悔しそうに、残念そうに話を続けた。
「さっきも云ったように里の掟がある。――しかし、少しだけ待ってもらえないだろうか」
その言葉は希望の光となって俺に降り注いだ。まだ望は在るらしい。
「なにか手があるのか」
椅子から立ち上がってイヒムの言葉を待った。
「いや、掟は掟だ。――背くことはできない」
少し冷静になり、椅子に座り話を聞いた。
「だが掟を変えることは可能ではないかと思っている。わたしが里の皆を説得してみるつもりだ」
俺にとって掟というものは、そう簡単に変えることができない、国の法を変えるより難しいのではないかと思えることだった。これまで様々な町や村へ旅をして、その場所に昔から在る掟というものは皇国の法さえ無視するほど厳しいものばかりだった。
それを目の前の、十年以上前にほんの数日間、酒を酌み交わした他種族である人間の頼みを聞くために変えようとしてくれているのだ。
この言葉は、たとえその説得が失敗に終わったとしても、人の短い一生では返すことのできない恩を貰ったと俺は感じていた。
「食事でもしてゆっくりしてください」
イヒムが里へ戻った後、残ったパウレラが話し相手になってくれた。
「今、彼等が、人一人が眠れるくらいの小屋を建てていますので、今晩はそのベッドでお休みください」
先程持ち込まれた木材は、既に半分くらいできあがった小屋へと組み上がっていた。たしかに人が一人寝る分には十分そうなものになっている。
その横ではこれまた人一人が横になれるくらいのベッドらしいものを組み立ててくれていた。
「ミエカ殿一人であれば里の中に入っていただけるのですが……。申し訳無く思っています」
本当に申し訳無いという顔をしているパウレラを見ているとこちらが申し訳無くなってくる。
「いや、暖かい食事と柔らかい寝床だけでも、これまでの旅からすればもてなしとしては最上のものだよ。――でも、その掟というものの中身は知らないが、俺は入ることができるという時点で矛盾しているのではないのか?」
予想は付いていたが訊くだけは訊いてみた。
「ミエカ殿はオトイの命の恩人ですから」
オトイは十三年程前に魔獣の森で倒れていた青竜である。
倒れていたのを見付けた時は人の姿をし、首の骨を含む数カ所の骨が折れ、生きているのが不思議な程の重症だった。
そう長くは持たないだろうと、最初は看取るつもりで側にいたが、十分待ち、二十分待っても逝くようすもなく、あまり長居はしたくない場所だったこともあり楽にしてやろうと剣を抜き構えようとした所で、ふとロヒの言葉を思い出した。
「人の姿であっても竜の身体は強靭だよ。たとえ体中の骨が折れたとしても死ぬことはないね」
「体中の骨?ちょっと信じられんな」
「竜は魔法生物だからね。骨が折れようが、血が無くなろうが、死ぬことはないよ」
この首の骨が折れた青竜を見る時まで、この話は若干の真実を含みはしても冗談の部類だろうと思っていたが、この出来事がロヒの言葉は真実だったということを俺に証明してくれる事となった。
体内の魔素が一定量以下にならなければ、竜は不死身といえる程の強靭さを持つのである。
まさかとは思いつつも、死にかけているその人間に顔を近づけて訊いてみた。
「あんた、もしかして竜なのか?」
その問いに微かに「はい」と答えたのを確認すると、周りにある小枝を数本拾い首の周りに添え木として縛りつけた。
首の骨が折れた者を助けるという経験はもちろん無かった。
背負って走っている間中に折れた首の上にある頭をぐらぐらとさせながら走るのは、あまり気持ちの良いものではないと思ってそうしたが、意味があるのかは判らない。しかし、できることはこれくらいしかないのだ。
縛りつけた小枝が頭や肩に食い込まないように調整した後、背負って走りだそうとした。
その刹那、背負っている竜の指が左を差ししめしているのに気付き、また問いかけた。
「東へいくのか?」
「はい」
聞き取ることがやっと出来るくらいの小さな声を出して答えた。
面倒事を背負ってしまったと思いつつも、放っておくこともできない以上は全力で走る他なかった。
どれくらい走ったのか、不意に背負っている竜の言葉が頭に響いた。
「このあたりなら、もう魔獣もこないはずです」
日は暮れようとしている時間だった。
この日は夏ということもあり昼も長かったので、かなりの時間を走っていたことになる。
寄りかかれそうな大き目の木の根元に背負っていた青竜を下すと、再び念話が聞こえてきた。
「ありがとう。朝になれば飛べると思うから、それまでは少し休ませてください」
人を背負って走ったのは何度かあるが、これ程の長時間を走ったのは初めてだった。
眠っている竜の横でいつの間にか俺も眠ってしまっていた。
朝、起きると既に昨日の竜は起きていて、近くにいた兎目掛けて火炎塊を投げつけているのを見た。一晩で本当に回復したらしい。
兎を朝食にしながら昨日の話の顛末を訊いてみた。
「おまえさんも魔獣の討伐隊の一人だったのかい?」
「いえ、わたしがあそこに倒れていたのは単なる偶然です」
訊くと、その竜は冒険と称して魔族の見物に魔獣の森の奥まで入ったということだった。
「魔族は卑怯なんです」
自分から魔族の縄張りまで出張っておいて、その言い草はどうだろう。
「こっちは一人であっちも一人だと思ったら、周りには他に十体の魔族がいたんです」
十一対一では、さすがに人の姿をした竜では敵わなかったらしい。
「竜の身体になろうとしたんですけど、だめでした。――変化する前に攻撃するなんて騎士道精神に反します」
竜や魔族に騎士道精神があるとは知らなかったが、命を掛けている以上は卑怯であっても勝たなければならないだろう。どうであれ、その魔族は俺と考えが近いように思える。
その後は命辛々、俺が見付けることになる場所まで逃げ返ったが、俺が剣を抜くのを見て死を覚悟したそうだった。
「念話で話せばよかったんじゃないのか?」
その時点では身体中の魔素がほとんど残っておらず念話は届かなかったらしい。
「魔獣の森は大気中の魔素が変質していて、まともに魔素を取り込むことができないんです」
「それで、こっちの森まで移動させたんだな」
「はい」
「――いや、魔素を取り込みたいだけなら、南へ向った方が近いはずだぞ」
「……」
このちょっとずれた竜の付き添いはそろそろ御仕舞いにしたいと思い、話を切り出した。
「もう飛べるなら一人でも平気だよな?そろそろ討伐隊の宿がある町まで帰ることにするよ。早めに戻らないと、俺は魔獣に殺されたことになって報酬を受け取れなくなりそうだからね」
そう云って立ち上がると、オトイは俺の足をしっかりと両手で押さえ、縋りながら云った。
「実はまだ竜体になることも、ましてや飛ぶことも無理そうです」
報酬は本当にあきらめることになった。
結局はオトイの生まれた故郷であるこの青竜の里まで付き合うことになったが、里では大歓迎を受けることになった。
「オトイは里に居るのかい?」
「いえ……」
「それじゃ、またどこかを放浪しているのかな?」
「たぶん、そうだと思います」
「たぶん」という言葉には「死んでなければ」という意味が含まれているのだろう。
あの性格ではどこかで野垂れ死んでも不思議ではない。竜でなければ最初の旅で死んでいたのではないだろうか。
「あいつはいつまでもフラフラと冒険といっては里を出ていきますが、里の皆が心配しているということをもっと自覚して欲しいですよ」
そういうパウレラの顔は真剣そのものだった。
ラプはいつの間にか眠っている。
側でラプの食事の様子を見ていた、鹿を運んできてくれた竜が門を潜り里へ帰ろうとしている所だった。
「あの竜は去年、自分の子竜を亡くしているんです」
門を潜り、里へ入ったのを見て、聞こえないのを確認したあとでパウレラはそう云った。
「たぶん、ラプを受け入れることになるとすれば、あの竜が親代わりとなるでしょう」
竜族の生や死への考え方は、俺にはまだよく判らないが、ロヒの死をその場に居たラプがあっさりと受け入れているように見えていたことを考えると、さほど重要なこととは考えていないのではないかと思っていた。
ラプがロヒの死を愚図ることなく受け入れているように見えたのはなんだったのだろう。
オトイの心配をするパウレラは、やはり人と同じように死を遠ざけたいものと思っているらしい。自分の子竜を亡くした竜は、子を育てたい、命を育みたい、そう思っているのだろう。
その様子を見ると少しだけ竜の死生観もやはり人に近いのかも知れないと思うようになっていた。
次の日の朝、ゆっくりしてもよいはずなのに日の出と共に目が覚め、所在なく小径をうろうろするだけの時間がなんとも贅沢な気分にしてくれる。
やることもなく、ただぼんやりと座っていると、今この里で議論されている内容がどのようなものなのかを考えだしていた。
青竜の中にはラプを受け入れようとする者が多いのではないか?
ここへ荷物を運んできた者や、子竜を亡くした竜もそうだし、イヒムもパウレラも親身になってなんとかしようとしてくれている。
それとも反対派がこちらへ来ないだけなのだろうか?
朝食を持ってきてくれたパウレラが里の重鎮達の話し合いの経過を少しだけ話してくれた。
内容としては、受け入れること自体をさほど問題としていない様子なのだが、その後の問題の方を巡って対立が起きているということをパウレラは悲しそうに語った。
もしも受けいれられることができたとすれば、その後、ラプは青竜の子供達と同じように生活することになるだろう。
炎竜であるラプが青竜の子供達と同じように暮らすことができるのか?それが議論の対立となっているらしい。
「炎竜と青竜にはやっぱり違いがあるのか?竜族はどの種族であっても違いは無いと聞くぞ。違いはただ住んでいる地域が違うだけだって」
訊くには訊くのだが、その答えは既に知っていることだった。
「はい。種族による違いはありません。どの竜であっても炎を吐き、空を飛び、魔法を操ります」
「それならなぜ、そこに対立が起きるんだ?」
答えは判っていた。それでも訊く事を止めなかった。それは竜族の考え方が人とそれ程違いが無いのだということを確かめたかったからなのかもしれない。
「人の世界では、生まれた町や村の優劣で、その人に対する対応が違ったりすることは無いのですか?――見た目のほんの少しの違い、たとえば目の色や髪の色ではどうですか?」
パウレラの言葉が突き刺さる。
無いわけが無い。パウレラも分かっていて訊いているのだろう。
ラプの肌の色は炎竜らしく、赤黒い。対して青竜は、その名の通り、青っぽい色が入っている。
俺が答えあぐねている少しの沈黙の後にパウレラが言葉を続けた。
「過去に氷竜がこの里に居たことがありました。」
さらに言葉が繋がる。
「しかし、その竜は孤立し、逆に粗暴な振舞いで青竜に危害を与えることもありました」
話はそれだけで十分だった。