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青竜の里

 兎に角、東へ向った。

 どのあたりまで魔獣の森の奥へ入っていたのかの見当も付かない以上は、兎に角、真東へ歩けるだけ歩くことにした。

 魔獣は、元は普通の獣なのだが、魔族の発する魔素にあてられてしまった獣が魔獣へと変化してしまうというのが一般的に信じられている。

 魔素そのものは大気中に在るが魔族の発する魔素は変質したものらしい。

 魔獣になってしまった獣は元が草食の獣であっても肉食のように振舞い好戦的になるとされ、あらゆる動物を襲うようになってしまう。その皮膚や肉は壊死したように爛れ、腐りかけのような匂をさせ、血は黒く濁っていた。

 生の肉を美味しそうに食べているラプが飲み込むどころか吐き出すほどの不味さということは、肉や血は元の獣のそれとは異なるなにかへと変質しているのだろう。

 俺は剣を鞘に収めることもなく警戒しながら歩きつつ、ラプの反応にも気を配った。

 どうやらラプの方が周囲の危険に敏感らしい。

 俺は年老いたとは言え、これでも皇都へ戻ればそれなりに実力を認められた剣士として名前が通っている。大陸一とまでは言えないが、それでも順位付けがあれば十指に入る程の実力は持っているはずだ。

 その俺ですら反応できなかった先刻の魔獣達をいともあっさりと、しかも、これまでに見たことも無いような機敏な動きで仕留めたことを考えると、今までの狩りはわざと失敗しているのではないかとすら思ってしまう。こちらへ向ってくる敵とこちらが狙って狩る獲物とで、これ程までの違いがあるものなのだろうか。

 失敗しかしない狩りも、いざというような場面での動きに対応することができる訓練として役に立っているのかもしれない。

 そんな事を思いながらラプを見ると、いつものように、なにを考えているのかわからない、無表情な顔ゆえに、とぼけたような顔に見えてしまうラプが後ろを歩いてついてきていた。


 日が暮れてしまい、そろそろ今日の寝場所を捜さなければと思いながら歩いていた。

 まだ魔獣の森の中なのか、既に抜けたのか、判断できないが一晩中歩くことで抜け出すことが出来るという確証がないならばこの辺りで休む方がよいだろう。

「この辺りかな」

 そう決めた場所で座り込み、やっと剣を鞘に収めようとしたその瞬間、目の前の繁みに獣の気配を感じ、身を固くした。

 ラプの方を見ると気にする様子もなく座り込み欠伸すらしていた。

 どうやら魔獣ではなさそうだ。

 気付かれないように風下へ周り込み、その正体を見定めた。

 鹿だった。魔獣化はしていない。

 そのまま仕留めラプと自分の今晩の食事となったが、鹿が魔獣となっていないということはどうやら魔獣の森は抜けたと見ても良さそうだ。

 しかし魔獣の森を抜けたというのが確信できるのではない限り、その夜は寝ずの番とするつもりだった。つもりだったのだが、長い旅の目標としていた森に到着したという安堵感からかいつの間にか眠ってしまっていた。


 朝になり眠ってしまった自分自身に対して嫌悪を感じながら、干したキノコを食べ、さらに東へと向った。今日の夕方までに魔獣と出会わなければ抜けたと思っても良いだろう。

 青竜の森は一度だけしか入ったことがなく里への道順もかなり曖昧としたものである。

 森の中ではどの森であっても景色に違いを感じることができる程になるのは難しい。大抵は目印になる山や川を目指すが、今回はそこまで辿り着くことができるかが大問題になってしまう。

 今回は川を目印として目標としているが、実際には川もいくつかあり、その川に辿り着いたとしても目印とした川なのかの確信を得られるかは自信がなかった。

 さほど高い山ではないこの森は周りを見渡すことも困難であり、俺とラプを閉じ込める牢獄となってしまうかもしれなかった。

 どうやら魔獣の森は抜けたらしい。

 夕方になり、そろそろ寝場所を捜さなければと思いながら歩いていた。

 途中で魔獣化していない獣を狩りラプに与えた。

 安全な場所までの距離は確保できているだろう。

 寝るのによさそうな巨木の根元を今日の寝床に決めると、そこに火を起し干した肉を食み、横になって眠りについた。

「明日からは北を目指そう」

 目印の川は森へ入って一週間くらい歩いた先にあるはずだった。


 最初の五日くらいまでは、まだ先のはずだと川に出るたびに次の川を目指した。

 六日目あたりから、慎重に川の様子を観察したが、どれも違うように思えた。

 七日を過ぎると、既に通り過ぎてしまったのではないかと思うようになってきていた。

 八日目は朝から戻るべきではないかと思いながらも、北へと進み、川に出るたびに観察したが、やはり目印の川とは思えなかった。

 九日目になり、今日一日歩いて目印の川に出なかったら少し戻ってみようと考えた。

 この周りの風景に見覚えは無いが、なんとなくそんな気がする。そんな場所に出てそこからは川に沿って東へと進んだ。

 前に来たときは夏だった。今のこの深い雪は無かったのだ。記憶の底に眠っている景色と勘を頼りに歩くしかなかった。

 夕方近くになり、記憶の底に眠っていた川の風景が目の前の風景と一致する場所を見付けることができた。

「あっ」

 見覚えがある風景に思わず声が出てしまう。立ち止まり、その場所の風景を見渡し、確信した。今回は雪景色だが間違えなくここだ。

 そこはさほど特徴のある場所というわけではなかったが、記憶の中の風景はそこが目指す川であると教えてくれた。


 次の日は、さらに次の目標までの道程を目指すことになる。

 次は滝だ。

 滝はこれまでも一つあったが、それは小さすぎた。

 記憶の滝の風景まで、今この風景の場所から半日程のはずだった。

 十数年前に一度だけしか来ていない場所に明確な目印も無く来ることにかなりの無謀さを感じるが、無謀さということであれば、大した装備もなくここまで歩く事、それそのものが無謀なのだ。

 ほどなくして目指す滝へと辿り着いた。滝の下へ降り、少し広くなっている河原を今日の寝場所とした。まだ昼前だったがここまで来れば、あと数日後には青竜の里に辿り着く。

 なんとなく今日はゆっくりとしたかった。

 それは旅の終わりが近づいているという感慨と、ラプとの別れを前に一緒の時間をゆっくりと過ごしたいという気持ちの両方がその日の早仕舞として表れたのだろう。

 岩に腰を下すとラプは今日の移動が終わったことを知り、そこに流れる川に興味を引かれて歩きだした。

「気を付けろよ。――水に落ちるんじゃないぞ」

 人であっても子供であれば川に興味を示すのは普通である。いや、大人であっても川などの水の辺は人を引き付ける。数十年を生きてきたとはいえ、まだ人間でいえば五歳くらいの年なのだから川の辺は素晴らしい遊び場なのだ。

 水辺まで行くと、川の中を覗き込み、じっと見ていたかと思うと、突然川の中に飛び込んだ。

「おい。なにやってんだ」

 今は冬である。

 しかも北の果ての周りは雪深い、川の流れのない場所にはかなり分厚い氷まで張っているような川だ。

 あわててラプの方へ駆け寄り川の端であたふたしていると、ラプが水の中から顔を出して、いつもの無表情な顔を此方へ向けた。

「竜ってのはなんでもありなんだな」

 見ている方が寒くなりそうなラプの水浴びを見ながら、川の中にも目を向けると魚の影を見つけた。

「水浴びのついでに何匹か魚を捕ってくれよ」

 そう云うと、ラプは立ち上がり少し考えるような間を置いて、熊のそれと同じ仕草で水面を叩いた。

 俺は魚と一緒に飛んで来た水をもろに浴び、その冷たさに身体を固く強張らせた。


 夕飯は久しぶりの焼き魚になった。

 ラプの夕飯は立派な角の生えた鹿を捕えることができた。

 この辺りの鹿は、南の鹿より立派な角を持ち、身体も一回り大きい。

 ラプの豪快な食事風景もあと少しで見納めかと思うと、また感慨深くなってしまった。

 先に食べ終わったラプはその場に寝転がり焼いている魚を見ている。

「食べるか?」

 鼻先へその魚を差し出してみたが、欠伸をして目を瞑ってしまった。

 これまでも魚を食べさせようとしたことがあったが、いつも同じような反応だ。生であっても焼いたものでも、匂いすら嗅ぐこともなく無視するばかりである。魚は食べ物としては認識していないらしい。

 もし食べたとすると、腹を満すには数十匹を、種類によっては百匹以上を食べる必要があるだろうと思うと、ある意味よく出来た仕組みなのかもしれない。


 この川辺から青竜の里への道は一本道である。

 正確には道は無いが、その通りには道標が所々にあるため迷うことはない。

 もしも道標がなければすぐに方向を見失う程の深い森となっていて、人が寄付くことを拒んでいた。

 道標は魔法によって付けられた木の根元にある小さな傷だった。

 その傷は必要としている者だけが見ることのできる傷で、そのことを知らない者はそこに傷があることすら気付くことができない。

 その傷を捜しながら下流へと歩きだし、最初の傷を見つけた場所から川辺を離れ森の奥へと入っていった。

 十数年前に青竜から教えてもらったこの道標は変わることなく今も存在しつづけている。自分が歓迎されない人間であれば、この道標は別のものに変わっているはずであろう。

 その順調な状況では、ラプを預けることに問題があるという思考が浮かぶことはなかった。


 川辺から二日目の昼過ぎに青竜の里の入口を示す傷を見付けた。

 その傷に触れながら待てば里の門が開き中へ入ることができるはずだ。

 里の中には暖かいベッドと手間を掛けて調理された美味しい食事が待っているはずだ。 人が居るわけではないが、前に来た時は人の姿へ変化した青竜が何人か居て人の口に合うであろう食事を用意してくれた。それは変わった味ではあったが不味いわけではなく、美味しいと思う程の味付けは立派にされていた。

 それを期待しない理由は無いはずだ。

 緊張もあった。

 会話として成立する会話はラプとの旅の中の記憶には無かった。

 白竜との会話は成立しているとは言えない無様なものだった。

 ラプへの一方的な会話のようなことはやっているので声が出ないということは無いだろうが、それでも会話として成立する話ができるのだろうか。

 少し馬鹿馬鹿しいと思いながらもそんなことを考えてしまった。

「呼びだすぞ」

 いつもの誰宛てとも判らない気合のような独り言を言うと、傷に触れ、なにかの変化が起きるのを待った。

 どれくらい待ったのだろう。

 じっと木に付いた傷を指で押さえながら待つが、なんの変化も起きない。

 疲れた。足と腰にくる。傷は木の根元にあるので中腰の姿勢で触り続けなければならない。

 これほど待たされるとは思っていなかったので、中腰の、数分もその姿勢でいることが出来ないような状態で触ったのは失敗だったと思った。

 様子がおかしいと思い、一旦指を離そうとしたその時、念話が頭の中に飛び込んできた。

「ミエカ殿ですか?」

 数ヶ月振りに自分の名前を呼ばれた。緊張の所為もあるのか、自分の名前なのになにか違う名前に感じる。

「ああ、」

 ちょっとした緊張と、腰へ意識が行っている時に来た、不意を突いた問いかけへ答えたためその声は裏返っていた。

「ミエカだ」

 落ち着いたような声にするため少し低めの声を意識して自分の名前を答えた。

「この指はもう離してもいいのか?」

 頼む、一旦楽な姿勢にさせてくれ。

 そういう気持ちでそう云うと傷のある木の先に白くぼやけた空間が表れた。それは前にも見たことがある。里への入口だ。

「指は離しても大丈夫です。その中へお入りください」

 指を離し、後ろへそるように腰を延ばした。嬉しかった。安堵した。仕事を遣り遂げたと感じた。

 無事にラプを連れて辿り着けた事、それが嬉しく、そして腰を延ばすことができたことに安堵していた。


 その空間の中は以前来たときとは異なり里の中ではなかった。

 入る前とほとんど変わらない森の中であったが、違う部分として踏み固められた土が見える小径が一本通っている。

 その小径を先へ進むと直ぐに小径が消えてしまっていた。

 ここで待てばよいのだろうか?他に道は無さそうなので、ここで待つしかないだろう。

「おーい。ここで待ってればいいのか?」

 なぜ少し上を向くのか、自分でもよくわからないが少し上を向いて呼びかけてみた。

「すまない。そのまま暫しの間だけ待っていてもらえるだろうか」

 先刻の念話の相手とは少し違ったその念話は聞き覚えがあった。

 念話であるのに聞き覚えがあるというのはなんだか可笑しいが、確かに昔、この里で会った竜達の中の、その一人の声だった。

 ラプを見ると、その場に座り込み、こちらを窺っている。

 もしかするとあの顔は心配している顔なのだろうか。

 よくよく考えれば入る前にラプへ説明すればよかった。子竜とはいえ、他の竜の縄張りのような場所なのだからその気配を感じて萎縮しているのかもしれない。

「怖いかい?大丈夫だよ。ここの竜達は皆やさしいから」

 これはなんの根拠もない言葉だ。云った後でそう思った。

 俺はこの里に十数年前に、それも数日居ただけでしかなく、里の全ての竜達を知っている訳ではないのだ。ましてや里の竜達の生活を把握している訳でもない。

 里へ直接入れない事と励ますための自分の言葉が自分自身を不安にさせた。

 数分の後、途切れた小径の先が先刻の入口のように白くぼやけ、その中から見覚えのある顔が二人出てきた。

 一人は見た目で六十くらいの人間の姿をしたイヒムという青竜だった。

 もう一人は見た目で二十代前半というくらいの、これも人間の姿をしたパウレラという青竜だった。

「おお、我が友よ。よく来てくれた」

 そう芝居掛かった挨拶を言いながら抱擁して来るイヒムを受け止めた。

「長旅は疲れたでしょう。今、食事を用意していますので少しお待ちください」

 あっさりとした挨拶のパウレラとも抱擁は必要らしく、そのまま受け止めた。

 青竜の挨拶として抱擁は必須らしいが、あまりその習慣のない俺は握手くらいで済ませて欲しいと昔も思ったことを思いだしていた。

「さて」

 ラプの方を見たイヒムが早速話を切り出した。

「今回の来訪の目的は、この子竜かな?」

 まあ、連れて来たのだから、その意図は当らずともなんとなくの察しは付いているのであろう。だが、その方がこちらとしても話を切り出しやすい。

「回りくどいことは苦手なんで、率直に言ってしまうが、この子竜、名前はラプというんだが、このラプを預かって欲しい。いや、預かるというのも変だな。この里の竜として育てて欲しい」

 二人共、同じように、なんとなくの予想をしてはいたらしく、さほど驚くというような様子もなく、しかしその顔は困ったという顔をして、互いの顔、俺の顔を順に見た後、ラプの顔を見上げていた。


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