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ラプの心

 自分がラプという名前だということを初めて認識したのは、人の姿をしたミエカが自分のことをそう呼んだ時だった。

 ロヒとラプの会話は念話である。

 竜と人であれば人の念話には言葉を使うが、竜同士であれば、その内容を伝えたい感覚として直接相手へ感じさせることができ、感情を言葉ではなく、それそのものを伝えることもできる。

 ミエカの音を使って伝える言葉はラプにとっては動物の鳴き声と同じものであったが、何度も話し掛けられ、その意味をロヒが念話で教えてくれていたため、生まれてから十年もすると新しい言葉が出てくるのでなければ、ミエカの話すその言葉の意味はほとんど理解できるようになっていた。

 ラプからミエカへの念話はまだ使うことができなかったため、ミエカの会話は聞くだけのものでしかなかったが、それでもラプはミエカの話がロヒとの会話と同じように楽しかった。

 ラプの周りに居る動物はその殆どが食物であり、この人間は食べるための生物ではない、ロヒ以外では初めて見る生物だった。その生物はロヒと友であるといわれてもその意味はあまり理解できていなかった。

 ロヒとラプの周りには、人も竜も魔族さえも居なかったためか、親と子とか、友などという概念が無く、ロヒはロヒでありミエカはミエカでしかなかった。

 ミエカは何時の間にか洞窟に現われ、そして何時の間にか居なくなっている。それを繰り返すものとしてラプは認識していた。


 ロヒは狩りを教えてくれた。

 何度も何度も失敗したが、ロヒは狩ることを求めた。

 口から炎を吐けば簡単に仕留めることができる狩りだが、ロヒはそれを絶対にやってはならないことだと云ってやらせてはくれなかった。

 気の長い竜であっても一度も成功することが無い狩りに嫌気が差して、一度だけ炎を吐いた事があった。

 その炎は目標を逸れ獲物を逃したばかりではなく、近くにあった木を燃やしだした。

 それを見ていたロヒは尻尾でラプを地面へと叩き付け、その衝撃で動けなくなったラプをそのままにして燃えている木を引き抜き、何処かへ飛んで行ってしまった。

 ラプは動けなくなったことと、ロヒが何処かへ行ってしまい自分が今一人であるということに対して、ひどく動揺し、不安になり、恐怖した。ロヒを待つ時間は途方もなく長い時間のように感じた。

 実際にはロヒは直ぐに帰ってきた。動けないラプを肩へと担ぎ、そのまま住処にしている洞窟へ戻っていった。

 その晩はなにも食べさせてもらえなかった。そればかりか、いつもは楽しい話をしてくれるロヒがまったくラプを構うことをせず、その日は暮れてしまった。

 次の日、ロヒは狩りへ行く前に話を始めた。

「森は生きていて、この森に住む動物達に生きる場を与えてくれている」

「森は木を、木は動物を、動物はラプを生かすために必要なものなんだよ」

「昨日燃やしてしまった木は、これまでに沢山の動物達を育ててきた木なんだ」

「これまでにも云ったことがあると思うけど、また云っておくよ」

「狩りで炎を吐くのはだめだ」

「炎を吐くのは自分の身を守る時だけだということを覚えておいて欲しい」

「それじゃ、狩りに行こう」

 ロヒのその念話の中には、絶対的な、守らなければならない理由が五感や感情を通して伝わってきた。

 その中には森の木が全て燃え尽き、焼けた森に骨となった動物達やロヒとラプの姿が横たわっている。

 それを見たラプの中に生まれてくる感情は、昨日動けなくなりロヒを待つ長い時間に感じたものと同じだった。

 ラプの狩りはその後も成功することはなかったが、炎を吐くこともなかった。


 いつもはロヒも一緒に来る狩りへ、その日はラプ一人で行くように云われた。

「今日は一人で行ってきなさい」

「いいかい。太陽があの山の真上に来るまではここへ帰ってきてはだめだよ」

 その時刻は午後三時から四時位を差していた。

 ラプが洞窟を出ようとするとロヒがまた近づいてきて、ラプの顔を覗き込み云った。

「狩りが早くできるようになるといいね。今日もがんばって走り回りなさい」

 その念話はなにかもっと云いたげなものが含まれているようにラプは感じたが、そのままいつもの狩場まで歩いて行った。

 ロヒが見ている時は獲物を追い掛け回すが、これまで狩りに成功したことの無いラプにとって狩りはあまり面白いことではなかった。

 その日一日は、あまり動こうとはせず、積極的に獲物を捜すようなこともせずに、ただぼんやりと過ごしてロヒの云っていた太陽の位置が来るのを待った。

 太陽の位置がロヒの云ったその位置まで来たのと同時に、洞窟へ帰り、ロヒの姿を捜した。

 ロヒは死んでいた。

 ラプにとって死はまだ理解できるものではなく、その無惨な姿であっても、ただ眠っているだけのように思っていた。

 ただ、その無惨な姿はラプにとっても眠りとはなにか違うものではないかと思わせるものがあり、不安を感じてはいたが、それでもやはり眠っているのだと思った。

 ロヒを起こそうとするが、方法は思いつかず、ただロヒの周りをうろうろとするほかできなかった。

 ラプにとって、その間はひどく長い時間のように感じられたが、その内に一人の人間が後ろから近づいて来るのに気づいた。

 それはミエカだった。

 その姿を見たラプは少し安心したが、ミエカの様子を見て、また不安を感じた。

 ミエカのロヒを見る姿には、いつものミエカとは別人ではないかと思わせる程の何かを感じ取り、ラプの不安をさらに大きくし、ラプにロヒの姿がいつも食べている動物達を連想させた。そしてその連想は、昔ロヒがラプに見せた念話の中の骨だけになった二人の姿を連想させた。

 ラプは死をその時に理解した。――ああ、ロヒは死んだんだ――。その理解はラプにストレスとして伸し掛かり、そのストレスは眠りという形になって表れた。

 目を醒しても、やはりロヒは死んでいた。

 ミエカはどこからか持ってきた木をロヒの周りに置いてまわっている。

 ラプの横には鹿の死体があった。

 その鹿はロヒと同じように死んでいる。そう感じ、やはりロヒは死んでいるのだと改めて理解した。

「ラプ。起きたのか。――その鹿、食べていいぞ」

 あまり食べたいとは思わなかった。

 しかし、食べた。

 そうするしか他にする事がなかった。


 火を付けろとミエカに云われた。

 しかしラプは迷っていた。

 ロヒに自分を守る以外には吐くなと云われていたし、ロヒを燃やすということにも酷く嫌なものを感じた。

 ミエカは必死で伝えようとしているが、云っている事は理解していた。

 最終的にはミエカに従った。

 炎が消えるまで、その炎を見詰めていたが、火が消えたとき、ロヒに見せられた念話の中の骨が目の前に表れ、森の木を焼いた時の恐怖という感情がラプの中に蘇えってきた。

 その骨や灰をミエカは土の中に埋めたり、川へ流したりしていたが、その意味は理解することができない。そこには、きっと重要な意味があるに違いないが、それを訊く手段が無い以上はミエカに従い、見ているしかなかった。


「いいかい、今日から旅にでる」

 ミエカのその言葉はラプの不安だった気持ちや、沈んだ感情に光を差してくれた。

 これまでロヒに何度も聞いた旅の話はラプを高揚させてくれた。

 ロヒから聞かされた町や村での人との生活は、念話の中では、きらきらと煌くように感じられる映像や、感情や、感覚をラプに伝えてくれていた。

 そして、その念話の中には頻繁にミエカとロヒの姿が現われ、二人の冒険や旅の話はラプの憧れにすらなっていた。

 出発の時、これから始まる旅にロヒが居ないと思うと少し不安を感じ、住処だった洞窟を見た。


 旅は楽しかった。

 同じような森だったが、違う森だった。

 同じような川だったが、違う川だった。

 色々なものが同じだったが、色々なものが違うものだった。

 それまでに見たことが無いほど深い雪を歩いた。

 それまでに来たことが無いほど高い場所へ行った。

 それまでに食べたことの無い物を食べた。

 それまでに見たことが無い魔獣を見た。

 白い竜を見た。

 白い竜はロヒの親だと云っていた。

 青い竜を見た。

 青い竜は心配してくれたり励ましてくれたりした。

 年老いた青白い竜を見た。

 年老いた青白い竜は色々なことを教えてくれた。

 ミエカに滑空する所を見せたら、驚いていた。

 ミエカは歩くのが遅かったが、その後ろに付いてゆっくり歩いた。

 ミエカが動けなくなったら、一人になるのが嫌で背中に乗せて歩いた。

 ミエカはいつも話かけていたが、それに答えられないことに苛立った。

 ミエカの狩りを手伝って、これまで狩れなかった鹿や猪を狩った。

 ミエカはラプを自分の子だと云ってくれた。

 ミエカはラプの親になると云ってくれた。

 親と子というものはラプにはまだよく判らないものだけど、その言葉にはきっとロヒとラプとを繋ぐものと同じくらい大切なものなのだとラプは感じた。


 人の姿に成れた時、ミエカと同じになれた事が嬉しかった。

 まったく同じではないけれど、ロヒとラプが全く同じでないように、ミエカとラプも全く同じじゃないのだと思った。

 後ろから声が聞こえ、そちらを見るとミエカが居た。

 その姿を見て、また嬉しさが込み上げてきて、気が付いたらミエカに向って走っていた。

 飛び付いて、「あ、つぶしてしまう」と思った瞬間に、ミエカに抱き締められた感覚がラプのその不安を消してくれた。

「おまえ、寒かったら寒いって云ってくれよ」

 さむい。その言葉は昔、ミエカから聞いた時にロヒの念話の中で体験したことがあるが、実際の経験ではなかったせいか、寒いという感覚は忘れていた。ただ、人の姿だから身体が硬ばり、勝手に震えるのだと思っていた。

 ミエカに服を着せてもらい、「暖かさ」というものを知り、その暖かさが「寒さ」というものを教えてくれた。

 初めて口にしたスープの味は、その後飲むことになるどのスープより記憶に残る程、ラプの中に刻み込まれた。


 魔法が使えるようになるとミエカがまた喜んでくれた。

 その魔法を狩りで使い、木を焼きそうになった時、昔感じた恐怖を思いだした。

 その恐怖は昔と変わらずラプを叩きのめした。

 その晩に話てくれたミエカの言葉がロヒの教えてくれたものと同じだと気が付いたとき、ミエカもロヒと同じように自分を思ってくれていると感じた。その思いは感じている恐怖を拭い去ってはくれないが、少しだけ光と暖かさを自分に分け与えてくれていると感じた。


 初めて自分の目で人の住む場所を見た。

 そこはそれまで見たことのない風景だった。

 ロヒが見せてくれた念話での町や村とも違い、ミエカとは違う人が、ミエカと同じ言葉で話し、歩き、食べ、笑い、自分にさえ話し掛けてきた。

 見たことの無い動物まで居た。

 それを狩ろうとするとミエカに止められた。

「あの動物達もだけど、村や町の中や、その村や町の周りに居る動物は、全てその村や町の物なんだ」

「だからラプが狩ってしまうとラプに攻撃してくるかもしれない」

「ラプが着ている青竜から貰ったその服を、誰かが持っていったら、ラプはその人を敵と思うだろう?それと同じだね」

「少し難しいかもしれないけれど、これだけは覚えておいて。村や町で狩りをしてはいけない」

 ラプにはあまり理解できなかった。


 宿という所で眠ることができた。

 ベッドは氷竜のじいさんの洞窟や青竜の小屋で使ったことはあったが、宿のベッドはそれまでのものとはまるで違って、柔らかく、暖かく、まるで浮いているような気にすらなった。

 その宿には初めて見る鏡があった。

 そこにロヒが居た。

 念話の中でロヒが自分の人の姿を見せてくれることはあっても、実際のロヒが変化した人の姿や顔を見ることはなかった。

 今、鏡の中にある顔は、その念話の中で見た顔だった。

 もちろん、それが自分の顔だということは判っていたが、ミエカに思わず訊いていた。

「この顔は自分なの?」

 ミエカはそうだと云って、ロヒにそっくりだとも云った。

 昔、ロヒの話に出てくる、ロヒとミエカの旅の中に、今、自分が居るような錯覚を覚えたが、それはやはり錯覚でしかない。

 ロヒはもう居ない。一緒に肩を並べて歩くこともできない。

 涙というものがなんなのかも知らないラプは、その涙を流していた。


 ロヒもミエカも自分の親なのだという。

 親というものが何なのか、未だによく判らない。

 子というものも何なのか、未だによく判らない。

 でも、自分がロヒもミエカも大好きなのは判る。

 これまで自分が感じたり、見たり、聞いたりしたものには名前があったのだということを知ったように、親も子もその内に判るようになるのだろう。

 ラプは、柔らかく、暖かいベッドの中でぼんやりと、ロヒとミエカのことを考えながらいつの間にか眠っていた。


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