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帰路

「じいさん、達者でな」

「ふん、おまえさんよりは長く生きるだろうよ」

「ラプ、じいさんにありがとうと、さよならを云いな」

 竜の姿でこの洞窟に来て人の姿で出て行くこの子竜は、ここで他の竜が何十年もかかって覚えることを、たったの五ヶ月で習得することができた。

 じいさんに対して感謝という感情があっても良いはずだろう。

 そこに感謝を感じることができなければ、人の中で生きていくのは無理ではないかと俺は思う。

 今は感謝という感情は判らないかもしれない。しかし「ありがとう」と云ったという記憶がいつかはそこに感謝が必要だったのだと判らせてくれる。今は別れの辛さだけでもいいのだ。

 ラプはじいさんの顔を少しの間見詰めていたと思うと、突然、そのじいさんの巨大な顔に走って飛び付いた。

 そのラプの顔はいつもの明るい笑顔ではなく、別れというものを悲しむ人の持つ顔をしていた。

 俺はその別れの悲しみの中にも、悲しそうな顔をしたラプが人として生きていくために必要な感情を持っていることを知り、安堵し、喜んだ。

 ラプはその小さな両腕でじいさんの顔を抱き締めたまま、その頬をじいさんの鼻の筋へ重ね、

「ありがとう」

「さようなら」

そう云った。


 洞窟を出て奥を振り返り、背筋を正すと深く頭を垂れた。

 数秒間そうしていると、その様子を見ていたラプもそれを真似て頭を垂れた。

 もう、ここに来ることはないだろう。そう思った瞬間にそうしていた。

 その礼を誰かに教えられた訳ではなかったが、そうしたかったし、そうする事で自分の中に区切りを作ってくれるように感じていた。その礼は剣の師匠の葬儀以来、二度目の礼だ。


 ラプの魔法は直に役に立った。

 練習していたおかげで、ほんの数分で氷河の南の氷壁に完璧な坂道を作りあげた。

「おお、これは楽ができていいな」

 実際にこの氷壁を上まで登ることを考えると、この坂道を使わない場合は登り易そうな場所を見付けるために氷河の流れに沿って歩かなければならない。

 しかし、その坂道は完璧すぎた。

 坂の面はつるつると滑り、その上を歩くことができず、簡単に坂の下まで滑り落ちてしまう。

「完璧すぎたね」

 坂の下まで滑り落ち尻餅を付いたままラプへそう云うと、ラプは少し考えたり坂の面を触ってみたりした後、氷結風を坂の面へ叩き付けるように使いだした。

 坂の面のほぼ全てに氷結風を撲つけると、その表面はざくざくとささくれ、足を掛けても滑ることは無くなった。

 この子は頭も良い。

 それはもちろん嬉しかったが、青竜の中の氷竜を思いだし嬉しさの中に少しの不安を混じらせた。


「じいさんは、別れ際になにか云ったのか」

 氷壁を登り終えた後、二人で並んで歩きながらラプにそう訊いてみた。

「『さよなら。またきたければくればいいさ』といっていたよ」

 と答えた。

「そうかい」

 ラプはじいさんに育ててもらった方が幸せになるのではないか。じいさんがそういう話をしたのではないか。そう思っていた。

「帰ることができる場所ができて良かったな」

 既にラプは自分の子供であり手放すことなどできない存在になっている。

 ラプも俺を慕ってくれているように見えるが、それは親という認識からなのかはわからなかった。たとえじいさんとラプの取り合いとなったとしてもラプは俺に付いて来てくれるのだろうか?


 北の地は春先とはいえ、まだまだ寒く雪が深い。

 やはりこの地を歩くのは結構辛いということを再認識しながら歩き続けた。

 途中で鹿を見つけ、ラプに火炎塊を打つけて倒せと云ってみた。

 ラプは緊張した顔をしながら、火炎塊を一つ、その手の上に浮かばせた。

 動く標的は初めてであり、ましてやこれが初めての実践なのだからあたりまえなのではあるが、いつも明るく笑っているラプがそんな顔をするものなのだと、見たことの無い顔を見られたことに喜んでいた。

 火炎塊はラプの手から一直線に鹿を目掛けて飛んで行き、鹿の身体にあたって小さな爆発を起した。

 その爆発は近くにあった木の枝も焦がし煙が少しでていた。

「火だよ……。煙がでてるよ……。火が……」

 ラプは興奮、焦燥、恐怖、そんな感情が入り交じった表情をし、言葉を切らした。

「大丈夫だよ。落ち着いて」

 ラプの両肩に両手で軽く、しかし、しっかりと掴まえ、落ち着くまで待った。

「もう大丈夫か?」

 ラプは少し落ち着いた様子を見せ少し頷いた。

「それじゃ、鹿を食べに行こう」

 わざと楽しそうにそう云うと、ラプの背中を押しながら鹿の方へ歩きだした。


「いいかい」

 鹿の肉を焼きながらラプの方を見て、その言葉の意味が理解できるように少しずつ、ゆっくりと話した。

「ロヒは火を吐くなといっていたよね」

「それは守らなきゃいけない事だ」

「その獲物を育てた森に感謝しなくちゃいけないのに、その森に傷をつけちゃだめだからね」

「ラプはもちろん、その意味が判っているよね」

「竜の時に火を吐いたとしても、それが目標だけに当るのであれば、火を吐くことも悪いことじゃないんだ」

「でも慣れていないラプが火を吐いてしまうと、周りの森を傷つけちゃうからロヒは火を吐いちゃいけないっていったんだ」

 手に持った、鹿の肉が刺さっている棒を、焼き加減を見ながら回し話しを続けた。

「もちろん火炎塊であっても森を傷つけるような撃ちかたをしちゃだめだ」

「火炎塊だけじゃない。雷光であっても、氷結風であっても、目標だけに当てるのが理想なんだ」

「傷つける相手は目標だけにすることをいつも思いながら魔法は使わないと、周りの森だけじゃなく、人や竜も傷つけてしまうことになる」

「先刻の火炎塊はほんの少し、目標ではない木の枝を焦がしてしまったけど、あれくらいなら問題ないんだよ」

「だめなのは炎が広がるくらいの火が付いたときだね」

「判るよね」

 ラプの持っていた鹿肉の刺さった棒も少し回して、火を満遍なく通すようにし、さらに話しを続けた。

「その練習の為にも、これからもラプには魔法を使ってもらうつもりだよ」

「それとね」

「魔法であれ、竜の吐く炎であれ、それを撃つ時は、その相手に対して本当に撃っていいのか良く考えるようにしてくれよ」

「もしも、ふざけて人や竜に向けて撃ったり、遊び半分でその辺りにある物に撃ったりしたら、おれがラプを『殺して』でも止めなきゃならなくなる」

 その殺すという言葉は五歳の子供に対して使うべきなのか少し迷ったが、人が扱うことのできる魔法よりも強力な力を持ったラプに対しては、それくらいの強い言葉を使う必要を感じていた。

「ただし、自分の命を守る必要がある時は別だ」

「たとえ森を傷つけても、自分以外が傷つくことになっても、自分の命を守るために必要なことなら、それをおれはせめる事はしないよ」

「おれにとって、ラプの命より大切なものは無いのだから」

 自分でもこそばゆい言葉だとも思いながらラプのこれからを思うと、その言葉は必要なのだと思い口にしていた。

「もう焼けたな」

「ラプが一人で最初に狩った獲物の肉だ」

「食べちゃおう」

 一口頬張り「うん。美味しいぞ」と云った。

 ラプは手に持った、焼いている肉を見詰めながら、その小さな身体に宿っている強大な力に今更ながらにして恐怖を感じているようだった。


 三週間と少しの道程を歩き青竜の里へ辿りついた。

 道中の狩りは、その殆どをラプの魔法に頼ってみた。その力に恐怖しながらも、ラプはそれを制御できなければならない。人の中で生きていくには、その制御は絶対に必要なのだ。

 魔法の力に自身が恐怖を感じているということは、それは良い兆候だと思っていた。もしも、その力をなんの躊躇もなく使うようであればラプを人里へ入れず、人の目を避けて最初の計画通りにロヒの住処を目指していただろう。

 青竜との再会はラプにも笑顔を取り戻させてくれた。

 そこには再会を喜ぶイヒムとパウレラ以外にも、里の中でラプを心配していた青竜達や自分の子を亡くしラプを引き取ってくれるかもしれなかった竜の姿もあった。

 他にも、ラプの若さで人への変化を成功させたことに興味を持ち、見物に来たものまで含めると、里のほとんどの竜がラプへ会いにきているらしかった。

 青竜の挨拶の儀式である抱擁には閉口させられたが、ラプはなんの躊躇もなく受け入れている。青竜が変化した人との抱擁は五十人を下らない。

 ラプの人への変化の最初の時も抱き付いてきたし、じいさんとの別れの時もやっていたし、竜というのは抱擁するのが普通なのだろうか?そんなことを思いながら、久し振りに食べる美味しい人の食事を味わった。

 そしてその食事はラプにとっては、最初に食べる、人に調理された、いや、実際には竜ではあるが、人が食す食べ物としての体裁をした食事だった。

 これまで食べてきたものとは全く違う、その調理された食事をその口に入れた時、ラプの顔はどう変化するのだろう。その興味は俺の目をラプから離すことができなくしていた。

 ラプはスープをその口に入れ、その味が口の中に広がるまで咀嚼した。

 一瞬、その咀嚼が止り、その顔の目がだんだんと大きく開かれていき、そこに驚きという顔があらわれた。

「おいしいよ。すーぷおいしいよ」

 最初にじいさんの洞窟で食べたときと同じ表現だった。

 しかし、その顔と言葉だけで十分に俺の興味を満足させてくれた。


 青竜の里には一泊した。

 その夜にパウレラには北の地で会った氷竜の話をした。

「そうですか。元気でしたか」

 その表情は嬉しさと寂しさが混じった複雑な表情だった。

「会いに行けばいいんじゃないのか?」

 無責任な言葉だった。

「会える訳がありません。わたしは彼を引き止めることも、里の皆を説得することもできなかったんです」

 このパウレラという青年の、とはいっても既に数百歳ではあるが、この先が少し心配になる。パウレラはその氷竜だけではない、オトイのことも気に掛けている。

 パウレラの気が晴れることはあるのだろうか。

「あまり思い詰めないほうがいい。そうだ、偶にはオトイのように旅をしてみたらどうだい?――竜の寿命は人間なんかと比べたら永遠といっていい。数百年くらい世界中を旅するのも悪くはないんじゃないかね?」

「わたしはオトイのように里の皆に心配を掛けたくはないんです」

「そうか。まあ強制する気は無いが、里の皆とは逆で、現状のまま里に閉じ込もっている方が俺は心配だよ」

「え?そんな事、考えたこともありませんでした。どちらにしてもわたしは誰かに心配を掛けるのですね」

 パウレラは少し疲れたような笑いを見せた。やはり強制的にでもこの里から連れだした方が良いのではないだろうか。

「人も青竜も、他人と交わった瞬間から多少なりとも心配や迷惑を掛けるもんだよ。あまり深く考えない方がいい」

 パウレラの心配事にラプまで入っていなければ良いのだが。そうパウレラのことを心配した。


 イヒムもパウレラも、もっとゆっくりしていけばよいのにと別れを惜しんでくれたが、楽しい日々は別れを更に寂しくさせてしまう。

 それに、早くラプに人の里を見せてみたかった。

 その反応は自分では想像すら難しいほど面白いものになるはずだ。青竜達には悪いが今の自分にとって最大級の楽しみなのだ。

 人の村や町に入る為にはそれ相応の身なりをする必要があることを、来るときの街道で思い知らされた経験から、自分とラプの服を青竜達へ用意してもらった。

 時間ができたら、もう一度この里を訪ずれよう。

 旨い酒や珍しい食べ物を沢山持ってこよう。

 この里の竜達には、それでもまったく足りない恩義があるのだから。

 イヒムとパウレラは人の村近くまで乗せていってくれると申し出てくれたが、それは丁重に断わった。氷竜のじいさんの洞窟へ行ったときの寒さも、その申し出を断わる原因ではあったが、それよりもラプとの旅をゆっくりと歩いて行きたいという思いからの方が強かった。


 里を出て二日目に、来る時に目印としていた川まで辿り着いた。

 ラプはその川を思い出したのか「きょうは、ここでとまる?」と期待をその目に浮べながら訊いてきた。

「そうだな、ここで休むか。前は、もう少し上流だったな」

 前に一泊した、滝の側の広い河原まで来るとラプが駆けだし、前に焚き火をした場所を見つけて荷物を下した。

 前に来た時はラプとの最後が近いと思っていたが、まさか人の姿をしたラプと一緒に帰りの道を歩くことになるとは想像していなかった。

「これで良かったんだ」

 別れることにならなかった事にまた喜びがその顔を緩ませ、嬉しさが足取りを軽くした。

 その喜びを呼んで来てくれたラプへ目をやった瞬間、「あ」という言葉がでて身体を硬ばらせた。

 ラプはいつの間にか素っ裸になっていて走っている。それもすでに川へ到達しようとしていた。

「おい」

 叫んだが遅かった。

 川へ飛び込もうと飛び上がった瞬間に、光り、竜の姿へとその姿を変え、川へ水飛沫を上げて飛び込んだ。

「ああ、ちゃんと竜の姿になったか」

 人の姿のまま走っているのを見て、水の冷たさが人の身体では耐えられないことをまだ知らないのだと思ってしまった。

「魚、採ってくれ」

 水から顔を出してこちらを見たラプの顔が、久しぶりに見る竜の無表情さを思いださせ、なんだか可笑しくなって笑ってしまった。


「さかな、おいしい。おいしいよ」

 わざとそうしているのかと思う程、これまでに見てきた、初めて食べて驚く表現が同じだった。

 その顔が可笑しくて、また笑いだしてしまった。

 ラプは何故笑っているのか判っていないようだ。今食べている焼いた魚に没頭して食べ続けた。

 竜の姿では受け付けることが無かった魚は人の姿であれば美味しいといって食べることができている。

 ロヒとの旅でも知っていたことだが、竜の無表情さや、食べものの好き嫌いは竜の時と人の時でここまで変わることに不思議なものを感じた。

 人の姿でしかできないことや食べることができないものがあるということはラプの一生を豊かにし、その経験はラプを成長させてくれるだろう。

 ラプは魚を三匹食べ満足したのか、焚き火にあたりながらうとうとと身体を揺らしはじめた。

「ねるか」

 寝転んだその目の先にある空には満天の星空が広がっていた。

 その星空には人が付けた名前を持つ星座があることをラプに教えよう。

 あの星の位置から進むべき方向を判断する方法をラプに教えよう。

 人として教えなければならない事が沢山あることが鬱陶しいことではなく、これ程楽しみにできるということが少し不思議なことに感じていた。


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