氷竜と青竜
魔法の修行に入ってからラプの魔法はあっという間に、それは魔法の素人である俺から見ても、人の魔導士などが太刀打ちできるものではないことが判る位に成長していった。
修行の初日に火炎塊を頭の上に二つ浮べ、俺を見て、嬉しそうにそして無邪気に笑ったその笑顔は一生忘れることがないであろう記憶を俺に焼き付けてくれた。
十日もするとじいさんの側ではなく氷河へ出て、そこで実際に魔法を使う練習をしていた。
「ここでやられてはわしが生き埋めにされかねんからな」
すでに死にかけの老体とはいえ死ぬのはやはり嫌らしい。とはいえ、まだ数百年は生きるのだろう。それに実際には生き埋めになったくらいでは死なないのが竜というものなのだ。
ラプの今後の成長に寄り添う自分の命の短さを思うと羨ましい限りの生命力だと思った。
ある日、その日の食料や薪を集め終り、洞窟の焚き火の側で一休みしていると、外でラプが発動させている魔法の炸裂音が止った。いつもは煩いくらいの音で奥まったこの洞窟の中にいても聞こえてきていたその音はラプの成長を教えてくれていた。
「客がきたようだな」
「客?」
そう訊いて直ぐにこのあたりを飛んでいる氷竜の事が頭に浮かび、あわてて小屋へ飛び込み剣を握ると洞窟を飛びだした。
「そんなもんはいらんよ」
じいさんの念話は届いて頭の中で響いたはずだが、それは聞こえなかった。
洞窟の外に横たわる氷河の少し上流でラプはいつも練習している。
外に出てその場所にすぐ目を向けると、ラプの姿のさらに奥にいつも遠くの空を飛んでいる氷竜の姿が在った。
剣を抜きながらラプへ駆け寄り、氷竜との間に立つと剣を構え、氷竜を睨みつけた。
「この子になんの用だ」
竜に対して魔法も使えない人間が立ち向かうことは無謀でしかない。
萎竜賊はどこかにある村の秘伝といわれている魔法を使い、竜を狩ることができるとされているが、魔法も使えない俺に勝算はまったくなかった。人の魔導士であっても数十、時には百人を越える人数で立ち向かわなければ一体の竜であっても太刀打ちできるものではない。そんな事は十分に知っていたが、それでも考える前にそうしていた。
その氷竜が同じ竜であるラプを縄張りへの侵入者と見做して、そこに立っているものだと思ったが氷竜の念話は落ち着いていて怒っている様子はなかった。
「落ち着きなよ。その子に手出しするつもりはないよ。その幼さで人の姿になって、魔法の練習までしていたら、どんな竜だって興味が湧くさ」
「練習の邪魔をして悪かったな」
「ほんとうに、すまなかった」
そう云うと氷竜は空高く舞い上がり、北の空へと飛んで行った。
二度、氷竜は詫びの言葉をくれた。
二度目の詫びの念話の中に『練習の邪魔』という理由以外の、別のなにかを感じたが、氷竜と対峙し無事で済んだということに安堵し、その事を深く考えることはなかった。
ラプは氷竜が飛び去って直ぐに練習を再開した。
俺は安堵からか、ラプの後ろで脱力したまま、ラプの練習をぼんやりと眺めていた。
「ラプ、それはなにかを作っているのか?」
その練習は、火炎塊だけでなく雷光、氷結風など、色々な魔法を使いながら、氷河の南側の氷壁を崩したり積み上げたりしている。それは坂のような足場を作ろうとしているように見えた。
「かえるときに登れるように、道をつくるの」
「おお、さすがは我が子。だけど、今作っても、氷河は少しずつ動くから、すぐに壊れちゃうよ?」
「しってる。だから帰るときに直ぐにつくれるように練習してるの」
「おおおお、さすがは我が子」
氷竜の脅威が去ったからか、いつにも増して親馬鹿度が上っていた。
その坂を作るという考えはラプが考えたことではなく、年老いた氷竜の練習課題としての入れ知恵なのだとその日の夕飯時に知った。
「それでもラプは凄い。あの坂を魔法だけで作りあげるなんて、普通はできるもんじゃない」
ラプは鹿肉のスープを一心に口へ運んでいた。とはいっても特に好物というわけではなく、他に食卓へ上る食べ物の種類はさほど無いのだから、その光景はどの食事であってもさほど違わない。人の食事というものがそっけない生の肉よりも美味しいという、ただその一点が食を進ませていた。あと数ヶ月もすれば飽きてくるだろう。
「昼間の氷竜とはなんの話をしていたんだ?」
ふとその事を思い出し内容を訊いてみた。
ラプはいいつけ通り、口の中のものを飲み込んでから口を開いた。その行為はいつも見ているのに、見る度に「可愛い」という感想を繰り返している。
「『なにしにこんな所まで来たんだ』ってきかれたから、『じいさんに人への変化をならいにきた』っていったの」
ラプはそう云うと、またスープを口にした。
「それだけ?」
その問いに急いで答えようとして、早く飲み込もうとするその仕草を見る俺の目は細く幸せそうに見えていることだろう。
「『よく創成の竜の居場所を知っていたな』ってきかれたから、『最初に行った青竜の里で聞いて来た』っていったの」
今度は話の内容を続けた。
「『それじゃパウレラとも会ったか?』ってきかれたから、『ここまでパウレラに乗せてもらって来たよ』っていったよ」
その話は俺の中ではばらばらだった、昼間の氷竜と、パウレラから聞いた、昔、青竜の里に居たという氷竜を繋げた。
そうか、二度目の詫びは、青竜の里にある掟が自分の所為ででき、それによってラプが受けいれられなかったことを知って、それで詫びたのか。
ラプの覚えていた会話の中に、その事を話したという言葉はなかったが、多分ラプは忘れているだけだろう。
そして、この洞窟へ来た時にパウレラが北の空を気にしていた理由もすぐに思いついた。
パウレラは約束を破って侵入したことを氷竜に咎められないようにと空を気にしていた訳ではなく、あの昼間見た氷竜を一目でも見たいと思う気持ちで空を見ていたのではないだろうか。
根拠はなかったが、青竜の里でその話をした時のパウレラが、悲しみや寂しさといった感情をその話の中に滲ませていたように感じ、その想像はあたっているように思った。
「じいさん。青竜と氷竜は仲が悪いのか?」
俺がじいさんへ向って問い掛けたのを見たラプは、役割が終わったことを知り、またスープを口に運び始めた。
「特に悪いということもないさ」
「でも、元はどちらも氷竜で、青竜がこの北の地を去ることで別種に別れたんだよな?それならその理由があるんじゃないの?」
「氷竜といっても、別段、他の竜との違いはないさ」
じいさんは昔話を始めた。
始祖と呼ばれた氷竜は三体居た。
その内の一体が後にミエカとラプがじいさんと呼ぶ竜であるが、卵を創ることはなかった。
その内の一体は濃い青の肌を持ち、後に青竜と呼ばれる竜の卵を創った。
その内の一体は薄い青の肌を持ち、後に氷竜と呼ばれる竜の卵を創った。
この時はまだその二体の竜はどちらも氷竜であり区別することはなかったが、その二つの子孫達は、その親から受け継いだ異なる性格を持っていた。
竜は増えつづけ、さらにその竜達も卵を創り、次第に氷竜達は数を増やした。
後に氷竜と呼ばれる竜達は縄張りを守り、青竜より気性が荒く見えた。
後に青竜と呼ばれる竜達はあまり縄張りを気にせず、氷竜より気性が穏やかに見えた。
青竜は互いに交流を持ち、氷竜とも同じように接していたが、氷竜の高い縄張り意識からしだいに対立が起きるようになった。
「竜は縄張りの中で生きるものだ。守れないのならばこの地一帯から去れ」
「同じ竜族同士なのだから縄張りなんて気にせず、争いを無くすべきだ」
同じはずの一つの種族の中に二つの意見が生まれ、後に青竜と呼ばれる竜がこの地を去ることになった。
数としては青竜の数が圧倒的に多く、全ての竜が縄張りを持つことで生きていくにはこの北の地は狭すぎたということが最大の理由だった。その時点での氷竜の数が、この北の地を埋めるのには丁度良いと青竜達も考えての結果だった。
理由は他にもあった。
竜本来の行動規範はやはり縄張りを守ることであり、これに青竜達が反論することはできても、その反論を氷竜に強要することはできないと感じていたこと、それに、元々穏やかな性格で争い事を嫌ったこともあり、青竜達は氷竜から離脱しこの地を去ることを決めた。
青竜は自分達を自ら青竜と呼び、生息していた氷河を境にその南側へ移住することを宣言し南下した。
青竜達は縄張りを守ることに固執することが無かったため、一つの広い場所を里と定め、縄張りを持たないものとして生活を始めた。
「別れた顛末はこんなところじゃな。わしらにとっては、ちょっと前の話だが、千と二、三百年くらいたつのかのお」
「人間なら多数派が意見を通すのが普通なんだが、穏やかすぎるのも考えものだな」
「青竜が穏やかな性格だというのは本当だが、その青竜達は今の里を決める前に、さらに南下して南の炎竜と一戦交えているんだぞ。『すぎる』なんて考えはやめておいたほうがいいと思うがな」
「竜同士が戦ったのか。それは少し見たかったな」
「見ていたり近くに住んでいたりした人間は巻き込まれて、だいぶ死んだと聞いたがな」
確かにその戦いは想像するだけでも恐ろしいものになりそうだと思ったが、やはり見てみたいと思う気持ちは捨てられない。
その時代に俺が生きていたのであれば真っ先に死んでいただろう。
ラプに話し掛けた昼間の氷竜は、その後、北の空をいつものように飛ぶ姿を見ることはあっても、二度とラプに話し掛けることは無かった。