洞窟の日々、そしてその日
それからは、狩りだの、家具の修理だの、衣類の繕いだのと、それなりに忙しい日々のはずなのだが、さほど忙しいという感覚はなく、どちらかというとのんびりとした日々に感じていた。
修行の開始から既に一ヶ月が過ぎていたが、ラプはあいかわらずじいさんの身体を揉み解す修行を続けていた。そこにラプの成長を感じることはできない。
いつものように森での薪拾いを終わらせ、あとは洞窟内の仕事という、その前の一休みの時間にラプの修行を眺めていた。
あれだけ揉まれたらじいさんの身体は生まれたての赤ん坊くらいに柔らかくなっているのではないのか?
眺めていると、今日の修行は終わったらしく、ラプがじいさんの背中から降りて「ふぅ」と言わんばかりに尻を地面へ投げ出して座った。
ラプは諦める様子を見せなかったが、俺の方が先に音をあげだしていた。
あと一週間くらいかな……。
ここののんびりとした暮しは俺の気も長くしたらしい。都会で同じようなことが起きていたら一週間で音をあげていただろう。
「そろそろこの生活にも飽きてきただろう」
めずらしくじいさんから話を切り出してきた。
「ああ、あと七日くらいしたら諦めて旅を再開しようかと思っていたところだよ」
「そうか、それは残念だね。あと十日もすれば魔素の固まりを作れるところだったろうに」
進展はあったらしい。立ち上がり、興奮しながら云った。
「すばらしい。あと十日で変化ができるようになるって、もっと早くに云ってくれよ」
「話の内容を頭の中で捻じ曲げるのはやめてくれ」
じいさんの話を頭の中で来り返し、何を捻じ曲げたのかを考えた。
「あぁ……。魔素を固めたあと、どれくらいで変化はできるんだ?」
何度目の問い掛けだろう。
答えはもう予想できたが、そう訊かなければ会話が続かない。
「わからんな」
いつの間にか狩ってきていた食事に齧り付いていたラプも、こちらの話に興味を持ったらしく途中から食事を止めこちらを向いて聞き入っていたが、俺が残念そうに肩を落したのを見て食事を再開した。
進展があったのだから喜ぶべきだ。
そんなことを考えながら、いつものようにあまり見た目の変わらない修行風景を見ていたが、その日、ちょっとした変化があった。
ラプの胸の辺りがぼんやりと光ったように見えた瞬間があった。
光りの加減だろうか。
その後も見ていたが、その日はそれだけだった。
その次の日、狩りへ行く準備をしながら朝の修行風景を見た時、その胸に間違えなく光りを見ることができた。
「今、ラプの胸のあたりが光ったよな」
「初めの頃に比べれば、そうとうな量の魔素を固めるようになったな」
じいさんもラプも実際はその変化を感じていたが、俺だけは気付くことができていなかったらしい。
「じゃが、まだまだじゃね。光っているということは、魔素の力が光りに変化してしまっとるということだから、それじゃだめなんじゃよ」
意味はわからないが、光るのはだめなのらしいということは判った。
しかし嬉しかった。ラプの成長を自分の目で見られたのだ。嬉しくない訳がない。
それからの修行風景は、その光を見るのが楽しみになっていた。
光るのは駄目といわれても、変化として見えているものはやはりそれに目が行ってしまう。
「成功したら光りはまったく出なくなるのか?」
「魔素の固まりは目に見えるものじゃないからな」
そこから先の進展は俺の目にも判るものとして見ることができた。
最初は胸の辺りでぼんやりと光るものが浮いたり、消えたりするだけだったが、だんだんと腕に沿って移動するようになっていった。
その内、腕の途中を移動している時に消えていた光は、だんだんと手の先、手を離れじいさんにぶつかる寸前、と進展し、とうとうじいさんの身体まで到達すると、その瞬間にはじけるようになった。
その頃になると、ラプ自身の動きは、それまでの前屈屈伸から、ほとんど動かず魔素だけを生み、移動させ、打ち出す動作へと変化していた。
さらに、それまで光っていた魔素は、その光をだんだんと弱めて行き、とうとうじいさんの身体へ当ったときの「ボン」という音だけが聞こえる、というのがラプの修行風景となっていた。
その状態は数日続いたが、ある日からラプはじいさんの身体に登ることが無くなった。
ラプはじいさんの横に座ったまま、ただ瞑想しているだけの日々になっている。俺の楽しみはまた無くなってしまった。
「揉む修行は終わったのかい?」
「ああ、次はお待ちかねの変化の練習じゃよ」
待ちに待った修行が始まったのだと知ってほっとしたが、変化の無い日々にまた戻ってしまった。
瞑想の日々が始まって二週間が過ぎたころ、瞑想しているラプの身体全体がぼんやりと光って見えた。
その一瞬は最初に魔素を光らせた時と同じように光の加減にも見えたが、今度はじいさんに訊いてみた。
「今、ラプの身体が光ったようにみえたんだが、そろそろなのか?」
「ん?いまごろ光っているのに気づいたのか。光は弱いが、ずっと光っていたよ」
人の目には判らない光らしい。
「この光もやっぱりだめなのか?」
「集めている魔素の量が増えているのだから、その余剰が光っているんだ。だめということではないさ。つまり、集めている魔素の量に不足はなくなってきた。というだけの話だな」
よくは判らないが進展はしているのだろう。
「あとは集めた魔素を身体の変化に使うことができるようになれば、変化は完了する」
やっと、このじいさんから先の話を聞くことができたが、やはり時期は訊いても無駄だろう。
「ところで、ラプの親の話を少し教えてくれるかい」
じいさんが珍しく話を続けて、それも、この場に居る俺でもラプでもないラプの親の話を訊きたがっている。なにか重要なことを訊かれたように感じた。
「どうして?」
「したくないなら構わんよ」
「いや、唐突に訊かれたもんで、訊く理由が知りたかっただけなんだ」
単なる世間話なのかもしれない。ロヒのことを語った。
「名前はロヒ。炎竜族の竜だよ。住んでいたのは南の森で、このラプは二十年程前に生まれた」
それから昔は自分と一緒に旅をしていたこと。
ラプが生まれてから、数年に一度はそのロヒとラプに会いに行っていたこと。
萎竜賊と思われる一団に殺されたこと。
そんな話をじいさんは眠っているのではないかと思うほど静かに聞いていた。
「おれが知っているのはそれくらいかな」
「そうか」
「そうかって、それだけかよ」
「いや、知っている竜の子なのかと思ってな。違ったようだがな」
「どうして?」
「この子の能力は竜の中でもかなり高いように見えたからな」
その言葉は自分を褒められるよりも嬉しい言葉だった。自分が褒められても照れ臭いだけだが、ラプが褒められると素直に嬉しいという思いだけが込み上げてくる。
「ラプは凄いのか?」
竜族が扱うことができる魔法能力はロヒを見て嫌というほど知っていた。嫉妬すら覚えたが、それは俺でなくとも人である以上は届かない高みにあった。
その竜族の中でも高いということであれば、途轍もない能力を持った竜ということになるのではないだろうか。
「凄いというのかは判らんが、そのロヒという親と同程度ではあるようだな」
少しがっかりした。何度もロヒのその能力を見て見慣れてしまったからか、同程度という言葉は嬉しさを半減させてくれる。
「つまりロヒも竜の中では凄いやつだったってことなんだよな?」
「実際にこの目で見たことが無いそのロヒの実力はわからんが、どれ程のものかを想像するに、ラプを見た限りではかなり高かったのではないかな」
竜は卵を生み、育てるが、その卵は魔法で生み出すものだ。遺伝という要素がそこに在るのだろうか?
「魔法で生んだ卵にも親の能力は受け継がれるものなのか?」
「わしは卵を創ったことはないからな。よくは知らんが、卵を創る時には自分自身を参考にして生まれてくる子の事を思いながら魔素を組み上げるらしい。親に似ていてもさほど不思議ではないと思うがな」
ラプは生まれて二十年程で人の姿への変化を遂げようとしている。いや、正確にはまだなのだから実際にはまだまだ先でこれから数十年も先になるのかもしれない。
しかし、あと数日とか数ヶ月であっても、青竜の里で聞いた最短四十年の記録を塗り替えることになる。それはきっと偉業に違いない。自分のことではないが誇らしい気持ちになるだろう。ラプ以上に俺がその偉業を早く見たいと思っているのではないだろうか。
「つまり、ラプの人への変化は近いと思っていいんだな」
「わからんな」
俺は「訊くんじゃなかった」と思いながらも、ラプの能力が高いという言葉がこの先にあるラプの旅をきっと素晴らしいものにしてくれるという期待に高揚していた。
進展の無い日が数日過ぎたある日、その変化は唐突に起った。
夕方になり洞窟へ戻ってはきたが、鞣す皮もなくなり、直すべき家具もなくなり、いつものように所在なくラプのぼんやりと光る姿を見ていた時のことだった。
これまでも唐突だったが、今回はその変化が大きく、目を見開くほどの驚きが俺の目の前で起きた。
ラプの身体が、これまでの光よりも強くなったと思った一瞬後、ラプの身体そのものがその光の塊になり、形を小さな球状に変えてしまった。
その光の塊は人の頭より一回り大きい程で、とても元があの巨体だとは思えない程に縮まったように感じた。
「じいさん。これは、だいじょうぶ、なのか、な?」
少ししどろもどろになりながらも訊いてみたが、じいさんの答えはすぐには返ってこず、ただいつものように、眠そうに目を細めたまま、ラプに目を向けようともしなかった。
「おい、じいさん」
「だめじゃな」
「え?」
じいさんのその言葉に頭から血が引いていくような感覚に襲われながら、なにもすることができず、ラプのその光の塊に近寄ろうとした、その瞬間、ラプは元の竜の姿を取り戻し、だんだんと光りが弱くなっていった。
「ラプ、大丈夫か」
ラプに駆け寄った時には光が消えていたが、その顔と身体を交互に見まわした。
ラプはいつものとぼけたような無表情で何を考えているのか読み取れない。
「じいさん。ラプは大丈夫なのか?」
「ん?だめだったな」
「だめっていうのは、なにがだよ」
少し苛立ち、大きな声を上げてしまう。
「変化に失敗したのだから、良いわけではあるまい」
「ラプの身体は問題ないんだな?」
「うむ。いつものラプだな」
「これからは、ああいう状態になる日が続くと思ったほうがいいのか?」
「そうだな。数日は続くだろうな」
人がその目で見ている対象物が突然形を変えるという現象は、固体であればそうそう見ることはない現象だろう。
ましてや生きている人や動物が目の前で形を変える、大きさを変える、ということなど夢の中か魔法でしかない。
そうか、人への変化は魔法の一種だったな。魔法なのだからあたり前なのだとか、かなり変化に近づいたのだろうとか、自分を落ちつかせる言葉を頭に浮べながらベンチに戻り腰を下した。
俺の心配を他所にラプは夕飯を貪る夕刻だった。
そして、遂にその日が来ることになった。
じいさんは数日続くと云っていたが、実際はその次の日の朝だった。
いつものように狩りに行く準備をし、ラプの瞑想を見ながら食事を摂っていると、昨日と同じように強い光りを放ち始め、見る見るその姿を球状に変えだしていった。
やはり数日はこの光景を見ることになるのか。
あまり心臓に良いとは言えない光景であるが、それでもやはり変化は近いのだと思うと期待しないということはできない。
じいさんが、珍しく首を擡げてラプの方を見た。
俺はじいさんのその動きの方が気になってしまい、じいさんの方へ目をやってしまった。
その時だった。
「ほぉ。おまえさんは見なくていいのかい」
じいさんのその念話にはっとしラプの方を見ると、ラプの光の塊があった場所に、肩まで伸びた赤い髪の、まだ小さな、見覚えの無い、人間の姿をしたなにものかが立っていた。
「ラプなのか」
他に誰がいるというのだろう。あたりまえだと思いながらもそう訊くしかなかった。
少し俯いていたその人の姿をした子は、自分の身体を、腕を、足を、見たり触ったりしていたが、俺が声を掛けた瞬間にぱっと振り返り「みれか」と呟いた。
ラプのその姿が見られたこと、ラプが自分の名を呼んでくれたこと、それが嬉しくて涙が出そうだった。
「おいで」
両手をちょっとだけ自分の前で広げてラプを呼んだ。
次の瞬間、「みれかー」と叫びながらラプは駆け出してきたかと思うと、そのまま俺の首のあたりへ飛び込んだ。
その勢いでベンチに寝ころがるように倒れ、飛び込んできたラプを抱き締めたまま、今、目の前で起きたことがなんだったのかを考えようとしたが、なにも考えることができず、これは夢なのかと思うほどぼんやりとしてしまっていた。
「みれか」
またラプが自分の名を呼んだ。
ラプを抱き締めたまま、ベンチの上で身を起し、ラプの身体を少しだけ引き離し、自分の足の上に座らせ、ラプの顔を見た。
「ミエカ、な」
可愛らしい、男の子にも女の子にも見えるその顔立ちは、ロヒの面影が色濃く表れていた。




