修行初日
朝起きると氷竜の前でラプが座っていた。
なにやら講義を聞いているような様子だ。
念話での会話だとこちらへは何を話しているのかわからない。
邪魔をしないように焚き火を点け、昨日設置したベンチへ腰を掛けて二人の様子を窺っていた。
不意にラプがこちらを見てきた。
ラプよ、おまえさんの無表情な顔じゃ状況がわからんのだよ。なにやら困っているのだろうか?
「じいさん。なにか無理なことをさせようとしてるんじゃないだろうな?」
ラプを見ていた氷竜の目がこちらへ向き念話が返ってきた。
「なんの無理もない。たんなる基礎練習をさせようとしているだけじゃよ」
どんな基礎練習なのか説明して欲しいものだが、それを訊いたところで先生の気分を損ねるだけかもしれない。
「ラプ。どうしても無理なら従う必要はないんだけど、ここで帰ってしまったら人への変化はかなり先、たぶんおれがこの世に居ないくらい先になると思うよ。これからやろうとしていることはラプがおれと一緒に旅をする為に、絶対とまでは言わないけど、必要となることなんだ。何日かはこのじいさんの云うことを信じてみてくれないかな」
ラプは氷竜へ目を戻し、少し考えたような間を置いたあと、しぶしぶというような足取りで氷竜の側へ寄っていった。
そして、翼を広げ、翼や足や手をばたつかせ、氷竜の身体によじ登るような行動をとった。
何がしたいのだろう?ラプに我慢してやれといった手前、とりあえず静観するしかない。
最初は氷竜の身体に爪を立てることに躊躇していたらしく、どうやら子竜の爪が肌に食い込むくらいは問題ないということが判ると、ラプは氷竜の身体の上に立つことができた。
「おお、できたじゃないか。ラプ、凄いぞ」
ベンチから立ち上がりラプを褒めた。自分でも自分の顔が気持ち悪いくらいの笑みなのが判る。
「ばからしい。これからやっと練習が始まるんだ」
「あ、そうなのね」
気まずそうに頭を掻きながらベンチへ座って、その練習が始まるのを待った。
ラプは少し前屈みになり、両手を氷竜の腰の辺りに当てるようにしたあと、少しの間を置いてその手で腰を押した。
その動作が小一時間程続いたが、さすがに訊くしかその意味を知る方法はなかった。
「えーと、先生さま。結局なんの練習なんでしょうかね?」
氷竜は「そんなことも判らんのか」というような口調で答えてくれた。
「魔素を操るための練習にきまっておろうが」
いや、判る訳がない。
「腰を揉んでもらっているようにしか見えんが」
「揉んでもらっているな」
「いや、説明を省かんでくれ」
要は魔素を固めてそれを腰にぶつけることにより、腰を揉むという練習なのだということだった。
「手で揉んでいるように見えるがな」
「胸の辺りで魔素を固め、手の先へそれを移動したあと、ぶつけるようにする、という動作をやっている。身体の動きによって魔素の操作にも影響があるからな。最初は魔素を集めることすらもできないだろうが、動作として身体が覚えれば、魔素が集まって固まることが出来るようになると自然と腕の先から魔素を放出できるという寸法じゃな」
「魔導士が腕の動作で火炎塊を撃ち出すようなものか」
魔導士が撃つ火炎塊は、別段、腕の動作とは関係なく撃つことができるということをロヒと一緒に旅をするようになってから知った。ロヒは腕を動かすことなく火炎塊を複数個頭上に浮べ、それを目標目掛けて撃ち出すことができていた。人の魔導士であればせいぜい二つか三つが限界の火炎塊を十個くらいは浮べていたのを見てとんでもない奴がいるものだと思った記憶がある。
「基礎の練習にもなるし、わしの腰も揉める。一石二鳥というやつじゃな」
一石二鳥という言葉が竜族発祥だということをこの時に知ることになった。
さすがに何の進展も無さそうな修行風景にも飽きてきたので、ラプの食事と薪、小屋、ベッド、テーブルに椅子の修理に使う木材などを調達してくることにした。
「この辺りにはラプが食べられそうな獲物は居るかな?」
「鹿やヘラジカやノロジカやアカジカ、トナカイなんかが居るな」
全部鹿じゃないか。まあ、居るならよかった。
「他には熊やシロクマやハイイログマ、ヒグマなんかもいるぞ」
全部熊じゃないか。熊を狩るのはやっかいだな。
「外に出るならそこから森の方へ出られるぞ」
氷竜が顔で指した方向は、広間の入口とは逆方向の、氷竜の頭が向いている方だった。
「こっちにも入口があったんだな」
その通路は広間から見ると奥まった所にあり直ぐに左へ折れていて、入口から見ると気付くことが難しかった。
そこを通って出ようとすると氷竜からまた念話による声がかかった。
「あまり北へは行くなよ。少し北にいくと別の氷竜の縄張りになる。人間なんぞ竜にとっては入ってこられてもたいした興味も持たれはしないが、縄張りの中じゃ奴の気分しだいで嬲られることもある」
「このあたりはじいさんの縄張りじゃないのか?」
「年寄に広い縄張りはいらんからな。わしの縄張りは、この洞窟だけじゃよ」
人間世界でもよくありそうな、年寄を家の端へ追いやっているというような情景が頭に浮かんだが、それは口にすることなく外へ出てみた。
外は既に森の中になっていた。
あの氷河の凍った壁を登らなくて良いというのは、この洞窟の住みやすさを格段に良くしてくれている。
直ぐになに鹿かは判らないが、大き目の鹿を見つけることができた。
青竜の里で用意してもらった弓を構え、一矢を放つと上手く首筋へ命中し、ラプの食事は簡単に手に入れることができた。
これまで弓を作って使ったことは何度かあったが、手作りの弓ではまともに命中させることが出来ず、結局はラプに追い込みをさせて剣で仕留めるというのが旅での狩りの方法となってきていた。
「弓は便利だな」
俺は剣士ではあるが、弓の練習はあまりしたことがなかった。別段嫌いだということもなかったが、これまでの戦いでは混戦となることが多く、弓が役にたつと思ったのは弓兵達が遠隔からの攻撃手段として撃っている時くらいだった。
「矢ももっと貰っておくべきだったか」
あまり使うと思っていなかったため一束もらっただけで、一月もすればなくなりそうなくらいの本数しか手元にない。
「作れるだろうか?」
まあ、挑戦はしてみるがあまり上手く作れる自信はなかった。
狩った獲物を一人で運ぶには少し大きかったので簡単な橇をそのあたりの木を組んで作り、一旦洞窟まで運んだ。
今度も青竜の里で貰った斧が役に立った。
「さすがに斧は自分では作れないからな。頼んでおいてよかった」
戻るとまだラプの基礎練習は続いていたが、場所が肩あたりに移動している。
竜の肩も凝るのだろうか?相変わらずの手揉みだ。
いつになったら氷竜が痛がるくらいの魔素を撃てるようになるのだろう。そんなことを考えながら獲物を降ろし、今度は薪と木材を採ってくるために橇を引いて森へ戻った。
正直、こんな寒い北の地にこれほどの森があり、そこに獣が居るとは思っていなかった。
氷竜は百年に数人の人間がここまで来ることがあると云っていたが、ほとんどは生きて帰ることができていないのではないだろうか。
もしそれだけの人間がここまで来て帰っていったのであれば、もっと多くの人がここを訪ずれて住みだす物好きもいるのではないのだろうか。この辺りの森は雪も思ったほど深くない。快適とは言えないが、この豊かな森の中であれば暮らせないこともなさそうだ。 そんなことを考えながら薪になりそうな小枝や、小屋やベッドの修理に使うための木を切り倒していった。
一度に運べるくらいの小枝や木材を橇に乗せ、なにげなく見た空がそろそろ茜色に染まりだしている。その見上げた目の端になにかが動いたような気配を感じ、その方向を見るとそこには夕焼けをその身体に浴び、茜色に染まった竜が見えた。
「じいさんが云っていた氷竜か」
こちらへ来るような気配はなかったが、あまりこちらに興味を引くようなことはしない方が良さそうだと思った。
竜族は凶暴な恐ろしいものだと子供のころから聞かされていたが、自分が会った竜族のだれも凶暴などとは思えない穏やかな者たちばかりだった。
じいさんがいっていた「嬲られる」という言葉はそれほど気にしなくてもよいのかもと思ったりしたが、やはりここは気を付けておいた方が良いのだろう。
こそこそと橇を引きながら洞窟へ向った。
洞窟の中では、まだラプが氷竜の身体を揉み解す練習をしている姿があった。
「もしかして、一日中休みも取らずやっていたのか?」
「竜がこれくらいで疲れてたまるか」
たしかにラプは一心不乱にやっているように見えるが、疲れているかは表情からは読み取れない。
「竜ってのは疲れるということがないものなのか?」
「わしの疲れは消えていってるよ」
元から疲れていないだろうに。
「ラプ、無理しないで疲れたら休むんだぞ」
「休めばそれだけここに居る時間も伸びることになるがな」
じいさんが言葉を繋げた。
「大丈夫じゃよ。竜の体力は魔素がある限り尽きることはないさ」
「うらやましいよ」
「だが、子竜は大気から魔素を取り込むことが下手だからな」
じいさんがラプへ話し掛けたらしく、ラプの動作が止りじいさんの身体から降りてきた。
「その子も、そろそろ腹が減ったころだろうて。今日はここまでにするよ」
じいさんから降りたラプは下を向いて、翼と肩をだらりとさせていた。あきらかに疲れている。溜息でもつきそうな恰好に見えた。
「ちょっと待っていてくれ、皮を剥いだら食べていいから」
急いで朝に捕ってきた鹿の皮を剥ぎラプに食べさせた。
「それで、ラプはどれくらいで変化できそうになるか見当はついたかい?」
今剥ぎとった皮を鞣すために、ナイフで肉を削り落しながら訊いてみた。
昨日はわからんと云っていたが、今日一日、あれだけやっていたのだからなにか判ったのではないだろうか。
「わからんな」
ここから出ることができる日はいったい何時になるのだろう。
皮の下処理が終わったので、早速採ってきた木材でテーブルの修理をしようと思ったが、木の加工はどうすれば良いものか悩んでいた。
「じいさん、このテーブルを作ったやつは、どうやって木を二つに割っていたか、覚えているか?」
見ていないだろう、見ていても覚えていないだろうと思いながらも訊いてみた。
「簡単に曲がる柔らかそうな薄い剣のようなもので、それも刃がギザギザして切れ味が悪そうなやつで、ギコギコと切っていたな」
そう云いながら念話の中にその風景を混じらせて見せてきた。
鋸があったのか。
というか、そんなものをどっから手に入れたのだろう。
「それはどうやって手に入れたんだ?このあたりに鍛冶屋でもあるのか?」
「そいつが持っていたぞ」
ずいぶんと用意のいい奴だったのだと思いながらも、それはまだここにあるのかを訊いてみた。
「その辺りに無いのであれば持って帰ったんだろうさ」
一通り見て回ったこの洞窟の中にはそれらしい物を見付けることはできなかった。気は利かないやつだったらしい。在っても何年もの間を放置されていては使い物にはならなかっただろう。
「そいつは他にも木の表面を薄く削る道具や、刃が先端についた小刀なんかも使ってそいつを作っていたよ」
これもその風景を念話に混じらせて見せてくれた。念話というのは便利なものだが、その鉋と鑿の実物が欲しいものだ。風景だけではなんの役にも立ちはしない。
しかしそいつは、そんなに荷物を持ってなにをしにこんな辺鄙な所まで来たというのだろう。
「大工だったのかな」
「その大工というのは知らんが、仕事道具だと云っていたな」
大工以外なら家具職人くらいだろうか。
しかたがない。斧で細かく注意深く切ったり削ったりしながら修理することにしたが出来栄えは酷いものだった。
「また明日だな」
夜も更けだしたので寝ることにした。
「しまったな。ベッドを先に直すべきだった」
修理できたのはテーブルの一部だけで、まだまだ掛かりそうだし、ベンチはまったく手が付けられなかった。
ラプはとっくに眠っていた。