第1話 夜の彷徨
黒いフォードマスタングが夜道を駆ける。舗装されていないでこぼこの地面を、車体を小刻みに揺らしながら進んでいく。
周りを囲んでいた木々の数はだんだんと減っていき、煉瓦造りのビルディングが数を増していく。
無機質な夜の世界。
車体のライトが赤煉瓦の道を照らす。
「あー、そうだ。私だ。いいな?905だ。間違えるなよ、大尉」
車内には静かにその声が響き渡った。
「夜の狩人……だ。複数人の人工生命体によって形成された暗殺チーム…。我々の同胞も何人も殺られた。厄介な連中だよ」
シートを圧迫するようにぎゅうぎゅうに詰め込まれた肥えた軍服の男ーー隊長は、ニヤニヤとしながら運転席の女へ語りかけた。
「私たちの任務はそいつらの討伐…ね?」
運転席の女は、ルージュを塗りたくった唇を舌で湿らせながら隊長の方をチラリと見た。
「ミス・ルイス。それは違うよ。我々は争いを好まない、ということはよく知ってるだろう」
バカバカしい、とでも言うように彼は首を振る。ルイスはちょっと眉間にしわを寄せて、納得していないようで、口を尖らせる。
「例外だってあるわ。仲間が殺されてるのよ」
「フン。その例外は相手が自分を襲ってきたときだけだ」
でも、とかまだ口を挟みたいようなルイスの言葉を遮り、彼ははっきりと告げた。
「いいか、よく聞け。そして学べ。
今回の任務は、モーリス・レイウッドの警護だ。夜の狩人が彼を狙っているんだ」
ぴんっと太い指で彼女を指す。
一瞬、ぽけーっと間抜けな顔をしたがすぐにその名前に聞き覚えがあるような気がして黙り込んだ。
二つめの曲がり角を曲がったところで彼女はハッと目を見開いた。
「テレポーテーションシステムのモーリス・レイウッド!?」
満足そうに隊長は首を縦に振る。街灯が増し、だんだんと明るくなっていく。
「そうだ。君の大好きな羽振りのいい大人だ」
「きゃっふー!」
子供のように無邪気な笑みを浮かべる。
「で!サウザンド・ホテルだったわね?」
「あぁ、そうだ。忘れるなよトリアタマ」
「忘れないわよ、ダルメシアン様」
「コードネームでもそれはやめろと何度も言っとるだろうっ!!」
怒りのあまり怒鳴って、立ち上がろうとまでするが体がでかいのだからほとんど動けない。それをわかってのこと、ルイスは意地悪な笑みを浮かべる。
「ムッキにならないで〜。きゃーあたしこわーい」
「減給だな」
「ごめんなさい。靴舐めます」
誠心誠意、頭を下げる。
「舐めんでよろしい。ドアホ。知能が全て胸に行ったのか……可哀想に」
視線が彼女の胸へと移る。
派手にビンタされた隊長は少し怪訝そうな顔をしていたが、ふと
「あ、そうだ。君、タバコは持ってるかね」
「ええ、この前は忘れたもの。危なかったわね。今回はちゃんと持ってきてる。オールライト」
得意そうな顔でルイスはウィンクする。
「…ならいい」
その言葉を最後に車内は静寂に包まれた。
ホテルの前に黒塗りの車がとまった。
「このホテルだ。さぁ、降りるぞルイス」
出よう出ようとしながらもシートに尻が完全にはまってしまった隊長は足をばたつかせているだけだ。
「分かってるわよ……隊長サマ」
ルイスはそう呟いて、彼をドアの外へ押し出そうとした。
ネオンの明かりによって夜に浮かぶサウザンド・ホテルの文字。
隊長はそれを見上げる。こんな夜中くらいサングラスを取ったらどうだ、とルイスは言おうとしたが、先程隊長を車から引っ張り出した疲労から まぁ言わなくてもいいかと思い直した。
「何号室なのかしら?」
「905。最上階だ」
そう告げ、ずんずんとドアの前へ進む。
ホテルは自動ドアで、巨体の彼が前に立つと思った以上に早く開く。
「デブだと反応速度が違うのね」
「でたらめいうな」
そんな軽口を叩く2人とは対照的に中は思った以上に静かだった。受付に一人男がいるだけで、ロビーには誰もいない。
「サウザンドホテルへようこそ」
「隊長〜。夜の狩人って思った以上にバカっぽいわよ?」
ルイスがハハッと色っぽく笑う。受付の男は、はぁ……?と意味のわからない顔をしていたが、次の瞬間にその顔は崩れた。
ルイスが受付の男を撃ち抜いたのだ。
「絨毯に血がこびりついてるわよ。それに胸のネームプレートの写真と顔が別人」
「トリアタマ。敵にアドヴァイスしてどうする」
得意げに語る彼女を、呆れた目で彼は言った。拳銃をホルスターにしまい直して、隊長の方に振り返る。いたずらをした子供のように笑う。真っ赤なルージュの光沢が、弧を描く。
「あら、優越感に浸れていいじゃない」
「ハァ……」
見てみると、たしかに荒らされた形跡はだいぶなくなっているが、ところどころに血が残っていた。よくみると、受付の紙もすこし赤黒く見えた。複数枚重ねてあった受付の紙のうちの一つなのだろう。1番上に血がかかって、薄くしみた3枚めくらいだろうか、とくだらないことを気を紛らわすために思考する。
「声うわずってるわよ?」
「……大丈夫だ。私は大丈夫だ」
彼女を安心させるように呟いた。
「そう……。階段から行く?エレベーター?」
「階段だ。が……その前に」
隊長はそのまま受付を抜けて先へ進む。「え!?ちょっと…」と慌てて後を追うルイス。
その先には厨房があった。厨房も酷い有様で、床には死体がいくつもあり、床は完全に血の海と言えていた。
「包丁か何か?」
ルイスは心配するように問う。隊長は真面目な顔のまま部屋を見回し答える。
「いや、小麦粉だ」
「…そう」
察したようでルイスは身を翻してロビーの方へ向かっていく。
「終わったら言って。私残党狩ってくる。さっきソファーの後ろで待機してたのよ」
「おう、油断するなよ」
「勿論」
ルイス、隊長。双方、戦いのエキスパートである。というのも、彼ら2人は『戦争機関』という一般市民ならばなるだけ口に出したくない名前の国家機関に所属している。一般市民の認識としては、何をしているかはわからないが、確実に何かをしているという手を出してはいけない、まるでパンドラの匣のように一度中を開けて仕舞えば災いなどありとあらゆる不幸が降ってくるような、そんなアブナイ組織という認識なのだ。
無論、彼らだって目的はあるしそんなヤバイ組織ではない。
多分。
「これでいいだろう」
隊長はそう呟くと、かがんでいた体をグーっと伸ばす。周りに置いてあった調味料やらが脂肪に圧迫されて床に落ちていく。
「ルイスー、こっちは終わったぞー」
声をかけるとすぐにロビーから彼女が顔を出した。頰には血飛沫が付着している。唇は真っ赤なので血が付いているのかいないのか見当もつかないが。
彼女はふぅと息を吐いた。
「あら、奇遇ね。こっちもよ。わりかし手強いわね。隠れて二匹いたわ。いったい何匹いるのよ」
「4匹だ」
すかさず答える。
「元々は一匹だったらしいがな」
「あら、じゃあこれで1匹ね」
ふふっと嬉しそうに笑う。貴様の笑顔なぞ誰も見たくないわ、と思いながら彼はロビーへと向かう。
「ルイス、階段はどこにある?把握しているか?」
「廊下の突き当たりよ」
「先に階段で上に上がってくれ。俺は後ろからついていく」
「分かったわ」
「それ…と」
隊長はルイスに小麦粉を投げる。ルイスは片手でがっしりと掴み取り、不思議そうにパッケージを眺めている。
「懐に入れとけ。後でもらうから」
「自分で持ちなさいよ」
不満そうにいうが、隊長はサングラス越しでもわかるような無表情でつぶやく。
「めんどくさい」
「はぁ……分かったわよ…」
ルイスはあきらめ顔で懐に小麦粉を忍ばすと、そのまま廊下の奥の階段へと向かった。
隊長もそれを追い、歩いていく。
「さぁ、計画は順調だぞ」
不気味な笑みを浮かべた。
[905]
金属製のプレートだ。
「ここね?」
ルイスが確認を取るように隊長に目配せする。彼は小さくうなづく。
それを受けて、彼女はドアを小さくノックした。
コン……コン……
「戦争機関 トードです。博士。モーリス・レイウッド博士」
返事はない。
ただ扉の奥で不気味な音が聞こえている。
ジュル……ジュル……と何かを啜る音……
「襲撃の後か」
彼はそう呟き、「まぁ想定内だな」と懐から葉巻を取り出して、ライターでゆっくりと火をつける。
そうして、満足そうにくわえた。
「こんな時に葉巻?」
「君もいるか?タバコ持ってたろう?」
彼はそういい、ライターを差し出す。ルイスはそれを押し返して、扉にもう一度視線を向ける。
「今はいいわ。残党を1匹やっつけてからいただくわ」
「んー…そうか」
隊長はすこし残念そうな顔をした。
ルイスがゆっくりと扉を開けた。
血みどろ。
まさにその言葉が当てはまっていた。
ソファに腰をかけて踏ん反り返った首のない死体。それは、モーリス・レイウッドだったもの。首から流れる血が絨毯を濡らしているのが、月の光に照らされてわかる。
窓から差し込む月光よ……。
ベッドの上には博士の首の血をすする人影があった。
「ラストワンね」
ルイスがそう告げ、銃を構える。
「トードの犬か……貴様らが」
ベロリと長い舌を出してニチャリと笑う君の悪い男。全身包帯巻きの不気味な男だった。
「兄弟は殺したのかね?」
「死と眠りは兄弟……とするなら、まぁ殺したんじゃないかね?」
不敵な笑みでそういう隊長に、ちょっと困り顔のルイス。
「意味がわからないわよ」
ルイスはそのまま男の額に打ち込む。
一度心臓にあたり、ふらっと倒れそうになるがギンッと目を見開いて体制を持ち直す。
「そんなもんか?クイーン」
「こいつ……なんで……」
「英雄機関の実験の結果生まれた生命体だ。手強いぞ」
「どうする気……?」
「なに……もう手は打ってある。いくら強化生命体だとしても、銃弾何発まで耐えられるかねぇ」
隊長はそういうと、指をパチンと鳴らして不敵に笑った。
「ショ、ショウタイムだ」
瞬間窓が割れる。
なにが起こったのかと振り返る、夜の狩人。
飛び込んでくる物体。
それは巨大な鉄球だった。
クレーン車に吊るされているかのようなでっかい鉄球。
夜の狩人の思考は一瞬停止してしまう。
これが敗因だったのだ。
「ルイス。外に出ろ。はやく」
ルイスの手を握って彼は急いでドアの外へ。
大きく音を立ててドアを閉める。
はぁはぁ……と息が切れているが、安心したようで少し頬が緩んでいる。
直後、鉄球が壁に激突する音がした。
「壁壊れないの……?」
「事前にここだけ強化してある。計算済みだ」ハッハッハと高らかに笑う。
「計算済みならレイウッド博士を守りなさいよ!どうにかできたでしょ!」
「なに……心配するな。影武者だ」
「それに…なんなのよ、あの馬鹿でかい鉄球!!」
「事前に注文していた。いいメニューだろ?」
「さぁ……まぁ美味くないこともないんじゃない…?
てか、あれで死んだの?」
「いや、大きく傷を負わせただけだよ。とりあえず、ホラ。ひと段落だ。火をつけてやる」
隊長はライターを差し出した。
「あら、気がきくのね」
ルイスは胸ポケットからタバコを取り出し、口にくわえて火をつける。
「やっぱりこれね」
煙を吐いた。
「美味いか?」
「ええ」
満足げにルイスは答える。
隊長もふふっと笑いながら煙を吐いた。
「よし、休憩は終わりだぞ。扉を開け、ルイス」背筋をピンと伸ばし、襟を立てる隊長。ルイスも気を引き締めた。
必ず殺そう、と。
「戦闘準備……よし。いくわ」
ルイスがドアを開ける。
鉄球の合間から抜け出てくる夜の狩人。
ルイスはタバコを噛み締めて銃を構える。
「この距離なら外さないな」
隊長はそう呟き、両手で構えて銃を撃ち込んだ。
ルイスの心臓を撃ち抜く。
隊長に銃を向けようとしていた彼女が驚きのあまり拳銃を手から落としてしまう。
血は派手に吹き出し、狩人の目潰しとなる。加えて、懐に入れていた小麦粉は、宙を漂う。
ルイスの唇に噛み締められた火のついたタバコ。
「特製の弾丸だ。受け取れ、モンスター」
粉塵爆発。
殺傷能力などそこまで高くない爆発だ。
これが狙いではないことは分かったろう。
だが、ルイスは……いや、ルイスと呼ばれた存在はどこに隊長がいるか一瞬わからなくなったのだ。
「謀ったな!!ダルメシアンッ!!!」
目潰し。
強力な目潰しとなったのだ。
「さぁ、殺るか?パーティーを」
まず頭を射抜き、胸を射抜き、心臓を射抜く。貫通して、部屋の中にいた狩人にも命中する。
血のシャワー。
隊長の額に汗が浮かぶ。
何度も何度も撃たれる弾丸により、夜の狩人の擬態もだんだんと薄まり、果てにはマネキンのような顔のないものへと変化していく。
動揺で手も震えていたが、この近距離で弾丸を外すはずもなく……すぐに決着はついた。
二つの死体がホテルの廊下に転がった。
血溜まりの中でなかよく眠っている。
「身の危険を感じたら殺すしかないだろうな」隊長はそういい、煙をスゥーって吐く。
「やはりこれだよ……」
階段をコツコツと一段一段降りていく。
一階のロビー前にはルイスの死体があった。
ソファーに隠れて最初は気づかなかったが、脳天をぶち抜かれている。
隙を突かれたようで、唖然とした顔のまま目を見開いている。
これは即死だったろうなと隊長は吐きそうになる。
だが、それを歯を食いしばりグッとこらえて思いっきり死体を蹴った!
「起きろッ!寝坊助!!
死体ごっこは終わりだ!グールめ!」
「レディなんだからどっちかというとグーラよ!!」
ルイスがグンッと目を見開いてガバッと起き上がる。
「レディよ!!もう少し丁寧な起こし方はないの!?」
「貴様にそんな方法があると思うか?」
自分で考えろと言わんばかりに冷たい口調。ルイスは少し肩を落とす。
「てか、アンタ途中まであれが偽物だって気づいてなかったでしょ?完全に信頼してたじゃん」
「アホ。あんなもの、クイズでいうサービス問題だ。すぐにわかる」
煙を吐きながら葉巻をくゆらせる。眼鏡の奥で光る瞳は一体なにを見据えているのか。
「いいか。ネームプレートをつけたまんま違う顔のまんまでいるなんていくらなんでも知能レベルが低すぎる。そんな知能レベルの低いやつらが、ホテルマンのふりしようとか考えるか?チョットおかしい。我々を油断させようと思っているのだろうな、とは考えやすかっただろう。と、なるとなぜそんなことをしたのか。知能があることを隠したかったからだ。擬態がもっと上手くできることを隠したかったからだ。
「考えつかなかったわ」
「ドアホめ。だから貴様は三流なんだ。
それで……だ!血を見る私のことを気遣いもしなかった。これだけでピンとくる」
「あら、私のことよく見てるのね。結婚する?」
「するわけないだろ、ノーテンキゾンビ」
「ゾンビは酷くない!?」
「どっちも変わらんだろう。
極め付けは、だ。煙草だよ」
「え?あー、ようやくうまくいったの?」
ルイスが気づいて、ハハッと乾いた笑いをあげる。
「あぁ、君がタバコを胸ポケットに入れていたおかげで、最後の決断ができた。ライターを差し出して拒まないなんてお前らしくないからな」
心底おかしいようで、隊長は笑いが止まらないようだった。そのあと急に大きく声を上げて笑い出した。
「私がタバコ嫌いなのが功を奏したのね。よかったじゃない」
「あぁ」
笑いを噛み殺しながらそう答える。
「でも私が本物でも撃ち抜いたでしょ?」
「バレたか」
「バレるわよ」
夜明けまでまだ時間はあった。
〈続〉
粉塵爆発について誤りがあった場合はご指摘ください。筆者はそこが不安なのでよろしければ感想にでも…